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刻一刻と時が過ぎていく。

睨み合うだけの無意味な時間だ。

すぐに動かなくてはならないのに、その先に死が透けて見えている。

先ほどの攻防で理解した。このババアは格上だ。真面に戦えば俺が死ぬ。その公算が大きい。


だからと言って逃げるわけにはいかない。死ぬのが怖くないなどとは言わないが、このままではアキが死ぬ。

自分と妹の命どちらかしか選べないのなら妹を選ぶ。例え俺が死ぬとしても、アキだけは絶対に助ける。そう決めている。


その覚悟を嘲笑うように、状況は何も動かなかった。

アキは斬られたショックで気を失ったのか、倒れてから身動ぎひとつしていない。すでにかなりの血が流れている。

早く止血を。手遅れになる前に。


「……」


「……」


睨み合っている間何もしなかったわけじゃない。

目線や足の動きでフェイントをかけ、隙を作ろうとした。だがどれも引っかかってはくれなかった。

泰然とした物腰に焦りが募る。掌の上で転がされているような気分だ。こうしている間も、人生で最も貴重な時間が無為に過ぎていく。


心の中に諦観が顔を出しかける。

思考はアキを助けられなかった場合を考え始めた。冗談ではない。


アキは諦めなかった。あの状況で出来る限りのことをした。木刀を投げ、攻撃を回避しようとした。

斬られはしたが、俺の三の太刀が老女の行動を制限させた。


不可視の刃が目前に迫っていたあの状況で、追撃に専念できたとは考えづらい。もし下手に追撃していたのなら、このババアは真っ二つになっていたはずだ。

だが結果的には五体満足で生還している。追撃と回避を同時に行ったからだ。


そこにわずかな希望がある。

踏み込めなかっただろう。気がそぞろだっただろう。……急所を外したかもしれない。


藁にも縋る思いだ。あまりに頼りない。だがそれに縋るしかない。

仮に、もし刃が内臓まで達していたのなら――――。


再び悲観的になり始めた思考を無理やり戻す。

こんなことを考えている場合ではない。すべきことをしなければいけない。

だが、どうやって?


目の前のババアを牽制し、アキの応急処置をする。


言葉にすれば簡単に思える。

しかしこの二つを同時に行うのは不可能だ。

アキを助けたくても助けられない。ババアを殺したくても殺せない。


無力感が心を苛む。無理だ。どうする。どうやって助ける。

ふざけるな。こんな理不尽があってたまるか。どうしていつも救いがないんだ。

何か方法があるはずだ。何か、きっと――――。


その瞬間、母上の言葉が脳裏に蘇った。


『あるがままを受け入れ、頭を回せ。それで開ける道もある』


そのたった一言が俺に力を与えてくれる。

堂々巡りになりかけていた思考がようやく真面に働いた。

答えは至極単純だった。どれだけ策を巡らせようと不可能なことは不可能だ。

俺にはできないだろう。あくまで、俺には。


理解し、そして叫んだ。


「父上――――!!!」


老女がやかましそうに顔をしかめる。

業腹だ。なぜそんな顔が出来る。殺したい。今すぐにでも。


「助けてください!! アキが死ぬっ!! はやく来て!!!」


怒りを抑えつけ、人生で最も大きな声を出した。

父上が家の中にいるのは気配で知っていた。声は届いている。大急ぎでこっちに向かってきている。

荒々しく戸が開かれた。


「レン? アキがどうしたって――――ッ!?」


息を切らしながら姿を現した父上は、眼前に広がる惨状に目を剥き呆然と立ち尽くす。

そんな悠長なことをしている場合ではない。


「アキをお願いします! 斬られました! 応急処置を――――ゲンさんの所へ!!」


「え……あ……」


「早くッ!! 死んでしまうッ!!」


その一喝でようやく我を取り戻した父上は、アキの元へ駆け寄る。

一連の流れを黙って見ていたババアが、「くっくっ」と小さく笑った。


「目の前に私がいるってのに、余裕だねえ。まさか、このまま何もせず見逃がすと思ってるんじゃなかろうね?」


父上に向けて殺気が放たれた。

重力が増し、空気は粘性を持つ。

呼吸困難になるほどの濃密な殺意をその身に受け、思わず足を止めた父上は、縫い付けられたように動けなくなる。


ただでさえ貴重な時間をロスさせられた。もはや感情を押し殺すのは無理だった。

幸運にも、ババアは今父上に夢中だ。


「油断してんのはてめえだろ」


溜め続けた感情の発露は劇的だった。

今までにないほど速く動き、一息で距離を詰める。ありったけの力を溜めた。


――――四の太刀。


「『孔穿(あなうがち)』」


四の太刀は突き技。

ただし普通の突きとは違って見た目通りの威力ではない。

胸を穿てば握りこぶしほどの孔が空く。遠距離斬撃同様に常識破りな技である。

その分隙は大きく連続して打つことも出来ないが、当たれば一撃必殺なことに間違いはない。


しかも、今回に限っては完全に不意を打っていた。

老女を突き殺すヴィジョンが鮮明に浮かぶ。それほど完璧なタイミングだった。


当たる寸前、スローになった世界で老女の顔を見ていた。その目が俺を捉える。

その顔に恐怖はおろか驚きすらなかった。

見る見る間に、厭らしい笑みは冷酷な微笑に変わった。


――――五の太刀。


ババアの唇がそのように動く。

俺は目を見開いた。まさかと言う驚きが対処を遅らせた。


「『旋風』」


「……っ!?」


受け流された。しかも、五の太刀で。

驚いている暇はない。俺とババアの距離はゼロに等しい。

隙の多い大技を受け流されたせいで、すぐに体勢を立て直せない。攻撃が来る。


「ありがとう。乗ってくれて」


その声は慈愛に満ちていた。

これから死に行く者への手向けとばかり。横薙ぎの刀は酷く優しい手つきで首へと迫る。


『旋風』で刀は完全に受け流された。

必死に戻したところで今からでは防げない。

どれだけ考えても死を回避する手立てが浮かばない。……死ぬ?

――――いや、まだだ。


「まだ終わりじゃねえぞっ!!」


腕だけではなく全身の力を使って、刀の方向を無理矢理変える。

防ぐのではなく攻撃へと。ババアの身体に刃を走らせる。


死ぬ前に力を乗せ切れればそれで良い。そうすれば、例え俺が斬られたとしてもその時はババアも斬っている。

一緒に死のうなんて生易しいことは言わない。どうなろうとお前だけは絶対殺す。アキや父上には指一本触れさせない!!


「ああ……ったく」


首に刀が食い込む感触。まだ俺の刀はババアに届いていない。

走馬燈を見た。過去の出来事が次々脳裏に蘇る。もう覚えていない顔が多く居た。それが酷く懐かしい。

いよいよ俺は死ぬ。代わりにババアは痛打を被る。それが、俺が選んだ命の使い道だった。


だと言うのに、ババアは途中で攻撃を止めた。

俺の首を切り落とすよりも前に跳びすさってしまう。決して刃の届かない場所に着地したババアは呆れ顔で俺を見た。

俺の刀は空を切り、ババアの刀も命に届くほど深くは斬れていなかった。


「自分の命を軽々に扱いすぎじゃないかい。そんなに大事かい。あの娘が」


困惑と疑問で混乱しながらも、その場からまだ一歩も動いていない父上の気配を感じる。

ゆらりと剣先を向けた先にはアキがいて、その切っ先からぽたりと血が垂れる。

命には届かなかったが軽傷では済んでいない。

鋭い痛みを感じ思わず首を押さえるも、それすら隙になるだけだとすぐに刀を握りしめた。


「レンッ!?」


背後から聞こえた声は父上のもの。

どうしてまだそこに突っ立っているのか。いつまでそんな所にいるつもりだ。

今の攻防見てなかったのか。死にかけてんだぞこっちは。俺の命を無駄にする気か?


「ここは任せてください。アキを頼みます」


「でも、首から血が……!」


ぬるりと気持ち悪い感触が手に残っている。

掌は真っ赤に染まっていた。襟元も同様だ。

だがこの程度なら致命傷ではない。ならば十分。


「平気です。それより早くゲンさんの所へ」


「そんなに血がいっぱい出て、平気なはずが――――!!」


このギリギリの状況で何を言うつもりなのだろう。

ババアへの怒りと違って、父上への怒りには理性が働く。だがこの場においては感情の高ぶりを抑えるのは難しい。

殺し合いの最中に、まるで関係ないことに意識を割くのは隙になりかねない。父上の役目は済んでいる。もはや邪魔でしかない。


「今一番危ないのはアキです。放って置いたら確実に死ぬ。早く行ってください」


努めて冷静に言い聞かせた。それでも父上は動かない。

刀を握る手に力が籠った。理性と衝動がせめぎ合う。我慢の限界だった。


「血が出てるからなんだ!? 止血してる余裕がどこにあるって言うんだ!?」


返事はない。なおも言い募る。


「こいつは今すぐにでも俺を殺すぞ! その後は父上を殺してアキに止めを刺す!! 母上はいないんだ! こいつをどうにかできるのは俺だけだろう!?」


語気は荒くなったが、事実を連ねているだけだった。

こんなにも分かり切っているのに、わざわざ口にしなければならない。それが不思議でならなかった。


一人の人間が助けられる命には限りがある。個々によって大小すらある。

父上の場合、アキ一人を助けるので精一杯のはずなのに、なぜ余計なものまで助けようとしているのか。


「そこにいられると邪魔なんだよ!! 俺を殺すつもりなのか!? 早くアキを助けろよ!!」


「……っ」


そこまで言って、ようやく父上は走り出した。倒れていたアキを抱え、苦しそうな嗚咽を漏らしながら、真っ直ぐゲンさんの家に向かい出す。


今のやり取りで貴重な時間を浪費したのは間違いない。どうしてもっと早く動いてくれなかったのか。憤懣やるかたない。


「……素敵な、家族愛だねえ」


ババアは感じ入ったような声音で呟く。

うんうんと頷いて、父上が走り去った方向を見やる。そしてあっけらかんと言った。


「ま、殺すけどね」


「くそが」


感情を逆撫でするのが極上に上手い。

ふざけた特技だ。性根が腐っている。死んだ方が社会のためになる。こんな奴は生きてちゃいけない。


「せっかく椛を殺しに来たのに、いないんじゃあ仕方ないからね。他にやることも無いのさ」


「……」


「運が悪かったと諦めてくれ」


息を吐く。

首の痛みが少しずつ増してきていた。


冷静になるにつれて、アドレナリンの分泌が抑えられてきたらしい。ここまで痛いのなら興奮したままの方が良かったかもしれない。痛みで身体が引き攣って上手く動かせない。


「苦しそうだねえ。一思いに楽になってみないかい? 首、差し出しな」


「……」


痛みのせいで集中できない。罵倒を返す余裕もない。

父上がきちんとゲンさんの家に辿り着けたか見届けたかったが、これでは不可能だ。


それでも、無理にでも集中し世界に溶け込もうとする。

意識を半円状に広げていく。ゲンさんの家までは届かないだろうが、一応やっておく。


額を汗が伝った瞬間、それほど離れていない場所で人の気配を感じる。


「おや……観客がいるようだね」


まさかと思うのとババアがそう言ったのは同時だった。

その気配は父上のものではない。だが知っている気配だ。農作業をしていたはずの村人が数人、遠巻きにこちらを窺っている。


鍔迫り合いの金属音。助けを求める声や怒鳴り声。それは村中に響いたはず。

様子を見に来るのに十分すぎる理由だった。


「丁度いい。旅の道連れは必要だろう。運が悪い者同士、仲良くしないとね」


ババアの殺気が高まる。順手に構え直し目の高さに掲げた刀は、俺ではなく村人を狙っている。

村人惨殺のヴィジョンが過去の光景と重なった。悪寒とともに衝動に駆られ、なりふり構わず叫んでいた。


「家に隠れてろ!! 近寄るなっ!! 逃げろッ!!」


その一喝で脱兎のごとく逃げる村人たち。

ババアは走っていた。村人ではなく、俺に向かって。


「はっはぁ! すっごい逃げっぷりだねえ!」


ああ、そうかい。

口の中で呟いて応戦する。

だが痛みのせいで思うように身体は動かない。

剣戟を掻い潜って脇腹を浅く斬られた。


くそがっ。


内心で吐き捨て、技を使おうとする。


一の太刀――――。


瞬間、ババアはまたもや跳びすさった。

追う余力はない。息を整え、情報の整理に没頭した。


新しく脇腹に傷をこさえてしまったが、それよりも首の方が問題だ。

離れた場所から厭らしい笑みで俺を見据るその目には、先ほど見た村人たちへの殺意はどこにもなかった。最初から俺だけが狙いだったようだ。


しかしならばなぜ引いた?

殺せたはずだ。今も、さっきも。殺せる機会を延々と逃し続けている。

その理由については一つしか思いつかない。


先ほど、俺を殺さなかったのは傷を負いたくなかったから?

今、また距離を取ったのは危険を冒したくなかったから?

なら、一の太刀についても知っていると見るべきだろう。だからこそ、この理由には違和感がある。


「……おいババア。目的はなんだ」


「はぁ?」


問いに対して、素っ頓狂な声が上がる。


「お前はそんなことも分からず戦ってたのかい? どうして殺されかけているかも分かってなかったのか!? 頭の弱い子供だねえ!」


あまりに大仰な言い方が癪に障る。だが慣れてきた。


アキを斬られた時ほどではない。激情に駆られて判断を誤れば、一瞬で首を斬られる。

こういう戦術なのだろう。勝つためには手段を択ばない小汚さ。太刀を使ったことから、ババアの正体は何となく察しがついているのだが、これのせいで確信が持てないでいる。


「痴呆が進むと性格どころか頭まで悪くなるのか? もう一度だけ聞いてやる。目的はなんだ?」


「くっくっくっ……。いいさ教えてあげるよ。私の目的は、剣聖になることさね」


スタンダードな答えだ。母上を殺したい理由で最もポピュラーと言える。こいつが言うのでなければ納得していた。


この答えだって嘘か真か分かったもんじゃない。もしかしたら撹乱しようと嘘を連ねているだけかもしれない。

それを考えると正直もう話したくもなかったが、首の痛みはまだ尾を引いている。慣れるにはもう少し時間が必要だ。


「お前ごときが? 剣聖に?」


鼻で笑った。

痛みも相まって笑い所はどこにもなかったが、無理して笑った。


「その程度の腕じゃあ無理だな」


「おや……どうして言い切れる? わかんないじゃないか。やってみなきゃ」


幼稚な挑発に思いのほか乗ってきた。

興味深そうな表情は素のように見える。それだけ関心があると言うことだ。


俺にとってどうでもいいことでも、こいつにとってはそうじゃない。

俺が来る直前までアキと何か話していた。たぶんこのババアは母上の情報が欲しいのだ。母上に挑むと言う言葉は嘘じゃないのだろう。ならば少しでも勝率を上げたいと思うのは当然のことだった。


下手に喋ると母上が不利になるかもしれない。だから、極めて単純な事実だけをくれてやることにした。


「母上なら俺ごとき無傷で殺す」


ババアの顔から表情が消えた。

すでにババアは俺からかすり傷を受けている。お前は母上以下だと告げたに等しい。聞き逃せない言葉だ。

嘘か真か。迷えば迷うだけ、楔は深く突き刺さるだろう。母上を少しでも有利にしてくれるならそれでいい。


「そもそもお前右腕はどうした。誰かに斬られでもしたか? だとしたらとっくに敗北者じゃねえか。身の程を弁えろ雑魚が」


「……言ってくれるじゃないか。剣より口の方が達者みたいだね。その口で女も転がしてるんだろう? 不埒な男だねえ」


この世界の貞操観念がどうなっているのか分からないが、軽薄なナンパ野郎と罵倒されているのだと理解する。

言葉の棘は随分丸くなったようだ。


「生憎と友達一人いない」


「それはそれは。可哀そうに」


「ああ、可哀そうだ。雑魚が夢見てる姿は滑稽で見てられない。目を塞ぎたくなる」


こんなことを言っている間に、痛みにも大分慣れた。伊達に母上にしごかれていない。問題なく身体を動かせる。

ならばこの無意味な煽り合いもここまでだ。これ以上時間稼ぎしたところで俺の血が流れるだけで、死ぬのが早まるだけなのだから。


「わざわざ母上が手を下すこともない。お前は俺が殺す」


「勇ましいねえ。やってみるがいいさ。この期に及んでまだ私に勝てると思ってるのなら、それこそ夢見がちだと思うけどねえ」


「いいや? 夢なんて見てないさ。大分分かってきたぞ。お前の弱点」


血で滑らない様に刀を握り直す。

ババアは俺の言葉を訝しんでいた。

考える暇など与えない。


突撃する。

最速ではなく、ある程度の余裕を持って斬りかかった。

ババアは応戦し、一拍の間鍔迫り合いになる。


刀と刀の力比べは拮抗した。

性差はあれども力は互角。

その認識を共有し、それ以上の力比べはババアの方が拒否した。


「へっはぁ!」


奇妙な一叫と共に刀が弾かれる。

反作用でババアの刀も弾かれている。


お互いに大きく仰け反る形になったが、歯を食いしばり足を踏ん張って、もう一度斬りかかった。

ババアは跳びすさって躱す。俺は追撃に踏み出した。


命を刈り取ろうとする刃を、ババアは淡々と躱し続ける。

いくら斬りかかっても無駄だった。躱すことに専念し、必要があれば刃を交える。それ以上は何もしない。そのせいでかすり傷一つつけられない。


出血のせいで短期決戦に出るしかない俺としては、ババアの攻めっ気のなさがもどかしい。攻撃する必要がないと言わんばかりだった。


「随分と血が出たじゃないか」


逃げるババアを追っている最中、その言葉を聞いた。

目尻を垂れながらニタリと笑う顔は、怒りよりも不気味さを呼び起こす。


「顔が青白くて、動きのキレも悪くなってる」


「……」


「九死に一生を得たとでも思ったかい? 致命傷じゃないと? ――――考えが甘い」


その断言には力が籠っていた。

身体を貫かれたような感覚を覚え、立ち止まる。


「私にはわかるよ。動くたび、じわじわと火が小さくなっていくんだ。命の灯だよ。――――ああ、そんなに動いたら……そんなに力んだら……ってさ。ずっと思ってたよ。哀れだねえ。動いたら動いただけ、早く死ぬって言うのに、そんなに頑張って」


「……」


「その時が来れば、あんた死ぬんだ。なら、わざわざ危険を冒すこともあるまい? ずっと逃げさせてもらうよ。その火が消えるまで、ずっとさ」


会話を交わすことすらババアの術中なのだろう。

話せば話すだけ、俺の時間は削られていく。悠長にしている余裕がないのは俺の方だ。


「……剣聖になりたいって奴が、随分と小賢しい真似しやがるな」


「あんたみたいな命知らず、怖くて相手してらんないよ。相打ちなんて冗談じゃない。傷一つごめんだね」


傷一つ……。

逃げ続ける……。

危険を冒したくない……。


「どうやら分かってるみたいだな。母上には勝てないって」


「しつこいね。わかりっこないだろ。やってみなきゃ」


この会話はさっきもした。同じことを繰り返してる。

どうせなら利のある会話をしろ。欲しい言葉を聞き出せ。


「そんなに大事かよ。自分の身体が」


「そりゃあそうさ。もう若くないんだ。腕力も体力も、衰えを痛感するね。傷の治りだって遅い。椛を殺すのに、余計な傷をこさえてちゃ勝てるものも勝てないかもしれない。万全で挑まなきゃねぇ。何せ偉大な剣聖様だから」


いつか、母上が『あの人は話すのが好き』などと言っていた。

その言葉通り、必要もないことをペラペラと喋ってくれている。おかげで確信した。


「だからさ、老人労わって素直に死んでくれないかい。後生だよ」


「はっ」


鼻で笑う。今度は腹の底から笑った。

後から後からやってくる衝動を抑えるのは土台無理な話で、本心から嘲笑する。


俺のような子供に嘲笑されるのは良い気がしなかったらしく、ババアは不愉快そうに目を細めた。

その目を見つめながら、今度は俺が断言する。


「お前に俺は殺せねえよ」


「そんなこたぁないさ。楽勝と言っておこうか」


「子供を不意打ちしておきながら、殺しきれなかったやつには無理だ」


「とことん夢見がちだねえ……。まだあの子が死んでないと思ってるのか。死ぬさ。あの傷だ。放っといても死ぬよ」


「傷つくのが怖い腰抜けのへっぴり腰が、三の太刀を前にきちんと刀振れたって言うのか?」


ピクリとババアは反応する。

勝負は見えたとすっかり油断していたところで、痛いところを突かれて思わずと言う感じか。

人のこと嘗め過ぎなんだよクソババア。


「思惑に気づかれて予想外。木刀投げられたのも予想外。三の太刀が予想外。予想外予想外予想外だ。おいババア。お前、ちゃんと斬れたのか?」


ババアは答えない。喋ってばかりの奴が押し黙るのは答え合わせに等しい。

俺から見て、今のババアは隙だらけだったが、攻めは控えて首の傷を押さえた。


「さっきから、俺を殺せる機会を何度も逃してるだろうが。保身に寄りすぎだ。決めれる時に決められない奴が、剣聖になれるはずがない。ましてや傷が怖いなんて問題外だ」


「私に、説教するつもりかい」


「やってることがチグハグだって言ってんだよ」


なんだかんだ首の出血は治まっていた。

とは言え、きちんと止血しないと危ないことに変わりない。ましてや激しい運動なんてしたらすぐにでもまた出血するだろう。


「剣聖になるって言っておきながら、子供が怖くて逃げ回る。小汚い手わんさか使って、それでも殺せない。なあ、教えてくれよ。お前ごときがどうやったら剣聖になれるんだ?」


ババアは答えない。俺を睨む剣呑な目つきは少しも怖くない。

むしろやり返してやったぞと達成感が湧き起る。


睨むばかりで沈黙を保っていたババアが、突然目を瞑った。

次の瞬間、目を開いたそこに剣呑な光はなく、平静さを取り戻していた。


「言うじゃないか。でも……そうだね……。認めようか。確かに、あの子は殺しきれなかった」


確信があるとはいえ、確証なんて一つもない。ただの願望に過ぎない挑発に対し、素直に白状するのは予想外だった。

目の前のババアが一体何を考えているのか分からず、今度は俺が黙りこくる番だった。


「あともう少し踏み込んでいたら確実だったのにね。失敗したよ」


やれやれと頭を振ったババアは「でも」と続ける。


「手応えはあったんだ。失血死するかしないか、五分五分ってところかね」


「そうかよ」


まだ確実に生きていると決まった訳じゃない。そんなのは先刻承知だ。

知りたいことは知れた。少なくとも、まだアキは生きている。それが分かれば十分だ。


「なんか元気出てきたわ。ありがとう。クソババア。お礼に殺してやる」


「礼なんかいいさ。むしろ私が言いたいぐらいだ。あんたの方こそ、礼を受け取ってくれるかい」


訝しる俺に対して、ババアは僅かに苦笑した。


「あんた、危ないからさ。ここでしっかり殺しておくことに決めたよ」


その瞬間、殺気が辺りを包み込む。

先ほど父上に向けた物よりも濃くて重い。

物理的な圧力は常人では耐えがたいものだった。


「――――太刀は、いくつまで知ってる?」


その問いかけは殺意の霧の向こうからやってきた。

ごくりと唾を飲み込む。死がこの場に顕現したとすら思った。


「六までだろう? でも、実はその先があるんだ。見せてあげよう。冥途の土産として」


海岸から波が引くように、見る見る間に殺気が引いて行く。

それは津波の前に引き波が起こるのと似ていた。

引いた殺気は、刀を握る左腕に集まっている。目に見える程の何かが、そこにある。


とんでもない攻撃がくると直感で理解した。

大きく跳びすさって距離を取ろうとする。


「七の太刀――――」


俺が逃げたことを気に掛ける素振りはない。粛々と技を出そうとしている。

距離など関係ないと言うことか。一歩では足りない。もっと距離を取らなければ。


着地とジャンプを何度か繰り返した。

まだもう少し、ともう一歩距離を開けようとした時、背後から女の子の声が聞こえた。


あってはいけない声に反射的に振り向けば、見覚えのある顔がある。

以前、川で遊んでいた5人の子供。その内の1人が半泣きで腰を抜かしていた。


どうしてこんなところに子供がいる?

そんなことを考えて、遠くから男の子を含めた残りの4人が走ってきているのを見つけた。そのずっと遠くに親らしき姿がある。


――――好奇心でここまでやってきた。殺気を浴びて動けなくなった。今、俺たちの戦いに巻き込まれかけている。


脳裏に描いた推測は、この瞬間においてはどうでもいいものだった。

どの道これ以上は後退できない。ここで待ち受ける他ない。

この子たちを守らなければ。


覚悟を決め、子供たちを背にして立つ。


既に刀は振り下ろされようとしていた。

遠くて聞えないはずの声が聞こえる。


――――『塵旋風(じんせんぷう)


刹那、竜巻の様な刃の嵐が吹き起こり、命を刈ろうと襲い来る。


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[良い点] えぇーこんなとこで 焦らしが上手い
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