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久方ぶりの再会だと言うのに、二人はそれ以上口を開こうとしない。

沈黙の意味は二人それぞれである。

レンの刀をつぶさに調べている椛に対し、アキは今しがたかけられた言葉の意味を考えていた。


「色々あったようだな」と母は言った。その言葉に、果たしてどれほどの意味が込められているのか。

事情を全て知っているのか。それとも知らずに言ったのか。

そのどちらであるかによって、印象はガラリと変わってしまう。


「……母上は、どこまで……?」


ようやく口から出た言葉は、呂律が回らず要領を得ない。

母上が相手では伝わらないかもしれない。アキはそう危ぶんだが、顔を上げた椛は簡潔に答えた。


「全てだ」


「……それは……つまり……」


相も変わらず、アキはそれを言うことが出来ない。

一つ口にすれば終わりと言う予感が依然としてある。

それでも問わないわけにはいかなかった。

「ぁ……」と言葉にならない声が漏れ、震える声を重ねる。


「兄上が、死んだことも……」


「知っている」


それを口にして、アキは耐え難い悲しみに襲われているのに、椛は眉ひとつ動かさない。

平然としている母を見るのが辛くて、アキは顔を俯かせた。


レンの刀を腰に()びた椛は、今度はアキの身体を観察している。

視線が胸元に向けられ、血が滲んだ包帯に目が細められる。


「怪我をしているようだな」


その声は平生のものと比べ、ほんのわずかに調子が低かった。

注意して聞かなければ気がつくことはないだろう。案の定、アキはそれに気づかず、何てことはないと首を振る。


「この程度……兄上に比べれば……」


「死んだ人間と比べるな」


鋭い声音がアキの心に突き刺さる。

見ないようにしていた現実を軽々と突きつけられ、言葉を失くす。


「そんなことでは限界を見誤る。見誤ればお前が死ぬ。現にそうなりかけている。それだけはやめろ」


その説教に対し、アキは沈黙を保った。

きちんと聞けば正論に聞こえたのかもしれないが、その正しさがアキの心を曇らせた。


正しい正しくないはこの際どうでもよかった。

アキの心を占めるのはレンの死のみである。

それを差し置いて、自分の命だとか、これから生きるための心構えを説かれても雑音としか聞こえない。脳にいれる価値もない。


兄の死を受け入れて、自分の命を優先しろと母は言いたいのかもしれない。

だが今そんなことを言われても、唯々諾々従う気にはなれない。

レンが守ってくれなければ自分は死んでいた。

それはれっきとした事実であり、自分の代わりにレンが死んでしまったことが、大きな楔となってアキの心を貫いている。


「私が、先に斬られました」


「そうか」


暖簾を腕で押したような手応えのなさが歯がゆい。

例え言葉足らずだとしても、今ので理解してほしかった。

心の内の甘えた部分が顔を出し、声高らかに吠え猛る。


「……兄上が助けてくれたから生きてる。兄上がいなかったら私が死んでた! 兄上が代わりに死んだ!!」


「いや、違う」


まさか否定されるとは思ってもみず、思わず顔を上げる。

椛は至極当然と言う面持ちで続けた。


「どのような経緯があったにせよ、それは結果論だ。レンは死んだがお前は生きている。誰が悪くて誰が良いと言う話ではない。生きた者と死んだ者がいる。それだけのことだ」


金槌で打たれたような衝撃がアキを襲った。

椛がこの場に現れてからずっと、表情はおろか言動に至るまで、どこをどう見たところで感情の機微が見受けられない。

何を考えているのか分からない母親を前にして、アキは不安に包まれていく。

兄の死を「それだけ」の一言で済ませるつもりなのかと疑念が膨らんでいく。


「死んだ、のに……それだけ……?」


「悲しむ気持ちは分かるが、自分をないがしろにするな。自分を傷つける理由に他人を使うな。お前が傷つけば、あれは悲しむだろう」


その言葉が、アキの心に白々しく響いた。

気持ちが分かると言うのなら、兄の気持ちを代弁するのなら、少しでいいから、悲しむ顔を見せてほしい。

そうすれば私も納得する。母上も悲しいのだと分かる。


どうして平然としていられる?

どうして、表情一つ動かさない? どうして――?


「家に戻るぞ」


話は終わりだと、椛は一人勝手に決めて立ち上る。

座り込んでいるアキの目線の高さに、丁度レンの刀があった。

それを視界に納め、次いで椛の顔に視線を移したアキは、その表情の揺るがなさに失望し力なく首を振る。


「……一人にさせてください」


「駄目だ」


取り付く島もない即答に奥歯を食い縛った。


心の奥底から抑えがたい感情が湧き上がってくる。

ぶっきらぼうな態度。独りよがりな言動。

母はいつもと変わりない。怖いほど変わらない。それが、はらわたが煮えくり返るほど腹立たしい。


「……」


「アキ」


黙りこくったアキを椛は不審に思った。

しかし、いくら親子でも心の底までは見透せない。

喉元まで込み上げた怒りを必死に飲み込もうとするアキに、椛は変わらぬ調子で言葉をかける。


「家に戻るぞ。立て」


少し待って返事はなかった。

いつまでもここでこうしているわけにはいかない。その傷は早く診てもらった方がいいだろう。

そう考えた椛は、アキの腕を掴んで強引に立たせようとする。


「……まだ帰りたくない」


「我が儘を言うな」


小さな抵抗が聞こえはしたが、だからと言って他にどうするという考えもなかった。

構うことなく立たせて、そのまま引っ張って帰路につこうとする。


少し歩くだけで胸の傷に激痛が走るアキとしては、それは拷問のように思えた。

痛みが冷静さを奪い、判断力を削いでいく。

段々と視界は赤く染まっていき、胸に広がる悲しみは怒りへと姿を変えていった。


「……兄上はどうでもよかったんですか?」


ぼそりと呟いた独り言が椛の耳まで届いた。

前を向いたまま目を見開いた椛は、努めて平静な声音で答える。


「お前が優先だ」


それを聞いた瞬間、アキの中に込み上げていた怒りは爆発した。


「――――じゃあ一人にさせてよっ!!」


腕を振り払い、衝動に駆られるがまま腹の底から叫ぶ。

もはや怒りを抑え込もうと言う気は微塵もない。

突然の大声に椛は目を眇めながら振り返った。その驚愕に満ちた顔が、今日初めて見せた感情の発露だった。


「兄上が死んだのに、どうして平気でいられるの!? なんで悲しくないの!? 本当に兄上はどうでもよかったの!?」


「……」


微かに椛の瞳が震える。

「……違う」と言葉を紡ぐ。

それはあまりに小さく、言葉が足りず、火に油を注ぐだけだった。


「じゃあちゃんと答えてよ! お願いだから……!!」


懇願してなお、椛の外面は崩れない。

沈思黙考を経て開かれた口からは、アキが望んだ言葉は紡がれなかった。


「あまり大声を出すと傷が開く。死ぬぞ」


その言いぐさに、アキは全身の血液が沸騰した感覚を覚えた。


「そんなこと、どうでもいい!!」


「よくはない」


「いい!!」


「良いはずがない」


そればかり言う椛の強情さを鏡で写したように、アキも頑なに繰り返す。

何が良くて何が悪いかなど議論する気はない。ただ己の考えを押しつけ合っている。


険悪な空気が漂い始め、それぞれが何か言い募ろうとした時、頭上の鳥たちが飛び立つほどのひと際大きな恫喝が辺りに響き渡った。


「なにやってやがんだ!? お前ら馬鹿かっ!!??」


恫喝の主はゲンだった。

椛の後をつけ、木立の向こうから密かに様子を伺っていたゲンは、二人が言い争いを始めたのを見て、慌てて飛び出してきた。


「椛てめえ! けが人を興奮させんなっ!!」


ゲンが隠れていたことに気が付いていなかった椛は、ゲンの姿を見て再びの驚愕を露わにする。

その様子にゲンは一瞬歩みを止めたが、すぐに勢いを取り戻して椛に食ってかかった。


「お前が口下手すぎるからこうなってんだぞ! 少しは反省しろっ!」


「……すまない」


「うるせえっ!!」


椛を指さしながら歩み寄ったゲンは、その剣幕のままアキに向き直る。

アキは怒りで紅潮した顔でゲンを睨み、ゲンも同じように険しい目つきで睨み返す。

そのまま束の間睨み合い、先に視線を外し大きく息を吐いたのはゲンの方だった。


「お前には何も言わねえぞ。これ飲ませようと持ってきたけどよ、よく考えたらお前俺の言うこと聞かねえだろ」


「……」


ゲンとしては大分譲歩したつもりだった。

そんな怪我で勝手に出歩いたこと怒鳴り散らしたい気持ちを抑えて、言外に言うことを聞けと言っている。

もしこれがレンだったのなら、その分かりづらい気持ちを汲み取って言うことを聞いていただろう。だが目の前にいるのはレンではなくアキで、アキはレンのように他人の気持ちを汲み取ってはくれない。


案の定、普段と変わらず口を開こうともしないアキを見て、ゲンは至極冷静に判断する。実力行使しかない、と。


「椛、こいつ落とせ」


「なに?」


「絞め落とすなりしてこの餓鬼気絶させろって言ったんだ!」


「怪我人に無茶はできない」


「これ以上モタモタしてたら怪我どころじゃ済まねえぞ。死なせてぇっつうなら好きにしろ! 娘の亡骸と喧嘩しとけや!」


一度拒否した椛だったが、ゲンの言葉に圧されて柄に手をかけた。

反射的に身構えたアキは、次の瞬間首筋に衝撃を受け意識が遠のく。


アキが身構えた時にはすでに行動を終えていた椛は、柄に手をかけたまま娘の倒れる様を見ている。

遠のく意識を繋ぎとめようと抗うアキだったが、結局はそれも叶わず、意識は暗転し全身から力が抜けた。


「……お、おい。なんだ、何した」


「気絶させた。死なれるのは困る」


同じように椛の行動を目で追えなかったゲンは、突然崩れ落ちたアキを慌てて抱きとめた。

事も無げに言う椛は実力行使は不本意だったため多少不機嫌だ。


慄いているゲンを一瞥し鼻を鳴らした椛は必要なことを確認する。


「アキは助かるか」


「お……。あ、ああ……下手に動いて傷が開いたみてえだが、出血はそんなにねえ。……何とかなるだろ」


「ならいい」


奪うように横合いからアキを抱え上げた椛は、村に続く道を戻り始める。

その背中を一瞬見つめたゲンは、後を追いかけながら言葉をかけた。


「もう一回言うけどな、さっきのはお前が悪いと思うぞ」


「何の話だ」


「喧嘩のことだ。お前が悪い」


「そんなことは知っている」


「……ほんとか? ほんとにわかってんのか?」


「無論だ。悪いのは私だ」


反省の色のない声音にゲンは頭を掻く。

言うべきことはたくさんあるが、この小娘には言っても通じやしないのだろう。

長年の付き合いからそう判断して、独り言に留めておいた。誰にでも聞こえる独り言だ。


「わかってねえな」


「……」


椛は無言を貫く。

この距離で聞こえてないはずはない。聞こえないふりをしたらしい。

然しもの剣聖と言えども、これ以上抱え込むことはできないということだった。










家に戻れば玄関の前で父が待っていた。

戸の前を何度も横切る姿が、内心の不安を如実に表している。

不安げに揺れる瞳が二人の姿を捉え、椛の腕で眠るアキを見つける。

「そんな!?」と早とちりして絶望の声を上げた。

「眠っているだけだ」と即座に否定されていなければ少なくとも崩れ落ちていただろう。


共に家に入ったゲンがアキの包帯を外して怪我の具合を確かめる。

確かめれば確かめるほど顔を顰める様子に父はハラハラと落ち着かず、対照的に椛は泰然と胡坐を組んで座っていた。


「……ま……大丈夫か」


「本当ですか!?」


独り言に過敏に反応し激しく詰め寄った父に、ゲンは渋い顔をしながら頷いた。


「母親譲りの頑丈さだ。一回なんとかなったんだから、なんとかなるだろ」


ほっと安堵のため息を吐いた父の影で、椛が浅く息を吐く。

一度目を瞑り、再び開くと同時にその場に立ち上がって部屋を出て行こうとした。


「あ、椛さん……」


「なんだ」


背中を向けたまま答える椛に、父は尋ねる。


「どこへ?」


「レンに用がある」


素っ気ない言葉を残して遠ざかっていく足音は、死体のある部屋に向かって行く。

父もゲンも追いかけることは出来なかった。言葉一つかけることすら憚られた。

死んだ人間にどのような要件があるのだと、疑問に思った言葉は胸の中に消えていく。


普段より少し大きめに足音を鳴らしてその部屋にやってきた椛は、中に人の気配がないことを確認してから戸を開いた。

記憶にあるものと寸分違わない光景が目の前に広がる。

その部屋にあるのは死体だけだ。それを椛はすでに一度目にしている。


足を踏み入れればどんよりした空気が漂っていて、部屋の中央には死体がある。

人の顔から生気がなくなると作り物のように無機質になる。それは誰の死に顔だろうと変わらない。

今まで数多くの死人を見てきた椛は、息子の死に目に際してもそのようなことを思った。


薄暗い部屋の中で何かを待つようにじっとその顔を見下ろしていた椛は、おもむろに腰の刀を引き抜くとそれを枕元に置く。

アキはこれを勝手に持ち出していたが、これを持つ資格はまだあれにはないと椛は考えていた。

これで何をするつもりだったのかは想像に難くない。しかしそれが無駄な行いだとは知らなかったようだ。


後顧の憂いを断ち切って逝った息子をじっくりと眺めた後、椛は抑揚なく言葉を発する。


「また来る」


踵を返しアキたちのいる部屋へ戻っていく。

当然のことながら返事はない。

死んだ人間は喋らず、気配もないためそこにあることに気づけない。

遠からず腐敗してこの世から消えるだろう。

……処分方法を考えなければならない。


椛は先のことを考えながらその場を後にした。


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