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カオリが鬼灯(ほおずき)とアキを引き連れて和達(わだち)の邸宅へと向かったのは、話し合いの場を設けるためであるが、直前の腕試しでアキの実力を把握したのも理由の一つである。


手合わせの後、「これだけ強いなら大方のことは大丈夫だろう」と鬼灯が賞賛を述べた。

それが世辞か否かは本人のみぞ知るところであるが、それを聞いたカオリが「なら行きましょう」と強引に決めたのだ。直前の敗北が尾を引きずっていたアキに抵抗する気力はなかった。


一応、事前に説明がなされ、命の危険があるのは三人とも承知の上であったが、受け取り方は三者三様で異なっていた。

死なないように全力を尽くす覚悟の鬼灯と、死のうが死ぬまいが遅かれ早かれなので、さして気に留めていないカオリ。そしてまさかこんなところで死ぬはずがないと高を括っているアキ。


三人はそれぞれの考えの元で邸宅に向かった。そこで出迎えたのは門の前に座り込む女であった。

日は既に落ちかけている。夕日に照らされた女は土の上に胡坐をかいて頬杖をついていた。

その顔を見た瞬間、カオリは己の運の悪さを悟った。あるいは三人とも運が悪かったのかもしれない。


まさかいきなり邂逅するとは思ってもみず、カオリは刹那の思考を巡らせる。

命知らずに話しかける選択肢があれば出直す選択肢もある。しかし女の視線は三人を射抜いていた。ここで踵を返してはあまりに格好がつかない。変に勘繰られるのも困る。そもそも見逃してくれるだろうか。……ここは行くしかない。


カオリはそういう判断を下し、先頭を歩いて女に近づいていく。

どのぐらいの距離を保つべきだろうかと一瞬悩んだが、悩んだところでその手のことは何一つ分からない。何となく、気持ち多めの距離を保って立ち止まった。


「こんにちは、使者さん。今朝振りですね」


友好的な関係を築きたいなら挨拶は基本中の基本である。笑顔を見せ、好意的に振る舞う。

これに対し、相手がどのような反応を見せるかでその心象がおおよそ分かる。


当の女は答えずに胡乱気な表情でカオリを見るばかり。

どうやら心証は悪かったようだ。ほとんど敵対しているようなものだから良いはずもないが、このような目で見られるのは幸先が悪い。早くも暗雲が立ち込み始めている。


「今朝、自警団の屋敷でお会いしました。カオリと申します」


「ああ、覚えてる」


答えながらもその相好は崩れない。

どう切り出したものかとカオリが逡巡する間に、女は立ち上がって大剣を掴んだ。


これは渡りをつけることも出来ないかもしれない。

肩越しに振り向いたカオリに応え、鬼灯が一歩前に出る。


どちらともに臨戦態勢に入る。ピリピリとした緊張感が辺りに漂い始めた。

もし戦うとして、素人目から見れば長物を持っている鬼灯が有利に見える。しかしその見かけからは信じられない速度で大剣が振られるのをカオリは目撃した。


戦うのは鬼灯の役目であるが、それは愚策である。ならば戦いを避けるのが自分の役目だ。

気張るまでもなくカオリはそれを自覚している。彼我の実力差からして一拍の間に死んだとして何らおかしくないが、カオリにその手の緊張はない。


「話をしませんか?」


「なんだ」


そのカオリからして見ても、目の前の女は掴みどころがない。戦うかと思えば戦わず、会話が成らないかと思えば成る。

おかげで引き際を見定めるのが難しい。現状、交戦に至っていないのだからまだ引くべきではないのだろうが……。


「我々自警団は話し合いを望みます。戦いは望みません」


「ふーん」


女の反応は芳しくない。その手ごたえのなさが会話を無駄だと思わせる。細椀で軽々と担いでいる大剣が物々しい。


「で?」


「ですから、話し合いを」


「つまり?」


「……和達の当主様との話し合いを望みます」


「あ、そう」


女は順繰り三人を見た。

カオリ、鬼灯、アキの順番で。アキが不機嫌そうにそっぽを向いているのに毒気を抜かれた様子だったが、カオリに視線を戻した時にはその瞳に剣呑な色が宿っている。

やはり戦うかとカオリはこの後の展開に思考を巡らせた。


「あたしさあ」


「はい」


「お前のこと信用できないんだよね」


唐突に振り降ろされた切っ先がカオリに向けられる。

決して届くはずのない距離で、しかしぶわりと風圧が頬を撫でる。心臓をわしづかみにされたような錯覚に見舞われ、ああ、やっぱり死ぬかもしれないとカオリは思った。


「ほら、今朝お前のとこの仲間殺しちゃったじゃん? いや、殺したくはなかったんだけどさ……。悪いとは思ってるよ……。で、その時にお前笑ってたでしょ? あれがさあ、すっごい気持ち悪かった」


女の言葉に、カオリはにっこりと微笑んで小首を傾げる。


「そうでしたか?」


「それそれ。まさしくそういう顔」


はあと女は溜息を吐く。気味の悪い物を見る目でカオリを見る。


「仲間の血を浴びて、取り乱すでもなく微笑んでたお前は薄気味悪い。ちょっと無理」


何が無理なのだろう。

カオリは考える。生理的に無理と言う意味だろうか。


「嫌悪感があると?」


「うん」


「そうですか」


意識して言葉を選ぶ。さもなければ「あなたの嫌悪感は今関係ないのでは」と言っていた。


「当主様に言伝を頼みたいだけなのです」


「ああ、まあ、聞くだけ聞いてやるよ」


意外にも聞いてくれると言う。となれば希望は見事に繋がったわけだが、その割には手ごたえがない。これはどうしたことだろうと内心首を傾げながら、カオリは言葉を続けた。


「話し合いを希望します、と」


「うん」


「我々も好き好んで殺し合いたくはありません。お互いに納得できる妥協案を探しましょう、とお伝え願えますか」


「ふーん。まあ分かった」


やはりいくら言葉を積み重ねても手ごたえがない。

空を掴もうとするような、煙を捕まえようとするような手ごたえのなさ。

その理由を考える。考えても詮無いことではある。しかし考えなくてはならない気がした。


「お名前を教えてもらってよろしいですか」


「ん? あたしの?」


「はい」


「んー……」


女は渋った。教えたくないなと表情が告げている。


「……ま、いいか。(あざみ)だ。あ・ざ・み。覚えなくていいよ」


「アザミさん。覚えました」


「覚えなくていいって」


うんざりした様子のアザミが「もう行け」とおざなりに手を振った。

「どうかお願いします」とカオリが頭を下げ、鬼灯もそれに倣う。アキは我関せずそっぽを向いたままだった。


三人は来た道を戻り、アザミはそれを見送って門に背を預けた。

帰り際、暗闇に包まれた景色を見ながらカオリは思った。明日は来るかしら、と。







その夜。ほとんどの者が眠りについた深夜のこと。

ゲンとアキの二人は自警団の屋敷にそれぞれ一室与えられ、ゲンは早々眠りについたがアキはどうにも眠れなかった。


目を瞑れば手合わせの記憶が瞼の裏に浮かび上がる。負けた記憶だ。

悔しさに身を焦がし、衝動に駆られるまま部屋を飛び出した。がむしゃらに走ってたどり着いた土手で刀を振る。


思い出される記憶は鮮明だった。一挙手一投足まで克明に記憶している。

なぜ負けたのか。答えを求めて記憶をたどる。力任せに刀を振り下ろす。


悔しさと怒りで思考が鈍っているアキは未だ理解し切れていないが、客観的に見て敗因は明らかである。それはひとえに経験の差であった。


アキは今まで母と兄を相手に鍛錬を積んでいた。言い換えればそれ以外の経験は皆無だ。ましてや刀以外の得物を操る相手など想像したこともない。そこへ来て、鬼灯の得物は槍である。

槍は刀とは勝手が違う。圧倒的なリーチから繰り出される斬撃は予想だにしない角度から襲い来る。過ぎたと思った穂先が次の瞬間には目前に迫っていることが何度もあった。


ただでさえ鬼灯の槍捌きは熟練のそれであったのに、アキにそれらと対峙した経験が全くなかったために何一つ有効な手を打てなかった。

手の届かない距離から一方的に攻撃される場合はどう対処すればいいのか。それを考えている内に負けていた。


思い出せば思い出すほど悔しさが募る。

負けるのは慣れっこだ。母や兄を相手に勝ったことなど数えるほどしかない。それも全て手加減されていたのは承知の上だ。

だと言うのに、赤の他人に負けたとなると悔しさは何倍にも膨れ上がった。


あれには勝つには、一体何をどうすればいいのだろうか。

刀を振っている内に、次第に落ち着いてきたアキの思考はそこのことばかり考え始めた。

脳裏に刻み込まれた槍の動き、その一つ一つを分析する。どうすればよかったのか考え、対策を練り次に備える。


負けたのはいっそ仕方がない。たかだか腕試しだ。次がある。

アキは努めて冷静になろうとした。得るものを得なければならない。そうでなければ負けた意味がない。


その調子で思う存分刀を振った。振っても振っても湧いて出る鬱憤は底知れない。ようやく気持ちにひと段落つけた時には、時刻は未明をとうに過ぎていた。


肩で息をするたびに白く濁った吐息が天に昇っていく。

汗を吸った衣服に凍えるような風が吹き付けた。気温は大分下がっている。またぞろ雪が降ってもおかしくない寒さだった。


「……さっむ」


ぶるりと震えて独り言を漏らす。

こんな季節に汗を掻きすぎた。早急に暖まらなければ風邪を引く。着替えも必要だ。


生憎と着替えはないので誰かのを借りなければならない。

冷えた頭で考える。あてはあった。鬼灯かカオリを叩き起こせばいい。カオリと話すのは嫌だから鬼灯だ。こんな時間だけど起こしてやる。意趣返しだ。


嫌がらせを思いつき気分が上向いたアキは、刀をしまって土手を登る。水の流れる音が背後で聞こえた。

途中、遠くの方に明りが灯っているのを見つけ、あれはなんだろうと首を伸ばす。

それは蝋燭を灯したような小さな明りではない。町が一区画丸ごと光っているような大きな明りだった。

背伸びをしたが遠すぎて見えない。ぴょんと跳んでも見えなかった。斜面で跳んだせいで足を滑らせ転びかけた。


興味はあったがわざわざこんな時間に向かうほどではない。

そんなことより着替えが重要だ。いい加減にしないと本当に風邪を引く。


大股で土手を登り切り、「よいしょっ」と平坦な道に着地する。

帰路につき数歩。背後に違和感を感じる。気配を探れば微かに人の気配を感じた。


「誰」


振り向いて暗闇に問いかける。

目を凝らしても人の姿は見えない。だがアキの勘はそこに人がいると主張している。

目に見えるものと自身の勘であれば、アキは勘の方を信じる。兄とのかくれんぼで培った経験がこんなところで生きていた。


物騒ごとの予感を感じ、アキは刀を抜いた。そのまましばらく待ったが状況に変化はない。

睨み合いは好きじゃない。腹の探り合いなど持っての他だ。来ないならこっちが行こう。どこにいるかは知らないけど、適当に振り回せばあたるだろう。


重心を下げいざ吶喊(とっかん)と言う間際、まずいと思ったか暗闇の向こうから声が返って来た。


「待て待て待て。戦う気ねえから」


両手を上げながら姿を見せたのはどこかで見た女である。

夕方、カオリたちと訪ねた先で会った女。名前は確かアザミと言った。


意外な人物が現れたことにアキは片眉を上げる。

アザミは闇に紛れる黒い出で立ちであった。髪や瞳の色はもちろんのこと、衣服まで全て黒で統一されていた。思い返せば、夕方出会った時からすでにそうだった。盗み見るために着替えたのではないことは分かるが、こうしてまじまじと見ると、その辺りの事情に疎いアキでも珍しい格好であるのが分かる。

全身黒一色と言うのは忌避されることが多い。黒を基調としたとして、普通はどこかに別の色が入る。何となく縁起が悪いと言う理由ではあるが、進んでそうする人間は少ない。


若干焦りの色を浮かべるアザミはゆっくりとアキに近づいてくる。背中に大剣を背負い、唯一黒ではない柄の部分が一際浮いて見えた。


「ちょっと覗いてただけだから。そう怒んなよ」


「怒ってない」


「殺気ビンビンだけど?」


「知らない」


殺気と言われてもそんなものは知らない。勝手に出てるだけだ。自由に出し入れできるのが理想かもしれないが、そんな細かいことをするつもりなどアキには毛頭なかった。


「何の用?」


「用っつうほどのことはねえけど……たまたま通りがかったから見てただけ」


こんな夜更けに? 姿を隠してたのに? その大剣で何するつもりだった?

疑問は尽きず疑念は強まる。そのあたりを問い詰めてやろうとアキは口を開いたが、その前にアザミが先んじた。


「それにしてもお前小さいわりにやるなあ」


「……どうも」


「いやほんとほんと凄いぜお前」


「どうも」


言いたいことは色々あるが、それはそれとして褒められるのは気分がいい。

もっと褒めろと胸を張り内心にんまりした。


「惜しいよなあ。そんなに強くて将来が楽しみなのに、変なことに関わっちまってんだから」


「……変なこと」


「自警団なんかに関わったらあとで痛い目見るだけだぜ」


「痛い目」


「お前なんであんな奴らと一緒にいるんだ?」


「食糧が欲しいから」


考えるまでもなく、その答えはすんなりと口から出た。

しかし言葉にしたおかげで思い出した節もある。

鬼灯との手合わせでコテンパンにやられたせいで忘れかけていた。気をつけねばならない。


「お前を倒せば食糧が手に入るって聞いた」


「いや、それ嘘だから。あたしを倒しても手に入んないから。倒すならあたしが護衛してる奴倒さなきゃ」


「じゃあそっちを倒す」


「まあ、あたしが護衛してるから、結局あたしを倒すことにはなるけどな」


「じゃあ両方」


「……別に倒さなくても、欲しいならやるぞ?」


思いがけない言葉に思考が止まる。

再起動は迅速だったが言動はより直截的になっていた。


「よこせ」


「……お前その言い方は……まあ、いいや」


仕方ない餓鬼だなとアザミは苦笑する。


「どれぐらいくれる?」


「そうだなあ……まあ多くても俵半分ぐらいだな。それ以上は無理」


アザミとしては大盤振る舞いのつもりだった。だがアキとして不満な量だ。

米俵一つでおおよそ60キロである。その半分と言うことは30キロ。

人ひとりが越冬するのにどれほどの食糧が必要となるのか。実際の数字なぞアキの知るところではないが、それにすら足りていないと言うのはさすがに分かる。

せめて一人分は欲しい。欲を言うなら米俵二つ。いくらアキでも村人全員を賄えるほどの食糧が手に入るとは思っていない。

だからせめて一人分は手に入れて帰りたい。兄一人分の食い扶持を用意すれば、もう二度と死んでくれなんて言われないだろう。そういう考えの元である。


「少ない」


「いや滅茶苦茶多いぞこれ」


「少ない」


「文句多い奴だなあ」


「うるさい」


一瞬は光明が見えたかに思えたが、結局は肩透かしで終わった。期待させるだけさせておいてなんだこいつは。

アキは怒り、顔も見たくないと踵を返す。


「さようなら」


「欲深い奴だなあ……」


背中に呆れ気味のアザミの声が届いた。

続けざまに「じゃあこういうのはどうだ」と二つ目の提案を発したが、その時点でアキに聞く気はなかった。だが次の言葉が耳に届いて心変わりする。


「お前があたしより強ければ、好きなだけやるよ」


「……本当?」


「ああ。あたしより強いってんなら依頼主説得出来ると思う。必要経費ってことで」


乗るか? とアザミは問う。アキは頷くより前に刀を構えた。


「なんだよおい。やる気満々だな。……こういうの好きなのか?」


「こういうのって?」


「戦うの」


「別に好きじゃない」


戦いなんて全然好きじゃない。

日々の鍛錬だって好きかと言われれば首を傾げる。もはや日常だから今更止める気もないが、好き好んでやってるわけじゃない。

そもそもどうしてこんなことを始めたのだったか。思い浮かぶのは兄の顔。そして鍛錬の最中、様々な触れ合いの場面が脳裏に蘇った。それを思い出したが最後、まあ悪くない、とそう思えてしまう。


「そうか。あたしもだ」


そんなアキの心中など知る由のないアザミだが、彼女は彼女で嬉しそうな笑みなど浮かべている。

抜き放った大剣を肩に担いで、どっからでもかかってこいとのたまった。


アキは自分の背丈よりも大きな剣を目にし、あれと長々戦ったら負けるだろうなと予想する。

力で挑めば完敗するのは一目瞭然だ。なら速度で勝負するしかない。短期決戦だ。


息を吸い込んで呼吸を止める。両の脚に力を込め地面を蹴る。一気に加速して一瞬で間合いを詰める。

勢いそのまま刀を振り抜こうとし、それよりも早く、アキの耳を掠めるように大剣が降り下ろされた。


「やるじゃん」


アザミは笑っている。アキは笑えない。

目だけで足元を見れば地面が陥没していた。あまり目にしたことのない光景だ。


――――一旦距離を取ろう。


その場から大きく後退し、土手の上から河川敷まで一気に下りる。それをアザミが追いかけてきた。

アキの着地に一拍遅れてアザミも着地する。アキの着地音とアザミのそれは、例えるなら石と岩である。

耳を疑うような重低音がアキの鼓膜を震わして、戦意を削っていく。


そうは言っても、その程度で挫けるほどアキの戦意は低くない。

大剣の重さの分負担が大きいアザミは、着地から次の行動に移るのに時間がかかる。対してアキは即座に攻撃へと移れた。


アキが横薙ぎに刀を振るい、アザミは大剣を盾として防ぐ。そのまま何合か斬りはしたが全て同じように防がれた。多少傾けるだけでアザミの体は大剣の影にすっぽり隠れてしまう。闇雲に斬りかかるだけではその防御を崩せない。


何か策を講じねばと思考を巡らせた直後、大剣を前面に押し出しままアザミは距離を詰めてくる。

この距離はまずいと直感で理解したアキは身体を捻って回避行動をとった。刹那の時を置き、盾としての役割から解放された大剣が猛威を振るう。


二度目の振り下ろしは一度目と変わらぬ威力だった。

抉れた地面はその凄まじさを物語っている。しかも今度は二撃目があった。振り下ろされたばかりの剣が横に振られる。これほど重い物を叩き下ろした直後と思えぬほど素早く、それも片手で、であった。


刃ではなく側面を向けられて振られた剣を避けるのは、すでに体勢を崩したアキには不可能だった。咄嗟に刀で防ごうとするも、あっさりと力負けし吹き飛ばされる。

勢いよく転がされた先には川があった。回避しなければと思いはすれど、思ったところでどうすることも出来ず、落下して溺れかける。がぼがぼと水を飲み、肺に残っていた空気は全て吐き出した。


その時点で決着はついた。

アザミがアキの襟を掴んで引き上げる。そうしなければ溺れ死んでいた可能性もあった。


「あー、悪い。川に落としたのはわざとじゃないぞ……殺す気なかったし……ちょっと周り見えてなかっただけ……」


申し訳なさそうに謝るアザミ。

アキに答える余裕はない。酸素を求めて必死に呼吸を繰り返している。


「まあ、今日の所はもう帰れよ。風邪ひくし。……勝負は私の勝ちってことでいいだろ?」


そう言えばあたしが勝った時のこと考えてなかったな、とアザミはひとりごちる。

まあでも実力差は分かっただろうしこれ以上首突っ込みはしないだろと安直に考えた。


「土産やるからもう首突っ込むなよ」とアザミが言い、それにアキは答えない。すでに呼吸は落ち着いているが俯いたままだ。送るぜという申し出も無視された。


その態度に嫌な予感こそ覚えたものの、この結果を受けてまだやる気があるなどとはどうしても思い至れず、「発つ時あたしのとこ寄れよ。食い物やるから」と動かないアキを無理やり帰らせた。


アザミはアキの気質を見抜けなかった。もし見抜ていたならここで帰らせはしなかっただろう。

終始俯いていたアキの目にとびっきりの憎悪が宿っており、今すぐにでも再び刀を抜きかねなかったこと、歯を食いしばって耐えていたことに気づけなかった。


もっと本腰入れて心折っとけばよかったと、のちに彼女は猛省することになる。






明朝、自警団の屋敷に和達(わだち)家当主からの手紙が届けられた。

それには簡潔に以下の文が書かれていた。


話し合いには応じないこと。

買占めは商家として正当な行いであること。

にもかかわらず自警団が武力に頼ろうとするなら、その時は自らの愚かしさを命で償うことになること。

その三点である。


それらは挑発的な文体で書かれており、自警団のみならず読んだ者は一様に激高し声高々に主張した。


――――和達を潰して食糧を奪い取れ!


こうして話し合いの芽は潰れ、残された手段は一つだけとなった。

それを望まぬ者の声は誰の耳にも届かないまま、人々はその道を突き進んで行く。

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