易世界1
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*楽園に生きたかった
;場所: 現実世界
現実が嫌いだった。
この世界を生き続けて、その先に、満足いくものはあるだろうか?
すでに私はオジサンと呼ばれる年齢だった。
原因不明の病は、心身ともに追いつめた。
毎晩、眠りにつくとき、願った。
天国に、行きたい、と。
私は、いつも、楽な世界、楽しい世界を、思い描いた。
何度も祈った。楽園に、生きたい。
辛いことのない世界に行きたい。
あるいは……
苦痛を感じない精神にしてほしい、と。
……
もはや、何度、祈っただろう……
どれほど祈れば、望みを叶えてくれるのか?
そもそも――、祈ってもムダかもしれない。
だが……、私にはもう、祈るしか、ない。
その夜は違った。
祈りに応えるように、心の奥底から、光が生じた。
そして、現実世界での意識は、終えた。
*素晴らしき健康体
;場所: 草原(異世界)
目が覚めたとき、私は草原にいた。
突き抜けるような青空。美しいフワフワな雲。
風の吹きぬける音や、小鳥のさえずる声がした。
空気を胸いっぱい吸い込む――
私は、はっきり『違い』を感じた。ここは元々いた現実世界ではない。
はっきり表現できないが、私には感じられる。それは、絵本の中にいるような感じでもある。ゲームの中にいるような感じでもある。
現実感の希薄さ。空想に浸るときの、あの豊かな心の感覚。絶対的に守られている。何かに包まれているような、安心感――、それがあった。
それで、直接的に理解した。
私は、楽園とか、天国とか、そういう別世界に来たのだと。
ずうっと、望んでいた世界に、来られたのだと。
嬉しくなった。体と心も軽い。
走り回った。無邪気な子供のように。
長年の病から、解放されたのだと分かる。苦痛を感じない体! その喜びに全身が興奮した。
この体は凄い。とても健康体だ。ずっと走っているのに、息が切れない。その速さは、周りの草木を巻き込むほど。その跳躍力は、階段なしで二階に行けるほど。
超絶な健康体の嬉しさで、すっかり気づかなかった。
以前より、はるかに体と心が馴染むから、なおさら気づかなかった。
背が低いことにも、さっぱり違和感がなかった。
水たまりに気づいて、急停止した。
水たまりに、自分の姿が映る。
鮮やかな赤い長髪を垂らした……可憐な少女が、映った。
「なんっ…で? えっ?」
初めて漏らした自分の声は、その容姿に違わず、可愛らしい音だった。
片手を挙げたり、グルグル回転したりした。
水たまりの水面は、鏡のように、それを映した。
「これが? これが私か……」
私の外見的特徴は……こんな風体。
特徴的なのは、灰色の瞳、そしてやはり、赤い長髪だ。この髪の鮮やかさは、遠くからでも目立つだろう。
頭にはウエスタンハットを被り、体にはメキシカンポンチョをまとっている。
この渋くて地味な格好は、私の趣味に合う。西部劇のガンマンが好きだった。
たとえ少女が着たとしても、渋くて格好良いと信じる。
「はふ…っ」、とため息一つ。
記憶が混乱する。
私には、オジサンだったころの記憶がある。
だが、さらに古い記憶では、縦横無尽に世界を暴れまくる、少女としての私の姿も見えた。異質な二人の記憶、異質な二つの世界の記憶、それが交じる。
訳が分からず、泣いた。
「ウ……わ、わたし、は……、私は……なんだ? いったい……」
でも、泣いたことで混乱が収まってきた。記憶の一時的な混乱だったようだ。
そう。私は元々、この世界の住人だったのだ。
そして今まで、違う世界に封印されていた。それが――! 地球と云う星で、生きた、惨憺たる人生。哀しみのオジサン。
ようやく封印から解放され、……元に戻ったのだ。
「ははっ…、ふふふ……」
まだまだ喪失した記憶が多いが、じきに思い出すはずだ。
*鬼さんコチラ
;場所: 旧覇王城前
草原を駆け抜ける。
全然、疲れないのね。すごいすごい。おまけに、馬より速い。
で、見えてきた!
「おやおや? 建てモンでしょうかね?」
自分でしゃべったあと、その声に、「誰だ今しゃべったのは?」と思う。そして、「……あっ、自分か」と気づく。まだ少し慣れない。
とにかく、目の前には、城らしき建物が見えた。
さらに接近すると、その城は、だいぶボロボロだった。
その入り口の、大戸は、開けっ放しだった。
その向こうに……鬼が見えた。
「ふむあっ!?」
素早く、私は伏せた。身を隠した。
観察する。
「まさしく鬼だ。桃太郎にでも登場しそうな鬼だ。筋肉モリモリ屈強な、緑色の鬼」
少し考える。
「あ、もしかして……ははん。鬼が、この世界版の、『魔王』ってヤツかな? で、この城は『魔王城』と、そういうわけかな。どーだろうか、この推測」
いきなり魔王との遭遇なんて……
「とんでもねえ。しょっぱなから魔王と戦えるかっ」
態勢を低くしたまま立ち上がり、踵を返そうとする。逃げようと思った。――が
ジロリ、と、向こうの鬼さん、こちらを見た。気づかれたか――!
「まずいなこりゃっ」
私は、逃げ出す。回れ右して、も~う、ひたすら逃げるつもりだった。ところが!
「ひえああぁぁぁ!?」
「グボアァァァァアァァァァアアァァァァァァァァ!!」
振り向いたら、そこに、でっっかい熊。グリズリーみたいな、でっか過ぎるクマ! それが仁王立ちしていた。なんなのこれっ!?
「はひゃ……ふあっ……ははへ」
びっくりさせやがります。おかげで、腰抜かした。ぺたん、と尻が地に付いた。動けない。
あ、逃げれない……
前からは灰色熊もどき。後ろからは鬼もどき魔王さん。
おまけに自分は、子供さ。幼児だよ。まいっちゃうね。……ああ、ホント、参った……。
「力が、な。力、ちから、ちから、チカラ、チカラ。力が欲しい……」
「グゥゴォオゴォォォ!」
「ひっ……っ!」
クマ、吠えて、襲いかかる。
――殺される!
私は、恐怖のあまり、目をつむり、縮こまった。
――ゴガギャワアァァァァァァ!
…………何事か? クマから攻撃された様子がない。目を開け、顔を上げた。
そこには、クマをはり倒した鬼の姿があった。
「へ…は……ぁ……!?!?」
予想外の展開に、声ならぬ声が漏れる。
助け、られた……? 本当に……? 人は…鬼は見かけによらない……?
鬼はこちらを見つめる。その顔には多くのシワが刻まれ、歳を感じさせる。
「なんだよう……。結局、お前も、私を食おうってのかっ……?」
気丈に振舞おうとしたが、私の声は震えていた。
仕方ないよ。鬼は怖いもん。やっこさん、でかいんだよ。身長なんて、私の二倍はあるぞ。まぁ……こちらが小っちゃすぎるんだがな。
ところがその鬼は……涙をにじませた。
「お帰りなさいませ! 娘様!!」
「ヴぇっ!?」
鬼が喋った上、ひざまずいた。びっくりして変な声が漏れた。
「ずっと……、ずっと、お待ち申し上げておりましたッ」
地を這うような渋い重低音声で、鬼はそう云った。
私はしどろもどろ……
つまり、敵じゃない、と? ……あ!
鬼の背後から、そそり立つ影が。
クマが、まだ生きて、戦おうとする。クマの鋭い爪が、振りかぶる。
鬼は、泣いている。クマに気づていない!?
私は手近にあった石をつかんだ。
「ぬぁぁぁああっ!!」
そして、思いっきり、クマへ投げつけた。
意表を突いた隙に、鬼が逃げられれば、と思った。
ところが。
四散した。
石が直撃したクマの頭部が。
肉片と血が、周囲にばらまかれた。
「!?!?!?」
驚いて声も出ないとは、このことだ。
崩れ落ちるクマの巨体。
返り血を浴びて、振り返り、状況を知る鬼。
石か? 石のせいなのか!?
偶然! たまたま! 奇跡的に! 拾った石が、なにか素晴らしく高貴な石だったのか、な? ……賢者の石とか。爆弾石とか。
この世界の石は、怖いな。あんな破壊力があるなんて。
私は、石のせいにした。
「さすが娘様です! やはり力は衰えていないようで。
そして、ワタクシめを助けていただき、感謝申し上げます」
目の前にいる鬼が、そう云ってくるが、
「たまたま、凄い石を投げただけです」
と、答えた。
*覇王の娘
;場所: 旧覇王城
鬼に案内され、私は城の中を歩いている。城の中身はボロボロだ。
「そちらさん、魔王?」、と尋ねる私。
「いえいえ、ワタクシめは、しがない緑鬼です」、と言葉の流暢な鬼。
「ここは魔王城?」
「ここに、魔王は関係ありませぬ……。
ここはかつて覇王城と呼ばれておりました。覇王様と、その娘様であらせられる貴方様が暮らしておりました。……覚えておりませぬか?」
「覇王……? その娘? 私が?
残念ながら記憶のほとんどがなくなってねー……」
;場所: 旧覇王城 王の間
鬼さんに案内されたのは広い部屋。かつては豪奢な内装だったの思われる。
謁見の際に使用される部屋だという。
ひときわ存在感のある玉座があった。そこに私は座る。
小柄な私は、玉座に座っても、足が床に届かない。足をプランプラン揺らす。
鬼は、前方で、ひざまずいている。
「娘様。お戻りになられて、改めて、感謝申し上げます。ワタクシは嬉しいです」
鬼の目がうるんでいる。鬼の目にも涙……。
「鬼さん。この城には、鬼さん一人で住んでいるの?」
「はい。かつての側近たちは、一人また一人と亡くなり、さらには立ち去ってゆき……、現在ではワタクシ一人となってしまいました」
そう述べる鬼さんの顔は、よく見れば、だいぶ老け込んでいた。
「で、そもそも、覇王って、どういう存在?」
「それはですな――」
こういう昔話になった。
==
昔々、戦乱の世に、覇王という存在がいました。
「強い!絶対に強い!」と評される覇王は、敵なしでした。
そこで、対立する勢力は、多大な犠牲と手間の末、覇王を異世界に封印しました。
ついでに、覇王の娘も封印しました。
==
ついでに封印されてたまるかっ。……私は、何か悪いことしたかな?
*城での日々
;場所: 旧覇王城
それから数日が経過した。
私は、この城に住んだ。
「ねえ、ここに住んじゃっていい? 居候していいかな?」
「もちろんですとも!
そもそも、この城は、覇王様のものであり、娘様のものです。
むしろ私が、住まわせていただいている立場です」
「そっか、そうなのかー」
「ですので、お尋ね申します。
ワタクシは、今後も、ここに置いていただけますか?
料理、洗濯、掃除、その他雑用は全てこなしますので、なにとぞ、ワタクシめをここに置いてもらえませぬか?」
「ありがたいねー。お願い、ここにいて」
「承知いたしました。今後ともよろしくお願いいたします」
*
本当に何から何まで、鬼さんがやってくださった。
朝起きれば、朝食が用意してあり、服が洗濯されている。
日中は、狩りや、農作をやっているらしい。
初めのうちは、城内を見回り、様子を確認した。ほとんどが、使われていない部屋だった。
城の周辺も、散歩した。森のクマさんに出会った。あまり襲ってこなかった。
周辺は、だだっ広い草原があり、向こうに川、また向こうに森が見えた。
数日が経過した。
ヒマだったので、狩りは私がやると云い張った。
獰猛なキツネっぽい生き物……いや、魔物かもしれない。そんな化け物キツネが襲ってきたら、捕まえた。ぎゅっっっと、握り絞ったら、死んだ。
また森のクマさんと出会った。今度は襲ってくるタイプのクマさんだったので、返り討ちにした。クマさんに無理やり肩車させてもらって、あとは足を、クマさんの首にからめて……絞首。それでバタリ。
獲物を引きずって、城まで運んだ。解体は、鬼さんに任せた。
このときにはもう、自らの怪力に気づかぬわけにはいかなかった。――そして、我が力は、怪力だけにとどまらなかった。
魔法を使いたい
ヒマだったので、鬼さんの様子を見ていた。
すると、時折、手から、火や水を出現させているのに気づいた。
「鬼さん、それ、魔法? 魔法なの?」
「ええ、そうです。とはいえ、基本的なものしか使えませんが」
「鬼さん、魔法が使えるの!?」
「火系統や水系統、そして、雷系統に風系統と、土系統が使えます。どれも初歩のものだけでございますが」
「すごい。私に教えて!」
「……そ、それでは娘様、昼食を食べてあとにでも、お教えしましょう」
なぜか鬼さんの顔が、少しこわばっていた。
*
;場所: (覇王城から離れた)草原
昼食後。私たちは、城からずいぶんと離れた場所にいる。
魔法の稽古が始まる。
「それでは娘様、今回は危険性の比較的少ない、水魔法をやりましょう」
「うん!」
「魔法のコツを一言で申しますと、想像力です。イメージが肝要です」
「イメージね、イメージ」
「自分の体、全身に行きわたる流水をイメージします。
そして、このように、一点に集中すれば! ――」
鬼さんは右手を平手で掲げる。
「ウォーター!」
うなるような重い声で、鬼さんが唱えると、指先から放水が始まった。
その勢いは、まるで放水車のごとく、はるか向こうまで水が届いた。
「すごいすごい! こんなに威力を高められるんだね!」
私はワクワクしている。
そのうち、放水が止んだ。
「――と、このような感じであります。今回は詠唱を行って魔法を使いました。その方が発動しやすいためです」
「よし」
私も手を突き出して、流水をイメージした。
「うォおーたぁー!」
私はウォーターを唱えた。が、何も起こらなかった。
「ウォーター!」、――何も起こらなかった。
「ウォーター!!!」、――何も起こらなかった。
「ウォルタァー!」、――何も起こらなかった。
「うぉぉぉおおおたぁぁあああ!」、――まさしく、何も起こらなかった。
何も起きやしない……
「鬼さぁん……」、と、助けを求める視線を送る。
「全身のエネルギーを発散させるような心持ちで、やってみてください」
「全身全霊のエネルギー……」
私は集中した。自らの周囲にエネルギーが広がるのを感じる。
「あ、うぉっ……、娘様……」
鬼さんが何かうめきながら、後ずさりして、離れてゆく。というより、見えない何かに押されているような。
右手を突き出す。そこに展開した全てのエネルギーを集中させるように。
「うぉぉぉぉぉ! たぁぁぁぁぁ!!!」
その気合いとともに、発生した!
光の弾が、指先に。
その光の弾が、どんどん拡大してゆく。
やがては私自身も包み込み、さらに大きく。
「娘様ぁぁ!!」
遠くで悲痛な声が聞こえる。
巨大化した光の弾は、爆散した。
ドドドドドドドドドドドド
*
;場所: 草原だった荒野のクレーター
周囲の砂煙が落ち着いたとき、辺りの光景を知った。
草原だった景色は、荒野と化した。
そして自分の足元を中心に、大きなクレーターが形成されていた。
「…………」
絶句した。
ドドドドドドドドドド……
地震は、まだ続いている。
向こうに緑色のものが見える。草原が少し残っていたらしい。と思ったら、それは動いて近づく鬼さんだった。
「鬼さん、大丈夫だった?」
「え……ええ、急いで丘の影に逃げ込んだのが、幸いにして、命拾いしました」
「それは良かった」
「それで娘様、一言、云っておきたいことが」
「何でしょう?」
「今のは、少しも、ウォーターではございませぬ!」
「そうだろうねー、一滴すらも水は出なかったわ……」
「もう一つ、云っておきたいことが、娘様」
「何かな?」
鬼さんは、ある方向を指さした。
「ん?」
「城が消し飛びました」
*
;場所: 旧覇王城の跡地
「はふはふ……」
焦りを隠せない。
「娘様……」
「城があった場所、本当に、ここ? ここで合っている? 本当にここにあった城がなくなったの? 何も……」
「位置関係からして、間違いありませぬ。と、申しますか、ここらに存在する建物といえば、あの城ただ一つだけでございます。見失うはずがございません」
「はぁぁぁ……。ほんの数日だけの城ライフだった、なー……」
「申し訳ありませぬ。娘様の暴発も考え、城から距離を取った場所で、魔法の稽古をしたのですが……、娘様のお力はワタクシの想像を凌駕しておりました」
「ああ、そういうことだったのね。城から遠く離れたのは。でも鬼さんは悪くないよ。悪いのは私だ」
「…………」
「……ヨシ、旅立とう!」
「え? 旅……ですか?」
「ここには何にもなくなっちゃったもの。
それに、全てを失ってからの再スタートって、憧れていたんだ~」
「娘様の前向きさには、頭が下がります」
「下がった頭に、私を乗せろ~」
私は鬼さんの頭に飛び乗る。肩車状態になった。
「おおっと、娘様」
「鬼さん、一番近くの街は、どちらかな?」
「確か、あちらの方に、昔は集落が……」
鬼さんは一点を指さす。
「じゃ、行こう!」
「はい! 娘様」
* その頃、世界各地で。
その頃、世界各地では。
――ある国。
ドドドドドドド……
「地震か!」
「ただの地震ではございませぬ。遠くの地で、何者かが放った、魔法の余波だと思われます」
「これが魔法の余波、だと!?
「何という力だ……!」
「魔王が動き出したのか!?」
「いや違う。魔王のものでもなければ、魔神のものでもない」
「では、いったい……?」
「分からぬ」
――ある村
「うわわわうわ……!!」
「あー……」
村人は、遠くの空に浮かぶ、きのこ雲を見て、呆気にとられていた。
先ほどまで草原だった光景が、一面、荒野になったことにも――、受け入れられない現実を目の当たりにした。
■要約
オジサン刃沼は楽園に生きたかった。
異世界に覇王の娘として転生した。と思ったら、こちらこそ元の世界だった。
クマに襲われたのを鬼さんに助けられる。
魔法の稽古で、城を消し飛ばす。荒野と化したそこから旅立つ二人。