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六の太刀は発動した。

それを止めようと迫っていた腕は、あと一歩届かなかった。


発動した瞬間、全身を苛んでいた痛みが消え、集中力が戻る。それに応じて時の流れは緩やかになった。

瞬く間に体温が上昇し、四肢の末端まで感覚が蘇った。出血も止まり、眩暈や吐き気もなくなった。

最悪だった容態が一転して改善したことになる。


六の太刀はドーピング技であり、これらは全て六の太刀の効果だ。

僅かな時間、使用者の身体能力は飛躍的に向上する。代わりに、使った後は後遺症が残る。

二度と剣は振れないだろうと母上は言っていた。


考えるだに恐ろしいことだが、そんなことを気にする段階はとうに過ぎた。

目の前の敵を殺さなければ未来はなく、殺したところで助かる見込みも薄い。


やっぱり、もっと早く使っておけばよかったと思う。

余計な傷ばかり負って、挙句の果てには無関係の子供が巻き込まれた。

今日一日、理不尽ばかり起こっている。俺も、アキも、あの子たちも。

もうこんなことは終わりにしたい。後顧の憂いなく、すべて。


大きく息を吸う。身体の調子は良い。万全に近い。何でもできると全能感すら感じる。


それらを確かめるのにかかったのは、ほんの一瞬。

目前に意識を向ける。間近に迫っていた敵は、疾走分の勢いを殺すため土煙を巻き起こしながら止まろうとしていた。

苦虫を噛み潰したような顔で、忌々し気に舌打ちをし、恨み節を吐く。


「六の太刀ぃ? その年で、まさか――――」


余裕綽々と言えるだろう。それでなくても悠長だ。何かするだけの時間は十分あったろうに。

まさか六の太刀を知らないとでも言うつもりか。あれだけ色々知っておきながら、六の太刀に限っては知りませんでした、なんてことはない。


俺如きが六の太刀を使ったところで大したことはない、と言う思いがあるのかもしれない。

多少パワーアップしたところで所詮は雑魚。高が知れていると。


確かにそうかもしれない。先ほどまでの戦いは、採点するなら赤点だ。我ながら醜態だった。

何にせよ、自分でもどの程度強くなっているか分からないから、まずは少し試してみよう。

そんな思いで刀を振るう。


「な、ん……ッ!?」


首を狙って振り抜いたそれを、ババアは咄嗟にしゃがんで躱す。

まるっきり予想外だったと表情が語っている。身体が勝手に動いたらしく、受けるのではなく躱してしまった。それも大げさに躱したせいで、回避にせよ反撃にせよ、次の行動へと移る暇がない。


その隙をついて、一歩踏み込んで距離を詰める。

そうすると、俺たちの距離は息遣いが感じられるほど近づく。刀を振るうにはいささか近すぎる。

至近距離で、刹那の間、目が合う。


碧い眼だった。そんな眼をしていたのかと今更ながらに気が付いた。

どこまでも透き通るような碧。だと言うのに、瞳の奥深くは淀んでいる。濁った何かが渦を巻いている。


それをじっと見つめている内に、眉間に皺が寄った。

遅まきながら、六の太刀がどれほどの物か理解したらしい。


俺から離れようと脚に力を込めた。

重心が移動するのが見て取れる。どの方向をどれだけ移動しようとしているのか、筋肉の動きと力の流れから、おおよその場所に当たりを付ける。


「っ……。ついて来るんじゃないよ!」


跳んだその後をぴったりと追う。

何と言われようと、俺のすることは俺が決める。


逃げられないことを察すれば、今度はその顔を苦渋に満たす。

すでに足は地を離れている。空中で進路変更は不可能。出来たとしても微々たるものだ。

数瞬後に剣をぶつけ合うのは確定。


ドーピング技を使い、どれほどパワーアップしているかも分からない人間と刀を交えなければいけない。

出来るだけ危険を避けてきたこいつには嬉しくない展開だろう。その調子で慣れないことをして、ガラガラと崩れてくれれば言うことはない。


しかし、その期待は泡沫と消える。

流石に経験豊かな剣士だった。一瞬で切り替えて、その目には攻撃的な光が宿る。

ババアの足が地を踏んだのと俺が斬りかかったのはほぼ同時。それでいて、対処も迅速だった。


「キエエエェア!!」


その口から発せられる気迫のこもった叫び声。

相手を威圧し、己を鼓舞するためのもの。


叫び声よりもさらに大きく、刀がぶつかり合って火花が散る。

線香花火より儚い火花が、散っては消え、また散っては消える。


勢いそのまま何度か打ち合い、そして鍔ぜり合った。

先ほどまでほぼ互角だった腕力は、今は俺の方が強い。六の太刀で限界以上の力を発揮出来ている。

力を加えれば加えるだけ、少しずつババアはずり下がり、額に汗が伝るのが見えた。


今の攻防で大体わかった。

腕力だけでこれだけ優位に立てるのなら、今まで出来なかったことも出来るだろう。

なら是非ともやりたいことがある。


思い立ったが吉日と、鍔迫り合いの最中刃を柄へと滑らせる。

背中がこそばゆくなるような不協和音を奏でながら、刃は指へと迫った。

本来、それを食い止めるためにある鍔は、仕込み刀の特性上、こいつの刀には付いていない。


「っ!?」


俺の狙いに気づいたババアは刀を弾こうとした。腕力に物を言わせて無理やり押さえ付ける。

こうしてる間も刃は滑り続けている。もうあと少しで斬り落とせる。


「小童が……!」


だがすんでのところで身体丸ごと跳び退られ、刀はあえなく空を切った。

惜しかった。焦ることなく対処したのはさすがと言える。


指を落とせば、刀を握れなくなってそれで終わりだ。わざわざ首を斬る必要もない。

しかし不意打ちを避けられたのは痛い。以降は警戒されてしまう。……まあ、いいか。


嘆いたところで出来なかった事実は覆らない。狙いを一つ防がれたからと言って、気落ちしてなどいられない。出来るまで繰り返せばいい。失敗は成功で取り返せる。


斬り合いは続く。

指を狙い始めてからは、あえて力押しは避け長く打ち合った。そうすることで危機感を煽り隙を見出そうとした。


攻める時のみならず受け太刀の時でさえ、隙を見ては柄へと刃を滑らせる。

何度もそれを続けると、少しずつだが攻撃の手が緩み始めた。下手に手を出すと指を狙われる。その意識が判断を鈍らせていた。


やがて間合いすらも遠ざかり、消極的な姿勢が顕著になる。

とてもじゃないが刀の届く距離ではない。

攻撃するには逐一距離を詰めなくてはいけない。どちらにとっても無駄な手数だ。これにはさすがに疑問が浮かぶ。

もしやと思い、一つ試してみた。


「四の太刀『孔穿』」


距離が離れているのを良いことに大技を一つ。溜めと予備動作を必要とする上に、放った直後は隙が大きい。

防御など考えず思いっきり踏み込んでみたが、案の定五の太刀で防がれた。

そうすると、俺は無防備な姿ををさらけ出している。斬ってくれと言わんばかりの大きな隙。


ババアを凝視しながら心の中で呟く。

――――さあ、どうする。


「ふん……」


これ見よがしに鼻を鳴らしたババアは、あろうことか攻めて来なかった。

跳び退って距離を取る。離れた場所で構える姿に攻める気はまるでない。


これだけの隙を見過ごしたと言うことは、勝つ意思がないと言うことか。少なくとも攻め勝つ気はないようだ。

まさか本当に勝つ気がないなどとは言うまい。その狙いは六の太刀の効力切れ以外にないだろう。つまり時間稼ぎだ。


放っておけば勝手に力尽きる相手に、指を切断される危険を負ってまで勝ちたくないと言うことか。

一貫して堅実な戦い方だ。あるいは楽な方に逃げたとも言える。


この場合、それがどちらかは生死でもって結論としよう。長々考える時間はない。

奴が時間稼ぎに徹すると言うのなら、こちらは決着を急ぐしかない。

六の太刀の効果時間は不明瞭だ。満身創痍で発動している分、普通より短い可能性も否めない。


六の太刀で膂力が覆り、圧倒的優位に立ったと思ったが、未だギリギリの状況が続いている。

俺が力尽きるのが先か。ババアを殺すのが先か。

このチキンレースにはいい加減うんざりしている。

距離を開けるのは、何もお前にばかり利するわけではないと、まずはそれを教えてやる必要がありそうだ。


「三の太刀」


刀を振りかぶりつつ、あえて技の名前を口に出す。

それを聞いたババアを目を見開いて、「まさか……」と呟いた。


「『飛燕』」


切っ先から斬撃が飛ぶ。

刀の軌道に沿って真っ直ぐ飛んだそれは、五の太刀で受け流された。

だが三の太刀を抜き身で放った事実は、少なからぬ動揺を与えていた。

母上にだってこれは出来ない。俺が唯一勝ってる点だ。


ババアは驚きを露わにしつつも、動こうとしなかった。距離を保つと言うただそれだけに固執している。

その様子は離れていれば安心だと言わんばかり。そう思ってくれているのなら、そこを突かない手はない。


振り下ろした勢いを殺さぬよう、片足を軸に回転。全身の力を使って、今度は横薙ぎに振り切る。


「三の太刀『飛燕』」


二回続けたのだから、飛燕・二連と言うところか。

七の太刀とやらに比べれば、技の規模は小さいし弱点もそのままだが、来るはずがないと思っていた技が二度も続いて来れば、誰だって動揺するし隙の一つや二つ生まれる。


如何なババアだってそれは例外ではない。

一瞬身体が強張って、五の太刀を振るうのが遅れた。


受け流そうとしても受け流しきれず、止むを得ず回避行動を迫られる。そのせいで常に俺を捉えていた視線が一瞬切れた。

視線を戻したときには、俺はすでに目前で刀を振り上げている。


「ッ!?」


振り下ろした刀は受けられる。

間髪入れず刃を滑らせ指を狙った。


力で勝てない以上、指を守るためには引くしかない。そんなことは互いに承知している。相手が承知していることも含めて戦っている。

ババアにとって予想外だったのは、俺が筋肉の動きや力の流れまで把握していたこと。行動の先読みは、今や未来予知に近しいところまで昇りつめている。


奴が引いた分だけ寸分違わず距離を詰め、決して逃がさない。

刀を交えざるを得ない距離で、時に指を狙い、あるいは首を、もしくは足元を狙って攻め立てる。


防御一辺倒を強いられ、距離を置くこともできない現状を危惧したのか、五の太刀を乱用し始めた。それで流れを変えたかったのだろうが、五の太刀は俺自身最も得意とする技。逆手に取ることなど造作もない。


刀を振るうタイミングと軌道をほんの少し変えるだけで、受け流しは不完全になりリスクが増える。リスクを背負ってでも使うと言うのなら使えばいい。


「こ、のぉ……!!」


五の太刀を諦め、一縷の望みにかけ反撃に転じようとするのなら、先んじて斬撃を繰り出し潰してしまう。


三の太刀から始まった動揺を立て直す隙は与えず、常に先手を取り続けることで、相手の選択肢を少しずつ奪っていく。真綿で首を締めるようにじわじわと追い詰める。

追い詰めながら、表情の移り変わりとその内心をじっくり観察していた。


焦りと恐怖。

二つの感情に支配されながら、まだ絶望には程遠い。逆転の機を窺って策を巡らしている。


その機微を見逃さず、先手を打って潰し続ける。

やがてどうしようもなく追い詰めた末に、ババアの取れる行動は二つに絞られた。

死を受け入れるか、一か八かの特攻紛いを仕掛けるか。

あってないような選択肢。今まで、ひたすら堅実的に戦ってきた人間がそれほど追い詰められれば、心中穏やかではいられまい。

恐らく嵐さながら吹き荒れてると思うが、正直どうでもいい。


間もなく勝敗は決する。

直に防御が追い付かなくなって刃が届く。


その未来を予期したのは俺だけではなく、ババアもまた己の死期を見た。

死を前にした人間の悪あがきは侮れない。死に物狂いの無理攻めは不可解極まる。先手で潰すよりも受けた方が容易いだろう。


「嘗めんじゃないよ、小童ァ!!」


別に嘗めちゃいない。

冷静に捌き、躱して、最後の瞬間。

円を描くようにして刀を弾き態勢を崩させた。どうあがいても、もはや防御は間に合わないと言うタイミング。

死の間際、その脳裏に何が浮かんだのか俺には想像だに出来ないが、どういうわけか、相打ち覚悟の一太刀を奴は選んだ。


「――――」


その目に宿る決死の覚悟を一瞥する。それを目の当たりにして、届きはしないと高を括る訳にはいかなかった。

何よりその方法は、俺自身がやろうとしていたことでもある。生きることを諦めた人間の怖さを目の当たりにし、ただ防ぐだけではダメだと、思考の暇なく行動する。


刀を握っていた右手を放し、左手一本で持ち直す。

空になった掌を迫る刃に向けた。刀身に添えるようにして横から力を加える。

徐々に力をこめ、軌道を変えていく。

……いける、と確信を持った。


――――五の太刀『旋風』


通常、刀で行う技を素手でやるのは奇妙な感覚がする。

右手が使えなくなるぐらいは覚悟の上だったが、予想以上に上手くいった。

やってやれないことはない程度の気持ちだっただけに、本当に出来てしまったのは運が良い。


「――――」


「――――」


刀を受け流した後には、丸裸同然のババアが一人。

一瞬にも満たない僅かな時を見つめ合い、左腕一本で振るった刀は、ゆっくりとその身体に吸い込まれていった。


斬ったそばから、血潮が噴水の様に噴き出す。

顔に浴びた返り血は生臭かった。


この世の全てが緩やかに時を刻む世界で、刃は身体を切り進み、同時に達成感が湧き上がる。

ようやく終わったと緩んだ心は如何ともしがたい。

人を斬り殺すその瞬間を心の底から待ち望んでいた自分に嫌悪感を抱いた。


血を流しながら崩れ落ちる様を見つめる。

膝はついたが倒れはしなかった。まだ息がある。だらんと力の抜けた腕には刀が握られたままだ。


「……あ、あぁ……」


か細い声が、その口から洩れた。

見る見るうちに血の気が引いていく。あれだけ満ち溢れていた生気は、今はもう感じられない。


「な、ん……」


呼吸は浅く小刻みだ。

吸っても吸っても足りないと言うように必死に呼吸を繰り返している。

この期に及んで身体は生きようとしている。その意に反して、血は留まる所を知らない。


「わたし、は……なんで……」


「……」


「あぁ……血が……」


己の身体を見下ろしながら呟いた声音は、絶望的な色に染まっていた。

胸から零れる血の量は、誰が見ても致命傷だと分かるほどだった。


「し……わたしは……」


命の灯が儚く散る様を幻視した。底の抜けた砂袋のように、次から次へと零れていく。


「し……ん……で……」


焦点の合わない目で天を仰ぎ、聞き取れないほどの小ささで何か呟いている。


「し……で……」


同じことを、何度も何度も、呟いているようだった。

時が過ぎるにつれて声音小さくなっていく。

どれだけ近づいたところで、もう何も聞き取れない。

早く楽にしてやろうと一歩近づいた。その時だった。


「――――死んで……」


突然声が大きくなった。同時に周囲の空気が変質していく。

天を仰いでいた目が俺を捉え、ギラリと貪欲な光が宿る。


「死んでたまるか――――!!」


刀を目の前にかざす動きは覚えがあった。

今急いで殺せば間に合うか刹那の間考え、膨らんだ殺気に跳び退る。


「六の太刀ぃ!」


散るはずだった命が息を吹き返す。

消えかけていた気配が色濃くなった。

轟轟と燃え盛る火は、最後の力を振り絞っているようにも見えた。


「『夜叉』ぁ!!」


止めようと思えば止められたかもしれない。

臆病過ぎた自分を顧みる。


少なくとも致命傷は与えている。その傷は即死を免れているのが不思議なほど深い。

肋骨を斬り、恐らくは肺を傷つけている。重要な血管もいくらかは寸断しているはずだ。

六の太刀で痛みをなくし止血したところで、傷は治らない。

それはほんの少しの延命でしかない。それを分かっていて、それでもなお死にたくないと奴は言った。

一体、どの口で言えるのだろう。妹を斬り、子供を巻き込み、俺を殺そうとしておいて。

メラメラと怒りが渦巻く。刀を握る手に力が籠る。


「――――窮鼠……なんて言ったっけ?」


ゆらりと立ち上がった姿は幽鬼のようだった。

六の太刀を使われた以上は、立場は逆転した。実力も引っくり返ったはずだ。

真面にやったら勝負にもならない可能性がある。


「猫を噛む」


「ああ、それだ……やってくれたね」


しかし、母上と戦うことを目的にしていたのに、その息子との戦いで六の太刀を使ってしまったのは本末転倒以外の何物でもない。

母上が帰ってくる頃には六の太刀の効力は切れている。母上の言を信じるなら、後遺症で真面に刀は握れないはずだ。


目的は潰えた。なのに引かない。ならば俺も引けない。泥沼に嵌った戦いの落としどころなんて、死以外はない。


「いい加減、死んでくれや。剣聖の息子」


「老い先短いのが先だろう」


衝動のまま言いたいことを言い合えば、あとは戦うのみ。

ババアの脚に力が籠る。進路を推し測る暇もなく、驚くべき脚力で背後を取られた。


背中越しの攻撃を刀で防げば、力負けして吹っ飛ばされる。

ゴロゴロと転がり勢いを殺して起き上がる。

直前まで居たはずの場所を見ればすでにいない。気配は再び背後にある。


同じように受ければまた吹っ飛ばされるだろう。

殺気と気配で刀の軌道を類推し、五の太刀で受け流しながら背後を振り向く。


「ふぅっ……!!」


そこには、幽鬼もかくやと言う凄絶な形相のババアがいた。

安定しない呼吸音、目は充血し瞳孔が開いている。

顔や腕、至る所で血管が浮き、顔中びっしり汗を掻いていた。


かなり無理している。

肺を斬ったのなら、碌に呼吸が出来ないはずだ。そんな状態でよくここまで動けるなと感心する。

この様子では長くはもつまい。次の瞬間倒れてもおかしくない。


そんな希望的観測とは裏腹に、攻撃の苛烈さは増していく。


「うおぉぉ!!」


雄叫びを上げ斬りかかってくる姿は猛獣のようだった。

剣技からは繊細さが抜け、力で押しこもうと出鱈目に刀を振るってくる。

そのくせ、五の太刀を使う時だけは、思い出したような繊細さを見せた。

唾を飛ばすほど叫び、火花が散るほど歯を食いしばる様には、余裕など一切ない。


攻撃は躱す。あるいは逸らす。その合間に斬撃を仕掛ける。

受けると言う選択肢はない。五の太刀を使わなければ瞬く間に死ぬ。

力の差がありすぎて指を狙う余裕もない。防ぐので手一杯。


「どぉりゃぁ!!」


「っ……」


気を抜けば見落としかねない剣速ゆえに、太刀筋だけに気を払っていた。その隙を突かれ、剣戟の合間を縫って体当たりされた。

息が詰まるほどの衝撃に肺の中を空っぽにしながらも、数歩後ずさるだけで耐えた。


直後、息を吸う暇もなく斬撃の嵐を浴びる。

背筋にひやりとした物を感じながら全て捌く。


辛うじて防いでいるが、防ぐだけでは勝てない。六の太刀で底上げされた膂力を前にしては、希望的観測に縋りつくのは危険すぎる。

かと言って、現状は決め手に欠いているのも事実だった。何とかしなければいけない。


逆転の機を狙い、ほんの少しの隙も見逃さないと、観察し続けた。

最中、重心が僅かに片足に集中したことに気が付く。

何をする気かと注視する。筋肉の動きから次の行動を予期する。……蹴り?


「ダァッ!!」


予想通り蹴りが来た。だが避けようとする意志に反して体は動かず、結果的に左膝を蹴られてしまう。

痛みはなかったが一瞬足から力が抜けた。姿勢は左に傾く。

すぐに体勢を立て直そうと踏ん張ってみるも、なぜだか思うようにいかない。


これでは格好の的だ。そうしている間にも斬撃が降り注いでくる。

全て五の太刀で逸らせているが、怪力だけを頼りにした遮二無二な斬撃は一つ逸らすだけでも気を遣う。一つ間違えれば真っ二つにされかねない。

歪な態勢では長く続けられない。このままでは負ける。


逡巡の末、鞘を手に取った。


――――二の太刀『双牙』


二の太刀は二刀流の技。

鞘には鉄が仕込まれているためやたらと重いが、いざと言う時は鈍器として使える。

腕力に不安があるのに加え、抜き身で三の太刀が放てる利点がなくなるため、出来れば使いたくなかったのだが、贅沢は言ってられなくなった。

この二刀でもって、五の太刀を駆使し態勢を立て直す。

力も速度も負けているならば手数で勝負する。敵は左腕一本。対するこちらは二刀流。どうあがいても手数の差は覆らない。


その考えの元繰り広げた剣戟は熾烈を極めた。打てば打つほど速度は増し力は強くなる。

だが、二刀のおかげで俺の方にも余裕が生まれつつあった。

隙を見ては反撃する。刀は殊更警戒されていたため、もっぱら鞘で殴打することになった。


「二の太刀……っ。小癪なぁ!!」


ババアはよく喋る。

鞘で腹を殴打された直後だと言うのに、ほとんど効いていない様に見える。

六の太刀の効果で痛覚はほとんどないはずだ。

痛みがないなら勇猛果敢に攻められる。無茶な攻めだろうと関係ない。無敵の剣士となっている。


六の太刀は俺の方が先に切れるだろうか。

その公算は高い。ならば仕掛ける。


「――――三の太刀(アラタ)メ」


切っ先を土に埋めて負荷を得る。疑似的に、鞘の代わりとする。


「『飛潮(とびしお)』」


土から伸びた斬撃は土を少量飛散させ、地に斬り跡を残しながらババアに迫る。

至近距離で突然放たれた三の太刀もどきは、残念ながら目潰しには至らず、驚愕させるに留まる。

流石に躱すことは出来なかったようで、五の太刀で逸らしたところを鞘で殴打する。


「っ……」


腹に突き刺すように打ったのだが反応は鈍い。

やはり痛覚がない以上、殴打では決定打になりえないか。


「改めぇ……? 次から次へと、鬱陶しいったら、ないねえっ……!」


ぶんっと大振りの薙ぎを上半身を逸らして躱す。

蹴られてからこっち、左足が思うように動かない。ほんの少し曲げるのにも苦労する。

さらに重要なのは、こうしている間も小さく痛みが走っていることだ。

六の太刀が切れかけている。蹴りを躱せなかったのはこれが原因か。


「でい、さぁ!!」


振り下ろしの一撃を、横から鞘で叩いて逸らす。

反撃の斬撃は半身で躱された。


腰のあたりから真っ二つにしようと刀が走る。先んじて動こうとしていたのに、身体の反応が鈍い。やむを得ず鞘と刀を交差させて防ごうとした。

腕力で負けているのに加え、左足の踏ん張りが利かない以上、どう頑張っても吹っ飛ばされる。

どうせ吹っ飛ばされるならばと、自ら跳ぶことで衝撃を和らげた。


追いかけてくるババアを正面に見据えながら右足だけで着地する。

片足では勢いを殺しきれない。やむを得ず何度か小刻みに跳び続け、少しずつ勢いを殺していく。


「はっ!!」


首を狙った突きを切っ先で逸らして軌道修正。

紙一重で躱したが、すぐさま次が来るのは筋肉の動きで分かっていた。柄を刀身に叩きつけて押さえ込む。

勢いに任せて距離を取っている間、眉間に皺が寄った恨めしそうな目が俺を捉え続けていた。


柄で叩いておいたと言うのに、無理をして繰り出した斬撃が俺の鼻先を掠めた。

通り掛けの駄賃と言う感じで、刀身を鞘で叩いておく。


そのようにして、左足をかばいながら戦っていた。

まだまだ猛攻が続くと思っていたのに、突然攻勢が和らいだ。

様子を窺うと、ババアは苦しそうにしている。


「ふう、ふぅ……」


隠しようのない疲労感を纏い、動くのも億劫と言う顔色のまま、俺を睨むばかりで動こうとはしない。

攻め時を逃がしているが、それでもやめたと言うことは、それどころではなくなったと言うこと。

つまり、限界が来たのだ。


「ぜい……はあ……」


それは考えていたよりずっと早い。

先に使った俺でさえ、ようやく切れかけている、と言う感じなのに。


左足の調子を確認し、やはり微かに痛みを感じることを確認する。

それ以外は何も感じない。胸も首も、痛みはない。

まだ戦える。それは確かだった。しかし、これ以上は意味がないと言うのも事実だった。


逡巡する。

怒りはある。殺せるなら殺したいと思っている。

けれど、その感情を優先できるほどの時間が俺には残されていない。


「逃げないのか」


「はぁ……?」


「逃げるなら、追わない」


感情を抑え付け、理性で言葉を吐く。

互いに限界を超え、ババアに関しては母上と戦うと言う目的も潰えている。

個人の感情を無視すれば、これ以上戦ってもメリットはない。この先に続く道は、もうないのだから。


「行けよ。どこにでも、好きなところに」


「……」


ババアは考えているように見えた。

無言の間何を思ったのか。僅かな時間がとても長く感じた。

村の外を一瞥したババアは、神妙な顔で俺に向き直る。

はっと鼻で笑う。


「言ったはずだよ。あんたは、殺すって」


「……」


挑戦的で自信に満ちた口調だったが、脆弱さは隠しきれない。

突っつけば倒れそうなほど弱った老人の顔。間もなく死ぬ死人の顔。引き時を見誤った、哀れな人間。


「じゃあ……終わりにしよう」


「もちろん、だ」


言い終わるや否や、思いっきり後ろに跳ばれる。追いかけようとしても左足のせいで追い縋れない。

手の届かない場所に離れていくのを、ただ見ているしかない。


「あんたを殺すには、もう、これしか、ないようだね……!」


不自然に途切れ途切れな声を聞く。

酸素不足のせいで唇は紫色に変色し、顔全体がくすんでいる。

忙しく呼吸を繰り返しているが、十分な酸素は取り込めていない。


やはり奴に与えた傷は致命傷だった。

如何な六の太刀でも、それは補い切れなかった。

これ以上戦ったところで、実力が下がることはあっても上向くことはないのだろう。ここに至るまでの攻防で俺を仕留められなかったのなら、もはや殺すのは難しい。


奴自身もそれを分かっていて、それでも諦められないと執拗に俺の命を狙っている。

いつの間にか、目的と手段が入れ替わっていた。付き合わされる身としてはいい迷惑だ。


奴は俺の見ている前で刀を振りかぶり、力を溜め始めた。

殺気が波引き、刀身に集まっていく。

そこからどのような技が繰り出されるのか、身をもって体験したからこそ分かる恐ろしさがある。忌々しいまでの光景が目の奥に焼き付いている。


よほど自信があるらしい。

すっかり死に体だと言うのに、その顔には自信が満ちている。この技なら殺せると確信している顔だ。


左足がこれでは逃げられない。受けて立つしかない。どの道、これが最後だ。

鞘を腰に差し戻して、両手で刀を握る。担ぐように構え、力を溜める。


目の奥に焼き付いた記憶が、眼前の光景に重なる。

この先、筋肉の細かな機微まで何をどうするのかはっきり分かった。


技を出しかけているババアを差し置いて、先に口火を切ったのは俺だった。


「七の太刀」


怪訝気な顔になる。何を言っていると言う顔。

ブラフとでも思ったのかもしれない。


対する俺は、目に焼き付いた光景を頭の中で反芻し続けていた。

どのように身体を動かし、どのように刀を振るのか。

頭の中と言う隔絶された空間で、延々と繰り返し見続けている。


七の太刀が既存の技の延長線上にあるのなら、俺に出来ないはずはない。

常の俺なら一笑に付すような根拠のない自信。身を包む全能感が俺を支えている。

出来ないなどとは微塵も思わない。出来ると確信していた。


「……七の太刀」


俺の言葉を復唱するように、ババアも技名を発する。

その顔は依然として疑念に満ちている。俺が何をやろうとしているのか、理解出来ていない。


技の発動間際になっても緊張とは無縁でいられた。

出来なかったら死ぬ。恐らくは斬り刻まれてバラバラだ。

嫌な想像が脳裏をよぎる。けれどもやっぱり、自分が死ぬとは毛ほども思わない。俺は、死ねない。


最後に見たアキの姿を思い出す。

血を流して、生きているとも死んでいるとも言えないあの光景を。


それを思い出すだけで、全身に怒りが満ちる。

平静だった心臓が早鐘を打ち始める。

体中の血液が沸騰したような感覚に襲われた。

固く刀を握りしめ、歯を食いしばる。今この時ばかりは左足のことも忘れて両足で地を踏む。


アキの無事を確かめるまで、俺は死ねない。どんなことがあろうとも、死ぬわけにはいかない。

邪魔するものは全て切り開く。例えそれが誰であろうと。神でも悪魔でも、何であろうとだ。


怒りを力に変える。ありったけの全てを振り絞る。

見据える先、未だに理解の及んでいないババアに向け、刀を振り下ろす。


「『塵旋風』」


振り抜いた感覚は三の太刀によく似ている。だが似て非なる物だった。

幾多の斬撃が網のようになって飛んでいくのが、見えずとも分かる。


「っ!?」


俺が七の太刀を繰り出したのを一瞬呆けて見ていたババアは、即座に自分自身も七の太刀を繰り出した。

技の衝突は衝撃波を生み、周囲に被害をまき散らす。逸れた斬撃が地面を切り裂いて抉る。

多量の土埃が宙に舞い、視界は闇に閉ざされた。


その中を、気配を頼りに歩く。

左足を引きずって、力の入らない両手をぶら下げながら、決着を付けるために突き進む。


ようやく土煙を抜けた先で、腕を庇うようにして、ババアは突っ立っている。俺の姿を見て目を剥いた。

一歩近づくと一歩後ずさる。それを何度か繰り返し、ついにその口から悲鳴がこぼれた。


「ふざけん、じゃ、ないよぉ!?」


顔いっぱいに恐怖を浮かべ、背中を向けて逃げ出そうとした。


ここまで来て見逃すわけにはいかない。決着は、付けねばならない。

最後の力を振り絞り、無防備な背中に向け鞘を投擲する。それは見事命中し、鈍い音がしてババアは前のめりに倒れた。


倒れ伏したまま、痛みに呻くババアの元へゆっくりと近づく。

随分痛がっている。この様子では、六の太刀は完全に切れたらしい。


ようやくババアの元に辿り着き、這いずる姿を見下ろした。

影で俺に気づいたババアは、仰向けに寝返って唾を飲み込んだ。


「……殺す、のかい」


「……」


分かり切ったことを聞くものだと思う。答える必要があるだろうか。何のために戦っていたのか、忘れたわけではあるまいに。


刀を振り上げようとしたが、腕に力が入らず難しかった。

仕方ないから切っ先をババアに向ける。これなら、突くだけだ。


「最後に、椛に伝えておいて、くれるかい」


「……」


「ろくでもないもん、産みやがって……ってさ」


その言葉を聞いた直後、喉に刀を突き刺した。

傷口から、ごぼっと血の溢れる音がする。

呻き声の代わりに、ヒューヒューと空気が漏れた。

喉を押さえて苦しむ姿が痛々しい。もっと深く刺せば死ぬだろうか。やろうとしたが、そこまでの体力が残っていない。


「かひゅ……かはっ……」


刀を右に回して傷口を広げてみる。

出血は増したが、やはり即死はしなかった。そんな状態でも意識を失わずもがき苦しんでいる。


のたうち回り、血の泡ぶくを吐き、何かを掴もうと手を伸ばす。

空を切った手は助けを求め、爪が割れるほど地面を引っ掻いている。


じわりと広がった鮮血が血溜まりを作った頃、喉から空気が抜ける音がしなくなって、ビクンと痙攣したのを最後に、ババアは動かなくなった。

しばらく観察したがピクリとも動かない。

用心して顔を覗くと瞳孔の開いた瞳と目が合った。半開きの口は息をしていない。


物言わぬ躯を前にして、大きく息を吐く。

力が抜けてドサッとその場に座り込んだ。


初めて人を殺した感想は筆舌に尽くしがたい。

正直に言えば、清々しい気分だ。達成感と正義感が満たされて陶酔したような気分になる。

だが、その裏では苦々しさも抱いている。


「……楽に死なせてやれなくて、悪いな……」


横たわる死体に向けてそれを言う。

自分で言っておきながら、その言葉の白々しさに自虐めいた気分になる。

無性に笑いたくなって、それでいて泣きたくもなった。


胸に渦巻く感情をすべて拒絶し、刀を手放した。

カラカラと軽快な音を鳴らして転がるそれから目を離し、死体を一瞥する。


一度目を瞑り、また目を開ける。

まだやることがあると、足に力を込めた。











ゲンさんの家に向かう。

今や六の太刀の効力は完全に切れた。

左足は痛くてたまらないし、首は鈍く痛い。胸の傷なんかどこがどう痛いのか分からないぐらいだった。


眩暈と吐き気に襲われて、気を抜けば倒れかねない。倒れたら最後、起き上がれる保証はない。

動けるうちに動かなくては。アキの無事を確かめなくてはいけない。その一心で、足を引きずって歩き続ける。


眩暈のせいで方向感覚を失ったため、地面に残る血痕を追いかけた。

恐らくアキの血だ。時間がたって黒く変色している。

見つけて嬉しい物ではないが、目印にはなる。


血痕を見落とさない様に俯きながら歩いていると、胸の傷からぽたぽたと血が垂れ始めた。

六の太刀が切れて傷口が開いたらしい。

止血しようと思ったが、胸の傷は大きすぎてどうしようもない。手で押さえつけるのも意味がない。放っておくしかない。血がなくなる前には着くだろう。


道中、道半ばも行ったところで、複数の視線に気が付いた。

多分村人だ。家の中から俺を見ている。指示を守って家に籠っているらしい。

血を流す子供を見逃すのは正直どうかと思うが、今ばかりは好都合だった。


結局、ゲンさんの家に着くまで誰とも出会わず、激痛が全身を苛み始めた頃にようやく辿り着いた。


その頃には息は絶え絶えで、身体の自由は全く利かなかった。

ノックするのも難しかったため、戸に体当たりして音を鳴らす。

その調子で何度か叩けば、すっかり精根尽き果てて、戸に身体を預けてずるずると座り込んだ。


「はぁ……」


息を吐く。

木の香りが鼻腔をくすぐる。

空を仰げばすっかり夕焼けだった。

風が吹いたのが分かったが、寒いとも暑いとも思わなかった。


ゲンさんを待っている間、ずっと我慢していた吐き気に耐え切れず、手で押さえながら吐き出した。

途端、口の中は鉄の味で一杯になり、手は赤く染まっている。

吐いたおかげで少し楽になった。ゆっくり呼吸をして気分を落ち着かせる。


「誰だ?」


戸の向こうから、緊張を孕んだ声がする。

さほど時間はたっていないのになんだか酷く懐かしくなって、安堵のため息を吐く。


「ぉ……」


俺ですと答えようと声を発した。

けれど、喉の奥の震えはあまりに小さく弱弱しい。

もう真面に喋ることも出来ない。

仕方ないから、頭で戸を叩いて存在を知らせた。


「誰だ!?」


変わらぬ声音にもう一度叩く。

音は戸の下部から響いている。ゲンさんなら気づいても良さそうなものだが、語調は強くなるばかりだ。


戸の向こう、すぐ間近に気配を感じたと思ったら、突然戸が開く。

身体を預けていたものがなくなりその場に倒れ込んだ。


頭上でゲンさんが弓を引き絞っている。

誰も居ないのを見て眉を顰め、足元に転がる俺を見つけて目を見開いた。


「小僧!」


「レン!?」


ゲンさんの声に父上の声が重なった。

家の奥から走り寄ってくる音がして、傍らではゲンさんが膝をついている。


「辻斬りに遭ったと聞いたぞ、大丈夫か!?」


傷の具合を確認されながら、そんなことを問い質される。

あれを辻斬りで済ますのはどうなのだろう。

そもそもあれの正体は知らない。

おそらく母上が知っているはずだから、死体は保存しておいた方が良いかもしれない。


「無事かい、レン? 平気?」


声が聞えた方を見ると、今にも泣きそうな顔の父上がいた。その声はやたらと震えている。

父上がここにいると言うことはアキもいるはずだ。


「ぁ……」


「喋るな!」


語気を強めたゲンさんは、俺の身体を診ながら顔を青ざめさせていた。

父上が不安そうな顔でゲンさんを見る。


「レンは大丈夫ですか? 大丈夫ですよね?」


難しい顔で口元を引き結ぶばかりのゲンさんに、父上が取り縋る。

懇願するような声音で再び訊ねた。


「大丈夫ですよね……? 何か言って下さい!」


「落ち着け。……とにかく奥に運ぼう。手伝ってくれ」


二人がかりで抱えられ、部屋の中央に寝かされる。

朦朧とした意識で頭を左右に振ると、すぐ隣にはアキが横たわっていた。

身体には包帯が巻かれて痛々しい姿だったが、胸は上下して確かに生きている。


「ぁ……き……」


居ても立ってもいられず、押し留めようとする父上を振り切って体を起こす。傷が痛むのを無視してその手を握った。


「おい!?」


怒声がして肩を掴まれる。強く掴まれたわけでもないなのに激痛が走ったが、もうどうでもいい。

アキの手は熱かった。熱があるらしい。傷口から菌が入ったのかもしれない。


あいつの言葉を思い出す。

『失血死するかしないか、五分五分ってところかね』


「アキは……」


「自分の心配をしろ、馬鹿もんが!」


「アキ、は……」


ふらりと倒れ込む。

二人が何か言っていたが、意識が遠くなるにつれて聞こえなくなった。

握った手の熱さだけが俺を繋ぎ止めている。


ああ、誰か。

誰でもいい。

神でも、悪魔でも、何でもいいから、この子を助けてください。


代わりに俺が死ぬから。俺はどうなってもいいから。

だから、この子だけは、アキだけは助けて。

お願いします。この子だけは。


手を握りしめながら必死に祈る。

誰とも知らない誰かに、アキを助けてくれる何かに、どうか聞き届けてくれと、意識を失うまで祈り続けた。


意識を、失うまで――――。



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[良い点] 終わり方は良かった [気になる点] ただここまで読んで、転生の設定必要かな?と思った
[良い点] ハラハラドキドキの死闘だった
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