きらきらネーム、天平宝字8年(三十と一夜の短篇第37回)
まったく。ここで死ぬか。思えば、ぱっとしない人生だった。これでも天武天皇の孫なんだが。いや、わたしが栄達しそうにないのは名前を見れば、分かる。塩焼王。親父がわたしにつけた名だ。皇族の名前もいったい何を基準につけられているのか知れたものではない。舎人親王しかり、長屋王しかり。ただ、舎人は少なくとも人間であるし、長屋は家屋である彼らに比べると、わたしは塩焼き。
しかも、臣籍降下した後の名前は氷上塩焼だ。
氷の上の塩焼き? なんだか、へんてこなあまのじゃくを食らわされた気分だよ。それなら、七輪上塩焼とかにしてもらったほうが、まだ語感がおいしそうじゃないか。鯛塩焼とか鮎塩焼とかも悪くない。
ああ、くそ。矢は心臓に刺さってる。拍動のたびに矢羽がひょこひょこ上下に動いている。琵琶湖の真ん中で薄汚い丸木舟の底に転がったままくたばる。氷の上の塩焼きにふさわしい死にざまだ。傲慢な歴史家どもの笑い声が聞こえるようだ。氷も塩もそれなりに高級だが、二つを組み合わせると、なんとも噛み合いが悪い。そういえば、名前というと、弟の道祖王はなかなかいい名前をもらったな。あれも一時は皇太子になりかけたが、孝謙天皇にあれこれちゃちをつけられて廃されてしまった。橘奈良麻呂が謀反を起こしたとき、本人もあずかり知らぬところでミカド候補の一人に上がってたばっかりに逮捕され、拷問で叩き殺されてしまった。しかも、やつらは弟を叩き殺すだけでは飽き足らず、名前を麻度比に変えてしまった。惑い者の意味らしい。ひどい話だ。
ところで、わたしはここでくたばるが、くたばった後、どんな名前にされるんだろう? 塩焼以上にひどい名前があるのだろうか? わたしがどうなるのかは分からないが、仲麻呂がどうなるかは分かる。仲麻呂のやつ、位極めて、自分の名前を恵美押勝なんて景気のいいものに変えてしまった。料理のし甲斐がある名前じゃないか。押勝は退負。恵美は奪醜といったところか。今だって、仲麻呂のやつ、追っ手の舟を見て、顔を青くしてる。普段から、おれは太師だ正一位だといったところで、この湖の上では何ほどのものか。
思えば、天罰なのかもしれんな。だって、道祖王は仲麻呂に殺されたようなものだ。それなのにわたしときたら、仲麻呂に取り入って、ちゃっかり官位を上げたもんだから、世の人は情がないだのなんだの言うだろうが、塩焼などという名をつけられた窓際皇族には手段を選ぶ贅沢が許されておらんのだ。
おまけにこっちは聖武のミカドのころ、覚えのない咎で伊豆くんだりまで配流されたことがある。また、あんな目に遭うくらいなら死んだほうがマシだ。伊豆というのは平地の無い土地だった。砂浜と山しかない。どちらも雨が降ると、大水が出る。押し流される小屋から命からがら逃げだしたことも一度や二度ではない。あのとき、わたしは水の冷たさに震えながら川というものの強さと恐ろしさを知り、だからこそ、せがれには川継と名づけた。あんなふうにめちゃくちゃに強い人生を送れるようにと。だが、わたしが仲麻呂の謀反に加担したから、きっと川継も名前を奪われ、厠人とかそんな名前にされるに違いない。
わたしはここで死ぬ。お前がどこで何をしているのか知らんが、どうか父をうらんでくれるなよ、川継。これでも〈今帝〉と呼ばれた我が身だ。といっても、仲麻呂の頭のなかにある朝廷での話だが。天武天皇の孫とは言っても、めぐりあわせが悪ければ、みじめな話。弟殺しに取り入らなければならんのだ。栄達というものはそれをもたぬものをいかようにも扱う権利がある。もし、我が身に至上の栄達があれば、あのバカ女とクソ坊主を死ぬまで棒でぶっ叩いてやるところだが、だが、今回はバカ女の勝ちだ。たぶんまたミカドに返り咲くだろう。あの女は。弟の性生活をさんざんけなして皇太子から外したくせに、そういう自分は道鏡のポコチンのいいなり。本当にいい根性しているとしか言いようがない。あの二人がこの世の全ての名前を牛耳って好き勝手に変える未来が見える。死にゆくものの特権か。和気清麻呂が別部穢麻呂か。まったくここまで行くと才能だな。
おい、頼むから、舟を揺らすな。静かに死なせろ。これでもろくでもない人生を送ってきたんだ。死ぬときくらい、静かに自分と向かい合いたいじゃないか。ああ、くそ、暴れるな。まったく……仲麻呂の女房や娘たちだ。すっかり取り乱している。そんなに死ぬのが怖いか? 世の中には死ぬよりひどいことが山ほどある。雨に家を流され渇きに苦しみ伊豆の山のなかで苔生した石の水をすすったり、知らないうちに謀反に連座して処刑されるのではないかと毎日びくびくしながら暮らしたり。わたしが流された伊豆にはおよそ人の住む村というものはなく、近親相姦でふくれあがった一族がみじめな竪穴にぎゅうぎゅう詰めになって淫乱の限りをつくしていた。わたしも好きなほうではあるが、それでもあれには怖気をふるった。ただ地面に掘った穴のなかで自分の母や妹を抱く。尋常ではない。そうした地獄があるのだ。そういえば、鑑真和上がやってきたとき、仲麻呂の娘の誰かを占ったとき、その娘が数千の男に犯されると予言したそうだが、大当たりだな。仲麻呂の娘たちは美人揃いだから、官兵たちによって殺す前に散々なぶられるだろう。おや、一人が水に飛び込んだ。捕まるくらいなら自分で命を絶ったほうがいいと思ったらしい。それが鑑真に犯されまくると予言をもらった娘かどうかは分からない。
心臓を矢に食らって一つ得したことがあるとすれば、この後の仲麻呂一族大虐殺を見ずに済むことだ。仲麻呂には弟を殺されたし、いろいろ思うところもあったが、それでも中納言にまでしてもらったわけだし、仲麻呂は少なくとも子分をきちんと大切にする親分気質なところがある。太師が一転、逆賊の身に落ちたことは本人が一番こたえているだろう。いっそのこと仲麻呂も心臓に矢を食らえばいいのだ。そうすれば、落ち着いた心持ちで破滅を迎え入れることができる。死んだあとのことは気にするな。するだけ、無駄だ。餓鬼に落ちるか畜生か知らぬが、次の生では馬鹿げた名前をつけられずに生きたいものだ。川継よ、死にゆく父の願いはお前の名前が取り上げられぬことだ。その名前が、まあ、こんな言い方恥ずかしいが、わたしの生きた証なのだ。人の身にありながら伊豆の大水みたいに大きな波乱を巻き起こし、あの淫乱どもを溺れ死にさせてやれ。父はよき怨霊になれそうにない。なるほど長屋王は藤原四兄弟を天然痘で仕留め、橘奈良麻呂はこうして仲麻呂を仕留めたわけだが、父にはそれほどの甲斐性はないようだ。
だって、怨霊塩焼。
ほら。悪ふざけにしかきこえない。