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西都までは二日かかる。馬で二日である。

もし徒歩で行くとなるとその倍以上かかることになるから、現状を鑑みて、馬に乗ることは必須と言えた。


そこで問題となるのは、アキは一人で馬に乗ったことはないと言うことだ。そしてゲンも馬に乗れない。いくらアキが子供と言えども、一頭の馬に三人が乗るのは現実的ではない。鬼灯もまさか二人揃って馬に乗れないなどとは考えておらず、どちらかは乗れるだろうと思い込んでいた。


それは本来なら正直に述べなければいけないことだったが、こともあろうにアキは見栄を張って乗れると嘯いた。結果、ゲンは鬼灯のうしろに乗り、アキは一人で馬を繰ることになった。

アキに与えられた馬が思いのほか賢く、前の馬の尻を一心不乱に追っていく性質でなかったら大変なことになっていたかもしれない。


道中は静かなもので賊の一人、野犬の一匹もいなかった。その静けさは飢饉と言う言葉が嘘に思えるほどだった。

その代わりと言っては何だが、一日目の昼間際、ゲンが腰の痛みを訴えた。

生まれて初めて馬に乗り、以前から悪かった腰が悪化したらしい。


それに対して、「駄目なようなら帰ってくれ」と鬼灯(ほおずき)は冷たく告げた。

アキは理解し切れていなかったが、一人で徒歩で帰ってくれと言う意味である。まだ町からそれほど離れていないとはいえ、徒歩で一日はかかる距離。男一人で行くのに安全とは口が裂けても言えない。

鬼灯はその意を込めて言い、ゲンはそれを理解して、「駄目じゃねえ」と力強く言った。こんな程度で屁でもねえやと心の底から述べた。


それを証明するためか否か、ゲンはそれっきり腰の痛みを訴えることなく、最後まで懸命に鬼灯の背にしがみついていた。

顔色は青白く妙な汗もかいていたが、一度も弱音を吐くことはなかった。その姿にはさしものアキも感心するほどだった。


夜は木賃宿に泊まり、まだ暗い内から出発し、山の端から朝日が滲むのを見ながら馬を走らせた。

小腹が空けば食べられる野草を摘んで口慰みにした。

いくつかの山を越え、まだ融け切っていない雪に注意して、どこからともなく聞こえる川のせせらぎと小鳥のさえずりだけが耳朶を打つ。


二日目の昼間際、いつ終わるとも知れなかった旅路がようやく終わりを迎えようとしていた。


「……やっとか」


「ん?」


唐突に口を開いた鬼灯に、アキが反応する。

鬼灯が指さした方には崖があり、そこから遠くを見渡せるようになっている。

そこまで行くと、先ほどまで影も形も見えなかった街並みが眼下に広がっていた。


――――暗褐色の木造建築が無数に建ち並び、見たことのない大きさの建物が中央にある。いくつもの川が町を横切って、目を細めてなお町の向こう側は霞んで見える。


鬼灯は言う。どうと言うことのない声音で、どうでもよさそうな態度で。


「西都だ」


初めてこの光景を見るアキは、思わず馬上に立ち上がったと言うのに。








西都はいくつかの区画に分かれている。

それぞれ道や川、堀などで境界線が引かれており、区画によって違う様相を呈している。

中央の行政区画から始まり、その周囲を商人、町人が埋めている。貧民層の多くは都の外れに住んでいる。

そうは言っても中央から離れるほど区分けは大雑把になり、はっきりしているのは中心区と花街ぐらいである。


「すらむ」やらなんやら、いくつかの言葉に馴染みのなかったアキは、その単語が出てきた辺りで聞くのをやめた。

山の上から一望した街並みに興奮し、いざ都を歩いてみても興奮は冷めやらず。キョロキョロとしきりに周囲を気にするのはまごうことなきお上りである。


見える所にある建物はほとんどが二階建てかそれ以上。

見上げなくては見切れない建物に囲まれて、そこらにいる町人の身なりは豊かさが伺い知れる。

かと言って、全てが全て身なりがいいかと言えばそうでもなく、たまにぼろ切れを着てガリガリに痩せた人もいる。


西都がどういう町かアキは知らない。しかしその両極端な出で立ちを見れば微妙な気分にならざるを得ない。裕福な者と貧しい者。この世界に蔓延している格差と言うものを垣間見た瞬間だった。


アキは興奮に冷や水を浴びせられながらも、鬼灯の後に続いて馬を引いて歩く。

意外なことに街には活気があった。飢饉とはいえ人の営みは死んでいない。大勢歩いている。ただし明るい顔の人間はほとんどおらず、沈鬱な面持ちばかりが目立つ。


村からほど近いあの町と比べれば天と地の差だ。何がどうしてこんなにも違ってくるのだろうか。

多少冷静になったアキが周囲をよく観察していると、人ごみの向こうから何者かが近づいて来るのを無意識に感じ取った。嫌な予感と言う形でそれを察したアキは柄を握りしめた。いつでも抜き放てるように重心を低くして大股で構える。


都の真ん中で刀を抜こうとしている。それを見咎めた鬼灯が「こらこら!」と慌てて注意する最中、大声を上げながら近寄って来る人影。


「姐さん!」


人の隙間を縫って駆けて来たのは、アキにとってもどこかで見た顔である。

彼女は鬼灯に駆け寄って、「姐さん!」と二度も叫びながら息を切らす。


「よかった、姐さんは無事だった……」


(あんず)か。……どうした?」


顔だちを見るに成人はしているだろう年齢。しかしどこか幼さがあり、つり上がった目じりは気の強そうな印象を与える。


やはりこの顔はどこかで見たなとアキは引っ掛かりを覚える。しかしてんで思い出せない。

思い出せないと言うことは大したところで会ったわけではない。もしかしたらただ見かけただけかもしれない。


「大変なんだ! 姐さん、あいつら先に仕掛けて来やがった!」


鬼灯の胸元に縋りついて女は訴える。

話を聞けば、今朝方に襲撃を受けたと言う。見たことのない女が屋敷を襲い、立ち向かった者は殺された。それが和達(わだち)の護衛を名乗っていた。


「馬鹿でかい剣振り回して、盾もなんも意味なかった! 腕に覚えのある奴みんな死んじまった! あんなの勝てっこない!」


どうせ戦いになるのなら、先手を取った方が有利だと和達は思ったのかもしれない。

しかしまさか本拠地に乗り込んでくるなんて考えもしていなかった。


「……凄腕の護衛か」


鬼灯が苦々しく呟く。

事前に聞いていた情報と特徴が合致した。

身の丈ほどもある大剣を片腕で軽々振り回し、武器も防具も関係なく両断すると言う話だ。

所詮は噂。半分眉唾だと思っていたが、杏の様子を見るにただの噂ではないらしい。片腕で金属の塊を振り回す人間など聞いたことがないが、それに近いことはするようだ。まさか向こうからやって来るとは……。


「カオリは無事なのか?」


「あ、ああ。カオリさんは大丈夫……でも、土筆(つくし)(ゆず)が……」


名前と共に込み上げた感情に耐えかねて、杏は言葉を詰まらせる。

その肩に鬼灯は手を置いた。


「姐さん……どうすればいい?」


「……とにかく一度戻る」


鬼灯が振り向き、アキとゲンに「ついて来てくれ」と言う。それにつられて、杏も鬼灯の肩越しに二人を見た。そして眉を顰める。男に対する視線と子供に対する視線。

その目は剣聖はどうしたのかと語っている。鬼灯は口ではなく首を振ることで答えた。


歩き始めた鬼灯の後ろで、大変なことになってるなとゲンは呟き、その傍らでアキは思い出した。

あの杏とかいう女、以前町に行った時にずっと監視してきた三人の内の一人だ。目つきが悪かったし態度も悪かった。悪意すら感じられた奴らだった。


それを思い出した途端、アキは思いっきり顔を顰めて杏を見る。その視線に、鬼灯の隣を歩く杏は気づくことはなかったが、アキは目的地に着くまでずっとその背中を見続けていた。






自警団の本拠地は大所帯を表すかのような屋敷であった。さすがに中央の建物ほどではないが、この街では五指に入る大きさである。

人が何十人と住めるだろうその屋敷からは、中に入るまでもなく異質な空気が漂っていた。

アキは玄関前に立った時点で血の匂いを嗅ぎ取った。人が死んだ。それも一人や二人ではない。


鬼灯は馬を杏に任せた後、アキ達を顧みることなく屋敷に上がった。

通りがかった者にカオリの居場所を尋ねるとずんずんと進んで行ってしまう。縁側で物思いに浸っている背中を見つけた時にはほっと息を漏らしていた。


「カオリ!」


背中からかけられた声にカオリが振り向く。

「あら」と驚いた様子のカオリは、アキの記憶にあるそれと寸分違わず不健康そうだ。土気色とまではいかないが青白い顔色である。暗いところでみれば死者と見紛うかもしれない。最近こういう顔をよく見るなとアキは思った。


カオリは鬼灯を見、その後ろにアキとゲンがいるのをみとめた。ゲンに関しては訝しそうに、アキに対してはわずかに嬉しそうな顔を見せた。


「おかえりなさい。……その分だと剣聖様には会えなかった?」


「ああ、会えなかった。今は西にいるそうだ」


「そう。まあ、それならそれで」


ドカッとカオリの横に腰を下ろした鬼灯に対し、カオリは困り顔で微笑む。所在なさげに立つアキとゲンに視線を向け、「うしろの二人は?」と尋ねる。

それでようやく鬼灯はアキ達の存在を思い出した。


「すまない、忘れていた」


「忘れんじゃねえ」


ゲンが文句を言って鬼灯は頭を下げる。

カオリが何かを探して視線を惑わせ、アキがそれを見ていた。


「それで、どういう経緯でアキちゃんがここに? そちらの人は初めましてだけど」


「力になってくれるよう頼んだら、承諾してくれた」


「……それは、二人とも?」


「ああ」


「二人だけ?」


「そうだ」


カオリがいささか残念そうな顔をする。

それを見て、ゲンが不愉快そうに顔を顰めた。男が戦力になるわけがない。そういう態度だと受け取ったのだ。

だがアキは全く別の意味に受け取った。カオリはレンがこの場にいないことを残念がっている。アキにはそれが分かり、分かったからこそ警戒心は強くなる。


「初めまして、ですね。私はカオリと言います。貴方、お名前は?」


「ゲンだ」


「ゲンさん。よろしくお願いします」


礼儀正しく頭を下げたカオリに、ゲンがぎこちなく頭を下げ返す。

次にカオリはアキを見てにっこりと微笑んだ。邪気のない笑顔……のはずだが、アキには悪魔の微笑みのように感じられた。


「お久しぶり。また会えるなんて思わなかった。運がいいみたい」


「……」


カオリはそう言うが、アキにしてみれば真逆の感想だ。

運が悪かった。もう二度と会いたくはなかった。


「話さないといけないことがあるし、協力してくれるのだからお茶ぐらいは出しましょう。それ以外は何もないけれど」


「私がやる」


「ありがとう」


茶を淹れに腰を上げた鬼灯を見送って、カオリは縁側の正面にあった部屋に二人を誘う。


人数分の座布団が用意されカオリとゲンが座る。そして揃って戸の前で立ち尽くすアキを見た。


「おいこら、そんなところで何しとる」


ゲンが訝しそうに呼ぶも、アキは視線すら向けずにじっとカオリを見ている。

今度は強めに呼ぼうと大口を開けたゲンをカオリが制した。


「いいんです。前に会った時にちょっと色々あったものだから……。その子の好きにさせましょう」


ゲンは納得できていない様子だったが、何を言う前にカオリがアキに話しかけたことで言葉は飲み込まれた。


「アキちゃん。お兄ちゃんはお元気?」


「……」


「ここにはいないようだけど、今はどこにいるの?」


「……」


「ねえ、何か答えて?」


アキは草食動物のような警戒心を滲ませてカオリを睨んでいる。

こいつに兄のことを一言でも漏らせば、何かよくないことが起こる。そんな気がしてならなかった。


「……兄上のことは、お前には関係ない。それより食べ物を寄越せ」


「その刀、お兄ちゃんが持っていたものじゃない? 何かあったの? 心配だわ」


思いがけない指摘に、アキは咄嗟に身体を傾けて刀を隠す。

まさかそれを見抜かれるとは思いもよらず、どっと嫌な汗を掻いた。


「……お前には関係ない」


動揺の最中、そう絞り出すのが精いっぱいだった。

そんなアキの顔をカオリはじっと見つめ、最後には無言で頷いた。


何も答えてなどいないのに、アキは取り返しのつかないことをしてしまった気分に陥った。やはりこいつに会うのは失敗だっただろうか。兄上がいないのだから会っても問題ないと考えたのは楽観的過ぎたかもしれない。


前々から思っていたが、今のやり取りで再確認した。

アキはこのカオリと言う人間が苦手だ。そして大っ嫌いだ。いっそのこと死んでほしいと思うぐらい、この人物には良い印象がない。


大きく息を吸い、たっぷりの時間をかけて吐き出す。

そして戸の前でドカッと座った。先ほど鬼灯がそうしていたように胡坐を組む。

ニコニコと微笑みを浮かべるカオリをこれでもかと睨みながら、アキはレンから譲り受けた刀を抱きしめた。

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