逆さ虹の森の迎撃戦(一)
雨上がりでもないのにU字形の虹が森の上に常に浮かんでいる不思議な場所、『逆さ虹の森』。
マイナスイオンに満ちあふれた森の中は、閑静な中にもチュンチュンと小魚たちのさえずりが聞こえてきます。
しかし、その声が一瞬静まりかえったかと思うと、パタパタパタパタッと小魚たちは枝を飛び立ち、一斉に逃げて行きました。
そして、ザッザッザッと足音を響かせながら、茶色の波が深緑の森を侵食するように行進んでいきます。
それは、悪名高き山賊集団『ネガ・パンダ団』の傘下、レッサーパンダの一個小隊。
山賊集団とは思えないような揃った足並みで進軍すると、ピタッと静止しました。
「これより、逆さ虹の森制圧作戦を開始する!」
『さー、いえっさー!』
「奴らは、おそれ多くも偉大なる裏王パンダ様のお慈悲を足蹴にし、反抗の意思を示した。この屈辱は奴らの血を持って雪がねばならん、心してかかれい!」
『さー、いえっさー!』
「行くぞ、全隊……突撃だーっ!」
『うおおおおおおおおおおーっ!』
切り込み隊長の号令一下、レッサーパンダたちは一斉に逆さ虹の森の入り口に殺到しました。
氾濫した川の濁流のように押し寄せる茶色の毛皮。あわれ、この美しい森は彼らによって蹂躙されてしまうのでしょうか。
~♪ ~♪ ~♪
その時、木々の合間を縫って、流れ出す甘い歌声。
それは聴くもの全てを魅了する、極上のハチミツを味わうような歌姫の調べ。
レッサーパンダたちは思わず足を止め、耳を澄まし、その美声にうっとりと酔いしれます。
~♪ ~♪ ~♪
「何だ、この歌は……。一体どこから聞こえてくるんだ……?」
レッサーパンダたちはフラフラとした足取りで、呼び寄せられるかのように声が鳴る方へ歩いて行きます。
すると、いきなり。
ボコーン、ボコーン、ボココーン!
『うわあああああーーーっ!』
『ぎゃあああああーーーっ!』
「何だっ!?」
レッサーパンダの隊長が見渡すと、隊員たちの半数が姿を消しています。そして、地面には穿たれた大きな穴が開いていました。
「落とし穴だと? こしゃくなマネを……。貴様ら、とっとと上がって来い!」
ですが、隊員たちから上がるのはうめき声ばかりで返事はありません。その中の一人がかろうじて報告をしましたが、その恐るべき内容とは。
「穴の中には竹槍が埋まっていました……。あと、先端にはウ○コが塗ってあります……」
「何っ……!?」
それを聞いて、レッサーパンダの切り込み隊長はサッと顔色を変えました。
「ブ……、ブービートラップだとおっ!?」
*
ネガ・パンダ団が攻め寄せる三日前のこと。
「つーか、テメェらバカだろ?」
骨付きのマンガ肉を噛みちぎりながら、いきなり逆さ虹の森の村獣たちをけなす、暗黒ウサギのサンゲツ。
逆さ虹の森の村にある、一軒のログハウス。
その客室に、くま村長さんを始めとする村の住獣たちと白ウサギの巫女のミミコが顔を揃えます。
そして、笑点のように何枚も積み上げた座布団の上に居座るサンゲツは、来たる山賊団との戦いを前に作戦会議を開きました。
「それは、どういう……」
「どういう意味だよ、そりゃあ!」
くま村長さんを遮り、蹴られた頭に氷のうを乗せたアライグマのらすかるさんが、冒頭のサンゲツの言葉に噛みつきます。
「そもそも、この逆さ虹の森は守備るに易い天険の要害だ。ちょっと頭を使やあ、貧弱なテメェらでも敵を一網打尽にする事が出来んだろうが」
それを聞いて、そんな事が可能なのか……? と、村獣たちはザワザワします。
「でしたら、その方法を教えていただけたらと思うのですが……」
「まァ、その辺はおいおい話すとしてだな。まず、テメェらの得意な事ァ、何だ?」
いきなり特技を聞かれ、村獣たちは不思議に思いながらも、面々に答えます。
「歌う事です~♪」
「「いたずらする事っ!」」
「ボクは大食いかなー」
「オレは格闘戦だ!」
「幻術です」
「わ、私は、ビクビクすること?」
ウーンと、渋い顔をしながら考える様子を見せるサンゲツ。
村獣たちはまた怒鳴られるのかと身構えますが、なぜか暗黒ウサギは不気味にも満面の笑みを見せます。
「上等じゃねェか」
『!?』
「そんじゃま、山賊団が来るまでそれぞれ特技を磨いておきやがれ。以上、解散ッ!」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 具体的な対応策は? 準備とかは要らないのですか?」
「何だ、テメェ。俺様の命令が聞けねェってのか?」
「い、いえ、そういう訳では……」
金色の眼で睨み付けられ、怯えるくま村長さん。ですが、確かにこれだけでは村獣たちの不安はぬぐえません。
「わたくしからもお願いします。今のままでは、皆さん安心出来ないでしょうから」
「チッ、しょうがねェな……」
ミミコから諭され、サンゲツはブドウ酒をビンのままラッパ飲みすると、めんどくさそうに再び口を開きます。
「作戦についてはギリギリまで言うつもりはねェ。もし敵のスパイがいたら、戦略が台無しになるからな」
「ま、まさか、そんな事が……?」
「特に、そこのアライグマなんかは、レッサーパンダかどっちか分かんねェような面ァしてやがるからなァ」
「おいっ! あんな奴らと一緒にすんな!」
憤慨するらすかるさんをからかい、ギャハハと笑うサンゲツ。
「そうだなァ、前もって準備がしてェってんなら……、そこのヘビ!」
サンゲツが食べているマンガ肉をもの欲しそうに見ていたへびさんは、いきなり指名されてビックリしますが、命令の内容になおビックリ。
「テメェの特技は大食いだったなァ。だったら、今から戦いが始まるまで何も食うんじゃねェぞ」
「……えー、なんでー!? じゃ、じゃあ、おやつはー? 何も食べないなんて、ボクに死ねって言うのー?」
「何も食うなっつってんだろうが。食ったら、俺様がテメェをブチ殺すぞ!」
そんなぁー、と嘆き悲しむへびさんを放っておき、次にサンゲツは木上りすりす兄妹に色と艶と形、三拍子揃った質の良いドングリをたくさん集めておくように命じました。
「それと、アライグマ!」
「なんだよ」
「テメェは俺様が直々に鍛えてやらァ。泣いたり笑ったり出来なくしてやるから覚悟しとけよ」
「お……、おう! 望むところだ!」
「そんで、クマ野郎はハチミツを腹一杯食っとけェ!」
「はい?」
「秘蔵のハチミツなんざァ、残したまんまじゃ心残りになんだろが。この戦いで死ぬつもりで全部食っちまえ」
「なるほど、そういう事ですか……。分かりました」
臆病な自分を戒めるための荒療治に応え、くま村長はハチミツをペロペロとなめ始めました。
「そこのシャア専用みたいな赤い服のキツネは、そのへんのザコ村獣を連れて、森の入り口に落とし穴を二百個ぐらい掘ってこい」
「ザコ村獣って……。え? に、二百個もですか?」
「そんで、底には竹槍を敷き詰めて、先っちょにはよォく糞を塗り込んどけ。落ちたらだいたい死ぬし、即死じゃなくても破傷風で致命傷になるからなァ」
「よくもまあ、そんな非道い事を思い付きますね……」
お獣良しのきつねさんは、サンゲツの悪どい戦法に背筋を震わせながら、スコップを片手に森の入り口に向かいました。
矢継ぎ早に指示を与えられ、それぞれ準備に取りかかる村獣たち。
「あの~♪ ワタシはどうしたら良いのでしょうか~♪」
そんな中、ポツンと一人取り残されたコマドリの『嶋居こまどり』さんは、サンゲツに唄うように問いかけます。
「テメェは、くまの野郎から超高級ハチミツの分け前を貰って、ノドの調子を整えとけ」
「ノドをですか~♪」
「そうさァ……」
暗黒ウサギはデザートの月見ダンゴをもしゃもしゃと頬張り、ハゲタカのように口の端を愉しげに吊り上げると、こまどりさんに言いました。
「この作戦のトップバッターはテメェだ。作戦の成否はテメェの歌声にかかってると思いやがれェ……」