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アルカラスの灯は紅く煌く  作者: 橋本 泪
4/6

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「や! 期待の新人君!」

「ん? ああ、エチカか」


九月三十日。

遠征前最後の講義を終えた僕は帰路に着くはずだったが、三階のロビーで面倒な輩につかまった。


「偉そうにするな、チビのくせに」

「もー、すぐそういうこと言うんだからー」


彼女はポンポン僕の肩をたたきながら、なだめるようにそう言った。

短いこげ茶の髪を後ろで小さな一つむすびにしている。

トレーニングの後なのだろう。


彼女はミルス=エチカ。

王立大付属幼稚舎からの同級生であり、弓術の使い手である。

アルカランは女性の平均身長が他の民族に比べ高い傾向にあるが、彼女はせいぜい155、6センチ程度しかない。


「で、何の用だ」

「別に? ちょっとお話でもどうかなって。しばらく会えないでしょ?」


そうして彼女はロビーのテーブルの上に腰かけた。

あまり行儀のいい行為ではないと思う。


「僕は早く帰って万全のコンディションで明日に臨みたいのだが」

「そんなことしなくたってイヴァンなら大丈夫でしょ」

「随分信頼されているな」

「伊達に幼稚舎から一緒だったわけじゃないからね」

「……そうだな」


だからこそ彼女が何の意図をもってわざわざ僕を引き留めたのかも知っている。


「ニコシルバはまだか」


エチカは少し驚いた表情をしたが、すぐに苦笑した。


「……バレてたかー」

「伊達に幼稚舎から一緒だったわけじゃない」


僕と彼女の間に静寂が流れる。

ただ彼女との間に生まれる静寂は、不思議と苦ではない。


「やっぱり、ダメ?」


エチカは苦笑した表情そのままに問いかける。


「何の話だ」

「とぼけないで。察しが悪いわけじゃないでしょ、イヴァンは」


もちろんわかっている。

わかっていても察したくない事だってある。


「ありえないな」

「……そう」


「そう言えばエチカ、お前は何処に遠征するんだ?」

「ヴィエンブルージ」

「沿岸警備か」

「それが主かな」


僕はあからさまに話をそらした。


アルカラスは王城フローリオや王立大学のあるここアルカラポリスを首都に、国を十四のエリアに区別している。

彼女が遠征に行くヴィエンブルージはこの国で最も広い面積を持ち、最も長い海岸線がある。

そのため海軍の重要拠点であるが、海賊の襲来など危険も多い。


「無事を祈る」

「どーも。私はイヴァンの方が心配だけどね」


さっき僕なら大丈夫、とか言ってなかったか?


「戦闘の方はよほどのことがなければ大丈夫だろうけどさ。クォノの七都市全部訪問してお偉いさんに挨拶したり、その土地の人たちに演説したりするんでしょ? そう言うの苦手じゃん」

「問題ない。幼き日からエリート教育を受けてきた僕だぞ?」

「人間関係問題ありまくりですけど」

「……確かにエチカの方が適任かもな」

「イヴァンに比べればね」


ひどい言われようだ。


「適材適所というものがあるからな。そういう表仕事は僕には向かない。エチカはコミュニケーション能力もあるし、母親のコネクションもある。クォノ駐在のアルカラス大使だろう」

「元だけどね。今はただの大学教授だよ。何、どうしたの、機嫌いいの? 随分ほめてくれるじゃん」


そんなに珍しいだろうか?

それに僕は彼女を本気で高く評価している。


大学の評価では二十人中五番目、僕はもちろんネイピアーやジェルダンよりも下だ。

しかしそれは単純な対人戦のような、苦手分野での大幅減点の影響が大きい。

一長一短の特化型よりも、バランスの取れた万能型が過剰に評価されるこのシステムに僕は大いに不満である。


彼女の弓術と魔法を組み合わせた戦い方は後方支援として非常に優秀であり、彼女がいるだけで戦いやすさが段違いだ。

応用力があり、頭もキレる。


「エチカとペアならよかったんだが」

「光栄でございますねー」

「ネイピアーと変わってくれ」

「せっかく王子と組めたのに、わざわざ蛇顔の暴君に鞍替えするわけないでしょ」

「エイコーンか。確かに綺麗な顔をしているが、整いすぎて逆にダサいだろう。無個性だ。僕の方がイケてる」

「はいはい。それにわたしとペアが良かったとか、そういうのはピノに言ってあげてほしいな」

「そんなこと言ったら余計こじれるだろ」

「そうだけどさ……」






ロビーの自動ドアが開き、二人の女性が姿を現した。

金髪ロングのポニーテールとネイビーのショートカット。


こちらに気付くとゆっくりと近づいてくる。


「よ、よう」

「ああ、ニコシルバか。と、えっと……」

「ユーイングス! ユーイングス=メル!」


ああそうだったな。

名前も覚えにくいし、実力も大したことないから記憶に残らない。


ピノ=ニコシルバ、ユーイングス=メル。

エチカの友人で僕のクラスメイトだ。


「あ、明日だね、遠征」


ニコシルバはどこか別のところに視線を向けている。


「そうだな」


「……ちゃんとしなよ」


は?

なんでお前にそんなこと言われなきゃならないんだ。

僕はお前の数倍能力があると自信を持って言える。

人の心配をしてる暇があるなら、実地訓練の資料でも読み直せ。






と言いたいところだが。


エチカはひっそりとこちらに視線を送り、ウィンクする。

はいはい、わかってますよ。


これが彼女なりの激励なのだろう。


「ああ、お前もな」


それだけ言うと彼女はすたすたとロビーから出ていった。

もう一人のやつも。


「なんでこう、つんつんしちゃうんだか」

「僕が教えてもらいたいところだ」

「……一瞬付き合ってみるとか」

「ない。時間の無駄だ」

「……」


それに。


「それに、あー、なんていうか……」


エチカはぽかんとした顔をしていたが、すぐに察しがついたようだ。


「そういえばそうだったね。ま、お互い苦労しますな」


ああ。

全くだ。


恋なんてものは、体の生理的変化を精神が拡大解釈したものに過ぎない。

簡単に言えば、恋をしているからあの人を思うと胸が痛い。

なんてことはない。

偶然胸が痛んだ理由を恋に結びつけただけ。


なぜそんなことが起きるのか?


人類の存続に生殖活動が必要だから、有益なホルモンの分泌を助けるから。

いくらだって理由はある。


そんなことも知らずに多くの者は、まるで奇跡でも起きたかのように必然的偶然の出会いに胸を高鳴らせ、自己暗示とすら言える病的な精神状態に自らを追い込む。


恋は麻薬、なんて賺した言葉をどこかで耳にしたことがあるが、それなら世界一中毒者の多いドラッグは恋に違いない。


彼女はお猪口をくいっと傾けるような仕草をして、いたずらっぽく笑いかける。


「一杯行っときます?」


明日から遠征だぞ。

何言ってんだ。


それにほかのやつと飲みに行くのとはわけが違う。


「エチカとは行かない」

「なんでよ!」

「潰されるからな」

「かー、情けないねー」


テーブルに置いていたリュックを取り、片側の肩ひもだけを背負って小走りでニコシルバたちを追いかけた。


かと思うとくるっと振り返ってこちらに向き直る。


「ちゃんとしなよー!」


顔の横で手を振り、走ってロビーを出ていった。


はぁ。

わざわざ引き留めておいて先に帰るとは無礼な奴らだ。


ロビーには夕焼けの残像だけが焼き付き、赤い黒影が背を伸ばしている。

がらんとした空間に僕は一人。

頭の中には空気の振動が響く。






時折聞こえてくることがある。






孤高と独善を履き違えてやしないか。






僕は人差し指を両の耳に突っ込んだ。

頭の中の雑音を消すために。


リュックを背負い、椅子から立ち上がる。


忘れるところだった。

まだよらなければならないところがある。

よし、行くか。











「いたいた、まさかこんな日までトレーニングしてるとは。もう十時だよ」

「当然だ。むしろこれをしないとルーティンが崩れて寝付けない」

「ある種の不安障害じゃないのそれ」


呆れるキト。

やれやれという動作をしながらトレーニングルームに入ってきた。

トレーニング中は入ってきてほしくないんだがな。


「お前も少しは鍛えたらどうだ。指で押したら折れそうだぞ」

「いいの、私は。魔法特化型だから」


なら出ていってほしいんだが。

トレーニングは一人でやるものだ。


「毎日毎日剣振ったり、ダンベル上げたり。飽きないの?」

「飽きるとかそういう事ではない。で、何の用だ」

「お別れの挨拶をしようと思って」


不吉な。

なんだその縁起でもないセリフは。


「そんなもの、明日の朝でいいだろ」

「七時に出るんでしょ? 起きれない」


起きろ。

ちょっと早く起きてくれればいいだけなのに。


彼女はパジャマのポケットから扇子折りにされた紙を取り出し、バサッと大きな音を立てて開いた。

今読むのか。


「拝啓 イヴァン=レイノルズ」


様をつけろ、こういう時は。


「こんにちは」


昼に書いたんだな。


「あなたと出会って十六年」


キトが生まれて十六年。


「共に過ごした時間だけが無意味に積みあがっていき」


無意味に。


「互いの気持ちなど声にわざわざ出さずとも伝わっているものだと、そう思っていたのかもしれません」


そうかもな。


僕とキトは小さいころから二人で支え合って生きてきた。

父子家庭でありながら、父に育てられた記憶はほとんどない。

メイドや執事がいたわけでもない。

何もかも僕たち二人でこなしてきた。


だからこそ声に出して自分の内側をさらけ出すなんてことはしてこなかった。

気恥ずかしさからか、それとも余計な心配をかけさせまいという気遣いからなのかはわからない。


「もしかしたら今生の別れになるかもしれないので言っておきます」


無事を祈れ。


「一つ目。もっと優しくしてください」


要求だな。


「イチゴジャムを食べただけで顔面が消し炭になるほど怒られるのは理不尽だと思います」


お前が悪い。


「あと私は褒められて伸びるタイプです。粗探しをするのではなく褒めてください」


探すまでもなく表面化してるんだよ、粗が。


「二つ目。もっと人に心を開いてください」


僕を何だと思っているんだ。


「口を開けばすぐ悪口。むやみやたらに敵を増やすのはやめましょう」


注意書きか?


「恋人とか作って早くおちょくらせてください」


できてもお前には教えん。


「四つ目」


三つ目。


「自信過剰なのはどうかと思います。もう少し謙虚さを身に着けてください」


お前にだけは言われたくない。


「そして最後に」


ろくな手紙じゃなかったな。

どこが別れの挨拶なんだ。


「イヴァンの妹は私、私の兄はイヴァン。終わり!」


そう言って彼女はウィンクをして、ぐっと親指を立てた。

僕はそれを見て小さく吹き出してしまった。


「ああ! 笑ったな?」


そりゃあ笑うさ、そんな当たり前のこと言いに来たのか。

回りくどい言い方しやがって。


僕は彼女の頭をぐしゃぐしゃっと撫でる。

なんとなく懐かしい。


頭を撫でられ少し驚いた彼女は、のぞき込むように僕の顔を見ている。


「僕が死ぬわけないだろ」


そう言って、もう一度頭を撫でた。

どこからか鼻をすする音が聞こえる。


「うおっ」

「マザコンもほどほどにね。行ってらっしゃい」


彼女は少し乱暴に僕の手を振り払うと部屋から出ていった。

誰がマザコンだ。


僕は恋の存在を信じないが、愛の存在は認めざるを得ない。


愛。


実に抽象的で利己的な概念だが、何物にも代えがたい生の根源である。

心配はいらない、たかが実地訓練だ。

死人なんてめったに出やしない。

ましてやこの僕だ。


この空虚な家の中に、これ以上空き部屋を増やすようなことはしない。






時刻は六時五十五分を回った頃。

必要なものはすべて持った。

最悪エレウォッチさえあればいい。


靴ひもをきつく結びなおして立ち上がる。


そしてこの黒いローブ。

アルカラン王立大学総合軍学部生の証だ。


僕は強くならなければならない。

この国の、この世界のだれよりも。


準備はできた。

さあ、行こう。


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