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エンジュちゃんが見つからない。

とっくに日は暮れて辺りは暗くなっていると言うのに、家に帰ってきていない。

そのことを知らされ、居場所を訊ねる父上に対し、俺は暫し黙然としてから口を開く。


「山かもしれない」


俺はエンジュちゃんがどこに行ったかは知らない。

しかし心当たりはあった。山に行くなと何度も言って、その都度言いつけは破られてきた。二度あることは三度あるなんて諺を思い出す。三度目があったのかもしれない。


「山? なんで山に?」


「薬草を採って来てくれてたんです。いらないと言ったし、行かないようにとも言ったんですが」


そこまで言って言葉に詰まる。

自分の口から漏れていた言い訳に気が付いた。俺は注意したよと、知らず知らずのうちに自己保身に走っていた。


「そっか。昨日雪が降ったし、足を挫いて動けなくなってるかもしれないね」


その推測は楽観的過ぎる気がした。

そうだったらどれだけいいだろう。そうであってほしいと心の底から願う。


「伝えておくね。レンは休んで」


父上が早足で玄関に向かった。

自己嫌悪に沈む俺は到底寝ることはできず、かといって起きている意味もない。

昨晩、あの程度動いただけで息も絶え絶えだった俺に、山を探し回ることは出来ないだろう。薬を飲めばとも思ったが、やはり難しい。薬を飲めば思考が鈍る。そんな状態で山の中を歩き回るのは危険だ。


理屈が答えを出している。お前は寝ていろと。

けれど感情は納得しない。何か出来ることはないかと訴えかけて来る。

頭を悩まし、同じところを行ったり来たり。結局答えも同じところに帰結する。堂々巡りだった。


無為な時間を過ごしている。考えてばかりで成果は何一つない。何もしないなら眠るべきだ。そうじゃないなら行動しろ。黙って待つのは性に合わない。この世界がどんな世界だろうと、俺は俺だから。


逸る気持ちそのままに、何の考えもないまま立ち上がりかけたところ、襖が開き人影が姿を見せる。シオンだった。


「やあ」


浴衣の様な白い寝間着の上に藤色の上着を羽織って現れたシオンは、軽快な調子で手を上げて無造作に部屋に入って来る。

今まさに部屋から出ようとしていた俺は物の見事に出鼻を挫かれ、ただシオンの動きを目で追っていた。

直前の勢いはどこかに失せた。頭は冷え、考える余裕が生まれた。やっぱり今の俺が山を登るなんて、どう考えても無理がある。そう言う諦観を抱いていた。


そんな俺の横にシオンは何の躊躇もなく座り、世間話でもするように話しかけて来る。


「調子どう?」


「……こんな時間にどうかしましたか」


「ん。眠れなくてね」


枕が変わると眠れない人なのだろうか。もしくは馴染みのない場所では眠れないとか。

そんなに繊細そうには見えないけれど。むしろ図太い人だと思う。人をおちょくるのが何より好きそう。


胡乱げに見つめる俺の視線を受け、シオンは「あはは」と笑った。

「よいしょ」と言いながら身を寄せて来る。人の熱を間近に感じ、寄って来た分だけ横にずれようかとも思ったが、いちいちそんな細かい動きをしていては身がもたない。

そう言う事情から微動だにしなかった俺を見て、シオンは呆れた顔をする。


「君さあ……」


「なんですか」


「もし僕が夜這いに来たって言ったらどうするつもりなの?」


「……」


ちょっと言葉に困る。もしシオンが夜這いに来ていたら。一応考えてはみるものの、問いかけの意図がよく分からなかった。

どうするも何も、そっちがどう言うつもりなのか。


「あなたは男の子と言う話だったはずでは」


「僕はそんなこと一言も言ってないし、性別を偽ってる可能性を考えてみようよ。で、どうするの?」


「……こんな小さな子供を襲うんですかと訊ねます」


「小さな子供が好きなんだよと答えたら?」


「あっち行ってください変態」


「喜ばすだけだよ、それ」


罵倒で喜ばれてしまってはお手上げだ。何をすればいいのか分からない。打つ手が見つからない。

「じゃあもう無理ですね」とはっきり白旗を揚げた俺に対し、シオンは「諦めるなよ」と強い調子で思考を促してくる。

そう言うことならと、俺は両手を広げて受け入れる姿勢を作った。


「どうぞ」


「はい?」


「だから、どうぞ」


「何が?」


「貧相な体ですが、どうぞご賞味ください」


一転して虚を突かれた顔になるシオン。

出会って間もないから当たり前だが、そんな顔を見るのは初めてだった。


顔に向けられていた視線がついっと下に滑り落ちる。首筋から鎖骨を伝い、胸を経て腰辺りに。

舐めるような視線だった。人生で初めての体験だ。人の視線ってこんなに露骨なんだなと、若干の身の危険を感じ始めた辺りで、シオンはふいっと横を向く。


「まあ、今のは冗談なんだけど」


「でしょうね」


分かってたよと言う感じで応えはするものの、果たして冗談の一言で片づけていい内容だったろうかと首をかしげる。

シオンにそんな気がないことは一目瞭然で、分かっていて乗った俺も俺だが、そんな話題を振って来たシオンもシオンだ。

とは言え、言及するのは藪を突くのと同じ。変なものに出て来られても困るので、わざわざ蒸し返しはしなかった。


「寝てたんだけど、外が騒がしくてね。起きちゃった」


「申し訳ありません。少しゴタゴタしてまして」


「子供がいなくなったんでしょ? 可哀想だねえ」


知っているらしい。どこで知ったのか。

客間は近いから、盗み聞きしていたのかもしれない。案内する部屋を間違えた。うんと遠い客間にすべきだった。


「まだ何も分かっていませんよ」


「うん。大人はまだ何も分かってないみたい。折角警告したのに無駄になって。残念だね、レン」


肩に手を回され、慰めるような優しい手つきで撫でられる。

密着した身体から甘い匂いが漂ってきて、人の熱と柔らかさが伝わってきた。


「猿がどうこうは俺の想像です。何も確証はない」


「そうだったらいいなって、自分に言い聞かせてるように聞こえるけど」


「まだ何も分かってない。だからきっと――――」


――――きっと、なんだろう?

エンジュちゃんは無事で、猿の襲撃なんて杞憂に過ぎず、昨晩の襲撃も何かの間違いで。

そう言うことを言うつもりだろうか。子供の夢みたいな、優しくて甘い嘘を吐くつもりなのか。


もしそうなら、俺は自分を軽蔑する。

現実を見ず、備えるべきものに備えず、行動すら起こさない。そんな人間は、俺の嫌いな軟弱な人間そのものだ。


シオンが俺を見ている。言葉を途切れさせた俺を優しい眼差しで見つめている。

おもむろに開いた口から言葉が漏れる。眼差しとは裏腹な強い言葉。


「君も無能の仲間入りをするつもり?」


二の句が継げない。

無能と罵倒されて、そうではないと言い返す言葉が見つからない。

代わりに出てきたのは、縋る様な言い訳だった。


「身体が、悪いんですよ」


「みたいだね」


「何をしたって痛いんです」


「大変だね」


「一人で山に入っても、何の役にも立たないんです」


「うんうん。それで?」


後から後から口を衝いて出る言い訳に、シオンは律儀に返事をしてくれる。

だから口が滑った。続く言葉は懇願に近かった。


「俺に、どうしろって言うんですか」


「君はどうしたいの?」


どうしたいかなんて、そんなの決まってる。

けれどそれが出来ないから悩んでいて、どうすればいいかと聞いたのに。


溜息を吐き、落ち着けと自分に言い聞かす。

シオンに苛立ちを覚えたところで意味などない。今は現実を見るべきだ。


「これから、大人たちが山に入るみたいです」


「そうなんだ。忙しなく動いてるから、どうするのかなあって思ってたんだけど」


見たような口ぶりだ。実際見て来たのかもしれない。俺は気配で人の動きを感じ取っているだけだが。


「今はただ見つかることを祈ります」


「……ま、早く見つけないと凍死しちゃうかもしれないし。とりあえず、それでいいんじゃない?」


昨晩は雪が降った。

まだ積もるほどではないが、気温は零下に近い。もし足を挫いて動けなくなっているのなら、満足に暖を取ることも出来ないだろう。そのまま一晩明ければ凍死するかもしれない。

だから一刻も早く救助しなければならない。まだ生きていることに望みをかけて。


「じゃあ次は駄目だった時のことを考えようか」


「……」


「猿に襲われていた時のことだよ」


「……それは」


「死んでるだろうね」


言いようのない痛痒(つうよう)を覚えて、胸を掻き毟りたくなる。

もし猿に襲われたなら、生き残っている可能性はほぼない。そんなこと、わざわざ言われなくても分かっている。ただ、考えないようにしていただけで。


「これから山に入る人たちもどうかな。襲われるかも。危ないんじゃない?」


「複数人で入ります。群れている人間を猿は襲いますか?」


「襲うだろうねえ、猿なら」


猿について素人同然の俺は何も言い返すことが出来なかった。

ゲンさんがいれば話を聞くことが出来た。あるいは母上でもいい。誰でもいいから、頼りになる人がいてほしかった。


「でも、ま、今は大人たちに任せようか。じゃなきゃ何のために年食ってるか分からないじゃない。わざわざ身体ぐちゃぐちゃの11歳が首を突っ込んでも仕方ないよね」


「……なんで、俺の年を知ってるんですか」


「知ってるに決まってる。僕は君に会いに来たんだから」


一方的に話の終わりを告げたシオンは、ワクワクとした気持ちを隠すことなく部屋から出て行こうとし、襖の手前で振り向いた。


「変なことに巻き込まれたなあって思ってたけど、おかげで楽しくなりそうだから良かったよ。次はあんまり失望させないでね、レン」


場違いな笑顔が襖の向こうに消えるのを見届けて、俺は胸の内から湧き上がる感情を抑えていた。


失望ってなんだ。楽しくってなんだ。

子供が死んでるかもしれないのに、なんでそんなことが言えるんだ。


怒りが湧いて身体が震える。痛みを忘れるぐらいの怒りがふつふつと湧いてくる。

けれど、それをシオンにぶつけることはしない。

それが八つ当たりに過ぎないことは分かっている。

あいつにとって、この村で起こっていることは所詮他人事だ。誰が死んだとか誰が怪我をしたとか。そんなことは対岸の火事に過ぎず、一々同情する義務はない。


だから、この怒りを向けるべきは自分だろう。

もしまたエンジュちゃんが森に入ったのなら、それは俺の責任だから。


こんなことになるぐらいなら、嫌われてよかったし、泣かせてもよかった。そうすべきだった。

泣かせたくないとか、嫌われたくないとか、身体のことを言い訳に使って、八方美人を気取り、中途半端にしか叱れなかった俺の責任だ。

すべきことを先送りにした結果、取り返しのつかないことが起こって後悔している。


馬鹿だった。愚かだった。身体の不調を理由に甘えていた。

もうこんなことはしないなんて、先のことを考えてみても、それは俺の勝手な決意に過ぎなくて、エンジュちゃんには全く関係のないことで。

そう考えるだけで死にたくなる。こんなにも時間が巻き戻ってほしいと思ったことはない。


とにかく今は無事を祈るしかない。無事に見つかってほしいと心の底から祈り続けた。






次の日の朝。我が家に大勢の人間が押し寄せた。

何故我が家にそんなに人が来たかと言うと、この村に何十人と人が集まれる家は我が家しかないからだ。

普段は使われず、掃除の手間ばかりがかかる広間が開け放たれ、大人たちが集まった。

中には夫や子供を連れてきた人もいて、そう言う人には客間が貸し与えられた。


これだけの人間が集まった理由と言うのは他でもなく、昨夜エンジュちゃんを捜索するため山に踏み入った人たちの内、何人かが行方知れずになったためである。暗闇の中を獣に追いかけられたと言う人もいる。突然石が降って来て怪我をした人もいた。


ここに来て、ようやく村の人たちは気付き始めた。自分たちの身に危険が迫っていることに。


だからこうして我が家に集まった。

しかし剣聖はおらず、山に詳しいゲンさんもいない。そしていざと言う時、知恵袋の役目を果たしていた老人たちの内、四人がすでに亡くなっている。残った唯一の老人である村長は体調を崩してこの場にはいない。


それ故に議論は紛糾した。

何が起きているのか分からないと言う人が多い。理屈など放り投げ、感情的に喚き散らす人の姿は、獣の群れによく似ていた。

猿が襲ってきているんだと、俺の言葉を持ち出して主張する人もいたが、各々が言いたいことを言うだけで、議論は纏まりが取れず言い合いと化した。


統率する人がいない。それだけで人間はこれほどまでに醜態を晒す。

村長がいれば統率出来たかもしれないが、肝心の村長はこの場におらず、それに連なる老人たちもいない。

何とか場の主導権を握ろうと孤軍奮闘する人もいたが、誰もその人の言葉に耳を貸そうとはしなかった。


俺は末席でその様子を眺めていた。

上座には父上の姿があった。周囲の人間を落ち着かせようと必死に宥めている。頑張っているとは思うが、父上の言葉を聞く人は誰一人いない。


議論と呼ぶにはあまりにお粗末な光景を目の当たりにし、この人たちは頼りにならないことを悟った。

剣聖の庇護下でぬくぬくと暮らしていたからだろうか。しかし、飢饉の心配が出てきた時にはそれほど大きな騒ぎにはなっていなかった気がするから、老人たちがしっかり手綱を握っていたのだろう。

年長者とは偉大なものだ。経験豊富で頼りがいがある。俺もそういう人間になりたいと思った。いつまで生きられるかは分からないけれど。


とにかく、今はすべきことをしようと隣にいた人に話しかける。その人は興奮して立ち上がり、何事か叫んでいたので、裾を引っ張って存在をアピールした。


「すみません。いいですか」


「はい!? ……あ。な、なに?」


突然話しかけてきた俺と言う存在に、一気に毒気が抜かれたその人は、頬をひくつかせながら応じてくれた。


「猿は食べられますでしょうか」


「……え?」


「あの猿は食料になりますか」


「しょくりょう……え?」


話は通じているのだが、今一理解してもらえない。辛抱強く繰り返す。


「つまり、猿を殺す時に、どう殺すかと言う話です。食べられるなら、食べられるように殺しますし、食べられないなら遠慮なく殺します。どっちがいいでしょうか。猿は食べられますか? 食べられませんか?」


ゲンさんに聞けばすぐ答えてくれそうな質問だったが、いないのだから仕方ない。

間近にいる人に聞いてみて、知らないなら知っている人に聞いてもらう。繰り返していけば、誰か一人ぐらい知ってる人がいるだろう。何なら村長に聞いてもいい。体調不良らしいが、そんなこと言ってられる状況ではない。


ポカンと口を開け、間抜け面で突っ立つその人は知らないらしい。なら他に知ってそうな人はいないかと訊ねる。


「安心してください。殺せと言っているわけではないので。俺が殺しますので」


反応が鈍い。なぜ? そんなに理解し難かっただろうか。よく分からないことを言っていただろうか。

時間がない。急ぎたいのに。何度も訊ねなきゃダメだろうか。

ああ、そっちの人も、馬鹿みたいに叫んでる暇があるなら、俺の話を聞いてほしい。答えてほしい。早く答えて。


「村長なら知ってますか? どうですか?」


早く答えろと目で圧力をかけながら、辛抱強く問い続ける。

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