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番外

「土産をもらった。皆で飲もう」


それは、剣術指南の仕事から帰還した母上が「話がある」と家族皆を集めての一言だった。

やたらと威厳たっぷりな声音で呼び集めたくせに、いざ聞けばそんな内容だから拍子抜けする。

そんなことなら夕飯の席で言えばよかったのではないかと思ったが、そう言う考えに至らないのが我が母上らしいところでもある。


まあ、いつものことかと半分諦めながらアキと父上の様子を伺った。二人は何とも思ってなさそうな顔で母上の手に握られた瓶を注視している。

誰も口を開かないので、代表して俺が訊ねた。


「果実水ですか?」


「いや、果実酒だ」


瓶に色はなく透明で、中の液体は微かに黄味がかっている。

中身はなんと酒らしい。と言うことはアルコールが入っている。俺の感覚では子供に酒はご法度だ。


「飲んでいいんですか?」


「何か問題があるのか」


「俺もアキもまだ子供です」


「……まあ、そうだが。だからなんだ」


母上の口ぶりから察するに、どうやらこの世界に年齢制限と言うものはないらしい。

「本当に?」とついつい母上を疑ってしまったが、前世の感覚が残っているせいで一部常識が乖離している。

飲んでいいと言うなら飲まない理由はない。縛る物は何もないのだから。


酒は飲んでもいいのだと自分自身を納得させようとする俺の横で、今度はアキが訊ねた。


「母上、果実酒ってなんですか」


興味津々と言う相好で、矯めつ眇めつ瓶を眺めている。


「果実で出来た酒のことだ」


「果実でできた酒ってなんですか」


「……」


「そもそも酒ってなんですか」


「……」


アキの質問攻めに早々と答えに窮することになった母上が俺に視線を向けてくる。その顔は無表情ではありつつも助けを求めていた。

俺も考える。酒とは何か。中々に難しい問題だ。


「酒って言うのは……大人の飲み物のことだよ」


「……大人の飲み物」


アキの目に貪欲な光が宿る。その眼は大人と言う単語に反応していた。大人に憧れるのは子供の性だ。


「兄上、私も飲みたいです。飲んでいいですか?」


「母上が良いって言うならいいんじゃないか」


アキの期待に満ちた視線を受け、母上は無言で頷いた。その目が一層キラキラと輝き始める。


「酒とはどんな味でしょうか……」


「果実水みたいなものだと思う」


「つまり、甘いんですか?」


瞬間、アキの喉がごくりと鳴った。

甘いものに目がない我が妹は早くも摂食モードに入ったらしい。

じぃっと凝視する先には父上がいて、「これ重いねえ……」とはにかみながら瓶を上下に振っていた。


俺たちの会話を他所にマイペースな父上を見つつ、瓶を手放すのを待つ。父上がそれを手放した瞬間、アキが即座に確保するだろう。そして早く飲みましょうと言うに違いない。もしくは湯呑を取りに走り出すかだ。その光景が目に浮かぶようで若干楽しみだった。


「土産物って珍しいね。誰からもらったの?」


黄味がかった液体越しに俺たちを覗いていた父上が、何気なくそんなことを訊ねた。実際、今まで土産物を貰って来たことは一度もない。父上の言う通り珍しいことだった。

俺自身、普段母上がどこの誰に剣術を教えているのか興味があったので母上の返答を待った。だがいつまで経っても沈黙を保ったままの母上は、誰も居ない空間をじっと見つめたまま口を開かない。


「……」


「……あれ? 椛さん?」


聞こえなかったのかなともう一度訊ねる父上だったが、母上はそれすら黙殺した。妙な空気が流れ始める。

母上が無口なことを利用して都合の悪いことから逃げるのにさほどの驚きはないが、ここまで露骨に逃げるのは驚きだ。逃げるなら逃げるでもうちょっとやりようがあるだろうと呆れてしまう。

おかげで「何か後ろめたいことでもあるの?」と言う疑念がこの場に膨れ上がっている。


この空気どうするんだよと事態の推移を注意深く見守っていると、父上がすっと側に寄って来て瓶を手渡された。先ほど父上が言っていた通り瓶は重かったが、今はそれよりも空気が重い。


「椛さん? 言えないこと?」


「……」


この期に及んでなお黙殺である。この短い時間に三度目だ。三顧の礼と言うかなんというか、四度目は許されそうにない。


場の緊迫感から目を逸らしつつ、珍しく父上が率先して動いたことに注目する。

男の勘が働いたのか知らないが、どうやらこの空気に関しては父上がどうにかしてくれるらしい。


そう言うことならお言葉に甘えようと、アキを抱きしめて空気が治まるのを待つことにする。何が何やら分からぬと言う顔のアキも俺が抱きしめればぎゅっと抱きしめ返してくれて、伝わる体温に少し安心する。


そのまま部屋の隅に避難した。二人に背を向け出来る限り視界から遠ざける。

二人から意識を外すのと、手慰みの両方の目的からアキと遊ぶことにした。

アキの頭を撫でたり頬を突いて遊ぶ。少し前までなら一方的にやるだけだったこれも、最近はやり返して来るようになった。

大体は俺がやったことを真似しているだけだが、たまにオリジナリティを発揮することもある。今回は服の中に手を突っ込んできた。ひんやりとした手で胸の辺りを触られて少し驚く。


「こらこら」


「なんですか?」


諫めてみるもアキはすっ呆ける。ニヤりと挑発的に笑ってなどいた。

こんな顔をされてはこちらもそれ相応にやり返さなくてはならない。率直に言ってムカつく。

仮にこのまま攻め切られることなどあれば、アキは更に調子に乗るだろう。一度調子づかせると後が面倒そうな妹だ。


さてどうしようかなと少し考える。

同じことをするのは抵抗がある。やってやり返しての繰り返しでエスカレートしたら目も当てられないことになりそうだ。

だからこちらとしては少し趣向を凝らして、足の裏に狙いを定めた。


「――――うひゃぁ!?」


一撫でしただけでいい感じに鳴いてくれた。

気持ちは分かる。そこは俺自身も弱点だ。今こうしている間もくすぐっているが、少し指を動かすだけでアキの体はびくびく動いている。


「あ、兄上ぇっ……!」


「なにかな?」


くすぐったさと負けん気が織り交ざった顔で睨まれる。それに対し、俺はにっこりと笑顔で応えた。さっさと服の中から手をどかせと言う脅しだ。


「……」


「……」


「……」


「……うぅ」


睨み合いは一瞬で勝敗が決する。観念したアキが服の中から手を引っ込めた。

口をとがらせて不満たらたらな顔がとても可愛い。「むぅ~」と小さく唸っているのが小動物染みている。見ているだけで癒される。ずっと見ていたい。


「むぅ……」


「……」


「むぅー」


「……」


「むぅー!」


見れば見るほど癒された。とはいえ現実問題いつまでも見ているわけにはいかないので、ある程度満足したところで切り上げる。十分に癒されて現実に立ち戻る気力が養われた。


あちらはどうなったかなと恐る恐る母上たちの様子を伺ってみると、丁度父上が母上に何か耳打ちしているところだった。

その二人の距離感は普段のそれに比べて格段に近い。肩に手を置いてぴったりくっついている。そんな近さでひそひそ話している様子には、横目に見ているだけで妙な生々しさを感じた。


子供には聞かせられない話をしているのだろうか。だとするとこの部屋に留まったのは失敗だった。隣の部屋に避難するべきだったかもしれない。


二人の仲睦まじい姿を悶々とした気持ちで眺めていると、それが隙になってしまったらしく、アキが突如として腰の辺りに抱き着いてきた。

「え、なに?」と視線を下ろすと下腹部辺りにアキの頭頂部がある。一体何をしているのかと首を傾げた。


「アキ……っ!?」


呼びかける途中、足の裏に刺激を感じて思わず声が裏返る。同時にアキの狙いを察した。

勝負はとっくについたと思っていたが、アキはまだまだやる気だったらしい。反撃の機会を伺って、隙が出来たと見るや否や速攻でやり返してきた。


俺は今正座しているから、腰のあたりに抱き着いてしまえば手を回すだけで足の裏をくすぐることが出来る。

見事な状況判断だ。こいつ珍しく頭を使ったなと、称賛よりかは悪口の類を思う。こうしている間もアキは容赦なくくすぐっているから、素直に称賛するほどの余裕はない。

先ほどやられたのがよほど腹に据えかねたのだろう。その手つきには全く容赦と言うものがなかった。


「んんっ……!!」


変な声が出そうになって咄嗟に手で口を押える。

もう片方の手でアキの頭を掴んで押しのけようとしたが、すでに腕力では歯が立たない。押した分だけ逆に密着して来る。


全身全霊でこちょばしてくるアキの気迫は凄まじく、絶対に勝ってやるぞと言う決意が垣間見えた。

正直こんな状況に持ち込まれた時点で勝ち筋はない。いっそ潔く負けを認めようかとも思ったが、そう簡単に白旗を上げては兄の沽券に関わるし、やっぱりアキが調子に乗りそうなので、ギリギリまで抵抗を試みることにした。


アキの頭を押し返し、たまに背中を叩いたりする。

ただし、その間もずっとこちょばされ続けているのでどうしても力が入らない。案の定、アキは俺の抵抗を意に介していない。


「ぁ……んぁっ!?」


やってる内に学習したのか緩急を付けることを覚えられ、気を抜くと声が漏れてしまう。こんなところで持ち前の学習能力を発揮しないでほしい。


足を崩して魔の手から逃げようとしたが、がっつり拘束されてるせいで逃げることは出来ず、力づくで押しのけるのは不可能で、背筋を曲げたり反らしたりして少しでも刺激を紛らわそうとする他ない。


心の中で、もうダメだと思う半面、絶対負けないぞと反骨心のような物が浮かんでいた。実の妹に負けを認めてたまるかと言うプライドもあった。


散々抵抗して汗を掻く。酸素を求めて口を大きく開くが、ほとんど息を吸い込めていない気がした。そのせいか、頭が茹って思考が回らない。


段々と朧げになる意識の中、どういう順序を辿ったのかは不明瞭だが、押しのけるのではなく逆に引き寄せてしまえと妙案を思いついた。

逆転の発想だ。力で敵わないなら相手の力を利用するのだ。五の太刀のように。

窒息させてやると半ば本気で考えつつ、藁に縋るような気持ちでアキの頭を自分の下腹部に押し付けた。


「ん!? むぐぅっ!」


息苦しそうなアキの声が聞こえる。切羽詰まっている側としてはこれで降参してほしかったが、アキは最後の力を振り絞って攻勢に打って出た。


「んんっ!!」


猛烈な手さばきに下唇を噛んで耐える。

アキの攻撃は止まらない。その苛烈さときたら最早打つ手がない。


もういい加減負けを認めるかと諦観を抱いて体勢を崩す。後ろ手をついて天井を見上げた。奥歯を噛みしめて耐えてる内に、自然と身体は反っていた。おかげで背中側にいた母上たちが目に映る。


青白い顔で今にも卒倒しそうな父上と、無表情ながら剣呑な雰囲気の母上の姿。

予想外の二人の顔に呆気に取られて力を抜いた。すると何気に窒息しかけていたアキが解放される。


「死ぬぅっ!」


ぜぇはぁと大きく息を吸い込んでいるアキは場の空気に気づいていない。

俺も理解が及ばなくて何も言えず、ようやく攻撃がやんだことで全身から力を抜いて倒れた。みっともなく垂れていた涎を拭う。


「お前たち、何をしている」


長い静寂の果てに、先に沈黙を破ったのは母上だった。

答えに窮する。全然意味が分からなかったから。


「……ん?」


俺と母上が互いの様子を探り合っている傍らで、当事者であるアキがようやく場の空気に気が付いた。


「ん? ん? ん?」


俺たちの様子に怪訝な顔で疑問符ばかり浮かべていたアキだったが、畳の上にいつの間にか放り出されていた果実酒を見つけて跳びついた。

その光景が先ほど瞼の裏に浮かんだそれにそっくりで思わず笑う。母上と父上は笑わなかった。


空気を読まず、満面の笑みで「これ飲んでいいんですよね?」とはしゃぐアキは、俺とのじゃれ合いで汗を掻き、額には前髪が張りついていた。


よくもやってくれたなとその額にデコピンする。「いだっ」と顔を歪ませたアキだったが、次の瞬間にはまた満面の笑みを浮かべ、「飲みましょう」と瓶をこじ開けにかかった。






アキにとって初めての酒の味は不可思議だったようだ。しきりに湯呑みを覗きながら飲んでいた。

俺は一口飲んで口に合わずに飲むのを止めた。母上もあまり飲んでいなかった。代わりに父上が思いのほか飲んだ。久しぶりに飲むと言っていたが、酒には慣れているらしかった。


初めての味に戸惑いながらもかぽかぽと飲むアキと、それ以上のペースでグビグビ飲む父上。

傍目に見て、父上は自暴自棄になっていた。酔わなきゃやってられないと言わんばかりに杯を乾し続けている。


やがて瓶の中身が3分の1ほどに減った頃、すっかり出来上がった二人がそれぞれ俺と母上に絡みついてくる。


「どうしてぇ……どうしてなのぉ……」


父上は泣き上戸なのだろうか。母上に蛇のように絡みつくの姿を見ながら思った。


「何がだ」


「ふたりぃ、ふたりがぁ……」


「どの二人だ」


「どうしてぇ……」


「何の話だ」


二人のやり取りは酷いものだった。呂律が回らず不明瞭な言葉を吐き続ける父上に、母上はひたすら詳細を求め続けた。酔っ払いを真面目に相手にするのは実に不毛だ。真面な答えなど返ってくるはずがない。

二人のやり取りを反面教師にした俺は、酔っ払いの戯言は受け流そうと決意こそしたものの、もう一人の酔っ払いはそう簡単に受け流させてはくれなかった。


「兄上ー兄上ー」


「……なに?」


「んふふ……。兄上ー兄上ー兄上ー兄上-兄上ー兄上ー」


答えなくては一本調子に呼ばれ続ける。答えたら嬉しそうな声音で呼ばれ続ける。

どちらがましかと言うと嬉しそうな方がいい。あくまでも相対的な比較でしかないが。


「兄上がー。兄上にー。兄上をー。兄上でー。兄上のー」


ついには歌っぽくなる。

歌と言うにはあまりに酷いそれは、箸で瓶をチンチン叩きながら一定のリズムで口ずさまれている。

最早酔っ払いの奇行以外の何物でもない。そこに俺の答えは求められておらず、アキの気が済むまで続けられた。


「兄上をー兄上でー兄上はー兄上にー」


この小一時間でもう百回以上名を呼ばれた気がする。さすがにそれを全て聞き流すのは至難の業で、今に至ってはもうやめてくれと白旗を振っている。アキは白旗に気づきもしない。


「兄上はー……兄上……は……」


突然ピタッと歌がやむ。

キョロキョロと座った目で周囲を見回し、じっと俺を見つめて来た。

戦々恐々とする俺の元に四つん這いで寄って来たアキは、傍らに横たわったかと思うと、ものの数秒で寝息を立て始めた。


頬を突ついて様子を伺うも起きる気配はない。すっかり熟睡している。

延々と続いた兄上音頭の終わりである。ほっと安堵の息を吐いた。


我が妹ながら酔っ払うとこんなに面倒くさいのかと、あどけない寝顔を見ながら苦々しく思う。

これからはアキに酒は飲ませないよう注意しなければならない。よしんば飲ませるにしても俺がいない時に飲んでもらうようにしよう。

そうすれば多分矛先は母上に行くと思う。さしもの母上とは言え、実の娘が絡んで来たのなら労力を惜しむことはしないだろう。


そう言う期待を込めて母上の方を見てみれば、丁度同じタイミングで父上も限界を迎えたらしく、母上の肩に寄りかかってスヤスヤと眠っていた。


「母上」


「なんだ」


「アキが寝ました」


「見ればわかる」


「父上も寝ましたね」


「そうだな」


会話が途切れ、二人の寝息だけが聞こえる。

とっくに日没だと思っていたが、まだ微かに日はあった。たかだか一、二時間が何倍にも感じられた。濃い一日だった。


「レン」


「はい」


「……」


「なんですか」


「……腹が、減ったな」


「そうですね」


何か言いたいことがあるらしいが、踏ん切りがつかず言えなかったようだ。

こちらから突ついてもいいが今はいいだろう。それよりも腹が減った。寝てる二人は腹いっぱい飲んだくれたからいいものの、俺と母上はほとんど飲んでいない。


「粥でいいですか」


「何でも構わない」


「分かりました」


そう言うなら極限まで手を抜いた粥にしよう。塩の味しかしない粥だ。

悲しいことに、この世界ではそれが普通なので、そもそも手の抜きようがないと言う話なのだが。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 家族の歪な関係、それでも確かに存在する絆と愛情、それが崩れ去る危うさに、美しくも儚く、少しだけ身がすくむ。まるで素手で刃を握っているよう。 [気になる点] 源さんの癖のある性格……..控え…
[良い点] アキかわいいい! [一言] とても面白くって一気読みしてしまいました
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