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アキをどうするか。そのことに頭を悩ませながら、椛は廊下を歩く。

連れて行くか、置いていくか。現状その二択だが、どちらも最善とは言えない気がした。他の選択肢があるのではないか。そう思いはするものの、三つ目の選択肢と言うのは中々思いつかない。

結局、答えが出ないまま部屋へと着いてしまい、アキのことは一旦頭の隅に置くことにした。


部屋の中には父が座っていた。老婆を見送った後、部屋で一人座り込んでいた父は、突然部屋に入って来た椛に一瞬驚き、しかしすぐに表情を引き締めた。

二人の付き合いは長く、言葉を交わさずとも姿を見るだけで察するものがあった。


「話がある」


「はい」


二人は向かい合って座る。

伏し目がちな父に対して、椛は真っ直ぐ目を向ける。その決して揺らがない視線を一瞥し、父は思わず目を背けた。

嫌な用件だと分かっているらしい。だが椛は構わず口火を切る。


「村の老人どもが話し合ったようだ。食糧の備蓄が心もとない。口減らしをすると」


瞬間、父は俯けていた顔を上げ、まじまじと椛を見た。その顔はひどく動揺していた。


「それって……」


「まずは自分たちが死ぬらしい。そのあとに子供を幾人かと言う話だが」


見る見るうちに、父の顔から血の気が引いていく。

この先は言うまでもないことであった。しかし伝えておくべきだと椛ははっきりと言う。


「奴らの言い分では、真っ先に死ぬべきはレンと言うことだ」


震える唇から言葉は出なかった。

わなわなと全身が震え、がくっと脱力して前のめりに倒れそうになる。

咄嗟に椛がその身体を受け止めた。健常なはずなのに伝わる体温は平時のそれより低い。

心配して声をかける椛。その言葉に一切答えず、父はすがりつくように椛の服をぎゅっと握りしめた。


「そんな、そんなことは……」


「安心しろ。そんなことは私が許さない」


潤んだ瞳が椛を見上げる。

希望と絶望がないまぜになった瞳。しかし出会った当初に比べれば、そこに希望があるだけましであろう。椛は力強く頷いた。


「明日にでも西へ発ち、領主に援助を求む」


「……」


「私は剣聖だ。多少の我がままなら押し通せる。昔の話を持ち出せば、どのような願いでも否とは言えないはず」


正直に言えば、今更になって過去のことを蒸し返し、あまつさえ弱みに付け込むような真似などこれっぽっちもしたくはない。しかしこのような時世である。必要とあらばどんなことでもすべきだった。己のちっぽけな誇りに固執する気など毛頭ない。今までもそうやって、剣聖の地位を守り続けてきたのだ。


「しばらく留守にする。いない間家のことは任せるが、何があるかわからん。気を付けろ」


「……」


腕の中で沈黙を保つ父を、椛は根気強く待つ。

やがて深く息を吸い込み、大きく吐く音がした後、父は椛の腕を離れ自分の力で起き上がった。

先ほどとは違う力強い瞳に射貫かれながら、椛は父の言葉を聞く。


「任せて」


「……頼む」


それ以上の言葉はいらない。二人の心は通っていた。

椛は立ち上がり部屋を後にする。次はレンの元へ向かう。











レンの元へ向かう最中、椛はアキの気配が家を離れるのを感じ取った。

てっきり家に留まりレンの側にいると思っていた。まさか家を離れるとは思ってもみず、どこへ行くのかと気配を探る。その足取りの向かう方には鍛錬場があった。

そこにはアキ以外に人の気配はない。ならばとりあえずは大丈夫だ。しかし長く放っておいていいはずがないのは先刻承知である。

すべきことは多い。一つ一つ片づけていくしかない。


急ぎ足で部屋に着き、開いていた戸から中に入る。布団の上で身を起こしていたレンと目があった。

椛は布団の傍らに腰を下ろし、どのように切り出したものかと一瞬考える。

レンを一瞥し、赤黒い髪と病人のような白い肌を見た。輝きのない黒い瞳には知性の色だけが垣間見える。


今更何を考えることがあるだろう。今まで通りに接するべきだと椛は思った。余計な話はいらない。単刀直入に切り出す。


「食糧がない」


「雪が降りましたからね」


それはそうだろうと言う調子のレン。窓の外を見て、依然として空を覆う雨雲を見上げている。


「この寒さでは、田んぼも畑もダメでしょう。厳しい冬になります」


一を語っただけで二、三の答えが返って来た。

寒すぎれば飢饉が来る。暑すぎても飢饉が来る。大人なら誰でも知っていることだが、子供に限ってはその限りではない。

大人が教えない限りは知る由はないだろう。椛はレンにそれを教えたことはない。それ以外にも、教えた覚えのないことをレンはなぜか知っている。

花街のことなど一体どこで知ったのか。どこまで知っているのか。椛は内心不安で仕方がない。


「先ほど来客があったようですが」


「ああ」


「帰り際、ちらと見ましたが、確かあの人は村長だったはず」


「そうだ」


「食糧がないんでしたね」


椛は一度口を閉じる。

心の内を見透かされているような気分になった。率直に言えば気分が悪い。察しがよすぎると言うのはあまりに気色悪い。


「収入がないのなら支出を抑えるしかない。なので、用件は多分間引きあたりだと思ったのですが」


椛は目を瞑り、内心大きく息を吐いた。頷きたくなかったが、頷かなければ話は進まない。

用件を切り出したのはこちらだと言うのに、いつの間にか主導権は椛の手から離れていた。答えていくうちに、話は勝手に進んでいく。


「……そうだ」


「いつの時代にも優先順位と言うものはあると思います。この状況で一番低いのは男の子供で間違いないですね」


「いや、老人の次だ」


椛の言葉にレンは首を傾げる。

無表情ではあったがその仕草は子供らしくて可愛いものだった。

「老人の次?」と納得できないと言う物言いも拍車をかけている。


「老人共は自ら命を絶つようだ。その代わり、子供を殺すことに同意しろと親に迫るつもりらしい」


「全員死ぬのですか? お年寄りが?」


「そう言っていた」


レンは難しい顔をした。

椛はその意味がまるで分からなかったが、深く考えずに話を進める。幸いなことに主導権が戻ってきた。


「先ほどの来客は、真っ先に死ぬべきはお前だと告げに来た。ついにで許しも請うてきた」


「……」


沈黙があった。

椛はレンを真っ直ぐ見つめる。その顔に動揺は見受けられない。顔色すら変わらない。いつも通り青白かった。


「聞いているか」


「ああ、はい。聞いてます。……まあ、それは仕方ないんじゃないですか。こんな身体ですし」


ヒラヒラと振られる手は華奢でやせ細っている。

あの腕で、かつては刀を振り回していた。今や見る影もない。


「それで母上はなんと答えましたか」


「当然、断った」


椛は胸を張って断言した。誇るべきことだと思う。親らしいことをした。誇らしい。

そんな椛の内心など無視して、レンは「ふーん」と気のない返事をし、あらぬ方向に意識を飛ばしている。その視線を辿れば壁に行き当たる。焦点の合わない朧げな瞳には何も映っていない。ただ何かを考えているらしい。


「私は、これから西に発たなければならない」


「なぜですか」


「領主に税の免除を求めるためだ」


レンはただ頷くのみ。

椛は胸の内に巣食い始めた不安を押し殺す。聞かねばならぬが、聞くには勇気がいる。とてつもない勇気が。

どうしてもその勇気が出せず、話は迂遠な方向に進んでいった。


「加えて、援助も求めるつもりだ。運がよければ、誰も死なずに済む」


「飢饉がどれほど広く及んでいるのか。全てはそれ次第だと思います」


「村長は付近の村に様子を見に行かせた。まだ帰ってきていないようだが」


「期待せずともこの辺りは全滅でしょう。問題は西です」


東に行けばすぐに海に行き当たる。しかし西には陸地が続く。

もしこの飢饉が東方のみならず西でも猛威を振るっているのなら、もはや打つ手はない。この事態にどれほど備えていたのか。全てはそれに懸かってしまう。


山はあるけど小さいしなあと、レンは嘆き節を呟いた。あれが雲を遮るほど大きければ、雪が降るのは東だけで済んだかもしれない。


そんな、どうでもいいことを話している内に会話は一段落した。

情報の共有は済んだ。これからの予定も伝えた。それでいてなおその場に留まり続ける椛に対し、レンは首を傾げながら訊ねる。


「まだなにか?」


「ああ……」


怖気づく心を叱咤し、椛は大きく息を吸う。

その様子をレンは興味深げに眺めていた。随分分かりやすくなったなと思っていた。


「お前はどう思う」


「要領を得ません」


思いもしない即答に、椛は一瞬言葉を失った。

もうそろそろ上手な言葉の使い方を学んでほしい、と言うレンの優しさであった。


「つまり……村の連中はお前に死んでほしいと言っている」


「はい」


「それについて、お前はどう思っている」


なんだそんなことかとレンは思った。

そんなの答えは決まっている。問題はそれを口にするべきか否か。

結局のところ自身の気持ち次第だ。口にした場合としなかった場合。その両方を考えてみた。

こんなことは口にしない方が良いに決まっているが、すでに限界が近く、現在は緊急事態でもある。どうすべきか。悩み、考え、迷った末に、天秤は口にする方に傾いていた。

いざと言う時に本心を隠すと碌なことにならないのは、この偉大な母が背中で教えてくれたことだ。

何よりレンは疲れ切っていた。嘘をつくのは体力がいる。突き通すには尋常じゃない労力が必要だ。もはやレンにその余力はない。


「俺は、死んでもいいと思っています」


途端、椛の唇が引き結んだ。

それを見てレンは苦笑する。そういう反応になるよなあ、と。これ以上はやめるべきか一瞬悩んだ。しかし一度口にしたからには取り返しはつかない。余す所なく伝えるべきだと考えた。


「前に言いましたよね。生きるには理由が必要だって」


「……ああ」


「俺にはもう理由がない」


レンは自分の手を見ながら言葉を紡ぐ。

我ながら華奢な腕だと思う。この数年、鍛えに鍛えたと言うのに、あっという間に無に帰した。こんな腕では、もう刀は振れない。


「母上みたいになりたかった。猿に殺されかけた時、颯爽と助けてくれたその背中に憧れた。意味も分からず始まった人生で、たった一つだけの生きる理由でした」


椛は黙ってレンの言葉を聞いている。

段々と力が籠っていくその言葉に、無粋にも口を挟むことは出来ない。


「前の剣聖と戦って、アキを守って、父上を守って、村の人たちを守りました。正しい行いだと思います。やってよかったと思ってる。でも、その結果がこれです」


刀が振れなくなり、後遺症に苦しんで、薬なしでは真面に生きることすら叶わない。

夢が潰えただけならまだしも、生きることにも苦労する毎日。自分で自分の面倒すら見られない。以前、アキに言われた言葉がしこりのように胸に残り続けている。――――兄上は私がいないとダメですね。


こんな日々がこの先何十年続くのかと思うと、それだけで生きる気力は衰えていく。

誰かに依存して生きていくことには耐えられない。そんな風に生きるぐらいなら、いっそのこと死んでしまいたい。最後にこの命を誰かのために使えるならば、それはこれ以上ない幸運だと思う。

それが、レンの嘘偽りない本心である。


「後悔はしていません。するわけがない。けれど、もう限界です。死ねと言うなら死にます。死なせてください。俺が死ねば他の誰かが生き残れるんでしょう?」


懇願しているように聞こえた。

椛は真っ直ぐレンを見つめているが、今やレンは俯いて椛を見ていない。言葉の端々に滲んでいる感情が椛の胸を打つ。何をすればいいのか。そんなことも分からず、椛はただ聞いていた。


「どうせ、一度は死んだはずの命です。今生きていることに感謝こそすれ、これから死ぬことを呪うなんて、それはお門違いだ。だから、死んでもいいと思います」


話は終わった。

レンは顔を上げる。真っ白で生気のない無表情が椛に向けられる。

椛はついに口を開いた。口の中が渇いて声が出しづらい。声を発するのに一瞬の間があった。


「……お前は……死にたいのか。本気で、そう思っているのか」


「はい。そう思います。俺は死にたい」


一抹の迷いすら感じられない即答であった。

椛は「そうか」と頷き、溜息を吐く。

腕を組み、天を仰いで天井を見上げる。


椛は考える。死にたいと願う息子。親ならば、その願いを叶えてやるべきか否か。

……考えるまでもない。答えは否である。生きていてほしい。例えどんな形でも、わずかなりとて希望があるならば。


椛は立ち上がった。

レンを見下ろす眦には断固たる意志を孕んでいる。


「私は西に行く。行かねばならない。さもなければ大勢が死ぬかもしれん」


「分かっています。どうぞ行ってください。俺は大丈夫ですから」


気丈だった。どこまでも。直前の会話など、まるでなかったかのごとく。


「これは剣聖の務めであるが、お前のためでもある。レン、一つだけ約束をしろ。今すぐにでも死にたいかもしれんが、少なくとも私が戻ってくるまでは死ぬな。万が一お前を間引くことになったのなら、その時は私がこの手でお前を間引く。だから……」


そこで言葉がつっかえた。

喉の奥が震えている。これ以上はとてもじゃないが言えなかった。

レンは言葉を途切れさせた椛を見上げて微笑んでいる。そこに先ほどまでの弱弱しさはない。代わりに目を離せば消えてしまいそうな儚さを漂わせながら、分かってますと頷いた。


「ごめんなさい。何があるか分からないから、本心を言っておきたかっただけなんです。困らせるつもりは……。ごめんなさい。俺は、本当に大丈夫です」


そんな言葉を聞けば、椛は余計に動けない。

動いたら最後、後戻りはできない。馬を繰り、山を越え、領主の元へ行かねばならない。

しかし事ここに及んでは、村のことはどうでもよかった。村の連中がどうこう言うのなら、私がこの手で始末をつけたって構わない。今はただ、この場に留まりたい。


動かない椛に対しレンは訝し気にし、わずかに頬を赤らめて言葉を紡ぐ。


「母上、愛しています」


「……」


「愛しています。だから、どうか行ってください。母上は剣聖でしょう? 俺が憧れた最強の剣士なんだから」


その言葉に背中を押されて、ようやく椛はレンに背を向ける。

本心がどうであれ、今更剣聖の務めを放棄することなど、椛には出来なかった。踏み砕いて来た躯がそれを許さない。


一歩足を進め、精いっぱいの言葉を背中越しに投げかける。


「……約束を忘れるな」


「はい。約束は守ります。絶対に」


その会話を最後に、椛は部屋を後にした。

家を空けると言っても、たかだか一日二日……いや、違う。もっとだ。もっとかかるだろう。もはや時間的猶予はない。

すべきことははっきりした。何より優先すべき物は分かり切っている。レンのことを思うならば、それが最善なのだろう。


椛は木刀を持って家の外へ向かう。

向かうは鍛錬場。アキの元へ。

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