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母のことが嫌いだった。祖母のことはもっと嫌いだった。

遅かれ早かれ家を出ることになっていただろう。


過去の栄光など私の知ったことではない。

名家の誇りや責務などどうでもいい。

民を置き去りにした祖国に、いつまでも恋々とする祖母は愚かとしか言いようがなかった。

もはや自分に何の影響も及ぼさないのに、見返りもなく忠誠心を持てと言われて出来るはずがない。

祖母はそれをわかっていなかった。愚かだった。本当に、愚かな人だった。


見たこともない王に傅くことはできない。だからと言って憎々しい西の王を重んじるわけでもない。

東と西の両方に縁がある。しかし恩はない。

どちらの民かと問われても、どちらにもそう扱われたことはない。


西を憎んで東に傾注する者がいれば、東を忘れて西に媚びへつらう者もいる。

どちらが正しいかはわからない。どちらも正しくないかもしれない。全く別の答えがあるかもしれない。

私は答えを保留した。自分の心がどこにあるのか。そんなこと、自分自身にさえわからない。少なくとも、その頃はそうだった。


東こそが我らが祖国だと言って憚らない祖母と、祖母の言葉に唯々諾々と従う母。

押しつけがましさと意思のなさ。どちらも心の底から嫌いだった。


私にとって、家族とは村に縛りつける枷でしかなかった。

いずれは家を出ると心に決めながら、中々踏ん切りがつかず、祖母の死が転機となった。

人の死を喜ぶ趣味はないが、いい機会になったのは事実だ。

道しるべを失くした母に私を止める力はない。然るのち、家を出た。12のころだった。

二度と戻ることはない、と当時は本気で思っていた。笑いたければ笑え。


方々を転々とし、観たいものを見て食べたいものを食べた。

終始一人旅だったが、祖母に叩き込まれた剣のおかげで、野盗に出くわしても難なく処理出来た。

全て返り討ちにし、賞金がかかっているのは路銀の足しにして残りは肥やしにした。

家を飛び出して一年はそうやって暮らしていた。

明日もわからない生活だったが、その分自由だった。誰にも縛られず、何にも囚われず、自由気ままな毎日だった。


いよいよ東に見る物がなくなって、ついに西に行くかと考え始めた頃、季節は冬になろうとしていた。

路銀が心もとない。西に行くのなら多めに持っていた方がいいかもしれない。

西の奴らは悪辣だ。東の人間と知ればどれほど吹っ掛けてくるかわかったものじゃない。

冬の間稼いで、雪が融けたら一気に西に向かうか。


そう考えて、西都に立ち寄り仕事を探した。

西都には冬を目前に出稼ぎの人間が大勢やって来ていた。

金払いの良いところほど人が殺到する。そういうところでは、私は相手にされなかった。


都の奴らは私を奇異の視線で見た。常に刀を持ち歩き、定職にも就かないおかしな奴だと思ったらしい。

何を仕出かすかわかったものじゃない、と何度も追い返された。

仕事は中々見つからなかった。ようやく職にありついた頃には、西都の空には雪が舞っていた。


見つけた仕事は湯屋での雑務と用心棒だ。

火を炊くための木を町中から貰い受け、洗い場で喧嘩する者がいれば仲裁する。場合によっては力ずくで追い出すこともあった。

客がいなくなった後は浴槽と洗い場を掃除だ。


おしなべて大変な仕事ではあった。

しかし力仕事は慣れていたので難しいことはない。

洗い場に刀は持ち込めなかったが、素手での戦い方も心得ている。何の問題もなかった。


本格的に寒さが厳しくなって来た頃には流しをやらされた。客の背中を流す仕事だ。

歩合で金を払うと言うからやってみたが、用心棒などよりこちらの方がよほど難しい。

背中を流せと簡単に言うが、どの程度の力加減で擦ればいいかてんで分からなかった。

いつもやり過ぎていた。失敗ばかりだった。不思議と客に文句を言われたことはなかったが。


湯屋ではよく問題が起こる。

コソ泥が多い。それに喧嘩する人間が大勢いた。


喧嘩が始まると都の人間は騒々しくなる。

どこからともなく野次馬が押し寄せて、好き勝手やり始める。

どちらが勝つかと賭けが行われ、酒の肴にして盛り上がる。念を押しておくがそこは湯屋だ。


周りがそういう状況だから、当事者たちも引くに引けなくなって度を越した。

鼻血を流すならまだしも、骨を折ってまで殴り合う馬鹿もいた。


そうなったら言っても聞かん。湯屋の中で暴れられるのは、働いている側としては迷惑甚だしい。

容赦なく叩き出した。加減などしない。力任せに投げ飛ばしたのだから、大なり小なり怪我をした奴もいただろう。

それでも骨を折るよりはましだったと思うが。


叩き出した人数は数知れない。

公衆の面前で叩き出されたことを恥と思った人間も居たらしい。いつの間にやら、恨みを買っていた。


寒さが峠を越えたころ、湯屋に殴り込んでくる奴が現れた。

そいつの言い分では、私に殴られた際に骨を折ったらしい。

そのせいで働けない。どうしてくれるんだ、と。


片手に包丁を持ちながら、もう片方の手には酒瓶を持っていた。

ふらつく足取りで私に向かってくる。

多少離れていても酒の匂いがした。昼間から飲んでいた。骨を折ったと言うがそれも怪しいものだ。酒飲みの言うことは信用ならん。


言って治まる様子ではなかったから、仕方なく相手をしてやった。

刃物を持っている相手に手加減などできない。万全を期し刀を持ち出して、容赦なく打ち込んだ。

浅く斬ったらそれだけで腰が抜けていた。最後は泣き叫んで逃げ出そうとしたところを峰で打って終わりだ。


決着がつくと同時に喝采が轟いた。相変わらず周りには賑やかしが大勢集まっていた。

意図せず決闘のような形になって火をつけてしまったのか。

知らない顔ぶれが口々に褒め称えてきた。面白いものが見れたと言っていた。


楽しませるのは私の仕事ではない。

金を稼ぐためにも早く戻ろうとしたら肩を掴まれた。

振り向けば見たことのない女がいる。


やたらと長い髪が印象的だ。

顔一面に花開いたような笑顔を乗っけて、そいつはこんなことを言った。


『あなた良い筋してるわね』








「あなた良い筋してるわね」


突然そんなことを言われ、椛は胡乱気に振り向いた。

足元まで伸びる長い黒い髪に自然と目が惹かれてしまう。

腰に刀を差している辺り、剣士なのかと一瞬思ったが、この髪の長さで剣士というのはどうだろう。


栓のないことを考えてしまった。肩に置かれた手をちらと見て、とりあえず叩き落す。

さてどうしようかと逡巡し、無視することに決めた。相手をしてやる義理もない。


仕事に戻ろうと踵を返す。

建物に向けて何歩も行かない内に、今度は腕を掴まれそして引っ張られた。


「良い筋してるわ」


同じ笑顔で、同じことを言う女。

腕はがっちりと掴まれ、振りほどこうとしても難しかった。


眉根を寄せて女を見る。女はキラキラと輝く瞳で椛の返事を待っていた。

椛は溜息を吐いて、それで満足するのならと渋々相手にすることにした。


「なにか用か」


「剣はどこで習ったの?」


不躾な質問に対し、椛は「答える必要があるのか」と問うた。

苛立ちが混じった声音に対し、女は気に留める素振りも見せずあっさりと言う。


「ええ。ぜひ知りたいわ。気になるもの」


「……祖母にだ」


「お名前は?」


「知らん」


話は終わりだ、と今度こそ仕事に戻ろうとする。

遠慮なく振りほどこうとして力を込める。しかし女も負けじと強く掴んでいて、思ったように振りほどけない。

いっそ本気で力を込めてみるが、それでも振りほどけなかった。

涼しい顔の女を見るに、力負けしているらしい。椛はいささか以上にショックを受けた。


「なんなんだ……」


「お祖母さんのお名前は?」


「……」


二度目の溜息を吐く。

変な奴に絡まれてしまった。


「確か……(みやび)


「そう。いい名前ね」


「そう思うか」


女の言葉を椛は鼻で笑った。

祖母が死んで一年以上経つが、未だに祖母への恨みつらみを整理し切れずにいた。

どうせ二度と会うことない、とそれを隠すことすらしない。


「それで、あなたは?」


「なんだ」


「お名前」


「……」


「教えてくださる?」


「教えれば、この腕を放すか」


「いいわ。今のところは」


「今のところ?」


「言葉の綾よ。喜んで放しましょう」


「……椛だ」


「仙よ」


仙と名乗った女が腕を放す。

椛は仙を一睨みして踵を返した。


「ここ、湯屋よね。ここで働いているの?」


背中に投げかけられた問いは無視した。

建物に入って戸を閉める。仙の姿は見えなくなり、もう会うことはないと思った。


しかし再会は早かった。


用心棒の仕事に戻った椛の元へ、客の背中を流すようにと番頭から指示が飛んだ。

嫌々立ち上がった椛は洗い場へと趣き、木札を持っている客を探す。


「こっちよー」


と声がしてそちらを見ると、風呂桶の上に腰かけた女がいた。

その女は髪がとてつもなく長く、後頭部で一纏めにしていると言うのに床まで垂れ下がっている。


そのあまりに印象的すぎる特徴のおかげで、近づくまでもなくそれが誰なのか分かってしまった。仙である。


「お前……」


「こんにちは。奇遇ね」


しれっと嘯く仙は得意げだ。

それが無性に椛を苛立たせる。


「何の用だ」


「これが見えない?」


木札を振られ、仙が客であることを思い知らされた。

流しを頼んだのはこいつらしい。どうやってか椛を狙い打ってきた。番頭に金でも握らせたのだろうか。


「背中を流したらいいのか」


「髪の毛もお願いできるかしら?」


垂れ下がる髪束をつむじから毛先まで凝視する。

こんなものをどうやって洗えと言うのか。相当時間がかかるだろうし、そもそもこれほど長い髪を洗った経験はない。

歩合でやっている以上、一人に時間を割いてしまったらそれだけ儲けは少なくなる。

はっきり言って、やってられなかった。


「別料金だ」


「そうなの?」


「お前だけはな」


「ふーん。そういうのいいんだぁ?」


仙は目を細めて椛を流し見る。

たかだか用心棒兼雑用係にそんな権限はない。

椛自身試しに言ってみただけだが、仙の視線がいたたまれなくなって目を逸らした。


風呂桶に湯を張って準備する。

その間、仙は椛を愉快そうな表情で見つめていたが、椛は努めて無視した。


「流すぞ」


「お願い――――んっ……」


指先が背中に触れた瞬間、仙の口から艶めかしい声が飛び出て、椛は手を止めた。


「なんだ。今の声は」


「ごめんなさい。私、背中弱くて……触れられるだけでぞくぞくしちゃうの……」


恥ずかしそうにしてはいるが、それ以上に面白がっている雰囲気が強い。

揶揄われているのだろう。椛は一寸違わず仙の行動を理解し、その上で放っておくことにした。


「そうか。安心しろ」


「え?」


「感じる余裕など、すぐになくなる」


椛はいつも通り丹念に背中を擦り始める。

仙の背中はきめ細やかで白い肌であったが、椛が擦った後は見るも無惨に赤くなっていく。

擦られる度に痛みが走り仙は叫ぶ。しかし椛はやめない。


「ちょちょちょちょ!?」


「……」


「待って、お願い待って!?」


「……」


「ちょっ――――!?」


椛は今までにないほど集中した。そこに私情がなかったとは言えない。

その結果、仙は洗い場の上で倒れ、苦痛に呻くことになった。


「いったぁ……」


ヒリヒリと背中が痛い。

思わず腕を伸ばしてみるも、腕の届かない場所の方が多い。

出血していないか心配になってしまう。


いたた、と悶える仙を見下ろして、椛は心なしすっきりした表情を見せている。

一束に纏められた長い髪を目で追って、次の仕事を確認した。


「次は髪だったか」


「……本気で言うわ。一旦やめなさい」


思いのほか低い声が飛び出てきた。

椛は伸ばしかけていた腕をひっこめる。


「背中の横暴は許してあげてもいいけれど、髪にまで同じことをするのなら、私はあなたを一生許さないわ」


「……そうか」


「いつもどういう風に洗っているのか教えてちょうだい」


「普通にだ」


「普通って?」


「こう――――」


胸の辺りに両手を持ち上げ、がしがしと指を折り曲げて見せる。

親の仇を見るような目でそれを見ていた仙は、自分の髪の毛を持ち上げて指の上を滑らせた。


「髪の毛を洗ってほしいのだけれど?」


「だから、こうやって洗ってやる」


「それで洗うのは髪ではなく頭皮ではないかしら」


「細かい奴だ」


椛は面倒くさいと顔をしかめ、どうすればいいか悩み、埒が明かないので正直なところを明かした。


「お前のように髪の長い奴は初めて見た」


「でしょうね。それは分かっているわ。そもそも、あなたの困り顔が見たくて頼んだのだし」


「なんだと?」


「口が滑ったわ。聞かなかったことにしてちょうだい」


「お前……」


頬を引きつらせた椛を見て、仙は「そういう顔も見たかったの」と作ったような笑顔を見せる。


「やり方を教えるから手伝ってくださる? 見ての通り一人だと大変なのよ」


「いっそのこと切れ」


「愛着があるの。それと忘れてるみたいだけど私は客よ」


「……仕方ない」


料金は前払いで支払われている。

番頭は買収されており、今こうしている間も番台から二人のことを見ている。

椛に拒否する権利はなかった。


あれやこれやと指導を受けた後、椛は実際にやってみた。

その手つきは当然のように下手だった。


「いたっ……あの、引っ張らないでくださる?」


「引っ張ってない」


「引っ張ってるわ。もう少し優しくして」


「これ以上どうやって」


本人としては精いっぱいやっているのだ。

だが身体中に余計な力が入っている。初めてのことで緊張しているらしい。

思ったより肝っ玉は小さいようだ。


仙は椛の指先を眺めて「なるほど」と呟いた。


「不器用なのね」


「お前が繊細なだけだ」


世の女どもは髪の手入れなどしない、と椛は堂々文句を言い放つ。

客と丁稚の関係は頭の片隅にもないらしい。仙は苦笑して応じた。


「これだけ長いなら多少は気を遣わないと。あっちこち跳ねてたらみっともないでしょう」


「だから切れ」


「いずれそういう気分になったらね」


たやすく受け流され、それ以上何も言えなくなる。

切る切らないは自由意志である。客の行動に日雇いの出稼ぎ風情が文句を付けられるはずもない。


それはそれとして、言いたいことは他にもあるので言っておく。


「二度と来るな」


「また来るわ」


「来るな」


「近いうちに、また」


口を動かす間も手は動かしている。

これだけやってもまだ終わらない。他の客より数段気を遣う。それでもって数段面倒だ。

それなのに同じ額しか貰えないなら、やるだけ損である。


「どうせ、あまり客も取れてないのでしょう? ならいいじゃない」


「知った風な口を利くな」


「あら、いるの?」


「そこそこにはな」


「そう。それは男の子? それとも女?」


「半々だ」


「ふぅん……血迷ってるのかしら」


「どういう意味だ」


「どういう意味だと思う?」


「知るか」


桶に入っていた湯を頭から被せられ、仙は「わぷっ」と咳き込んだ。


「ちょっと!?」


「終わりだ。木札をよこせ」


ばしっと背中を叩かれ、「ひゃん!?」と悲鳴が上がった。

その隙を突いて、仙の手から木札をもぎ取って、椛は桶を担いで戻って行く。


「また会いましょう、椛」


「二度と来るな」


別れ際の挨拶は仲睦まじくとは言い難い。

仙は手を振って、椛は振り向かなかった。


出会ったばかりのころの二人の距離感はこんなものであった。


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