2話目 黒い霞
久々に見た故郷の転移魔法陣を出ると懐かしい顔と知らない顔があった。
一つは父に仕える執事長、もう一人は最近入った若い執事のようだった。
俺の父はここペーチの町で執政官をしている。
元々我がペーチ家はこの地域がまだ王国の領域であったころ、その貴族として、この地の領主を務めていた。
やがて、魔族の侵攻が激しくなり、人類同士の争いから魔族との戦に切り替えざる負えなくなり、王国や帝国、共和国などの人類が決めた小さな枠組みが自然と崩壊し、教会本山の各軍団と各魔法協会に人類の指揮権が移って行った。
それでも人々の暮らす町々には、町と住人をまとめる行政機関が必要であり、このペーチの町はこれまで治めていた我が一族がそのまま執政官としてこの町を代々運営しているのだ。
幸か不幸か、我が一族出の執政官は最低でも可もなく不可もなくという人物であり、その時代は町は少し衰退するが、優れた執政官が出たときには、町は大きく発展するようなことを繰り返していた。
我が一族はそうやって何代にも渡ってつつがなくこの町を運営することが出来ていた。
ここ最近、20年前の大防衛戦で第2軍団の支配地域が大きく後退してからは、この町にも魔族襲来の危険が間近に迫って来て、より一層の緊張感が漂っていた。
このペーチは第1軍団の緩衝地帯に接した最も北にある町なのだ。
北隣の町は第2軍団の緩衝地帯に接した最も南にある町となる。
そのためペーチの町は最も魔族の侵略を受けやすい町の一つと考えられていた。
それを考えた場合には町の人々は我先にともっと安全な町に引っ越して、住民の減った寂れた町になってもよさそうなものだが、代々ペーチ家の善政のためか、ほとんどの住民はこの町から出て行こうとはせず、逆に緩衝地帯に近接する町として、第1軍団を積極的に支援する気風が高かった。
このペーチの町は現執政官の善政と魔族との戦の軍需と相まって、年々規模が大きくなっていた。
そんな現執政官、俺の父の執事が二人も俺を出迎えに来ていた。
俺はフラフラなところをやつに支えられながら漸く転移魔法陣の部屋から出たところだった。
「ジュラ様、どうかされましたか。随分とお疲れの様子。
第12師団が魔族3個師団に包囲され、その中にあなた様がいらっしゃったと聞いておりますが、まさか、その時にお怪我をされたのではないですか。
或いはその時の疲れが今になって出てきたとか。」
「いや、・・・・そうかもしないな。
あの戦いから今日まで、地獄・・・・、いや何でもない。
とにかくあの戦い以降、疲れ果てたことは間違いない。」
「そうですか、婚姻という慶事にも拘らず、新郎がそのようにお疲れでは奥様にもさぞかしご心配でしょう。
まずは、私邸においでになり、お休みください。
結婚式は明後日のご予定なのでしょ。
その時までには新婦様をお抱えできるぐらいにまでは回復していただかないといけません。
おい、ジュラ様に肩を貸して差し上げなさい。」
もう一人の若い執事が俺に駆け寄り、やつの反対側にまわって、腕の下に手を回して俺を支えようとした。
「そのようなことは私がやります。私は彼の妻になるのです。
支えるのは私の役目です。
ここまでもこうやって、第1083基地の官舎より参りました。
申し訳ありませんが、まだ、転移魔法陣の上に荷物が置いたままなので、そちらを持っていただけますか。」
「奥様、わかりました。おい、荷物の方を取って来てくれ。
奥様、大丈夫ですか。
ジュラ様は細身に見えて結構鍛えていますので、重くはありませんか。」
「ありがとうございます。大丈夫です。
このところの疲れで少しやせたような気がしますわ。
早く元の元気な姿に戻ってくれればいいのですが、私が支えられないほどに元気に。」
そうして、やつは俺の方をみて、俺だけがその表情を読み取れるようなところまで顔をむけて、あやしく微笑んだ。
その微笑は新妻が疲れ果てた夫を気遣うものではなく、なにか企みでもあるかのような、その企みがなんであるかを俺が察しているかを問いかけてくるような妖艶な微笑であった。
そう、このところの疲れは例の包囲戦ではなく、俺を第2軍団だより強引に拉致した後に俺の身に降りかかった不幸によるものである。
もちろん、ここにいる執事たちも俺の家族もだれもその事実は知らない。
察してくれるとすれば、不本意ながら所属することになった駄女神以外の旅団の皆だけだ。
当然知ってはいても、俺をこの地獄の淵から救いあげるために蜘蛛の糸すら垂らしてくれる者はいないが。
仮に垂らしてくれたとしても直ぐに切られるがな、高笑いしながらやつにな。
俺はやつに引きづられながら、執事たちが用意してくれた馬車に乗り込んだ。
若い執事が荷物を詰み込んだら出発だ。
俺はやつに腕を引っ張られて、強引に隣に座らせられた。
やつはこの暑さにもかかわらずいつもの黒マントを羽織っていた。俺は黒マントの中に引きづられて行くような感覚を覚えた。
このマントにはどこかにやつの大鎌が仕込まれているはずだ。
その大鎌に俺の首が直接引き付けられそうで、その恐怖で俺はやつの引っ張りに抵抗をした。
自分でも不思議だった。
まだ、恐怖を覚える頭と抵抗する力が残っていることに。
俺が黒い霞がかかったようなはっきりとしない頭でそのようなことを考えていると、やつは先ほどと同じような妖艶の笑みを浮かべて俺の耳元でささやいた。
その姿は御者台に登ろうとしていた若い執事には、やはり、夫の不調を気遣う新妻の姿と映っていたのだろう。
若い執事は心配そうな心を顔に浮かべてから御者の席に着いていた。
「まだ抵抗できる力が残っていたのね。
うふふふっ、いいわね。まだまだ頑張れそうね。
今夜も期待しているわよ。私をがっかりさせないでね。
家族にご挨拶したら、早々にあなたは引き上げて休んでいいわよ。
あっ、ただし、この瓶に入っている赤いものをすべて飲み干してからね。
そして、夕食までゆっくりとお眠りなさい。
日が暮れてから朝日が昇るまでは寝るなんて許さないからね、
昼間、快楽の余韻に浸るあなたを支えていたのだから、今夜はいつも以上に奉仕する必要があるでしょ。ねっ、ダーリン。」
俺は先ほどから、傀儡になったと安心していたときから、頭に黒い霞が掛かったような感覚を覚えていた。
黒い霞が掛かっていることは決して不快ではなく、やつの傀儡になった、もう何も考えなくても良い、なにも心配しなくてもいいんだという安堵感の中にいることがうれしかった。そう、うれしかったのだ。
やつの傀儡になったことがなぜかこの上なくうれしいと思えていたのだ。
何とも言えない幸福感、実際は何も感じていない、何も考える必要がないという空虚に浸っているうちに、立派な門を通り抜けた。
どこかに進んでいるのはわかったが、それに対して俺は何も感じていないし、何も考える必要はなかった。
そうして、やつに支えられながら、玄関を通り過ぎ、廊下を歩き、誰かが開けてくれたドアを通って、立派な部屋に入った。
部屋に入ったところで、ヤツがまた耳元でささやいた。
「さぁ、私の心に包まれている遊休の時間は終わりよ。
いつものあなたに戻りなさいな。」
そう言われた瞬間、俺の頭に掛かった黒い霞がふっと消えた。
目の前には、父と母と先ほどの執事が立っていた。
そして横には、恐怖と狂気が静かに佇んでいた。
本日はもう4話公開します。
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