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戦いの始まりの切っ掛けとなったのは、自警団でも和達(わだち)でもなく、無関係の人たちによる小競り合いだった。

冷夏の訪れで飢饉の不安が強まった都では、人々はその精神を少しずつ摩耗させていた。

町のそこかしこで疑心暗鬼が生じ、他者に対する余裕がなくなり、ちょっとしたことで口論になった。ひどい時には暴力が振るわれ、それを治めるのが自警団の本来の役割でもあった。


たまたま和達の屋敷の近くで小競り合いがあった。たまたまそこに護衛の一部が居合わせた。ほどなく自警団がやって来て、護衛と一触触発の空気となり、そして始まった。

大勢が命をなくす切っ掛けは、その程度の小さなことでしかなかった。






屋敷に一報が届けられる。和達との戦いがついに始まったことを知らせるそれは、戦争の始まりを知らせる銅鑼に相違なかった。

すでに準備万端整えていた自警団員たちは慌てることなく行動に移る。

すべきことは決まっている。始まったのならやるだけだ。


決意と覚悟を胸に、我先にと屋敷を出ようとする団員に先駆けて、誰の指示を受けることもなくアキが駆け出した。

最初の内はただ一人先頭を走った。実の所どこに行くかもよく分かっていなかったが、直に鬼灯(ほおずき)に追い抜かれ、導かれるように着かず離れずの距離を保ってひた走る。

それをわずかに遅れてゲンが追いかけた。弓と矢籠を背負って必死に二人の背を追いかける。


間もなく現場に到着した三人を待ち受けたのは、争いの喧騒ではなく静謐ともいえる静けさだった。

道の真ん中に立つ人影は一つ。その他に生きている人の気配はない。ほとんどの人間は逃げ去った。あるいは家に閉じこもり嵐が過ぎ去るのを待っている。


ぽつぽつと点在する血だまりと肉塊は、一見屠殺された家畜を思わせ、人の成れの果てだと理解するのを脳が拒んだ。

腰から上下に両断された者、正中線を左右に割かれた者、首を折られた者、頭頂部から押し潰された者。

それらは全て自警団の半纏を着ている。最初この場にいた者たちはすでに全滅していた。散発的にやってきた援軍も同様の運命をたどっている。

無残極まる光景に鬼灯は顔をしかめ、唯一の生者であるアザミを見る。


「あー……えぇ……?」


惨憺たる現場の中心にいながら、何をするでなく暇を持て余していたアザミは、新たに駆けつけた自警団の援軍を見て、その中にいるアキの姿を見て、呆れ眼に嘆き節をあげる。


「来ない来ないと思ってたら案の定そっちにいるし……なんでいんの? ひょっとしてバカだったりする?」


「は?」


突然罵倒されたアキは苛立ちを隠せない。いつもの短気を爆発させなかったのは、怒りを理性で抑えたからだ。考えなしに突撃すれば以前の二の舞になる。それを避ける程度の冷静さを今のアキは持っていた。


「そこまでバカだとは思わなかったなあ……」


持っていた大剣を地面に突き刺し、屈伸しながらそんなことを言うアザミは、さてどうしようかとアキの処遇を考えあぐねた。

究極的には殺すか生かすかだ。殺すとすれば出来るだけ安らかに。生かすとすればどのように生かすか。なるたけ穏便に、もしくは多少の怪我ぐらいは止む無しとするか。あえて剣士として致命的な怪我を負わせると言う選択肢もある。


腰をかがめ地面を見つめたまま動きを止めたアザミを見て、アキが一息の間に接近し刀を振るう。

アザミはアキを一顧だにすることもなく、淡々とその場から飛びのいて斬撃を躱した。


「あぶな」


「ちっ」


アキは追撃の代わりに舌打ちをした。不用意に追えばそれが命取りになりかねない。険しい表情でアザミの出方を窺った。


アザミもまた飛びのいた先からアキを見返す。忌々し気に睨んでくるアキは怒っている子供としか見えず、やっぱり餓鬼だよなと内心思った。

会うのはこれが三度目だ。内二度は夕暮れと宵闇で会った。改めてよくよくと見てみれば、幼げで勝ち気そうな顔だちをしている。見様によっては傲慢っぽさもあるかもしれない。実際、こうして再戦に来たのだから多少なりとも傲慢さはあるのだろう。こいつあたしに勝つ気でいるのか。あー傲慢傲慢。


「一応聞くけど、あたしとやるんだよな? 勝てると思ってんの?」


「勝つ」


力強い返答。全身から溌剌とした気配が滲み、構える刃はぶれることなくアザミに向けられている。

先日の手合わせでアキの力量は知れている。勝てるはずがない。誰であってもそう思うだろう。件の馬鹿な少女以外は。


アザミは静かにアキの瞳を見つめた。そこに確固たる決意とぶれない意思を垣間見て、思わず身体を震わせる。


「まったく……ヤになっちゃうぜ」


自分を誤魔化すために放った軽口に自分自身で苦笑する。大きく息を吸い、心を落ち着かせる。決して気圧されたわけではない。身体が震えたのはそれとは別の理由、武者震いだった。


いつ見ても若者の勇士には心が躍る。意地を見せ、勇気を持ち、覚悟を決めて、強きに立ち向かう。幼いころに読み聞かされた童話のような、伝説に残る英雄譚のような、藤色の剣士の逸話のような。そういう話がアザミは好きだった。

それはあるいは若者を見守る年寄りの心境なのかもしれない。ここが戦場でなければ、敵味方の関係でなければ、諸手を挙げて応援に駆け付けていた。


「んじゃ、まあやるか」


この若者を自分の手で殺すことになるかもしれない。それを思うと慚愧(ざんき)の念に堪えない。その内心を隠し、アザミは大剣を握る。


応じるように、アキと鬼灯がそれぞれ得物を構えゲンが弓を引き絞る。

兵士となったアザミの目が三人を見据え、特に最も遠くにいるゲンを見つめる。冷酷な光を帯びたその瞳は、誰を一番に始末すべきか、それを考えていた。






アキが突っ込み、鬼灯がサポートする。事前の取り決め通りの戦いは、しかし話にすら出ていなかったゲンの加勢のおかげで、想定以上の効果を発揮していた。


アキの剣さばきは年の割に巧みではあったが、子供特有の荒さと言うのはどうしても存在する。それは鬼灯程度の実力で補い切れるものではない。戦っていたのが二人だけなら、とっくに決着はついていただろう。

そうならなかったのはゲンがいたからだ。


「小娘! 横に退け!」


ゲンの咆哮を背中に浮け、アキが反射的にステップを踏む。直後、一本の矢がアザミに襲い来る。

アザミは大剣を盾にしてそれを防いだ。それと同時に、逆方向から向かってきている槍への対処を余儀なくされる。


「ええい、めんどくせえなっ!!」


思わず叫んだアザミの喉元に、喋る暇があるとは余裕だな、と言わんばかりに刀が突き立てられようとした。

そんな未来はご免被るため、やむなくアキの相手をするアザミ。ふと気がついたときには、ゲンは立ち位置を変えて再び弓を引き絞っている。


戦いを広く見渡し、要所要所で発生する致命的な隙をゲンが補っている。長年の狩猟生活で培った生き死にの嗅覚と精密な射撃がそれを可能にしていた。

さしものアザミであっても、この三人を一人で相手にするのは厳しいものがあった。目の前で頻繁に発生する隙を、他二人のせいで見過ごすことになるのは精神的にも追い詰められる。


――――思ったより手こずるぞこれぇ……。


早期に決着させることを諦めたアザミは、矢を躱し、穂先を弾き、刀を受けながら、戦力分析に努めていた。

アキの強さは前に戦った時と変わらない。どうとでもなるだろう。比べて、槍の使い手は中々やる。経験も豊富そうだ。この中で一番強いのはこいつだろう。とはいっても大した強さではない。アキ同じくどうとでもなる。

問題は矢を射ってくる男の方。弓の腕もさることながら、状況に応じて立ち位置を変えているのが厭らしい。前衛二人と直線に並ぶのではなく、常に位置を変え、角度を変えて矢を射っている。おかげで腕力に物を言わせて、あるいは大剣を盾に突撃するなど、力づくで勝負を決することが出来ないでいる。


相手の嫌がることをするのが戦いだ。そういう意味ではアキも鬼灯も零点で、ゲンだけが出来ている。

ゲンさえいなければ簡単に勝負は決する。アザミはそう考えていた。その読みは正しく、アキと鬼灯だけではアザミに対抗できない。三人でようやく互角なのだ。一人減れば早々に決着するだろう。


真っ先に排除するならゲンである。ではどのようにゲンを排除するか。真剣に考え出したアザミは、遠くから近づいてくる気配に気が付き顔をしかめた。

それは身に覚えのない気配で、自警団の仲間であることが知れる。どうやら状況が変化する。それに嫌な予感を覚えた。


「姐さん! クソガキ! それとゲン!」


やって来たの杏だった。息を切らす杏は三人と互角に対峙するアザミに内心慄きながら、意を決して叫ぶ。


「和達の屋敷にみんな向かった! 勝つ必要はない! そいつを足止めしてくれれば私たちの勝ちだ!」


それはカオリからの指示であった。

指示通り大声で伝えた。アザミにも聞こえるように、と言うことも含めて。


鬼灯の士気が上がる。ゲンの心に余裕が生まれる。アキが憤慨する。

三者三様の反応があった。足止めなんてふざけるな、と怒るアキまでカオリは予想していた。だが真に言葉を向けたのはその三人ではない。


「……また厭らしい真似してくれるじゃねえか」


苦々しく呟いたアザミこそ、カオリがその言葉を伝えたかった相手だった。

杏の言葉を聞いた途端、アザミの意識が和達の屋敷に向かった。正面から切り結んでいた鬼灯とアキには、その様子が手に取るようにわかる。


「分かるか、アキ!」


「うるさい」


攻めっ気が消え、大剣を振るう動きも僅かに鈍くなった。

今が攻め時だと鬼灯はアキに呼びかけ、アキは鬱陶しそうに答えながら一層攻め立てる。


二人の猛攻を受け、そりゃこうなるよなとアザミは苦笑を浮かべたが、分かっていてどうにかなるものでもなかった。まだまだ修行が足らんと自分を戒めることしかできない。


何てことはない。先ほどのカオリの伝言は、アザミの動揺を誘うための小細工だ。少しでも勝率を上げるためなら何でもする。言葉を弄するぐらい息をするかの如く自然に。

それ自体は大したものではない。護衛が護衛対象から離れている現状を利用したに過ぎず、そんなことはアザミ自身承知の上である。しかし敵からそれを指摘され、あまつさえもう少しで勝てると法螺まで吹かれれば大なり小なり動揺する。


アザミがいないからと言って、そう簡単に和達は落ちない。そのために自警団の戦力は事前に削いでおいた。

それを分かってはいても、全く逆のことを言われれば不安になる。人の性だ。あまつさえ、確信に満ちた声音と態度で言われればなおのことそうなる。


アザミは気配で護衛対象の無事を確認しようとした。

杏の言った通り、和達の屋敷は大勢に取り囲まれているようだ。今はまだ持ちこたえている。気配を読む限り強そうな人間はいないが、多勢に無勢であるのも確かだ。


杏の言葉を虚言だと決めつけるのは早計かもしれない。屋敷を落とすのに何かしらの策があって、それを実行に移そうとしている可能性がある。

策をこしらえたならば、それはあのカオリとかいう女の策だろう。あの気味の悪い女なら何をしてきてもおかしくない。えげつない手だろうと平気で使いそうだ。人情とか道徳とかは持っていない気がする。


それはあくまで推測でしかなかったが、肯ずる材料がないように否定する材料もまたなかった。どちらと決めつけることが出来ないなら、最悪を想定するのが常道だろう。


そのような考えに耽っていたアザミの頬を鬼灯の槍が薄く裂く。つうっと血が垂れて鋭い痛みに襲われた。思考が遮られ現実に立ち返る。

次の瞬間、アキが渾身の力で刀を振り下ろした。受けるか避けるか一瞬迷い、視界の隅に矢をつがえたゲンを捉えて後ろに跳んだ。着地を狙うように矢が放たれた。


矢をいなし、面倒くせえと重ねて心の底から思った。

内部分裂寸前の脆弱な組織だと思って甘く見ていた。何人か残っている優秀な人材が組織を上手いこと回している。ここまでボロボロになっておきながら、いざと言う時に組織立って動けているのがその証だ。

こんなことなら自分一人で吶喊(とっかん)した方が容易だった気がする。すでに近いことはしているわけだし。


そもそも陰気なんだよなとアザミは自分がこの場にいる理由について愚痴を思う。

やるなら真正面からやればいいのに。策を講じて裏から引っ掻き回そうとしている。それがどうにも性に合わない。だからやる気も起きない。


「……いったん屋敷に戻るか」


そもそもアザミが護衛対象から離れてこんなところにいるのは、争いの起きたこの場に自警団員が集まって来ると読んだからだ。

来た団員を片っ端から殺し、士気を挫いて早期決着を目論んだ。もうひと押しだと踏んでいた。

その目論見は見事に外され、来たのは三人。他は全員屋敷に向かってしまった。


短気に走って安直な行動をとると思っていただけに驚きだ。護衛は所詮護衛でしかない。頭を狙えと徹底されているのだろう。


アザミには策を用いれば裏目に出ると言うジンクスがある。どいつもこいつもそうだったらしい。いい加減、魂に染みついたとしか思えないその法則から抜け出したかったが、残念ながら今回もそうなった。ならば今まで通り策は投げ捨て本能に従うとしよう。


さしあたって、戦っている場合ではないから逃げるのだが、そのためには目の前の三人を振り切らねばならない。逃げるには背中を向ける必要があって、背中と言うのは人体の中で最も無防備だ。

幸い、この体には常識破りな馬鹿力があるからちょっと無理をするぐらいなら可能だが、それは同時に大剣を背負っているから速く走れないと言う短所にもつながっている。

最悪死ぬのは構わない。だが死んでもいいと言われていないのが考えどころ。


「……ま、何とかなるかな」


考えすぎては一周回って馬鹿になる。だからほどほどに留めた。

三人の攻めをいなし、攻撃に転じるふりで隙を誘った。前衛の二人が受けの姿勢を取り、間隙が空いた瞬間を見逃さず踵を返す。


殺気溢れる二人に対し、無防備な背中を向けるのは勇気がいった。すぐさま二人は追いかけて来る。追いかけるよりも一矢放つことを選んだゲンが置き去りになる。


これは何とかなりそうだと、背中に飛来する矢を打ち落としながらアザミは思った。

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