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人生で初めて人に愛していると告げた後、俺は布団に潜って頭まで毛布をかぶった。

母上の顔を見るのが恥ずかしかった。なんていうことを言ったんだと少し後悔していた。


しかし、これも全て自分の気持ちに正直になった結果だ。言うべきこと言ったのだと己に言い聞かせる。

前世では出来なかったことだ。アキがそうであるように、俺にも反抗期と言うものはあったのだ。

父子家庭で育ててくれた父さんを思い出し、ちょっと胸が痛む。……未練だ。


「……聞きたいことがあるのですが」


「なんだ」


気を取り直し、布団から顔を出して母上に尋ねる。

妖刀のことを知った今、知るべきことはたくさんあった。取り急ぎ、視界に映っている刀のことから聞いてみる。


「母上の刀は赤いですが。それひょっとして妖刀ですか?」


「恐らく違う」


「恐らく?」


心配になる一言が付いている。

言っている本人も自信なさげだ。


「勝手に赤くなるのだ。何本も変えてみたが、どれも数日で赤く染まった。今の所魅了されるようなことにはなっていないが、可能性はある」


「いつか効力が出てくるかもしれないと?」


「可能性はある」


「今すぐそれ捨ててください」


「私は剣聖だ」


剣聖に固執して半生を生きてきた人だ。

刀を捨てろと言っても簡単には応じない。と言うか捨てたくても捨てられないのかもしれない。剣聖って個人の意思でやめられるのだろうか。


「なんていうか、もしかして母上って呪われてるんじゃないですか?」


「……そうかもしれん」


俺の心ない一言で母上が気落ちした。

思いの外効いたらしい。姉弟子を筆頭に、呪われる覚えはたくさんあるのだろうし。

一先ず、母上の赤い刀のことは置いておくことにする。見た目からして不吉だし嫌な予感はあるのだが、分からないことは分からないとしか言えない。解決策は今のところない。


「あと、藤色の刀の件ですが」


「海に捨てた。今頃は朽ち果てているだろう」


今度は断言した。ちょっと早口なあたり、そうであってほしいという願望が入っている。


「そもそも朽ちるんですか。妖刀とやらは」


「……」


意地悪な質問をしてみた。母上は答えに困って口をつぐんだ。

分からないことは分からない。海に投げ入れたならば普通は錆びるが、妖刀なら錆びないかもしれない。

実際の所は引き揚げなければ分からないだろうが、それは現実味がない。海の底に沈んだ刀を探し当てるのは不可能に近い。

万に一つ誰かが引き揚げる可能性はあるが、所詮は可能性の話だ。そうならないことを祈ろう。


「刀の行方については考えないでおきましょう。聞きたいのは別のことです」


「なんだ」


「自警団の背中についてるやつ。あれ藤の紋ですが、実は藤色の刀と関係あったりしませんか?」


「……なぜ?」


眉根を寄せた母上が厳しい表情で理由を問う。

それは考えたこともなかったと言う顔ではない。考えないようにしていたことをほじくられた顔だ。


「ゲンさんが言ってました。ここ数年で自警団は変わったらしいです。変わった理由が妖刀なら納得できるんですが」


「あの刀は見ると餓死するまで魅了される。人そのものを変えるわけではない」


「違う妖刀の可能性もあります」


「憶測に過ぎん」


母上の言う通り、ただの憶測だ。

組織なんて所詮は人の集まりだ。切っ掛け一つでどうとでも変わるだろう。


なんでもかんでも妖刀に結びつけすぎだと言われればその通り。

ただ、どうしてもカオリさんの言葉を思い出してしまう。


『すっかり毒が回りきっていますので』


その一言が頭にこびりついて離れない。

毒とは何を示しているのか。邪推であれば良いのだが。


「もういいか」


「……はい。もういいです」


それも東に行けば分かるだろう。

本人に直接聞けば真意が分かる。しかしこの身体では難しい。

治る保証すらない。仮に治るとしても、この傷では最低数か月はかかってしまう。

カオリさんは死が近い。冬の間移動できないことを考えれば、二度と会えないことだってあり得る。機会を逃した。そんな気がする。


「では、私からもお前に伝えておくことがある」


「まだ何か?」


「私のことではなくお前のことだ」


母上が腕を組んで俺を見下ろす。

じっと見つめられてまた恥ずかしくなってくる。

ちょっと毛布を引き上げた。


「自覚があるかは知らないが、お前は師との戦いの後死んだ」


「生きてますが」


「いや、死んだ。そして生き返った」


前世のことを言われたのかと思った。

だが違う。戸惑いと疑惑が急速に膨れ上がる。


「呼吸が止まり心臓も止まった。間違いなく死んだ。それは源も確認している」


「……だから、生きてます」


「生き返ったのだ。私が戻って来た時には死んでいたが、程なく目を覚ました」


「ありえないでしょう。死人は生き返らない」


そう言いながら前世のことを思い出す。

一度死んだはずの俺が、なぜかこうして生きている。世界を変えて、人を変えて、二度目の人生を謳歌している。

人類が知らないだけで、死の後には次の人生が待っているのだろうか。


「疑うのも無理はない。だが事実だ。付け加えると、今回が初めてではない。以前猿に襲われた時も、お前は短時間だが呼吸を止めた。すぐに息を吹き返したが、死んでもおかしくない傷だった」


「は?」


そう言うのを軽々しく付け加えないでほしい。

実は5歳の時にも一度死んでいて、その時はすぐに生き返ったと言われても反応に困る。


困惑しながら可能性を模索する。

死んだ人間が生き返ると言うのは、俺の常識とは食い違っている。突き付けられた現実を説明できる何かを探して頭を回転させる。


「……仮死状態だった可能性は?」


「源も同じことを言っていた。可能性があるならそれだろうと」


じゃあそれだ。それ以外にありえない。

それで全て説明できる。説明できないのは、前世のことだけだ。


「仮死状態と言うのが何なのか私は知らない。お前が生き返った理由は誰にも分からん。突き詰めるつもりもない。どうでもいい。ゆえに、私が言うのはこれだけだ。――――よく戻った。お前は私の誇りだ」


最初は心底どうでも良さそうな口ぶりで、最後の言葉にだけ力が籠っていた。

本心からの言葉だと分かった。それを聞いて混乱が一気に治まる。どうでもいいと一言で片づけられて、その通りだと納得した。

分からないことは分からない。妖刀のことも生き返りのことも。今はそれでいいじゃないか。


「話が長くなった。疲れただろう。これを飲んで休め」


緑色の液体の詰まった小瓶を口元に差し出される。

受け取ろうとしたが「飲ませてやる」と手を退けられる。

そういうならと、お言葉に甘えて口を開けた。


ほんのわずかに傾けられた瓶から、液体が数滴口に入る。

舌に触れた瞬間、衝撃に襲われた。


「――――んぐっ!?」


たった一口飲んだだけでとんでもない苦みが襲い来た。

鼻に突き抜ける青臭さ。苦みに至っては脳天まで突き抜けるほど。

強烈なダブルパンチを受け、条件反射で吐き出そうとする。だが、すんでのところで母上に口を押さえつけられた。


「んん!?」


何をするのだと母上を睨む。母上は無表情で端的に述べた。


「飲め」


「んー!?」


「少し苦いだけの薬だ。飲み込め」


口を抑えられているので吐き出そうにも吐き出せず、クソ不味い液体はずっと口の中に溜まっている。


嫌なことを強いられ逃げることも許されない。まるで嬲られている気分だった。

飲み込もうとしても身体が拒否して中々飲めない。暴れても力で捻じ伏せられる。


「んー!? んー!?」


「飲まなければいつまでも苦しいままだぞ」


頭を振ったところでとりつく島もない。上から圧し掛かられているので抵抗できない。

飲む以外に選択肢がなかった。一生懸命飲んでいく。少しずつ飲み下し、吐き気は常に襲い来る。それにも耐えなければいけない。


何とか飲み干したころには、すっかり疲れ果てていた。

ズキズキと身体が痛い。視界は涙で霞み、口の端からは涎が垂れている。母上の掌にべっとり付いていた。


「うえ……おえっ……」


「ふむ」


吐き気に耐える俺を一顧だにせず、母上は小瓶に残った大半の薬を見つめ思案気な顔をする。

もう少し飲ませておくかと考えているのは一目でわかった。俺には懇願することしかできない。


「もうやだ……もうやめて……」


「……お前のそんな姿を見るのは珍しいな」


こんな不味いものを平然と飲み干せる奴は早々居るまい。

母上ぐらいではないだろうか。外面は平然と、中身はやせ我慢と言う具合に。


「……あれ。なんか、ねむくなってきた……」


良薬は口に苦しと言うが、これだけ苦い薬ならそれだけ効き目も抜群らしい。

たった一口飲んだだけで睡魔がやって来た。抗うのも馬鹿らしくなるほど強烈だ。……人体に害はないと言っていたが本当だろうか。


「今の程度で効いたのか。ならいいだろう」


「……ねむぃ」


「残った分は明日以降に回して飲め。一日も欠かすな」


平然と惨いことを言ってくる。

絶対飲みたくない。朧げな意識でもその意志だけは固い。


「それから、父と源のことは許してやれ」


「んん……?」


「生き返ったお前とどう接すればいいか分からないのだ。なにせ初めて目にすることだ。死者が生き返ると言うのは」


聞こえてはいるのだが、思考が曖昧だ。

暗闇と光の狭間を行ったり来たりしている。

このまま眠ってしまいたい。けれど母上はまだ言っている。父上とゲンさんのこと。


「お前が死んだ時、あの二人はとても悲しんだ。それは事実だ」


「……ぁぃ」


「……眠ったか」


まだ辛うじて起きてる。

だがもう眠る。間近にいる母上の気配すら感じ取れなくなり、意識は暗闇に吸い込まれて行く。

これなら夢すら見ずにぐっすりと眠れるだろう。意識を手放しながらそう思った。









暗闇の中、たゆたう意識が刺激される。

小さく身体を揺さぶられ、声をかけられる。


「兄上」


まだ眠い。このままずっと眠っていたい。

呼びかける声を拒絶して、闇の中に沈み込もうとする。


「兄上」


けれど声の奥底に懇願する気配が感じられて、眠気がわずかに吹っ飛んだ。

この声の主は誰かと考える。考える間にもう一度聞こえて来た。


「兄上」


それで分かった。アキの声だ。同時に顔も思い浮かぶ。なぜか泣き顔だった。

アキが泣いているなら起きなければならない。


暗闇から浮かび上がり、光の方へ向かう。

安穏として心地よい睡魔を振り払い、苦しみばかりの現実へ帰還する。


「兄上ぇ……」


「……なに?」


いよいよもって泣きが入った声に応える。

目を開けるとすぐ横にアキはいた。相も変わらず同衾している。

アキははっとした顔で俺を見た。「え、起きたの?」と言う顔だった。


「おはよう」と挨拶をしたら「おはようございます」と小さく返事があった。

今度はちゃんと話が出来る状態らしい。

それだけ回復していると言うことだろうか。今度は脚で挟まれる心配はなさそうだ。


アキはおずおずと頬に触れて来る。

ぺたりと掌が添えられた。アキの手は暖かくて気持ちがよかった。

前も似たようなことをしていたが、恐らく体温を測っているのだろう。死者は冷たいから。


「兄上……また死んじゃうかと……」


「縁起でもない」


「でも、一日中寝てたし……」


心配の原因はそれか。

身体が休息を求めたのと、多分薬のせいもあるのだろう。すっかり寝入っていた。あの薬は味からして凄い。


「その薬飲んだらアキも一日寝れるぞ。すごく眠くなるから」


「へ?」とアキは周囲に目を配り、枕元に置いてあった小瓶を見つける。

親の仇を見るような目で睨んでいた。


「それより、身体の具合はどうだ? どこか痛くないか?」


「兄上こそどうですか?」


「俺は平気だよ」


「嘘です」


「本当だって」


まだ薬が効いているのか、今は全然痛くない。

その内痛くなってくるのは間違いないが、別に嘘ではない。今だけ平気。


「アキ」


「はい」


「この間のお返しだ」


「むぐっ」


前置きもなく、唐突にアキを抱きしめた。痛くない内にやっておきたかった。

これからは、気軽に触れ合うのも難しくなりそうだから。


アキは抱きしめられたままじっとしている。

お互いに相手の体温や鼓動を感じる。生きていると言うのがひしひし伝わってくる。

出来ることなら、ずっとこうしていたい。ずっとずっと。それこそ永遠に。

そんなこと出来るわけないと分かってはいるけれど、思うだけならタダだ。


「……兄上」


「ん?」


「死なないでください」


その言葉に目を丸くする。

死んだ人間がどういう訳か生き返ったのだ。心配は当然として、多少過保護にもなるだろう。


「死なないよ」


「今度は私が守ります」


腕で俺を押し戻し、少し距離を開けたアキは、横になったまま見つめて来る。

その目には確かな覚悟が宿っている。年に不釣り合いな覚悟だ。


「今度は足手まといになりません。絶対絶対、絶対に」


「アキ……」


「だから、兄上ももう無茶をしなくて大丈夫ですから。私が守りますから」


言葉にしても態度にしても、背伸びしているように見えた。

9歳の子供が人を守ろうとする姿は歪に思える。まだ守られる年齢だ。子供は守られてしかるべきだ。誰かを守る必要なんてない。


「今まで無茶したことなんてないよ。これからするつもりもない。だから、そんなに気負う必要はない」


「……兄上は嘘つきだ」


「嘘なんてついてない」


「嘘つき嘘つき、嘘つき」


繰り返されると何も言えなくなる。

嘘で飾られた人生を指摘された気分になった。


「守るから。私が絶対に守るから」


「アキ」


「守る守る守る。守る」


アキは同じ言葉を何度も繰り返した。

覚悟の表れだろうか。その行為が酷く不安を煽る。


守ると言うが、それは母上の責任だ。わざわざアキが背負う必要などない。それを理解してほしいが、この身体ではなんの説得力も生まない。


早く身体を治さなければいけない。

治る見込みがないと言われようが、大切な人のためなら出来る気がする。


まずは養生して、傷が治り次第リハビリを始めてみよう。

一日鍛錬を休んだら、取り戻すのに二日かかるらしい。それも含めて一刻も早く治したい。


母上の話を聞いて、新しくやりたいことが出来た。

こんなところでチンタラしていられない。

治ってくれれば、いいのだけど。

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