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茶を持ってきた鬼灯(ほおずき)が戸の前に座り込むアキを見つける。

アキがカオリを睨んでいるのを見とめ、「何かしたのか?」とカオリに尋ねた。

「何もしてないわ」と答えるカオリ。アキは無言を貫く。

剣呑な雰囲気が漂っている。その言葉を信じる要素は何もない。しかしそれを指摘するのは藪をつつくことになりそうだった。


居心地の悪い空気の漂う中、鬼灯は茶を配っていく。


「早朝にお客さんがいらしてね」


各々の前に置かれた茶から湯気が立つ。

誰も手を伸ばさない内から、カオリが話し始めた。


和達(わだち)の使者を名乗ってたから、無碍には出来なくて話を聞いたのだけど、ご丁寧な忠告をいただいたわ」


内容は至極単純に、「お前たちが何を企んでいるか知っている。だがやめろ。死にたくないならば」そういう話だった。


「血の気の多い人を同席させたのが間違いだった……見え透いた挑発に簡単に激昂してしまって……あとはあれよあれよと血の海に」


カオリが頬に手を添え溜息を吐いた。

困ったわと呟いている。殺されたのは腕達者な者ばかり。おかげで戦力は大分減った。


「どれほどのものだった」


茶を飲みながら鬼灯が訊ねる。幾分言葉足らずだったがカオリには問題なく通じた。


「さあ……その手のことは詳しくないから……」


顎に手を当てて考えるカオリは横目に鬼灯を見る。その目には思案の色がある。言うか言うまいか多少悩んで、まあいいかと言葉を続けた。


「……大きな剣を振り回してたし、素手でも何人か殺してたから……多分、あなたよりは強いんじゃない?」


鬼灯は顔を顰める。


「そうか」


「そうよ」


自警団で一番強いのが鬼灯である。それよりも更に強い護衛が和達にはいる。

今度は鬼灯が困ったなと呟いた。困ったわねとカオリが同意する。


そこはかとない諦観が漂い始めた二人に、「おいおい」とゲンが口を挟んだ。


「それじゃあ何か? 無駄足か? ここまで来た意味なかったってか?」


もしそうなら道中の苦労は水の泡だ。

特に腰の痛みに耐え抜いたゲンにとっては受け入れがたい。帰り道のことを考えたら余計にそうだった。


一気に不機嫌になったゲンを前に、カオリと鬼灯が目を見交わす。言葉はなかったが、やはり意思疎通に問題はない。


「そうは言いませんが……。助っ人の剣聖様がいらっしゃらない以上、非常に厳しいことに変わりありません」


アキが眉を吊り上げる。

未だに母に対して複雑な感情を持て余しているアキには、たとえ事実だとしても母に劣ると言われるのは我慢ならなかった。

どれだけ相手が強かろうと、私は負けない。絶対に。


根拠のない自信を体に滾らせるアキを、カオリが興味深そうに見る。その横で鬼灯がやれやれと首を振った。


「なら、いっそのことやめるか」


「……言って聞く人ばかりなら、それでもよかったのだけど」


自警団と言っても一枚岩ではないので、カオリが何を言おうと聞かない人間はいる。

むしろそちらのほうが多いと言っていい。この数か月で自警団の内実は大きく変化していた。


「どうせ簡単には諦められないのだから、やるだけやって諦めましょうか」


「どうするつもりだ」


「戦うのは悪手なのだから、それ以外の方法でやるしかないわ」


「それは?」


「話し合い」


鬼灯は口をつぐむ。

今更そんなことをする意味はあるだろうかと、無駄ではないかと、出かけた本心を飲み込んだ。


「……大丈夫なんだろうな?」


「……」


不安に駆られたゲンがそう訊ねるも、カオリは答えない。

ゲンを見、鬼灯を見て、最後にアキを見る。小動物のような警戒心を滲ませるアキを目にして「やることがたくさんあるわね」と微笑んだ。


「アキちゃん、ちょっと出かけましょうか」


「いやだ」


あまりに突然の話題の変化に、アキは条件反射で拒絶する。一拍遅れて内容を理解したが答えは変わらない。


「この町に来たのは初めてでしょう? 案内してあげましょう。きっと楽しいから」


拒絶の言葉はなかったものとして扱われた。

カオリは遠慮なくアキに歩み寄り、アキは立ち上がって距離を取る。


二人が一進一退の攻防を繰り広げる中にゲンが口を挟みこむ。


「おい」


「……なんでしょう」


「どこに行くつもりか知らんが、そいつを連れて行くなら俺も行くぞ」


「構いませんが、あなたは休んでいた方がいいのでは? 腰、痛いんでしょう?」


カオリはゲンを見もせずにそう言った。

ゲンとしてはある程度取り繕っていたつもりだったが見抜かれていた。貧弱な体つきの割に観察眼がある。仲間が死んだのに平然としている精神力と言い、ただ者ではない気配がした。


「危ないことはしませんから、休んでいてください」


「……信用できると思うか?」


「するしないはそちらの勝手です」


それで会話は打ち切られる。そのままアキと短文の応酬を始めた。

「来て?」「いやだ」「お願い」「断る」「駄目?」「だめ」「どうしても?」「しつこい」「諦めないわ」「気持ち悪い」


そんな二人のやり取りを見ていたら、一周回って仲が良いように思えて来る。

その気になれば、アキならカオリ如きどうとでも出来るだろう。それぐらいカオリの風貌は弱弱しい。男であるゲンでさえ、さして危険視する必要はないと思えるほどに。


しかしそう思いはすれども、アキから目を離したくないと言うのがゲンの本音である。

子供の考えは分からない。突然何をするか予想もつかない。特にアキは気質からして危なっかしい。


一方的とはいえ椛に頼まれたのだから、それを破ることはしたくない。しかし今休まなければいつ休めるのかとも思う。早く腰を治さなければこの先どうなるかわかったものではない。


そのように悩むゲンに対して、鬼灯が声をかける。


「あなたは休んでいてくれ。その腰ではいざと言う時走れないだろう」


「走るのか」


「……いや、もしもの話だ。いつまた襲われるか分からないから」


そうこうする間に、カオリは巧妙にアキを追い詰めていた。

部屋の角で逃げ場をなくしたアキは、刀を振り回してカオリを遠ざけようとしている。幸いなことに刃は抜かれていないので騒ぐほどのことではない。やはり仲が良いように思える。


「あの子の腕も確かめなければならない。それも含めて行って来る」


そう言って、鬼灯は二人の元へ行った。

悪戯調子のカオリを強引に引き離してアキに告げる。「腕を見せてもらう」と。


それでアキの気分は変わった。曲がりなりにも剣聖の娘。鍛え続けてきた分だけ剣の腕には自信がある。未だ家族以外に実力を見せたことはないが、だからこそ火が灯る。お前に私の実力を見せてやるとアキはやる気に満ち溢れた。


そんなアキを見て、ゲンは着いて行かずここで身体を休ませることに決めた。

剣は女の専売特許。男が口を挟むべきではない。そういう不文律がこの世界にはあって、それを口実に使った。


建前はそれとして、実際はアキの強い姿を見るのを避けただけだった。

普段から我儘放題でクソ生意気な小娘風情が、実は自分よりも強かったとか、いざと言う時守られるのは自分の方だとか、そんなことを知るのが嫌だった。

それを認めれば劣等感に苛まれる。劣等感を抱けば接し方が変わる。娘を頼むと椛に任されている現状では余計な感情だ。守る必要がないと少しでも思ってしまえばもう守れない。


間違っても上下の意識を変えるわけにはいかない。あの小娘のことだから、実力を披露した後には「どうだ、私はすごいんだぞ」と誇らしげに胸を張るだろう。そうなった時に一笑に付す自信がない。黙れ小娘と自分は言えるだろうか。


その自信がないから、ゲンはこの場に残ることにした。

意気揚々と出かける三人を見送って、部屋で横になる。ズキズキと痛む腰に顔を歪めて目を瞑った。











所変わって、場所は西都、和達の本邸。


行政区にほど近い場所にあるその屋敷は、西都で一、二を争う広さを誇っている。

見る者を威圧するかの如き大きな門は、今は固く閉じられ来るものを拒み、辺りを包む物々しい雰囲気は家主の気分を如実に表している。


「なんで!? なんでなの!? なんでよぉ!!!???」


女の金切り声が響いた。

頭を抱え膝をつき、目を血走らせて迸る叫び声。

一見正気を失っているように見える。しかし稀ではあるがこう言うことをする女だった。平生の女を知っている者が見れば声をなくして失望する姿である。


この女こそが東の地で一番の豪商、和達の当主であり、領主でさえ易々と手を出せないほどの権力を有する者。

その当主は今、予期せぬ事態に見舞われたため軽度のパニック状態に陥っていた。


「ごほっがほっ!! かひゅっ!?」


「……おい、大丈夫か?」


「ひゅーっ、ひゅーっ」


「背中、さすってやろうか?」


屋敷にいる使用人は皆戦々恐々として近寄ろうとしない。

しかしこの場で唯一の同席者にとってはそれなりに見慣れたもので、いつにない痴態を目撃しても全て聞き流す余裕があった。

さすがに過呼吸になったあたりで心配する素振りを見せたが、大丈夫だと判断した後は興味を失って視線を逸らす。

それが当主の神経を逆なでする。


「あ、あんた……あんたね……!!」


こんな事態を招いた原因が我関せず知らんぷり。当主は沸々と沸き上がる怒りに身体を震わせた。渾身の力で怒鳴る。


「あんたのせいよぉ!!!」


「うっさいわ」


何を言っても右から左に聞き流す女。まるで効かない。私は雇い主なのに。どうすれば?

怒りは絶望に変わり、当主の目から涙がこぼれ落ちる。


「やめてよお! なんで殺したの? なんで、なんで、なんでなの!? そんなこと一言も言ってない! 勝手なことしないでよぉ!! 話し合いでどうにかしようって頑張ってたのにい!!」


ついには畳に突っ伏して大泣きだ。


それを横目に見ていた女はため息をつく。話し合いでどうにかなる空気じゃなかった。女の言い分はそれなのだが、何度説明しても理解できないらしい。


やれやれと首を振り、壁に立てかけてある大剣を見た。

今朝はこれでたくさん斬った。それが当主は気に入らない。そう言われてもその他に術はなかったのだが……。


さてどうしようかと考えている間も当主の慟哭は続いている。これはもうどうしようもない。逃げるが吉。

腰を浮かした女に、逃走の気配を察した当主がそうはさせじと縋りつく。


「どこに行くつもり!!?? 逃がさないんだから!!! 自分が何したかわからせてやるんだから!!!」


「おいこら依頼主。見張りだ、見張り。失態の尻拭いぐらいはしてやるから離せ」


逃げるための方便だった。

だが当主はそれを聞いた瞬間、ぱっと手を離した。

涙を拭って鼻をすすり、直前までの醜態が嘘のように精悍な顔つきになる。


「そうね。その通り。気が利くじゃない。見張っといて。自警団が来たらすぐ知らせて。許可なく殺すんじゃないわよ。あっちから襲い掛かってきたら殺してもいいから。あ、でもやっぱり手加減はして出来る限り殺さないようにして本当に危ない時だけ剣抜いてと言うかあんたもう基本素手で戦いなさいよ強いんだから――――」


「へいへい」


さんざん泣いてパニックは治まったようだ。

泣き腫らした目で調子の良いことを言っている。その姿に思うところあれども、いつまでも泣かれるよりは大分ましである。


女は大剣を担いでそそくさと外に向かう。後ろで当主がまだ何か言っていたが、よく聞こえなかったので捨て置いた。聞き返すのは藪をつつくのと同義と思えた。


女が廊下を歩く間、すれ違った者は皆道を開ける。その中には同じく護衛として雇われた者もいた。身分に上下はなく金で雇われているだけの細い繋がりだが、その分気安い関係でもある。だがそんな者たちも女のことは避けて通る。


孤立しているのは分かっている。下手をすれば背中から刺されかねない。だが女にとってはこの方が何かと都合がよかった。


外に出た女は塀に背を預けて地面に座り込む。

砂利の上だから座り心地は最悪だ。土埃で汚れもするだろう。それを踏まえても中にいるよりはましだと思えた。

それだけあの護衛対象とは反りが合わない。


「……なんで泣くかなあ」


ぼそっと呟いた言葉が虚空に消える。

簡単に泣く女ほど見苦しいものはない。男が泣いてたって鬱陶しく感じる性分なのだ。それが女なら百倍鬱陶しい。まったく嫌になる。


不満を抱えて頬杖を突く。

沈む太陽が赤く染まり、周囲に長い影を落としている。


そうしていると道の向こうから人がやって来た。

背丈から見て大人が二人。子供が一人。計三人。一人は長物を持っている。すわ襲撃かと女は三人を注視した。日を背にしているため見難かったが、一瞬足りとて目を離さなかった。


やがて、三人は顔が判別できるほどに近づいてきた。先頭の細い女は見覚えがある。今朝襲撃したときに場に居合わせた奴だ。

長物の奴には見覚えがない。子供にもなかったが、気になる点がいくつかあった。腰に刀を差していることと妙に薄汚れていること。

見たところまだ幼い。背は低いし体つきは小さい。そんなのがこれみよがしに真剣を持っている。目を疑ってしまった。


「こんにちは、使者さん。今朝振りですね」


「……」


総じて、女は思う。

面倒そうなのが来た、と。

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