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アキに横抱きにかかえられたままシオンの元へ向かう。

歩が進むごとに視界が揺れ、ぐらぐらとした浮遊感を感じた。地に足がついていないのと妹に抱きかかえられている状況とが相まって、ふとした瞬間に手を離されるのではないかとありもしない不安を感じ、思わず身を固くしてしまう。


不安を抑えつつ、目だけで周囲の様子を伺った。

ガラガラと車輪の転がる音がする。馬の足音が断続的に聞こえた。アキの息遣いが微かに感じられて、目を閉じれば鼓動も聞こえるぐらいに密着している。


そうこうする間もシオンの気配に近づいて行く。不安ばかりが募る。どうにか引き返せないかと考え、抱きかかえられている現状では主導権がなく、指示したところで従ってくれないのは明らかだった。

アキとシオンを会わせるのは危険だという予感を感じつつも、どうにも出来ない状況に焦燥感が募っていく。


ちょっと身動ぎしただけでアキは目だけで俺を見て、少しだけ力が増す。

何度か繰り返す内に軋むを通り越して痛くなったけれど、わざわざそれを口にはしなかった。理由は自分でもよくわからない。兄としてのなけなしのプライドか、あるいは弱音を吐きたくないと、この世界では俺ぐらいしか持たない男のプライドなのかもしれない。


分からないことばかりを考えながら、視線は自然とアキだけに注がれる。

この状況を打破する方法も、自分自身の本音すらも、何も答えにたどり着けなくて、かといって何もしないでいるわけにもいかず、何となくその頬に手を添える。

そうすると、アキの顔が俺に向けられた。当然のことながらよく見知った顔だ。別人であるはずもない。目の下あたりを人指し指でなぞり、唇の横辺りに親指を這わせる。

それで何がしたかったわけじゃない。目の奥に宿る光だとか、どういう反応をするのかとか、そういうのを見て何かを感じ取れればよかったのだけど、何も感じられなかった。反応が薄い。俺がアキを観察しているとの同じで、アキも俺を観察しているように思えた。


僅かに口が開き、アキが何かを言いかける。兄上と呼ばれた気がしたが小さすぎて聞き取れなかった。聞き返す前に立ち止まり、並んで進んでいた馬も止まった。

いつの間にやら、前方からトカゲがやって来ていて、襟首を咥えられたシオンがずるずると引き摺られていた。


己の最期でも悟ってしまったのか、脱力しきって無抵抗のシオンを、トカゲは俺たちの側まで運んできて、ぽいっと放って寄こした。

転がされた勢いでごろりと仰向けになったシオンと目が合って、思いのほか穏やかな声が紡がれる。


「やあ、また会ったね」


声こそ穏やかではあったが、その目は被害者を名乗るには十分な暗い色を湛えていた。その目を見て、さすがのアキも気勢が削がれたのか何も言わない。同じ被害者同士、親近感をもって慰めた。


「ご無事で何よりです」


「……え? 無事に見える?」


シオンの目に光が戻る。一転して不機嫌な気配。

どうしたことかとその身体に目を向ける。汚れてはいるが傷らしきものは見当たらない。


「外傷はなさそうですが」


「そっかぁ。じゃあ一つ言っておくと、あの蜥蜴(とかげ)を何とかしないと、僕の怒りが君に向くことを覚えておいてほしい」


「わかりました。覚えてはおきますが、あれを止めるのは無理な相談です。被害者同士仲良くしませんか?」


「飼い主が何言ってんのさ」


むくりと起き上がったシオンは一つ息を吐いてから立ち上がる。

すでに若干遠ざかっていたトカゲを横目に伺って、抱えられる俺と抱えるアキを見た。眉を八の字にして、不機嫌そうな気配を纏わせながら訊ねてくる。


「で、なんなの君たち。ひょっとして見せつけてる?」


「何の話ですか」


言ってる意味が分からなかったので聞き返す。

シオンは俺の顔を数秒見つめて、二度目のため息を吐いた。


「箱庭も大概にすべきだね」


「箱庭?」


「わからないならいいよ。で、そっちの子は?」


シオンが水を向けたのに釣られて俺もアキを見る。アキは眦を吊り上げてシオンを見返していた。機嫌の悪さを隠そうともしていない。


「紹介します。妹のアキです」


「だろうね。(なぎ)にそっくりだ」


そんなに似ているかなと個人的には思うのだが、他人と家族で物の見方が異なるのは道理だろう。

外見だけで判断するのと中身も含めて判断するのとでは違った感想が出るのかもしれない。


二人の間に流れる微妙な空気を感じて言葉に窮する俺の眼前で、シオンが不自然に取り繕った笑みを浮かべてアキに話しかけた。


「初めまして。僕はシオン。君のお母さんとはそれなりに仲良しで、そっちのお兄さんともこれから仲良くしようと思ってる。君とも仲良くしたいな。よろしくね」


「帰れ」


アキの一言。シオンの言葉など聞いてもいない様子。

今にも噛みつきそうな顔のアキと、きょとんと目を丸くするシオン。しばしの間二人は睨み合い、あるいは見つめ合い、最初に口を開いたのはシオンの方。


「あれえ?」


すっとんきょうな声だった。

心の底から不思議がっている。そんな声。


「なになに? 僕嫌われてる? どうしてどうして?」


「いや、まあ、とりあえず落ち着いてください」


なぜだかシオンは大層な衝撃を受けたらしく、一気に距離を詰めてきた。

初対面の子供に第一声で帰宅を促されたのがショックだったらしい。そんなにショックを受けるようなことかなと俺の方こそ不思議になったが、そこそこ仲の良い知り合いの子供に嫌われてるとなれば、まあまあショックを受けるかもしれない。


「僕何かやったっけ?」


「シオンさんは何もやってませんよ」


「じゃあどうして?」


「それは……」


「帰れ」


アキの二言目。一言目より口調が強い。

拒否は許さないと断固たる姿勢が垣間見える。


「嫌われてるよねこれ」


「アキは誰にでもこんな態度です」


思い返せば、エンジュちゃん相手にも最初から喧嘩腰だった。

今回は手が出ていないだけましかもしれない。俺を抱えているから手を出せないだけかもしれないが。

初対面なのだからにこやかにとは言わないが、最低限の礼儀ぐらいは払ってほしい。

そういう思いでアキの襟を引っ張り促してみたが、出てきたのは全く同じ言葉。


「帰れ」


「おぉ……椛より酷い……」


「まだ子供なのです。許してやってください」


アキを庇って許しを請う。

まだ9歳だからこんな言い訳が使える。けれど数年経てばもう無理だ。

数年後のアキはどうなっているのか。考えてみて、愛想良くなっている姿は想像できなかった。多分一生こんな感じだろう。どれだけ改善できたとしても母上が良いところ。代を経れば右肩下がりで悪くなってしまうのか。明らかに教育に失敗している。

なぜこんなことに。何を間違ったのか。初対面なのに自己紹介をすっ飛ばし一方的な要求を突きつけ、しかも命令口調。異論は許さないと言う態度はあまりに酷い。一体どこの暴君かと言う話だ。


「お前に兄上は渡さない」


「……ふーん?」


俺の弁護など素知らぬ顔でアキは言い募る。それを受けてシオンは少しばかり考える素振りを見せた。顎に指を当てながらアキを眺めている。


「お前なんかに、兄上は幸せにできない」


「……」


「不幸にしかできない。それ以外できない。お前は、そういう人間だ」


「……なるほどねえ」


あまりの言い様に息を呑む。

間違いなくシオンは怒るだろうと思ったのだが、その予想を裏切って、シオンの顔には苦笑が浮かんだ。対するアキは険しい顔。嫌悪感が滲んでいる。


「君、お兄ちゃんのこと、好きなんだ?」


「……あ?」


「大好きなんだ?」


「……」


「愛してるんだ?」


「……」


「でも君は結局のところ妹だから、妹でしかないから、その気持ちは報われない」


「……」


言葉を吐くごとに、シオンの顔に浮かんでいた笑みが変わっていく。

親が子を見守るような苦笑が、敵対者を侮蔑するような嘲笑へと切り替わる。そのまま小馬鹿にした調子で突きつける辛辣な言葉。


「君の方こそ、レンを幸せにできないじゃないか」


無言で睨み合う二人。

未だアキに抱えられている俺はその二人の間にいる。


状況がよく分からない。どうしてこんなことになっているのか。

アキが無礼を働いて、シオンが怒っている。とりあえずはそういうことでいいはずなのに。

なぜだか分からないが、この二人の会話に口を挟むのを躊躇してしまう。黙して語らず、人形のように縮こまるのが最善だと言う気がしてくる。実際の所そんなわけはないし、二人が険悪になっていくのを指を咥えて見ているわけにもいかなかった。


「二人とも一旦落ち着いて――――」


意を決して口を挟んだその瞬間、アキの手が口を塞いでくる。

そして耳元で囁かされた。「兄上は黙っていてください」と。


「目下の人間が目上の人間を慕うのは当然のこと。四の五の言われる筋合いはない」


「君の場合は尊敬じゃなくて慕情でしょ? 駄目だよ。兄妹なんだから」


「お前に言われる筋合いはない」


「あるよ。だって」


シオンが俺を指さす。

半分笑いながら告げてくる。


「レンは僕のものだ」


アキの腕に万力のような力が籠った。


「……違う」


「否定したければお好きにどうぞ。でももう椛ですら認めてる。君一人が我儘を言っても、何が変わるわけじゃない。……あ、それとレンは連れて帰ることにしたよ。まだそのつもりはなかったけど、君みたいのがいるなら仕方がない。帰ってからゆっくり話すことにする」


「……お前なんかに、みすみす兄上を渡すと思うか?」


アキの身体から剣呑な気配が迸る。

武力行使も辞さないと言う意思表示に他ならない。

咄嗟にアキの手を掴んで暴れる。これ以上は本当にまずい。取り返しのつかないことになる。


本気で暴れ始めた俺に対して、アキは扱いに困ったようで、その場にしゃがんで抑えつけてきた。

腕だけではなく全身を使って抑えつけられて満足に暴れられなくなる。

口だけは自由になったが、それで状況が改善したとは思えない。


「ほら、レンも嫌がってる。放してあげなよ。と言うか、放せよ。僕のものだ」


「黙れ」


相変わらず言葉は汚い。

しかしその顔は焦っているように見えた。どうすればいいか悩んでいる。アキにしては珍しく頭を使っている様子。

東の都で頭を使うことを覚えたらしい。その成長が嬉しくもあり、寂しくもあり、何とはなしに頬に手を添える。先ほどと同じように。


アキの視線が俺に向く。

刹那、直前までの焦りが嘘のように消え去り、瞳の奥に暗い光が宿った。妖しげな気配すら漂う笑みが浮かんで、その顔が近づいてくる。


シオンが何か叫んだのが聞こえた。

耳に聞こえるものよりも、重ねられた唇の感触に囚われる。

訳が分からず硬直する俺の口をアキの舌がこじ開けてくる。ぞくりと背筋に刺激が走って、身体から力が抜けた。

駆けてきたシオンがアキを突き飛ばす。

アキは尻もちを打ち、しかし俺を放しはしなかった。俺はアキが自分の唇を舐めるところを見た。


「兄上の初めてもーらった」


その言葉と視線はシオンに向けられている。

子供とは思えない蠱惑的で挑発的な顔。

無表情で佇むシオンをせせら笑う。

言葉のみならず、行動でもって宣言した。


「兄上は私の物だ」


その言葉に背筋が震えた。

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