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殺伐とした空気の漂う室内で、アキを迎えた三人がそれぞれ向かい合って座っている。

上座に椛が座り、下座に老婆が座っている。その中間に腰を下ろしたアキは、鋭い視線で二人を射竦めた。


実の娘に射殺すような視線を向けられたところで、椛に変化はない。内心がどうであれ、いつもの無表情は微塵も崩れなかった。

代わりに老婆は冷や汗を掻いている。能面のように感情をなくしたアキからは剣呑とした気配が感じられる。威圧感がずっしりと圧し掛かり、気を抜けば物理的に潰されそうな気がした。何を馬鹿なと自分自身を笑い飛ばそうとして、喉が渇いて上手く声が出てこなかった。


このような体験は久しぶりだ。剣を向けられているわけでもないのに、たかだか視線でこれほど威圧されている。

もしその手に得物があれば、心が弱い者ならそれだけで気絶するかもしれない。さすがは剣聖の娘。


あっぱれあっぱれ、と老婆は心中で惜しみない賛美を重ねた。

さすがだ。凄い。全くもって素晴らしい。将来が楽しみだ。


そのようにいくつもの称賛を思い連ねていると、次第に威圧感にも慣れてきた。重圧は感じなくなり、喉の渇きはいつの間にか癒えている。言葉を発するのに何の支障もなさそうだ。


経験と言うのはこういう時にこそ役に立つ。その長い人生で修羅場を潜った数は山とのぼる。数だけなら剣聖にだって負けない自信がある。

人が持つ最大の武器は適応力だと思う。どんな環境だろうと適応さえ出来れば、それだけで生きていける。

特に老婆の世代はそれが必要だった。戦中から戦後にかけて、この世の地獄とも言える時代を生き抜いたからこその考えである。


老婆は口を開く。

いっそのこと殺されても構わない。どうせ老い先は短い。遅いか早いか。この年になって生きることに固執する気はない。

元々その考えでここまでやって来たのだった。


「不和は、避けねばなりません」


厳かな言葉に動揺は見受けられない。椛は静かに耳を傾けている。しかしアキは今すぐにでも掴みかかりそうだ。

空気が殺伐としている理由の大半はアキが殺気立っているからだが、それを抑えているのは椛である。

アキが少しでも動こうとするたびに、椛は目で制した。黙って聞いていろと視線で拘束している。


「最悪の場合、男の子の大半を殺します。親は反対するでしょうが、村を生かすためには殺すしかない。弱い者から殺す。そう言って、殺していく」


二人の若者を見ながら、老婆は昔のことを思い出していた。


俗説だが、飢饉はおよそ五十年おきに起こると言われている。例に漏れず、前回の飢饉は戦後間もない頃に起きた。丁度五十年ほど前である。その時は弱い子供を中心に大勢の人間が飢えて死んだ。

町にも道にも死人が山のように積まれ、風が吹けばどこからともなく死臭が漂っていた。

東の地は津々浦々そんなありさまで、惨状と言う意味では戦争に引けを取らないほどの酷い光景だった。


一体どれほど死んだのか正確な数は分からないが、消えた村の数は一つや二つではない。

前の飢饉で大勢が死んだ理由の一つに、領主の行いが挙げられる。

元より重税を課し、蓄えを許さず、搾れるだけ搾り取っていく暴君ではあった。もしかすると、戦後間もない時期ということもあり、締め付けることで反抗する気力をなくす意図があったのかもしれない。


だからと言って、飢饉と言う異常事態であっても例年通りに税を徴収されては死ねと告げられているに等しい。

当時の領主はただ搾り取り、人が死ぬのを見ているだけだった。


現領主は当時ほどの重税こそ課していないが、前の領主の娘である。

それだけで信用できない。前領主がどれほど外道だったかは風の噂で耳に届いている。血が繋がっているだけに、今は仮面を被っているだけでいずれ本性を見せるのではないかと疑っている。


故に、支援に期待はできない。何の確証もなく楽観しては、かつての二の舞になってしまう。最悪を想定して備えなければならない。

他の老人たちと話し合って出した結論がそれである。


助け合わなければならない。村の人間は皆ひもじい思いをするだろう。腹が減ればそれだけで怒りっぽくもなる。

わずかな軋轢が全体に広がって、血で血を洗う事態になりかねない。食糧を奪い合い殺し合っては本末転倒だ。そんなことでは全滅してしまう。人は助け合わなければ生きていけないのだ。


それを避けるために、特別扱いは極力避けねばならない。

例え剣聖の息子と言えども例外はない。村長は私だ。この村にいる以上は従ってもらう。


「弱き者から殺す。これは絶対に守らなければなりません。例え食が細く口減らしと言うには程遠かろうと、絶対に踏まなければならない手順なのです。でなければ誰が自分の子を殺すことに同意しましょうや。親ならば誰も子を殺したくなどない。けれど殺してもらわなければ困る。そのために基準を設け、まずは私たちがそれに従います。老いぼれから死んでいきましょう。皆を納得させるために」


赤裸々に語られた内容を聞き、アキの気勢は削がれていた。

まさかそんな話をしているとは思っていなかった。てっきり、兄を殺して自分はのうのうと生きようとする厚顔無恥だと思っていた。


アキは俯く。死と言う言葉が苦い記憶を呼び起こさせる。

生気のない顔と冷たい感触。決して思い出したくない記憶だが、こう言う時には思い出してしまう。落ち込みかけた自分を戒め、腰の木刀に触れ発奮した。


「死にたいなら勝手に死ねばいい」


顔を上げ、冷たく言い放ったアキに対し、老婆は微笑むだけだった。

思いのほか優しい表情を向けられアキは鼻白む。もっと強烈な罵倒が必要かと気勢を上げたアキを、椛が「やめろ」と制した。


「母上……なぜですか」


「お前の出る幕ではない」


「……本気で言ってますか」


「私に任せておけ」


今にも噛み付きそうな形相のアキと、あくまで落ち着き払っている椛。二人は睨みあう。

多少強くなったとはいえ、戦闘にしろ口論にしろ、未だにアキが適う相手ではない。瞳すら揺らさない椛に根負けし、アキは忌々し気にそっぽを向く。

そこまで言うならやってみろと負け惜しみ染みた態度で口を閉ざす。


そんなアキを横目に、椛は老婆と顔を見合わせた。


「それで、その老いぼれとやらが死んだ次がレンというわけか」


「はい」


椛は感情の感じられない声音で、淡々と言葉を重ねていく。


「レンが生きているのに、他の者が死んでは軋轢が生まれると」


「まず間違いなく」


「なぜ言い切れる」


「あの一件以降、ご子息の姿を見かけなくなりました。それまでは毎日のように見ていたと言うのに。村中が知っています。噂も飛び交っています。何かあったのではないかと皆心配しています」


「そうか」


椛は沈黙する。

その内心は面倒になったと言うのが半分、蘇ったことが知られていないことへの安堵が半分である。


そもそも、椛の本心としてはレンを殺すと言う選択に同意出来るはずがない。

いくら飢饉とはいえ、息子を殺してまで生き延びたくはない。もし本当にレンを殺すことになったなら、代わりに私を殺せと言うだろう。あるいは村を出ていくか。恐らく後者だ。


加えて今現在、それほど切迫した状況だとはどうしても思えなかった。

村の老人たちは、過去の記憶から事態を重く見すぎているきらいがある。かつての領主が外道であることはよく知っている。殺したのは誰あろう椛である。あれは外道と言う言葉が霞むほどの屑だった。そればかりは否定しようがない。


仮にもしあの外道が今も領主だったのなら、椛もこの老人たちと同様に、この世の終わりを味わえたに違いない。

しかし外道は死に、領主は変わった。あの娘は頭がいい。先を見る力がある。この事態にも備えているはずだ。


様々なことを勘案し、椛はそう思った。村の老人たちとは正反対の結論である。

領主と長い付き合いがあり、人となりを知っているからこその結論だ。いくら説明したところで、老人共は理解しえないだろう。


こういう場合に口で説いても時間の無駄だ。目に見える形で答えを見せてやるのが一番手っ取り早い。

椛は考え、口を開く。その頭の中では、今後の予定が組まれ始めていた。


「少し待て」


領主の元へ行くのに普通なら1日かからない。だが雪が降った。この辺りは融け始めているが、山の上は積もっているだろう。また降るようなら最悪足止めもあり得る。

一体何日家を空けることになるのか。今は出来るだけ留守にしたくはないのだが……。


考えながら言葉を紡ぐ。

そのせいで、アキが信じられないと言う顔で椛を見ていることに気づかなかった。


「領主の元へ行き援助を願う。税を免除してもらえるように話もする。それを待ってからでも遅くはないはずだ」


「もし以前のように何もしてもらえないのなら、それどころか追い込まれるのなら、切り詰めるのは早い方が良いかと……それだけ生き残る人間は多くなる」


「言っていることは分かるが、私はお前たちほど悲観していない。領主は賢い。今年の夏は涼しかった。誰もが薄々こうなるかもしれないと予見したはずだ。ならば、あの娘が備えていないはずがない」


「……随分と、高く買っておいでですな」


「あれのことはよく知っている」


椛の目には自信が満ちていた。

信じ切っている目だ。すっかり絶望した自分とは大違いだろう。

老婆は大きく息を吐いた。


もし椛の言う通り、領主が税を免除し食糧を融通してくれたとして、それでも飢饉の被害如何によっては口減らしは必要だ。

まったく必要ないなんてことはまずありえないと思っている。


それを分かっているのかいないのか。

剣聖の考えはまるで分からないが、自信満々にここまで言うのなら、その言葉に賭けてみるのも悪くない。とは言っても、最悪への備えは必要だ。


「そこまで言うなら、わかりました。しかし、もし駄目だったその時は、手にかけることをお許しください。これは村の皆のためです」


椛は顔をしかめる。

誰が許すかと口を衝いて出そうになる。だが口論している暇はない。老婆が言う通り、行動は早ければ早い方が良い。今日発つかは微妙なところだが、一刻も早く出発する必要がある。

結果、上手く言い包める方法を思いつかず、答えあぐねて言葉は出なかった。

返答はおろか頷くことすらしなかったが、否定しなかったと言う事実が肯定と受け止められた。


老婆は満足そうな顔をし、アキの顔からは血の気が引いていく。

すうっと波引くように威圧感がなくなり、別の何かが空気を漂い始める。その気配を察知し、一刻も早く離れた方が良い判断した老婆は、「それでは」と腰を上げた。逃げるように去るその背中を、椛はまあいいかと見送った。


どのような結果になろうともレンを殺す未来などありえない。それがはっきりしているのにどうして誤解を解く必要があるのか。


老婆の足音が玄関へと向かっていく。父が対応するだろう。

急がなくてはならないが、馬を走らせる前に片づけなくてはならない問題があと一つある。憎しみの目で自分を見る愛娘だ。


「なんだ」


「……」


歯を食いしばり、膝に置いた手にぎゅっと力を込めるアキは殺気を放っていた。

それだけ怒っていると言うことだ。怒っている理由はレンのことで間違いないが、殺気を向けられるのは意味が分からない。

訳を尋ねて返事を待つ椛は、相も変わらない無表情だった。


「兄上を……見殺しにするのですか」


「しない」


即答した。これ以上はないと言うほど簡潔明瞭だった。

だと言うのにアキは納得していない。それどころかより視線をより険しくし、殺気は膨らみ続けている。


面倒だと言う気持ちが前に出た。一体何が不満なのだろうか。

急がなくてはならない時に余計な時間を取られるのは我慢できない。


椛は辛抱強くアキの言葉を待った。

自分から説明すると言う発想はなく、聞かれたことだけ答えようと言うどこまでも受け身な姿勢であった。


「今の、会話は……」


「食糧がない。周辺の村々にも、町にすらない。対応しなければならない。さもなくば大勢死ぬ」


「……あいつは、兄上を殺すと言っていました。殺すのですか?」


「殺さない」


アキは混乱した。

気配が揺れ、何を信じたらいいか分からず惑っている。


ここで初めて、椛は詳しい事情を説明すると言う選択肢を思いついた。

しかしその選択肢は即座に却下される。お前の兄はもうじき家を出ると聞かされた時、アキがどういう行動をとるか分からない。

これからしばらく留守にするのだ。そんな時に暴走されては対処のしようがない。


大人しくしていてほしいと言う願いを抱き、椛は無言でアキを見つめる。

アキは混乱して眉をひそめていたが、結局のところすべきことは変わらないとすぐに立ち直った。

憎しみを押し殺した声で言葉を紡ぐ。


「食べ物が足りないから兄上を殺すと言うなら、他にも手段があります」


「なんだ」


「他の人間を殺せばいい」


今度は椛が眉をひそめた。


「なんなら皆殺しにすればいい。そうすれば食べ物は足りる。兄上を殺すなんて、そんなこと言う奴は死んで当然の――――」


「もういい」


それ以上は聞くことさえ耐えかねた。

育て方を間違ったことを切に感じる。自分が何を言っているか、理解しているのだろうか。していないのかもしれない。

だから平気で殺すと言えるのだ。命を奪うことがどのようなことなのか、まだ理解していないから言えたことだ。


輝きの代わりに薄暗い色を灯した瞳に不安を覚えながら、椛はアキを村に残していくことに危機感を抱く。

いっそのこと連れて行こうかと考えてみて、急ぐ旅路であることが障害となる。


どうにもままならないことばかり起きている。不用意に動けば取り返しのつかないことになりそうで、椛はどっちつかずに二の足を踏んだ。


頭を悩ませた末に、今はすべきことをするしかないと取りあえず行動に移す。

父に事情を話す。その次はレンと話そう。この調子では発つのは明日になるか。仕方がない。


椛はアキに「何もするな」とだけ言い放ち、急いで父の元へ向かう。

アキのことは後回しで良いと判断した形になってしまい、いささか後ろ髪引かれる思いだった。

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