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ハンカチで机を拭く  作者: 早紀
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 神奈川。


 四十七都道府県と同じ苗字。




 そういった人間もいることはいるが、翔はそれまで〝石川〟や〝山口〟という名しか見たことがなかった。


 日本中でも数百人程度しか存在しないらしい。


 まぁ、それは自分にも言えることだが。


 


 しかし、翔のクラスにはこの珍しい苗字の〝神奈川〟さんは、こんなに狭い世界に二名も存在していた。


 それも簡単なナゾトキ。


 いるのは、同じ血縁だから。


 彼女は姉妹らしい。


 けれども双子ではない。


 どういうことだろうと思った君は、きっと幸せな学生生活を終えたか、送っている最中だろう。




 〝原級留置(げんきゅうりゅうち)〟という措置を聞いたことはあるだろうか。


 それは、生徒が何らかの理由で進級をせず、同じ学年を繰り返し履修することを言う。


 落第や留年といえば、理解しやすいかもしれない。


 しかし、正式に学校側は、こういった言い方をする。




 彼女の姉、神奈川青葉(かながわあおば)はいわゆる不登校になり、小枝より三歳も年上らしい。


 らしい、というのは、彼女が実際に中学三年だった頃、自分は小学六年生。


 今や同級生となった彼女を、実際にはまだ見たことがないのだ。


 あるのは、毎日、誰も使用しない机と椅子だけ。


 その存在は、クラスの話好きな島愛良(しまあいら)が、訊いてもいないのに情報提供してくれた時に知った。


 その時、自分は彼女に、


『どうして、不登校になったんだ?』


 と訊ねた。


 しかし、彼女は肩を竦めて言った。


『そんなの知らないよ。いじめとか、病気でしょう?』


 そういって、次のターゲットへ自分の話を聴かせに去って行った。


 知らないくせに、好きに他人のプライベートを話のタネにする。


 翔は、その時、クラスメイトのその身勝手な振る舞いに眉を顰めるだけで終わってしまった。


 


 神奈川小枝に抱いた翔のイメージは、とにかく無口。


 この一言に尽きた。


 別にクラスメイトからいじめを受けていたわけじゃない。

 

 しかし、誰とも親交を深めようと積極的に努めていなかったように見えた。


 グループ編成しての作業では、いつも一人余っていた。


 その度、教師は対応に困り果て、どこへ彼女を差し向けるかに苦労していた。


 こういった時、自分で動いて仲間を見つける。


 それも、大人になる上で重要な項目なのかもしれない。


 普通なら、教師たちも生徒の自主性に任せ、彼女が動くまで、心を鬼にして対応をしないという選択肢もあったと思う。


 それが、彼女に対してはどの教師も出来なかった。


 彼女に、彼女の姉を重ねてしまうのだろうか。


 つまり、彼女の姉は、病気ではなく、いじめでの不登校の可能性が高い。


 翔は、そう考えていた。




 それを裏付ける要因がある。


 それは、なんと言っても、鬼の国語教師と呼ばれる小山田修(おやまだおさむ)ですら、彼女を一切咎めないからだ。


 御年五十歳。


 厳つい顔と表情。


 文学を愛する姿勢。


 毎回、テストの出題レベルが最も高く赤点者を続出させる強者だ。


 生徒に対してもその厳しさは変わらず、提出課題の期限を遅らせようものなら、反省室への直行は免れない。




 それなのに、彼女がグループ課題を行う上で、いつものように一人余ってしまう事態に陥った時。


 翔を含め他の生徒は、鬼の小山田が彼女をどうするのか、不安と期待で見守っていた。


 小山田は、ほんの少し目を細めて、数秒押し黙った。

 

 それから、


『……横井。お前たちの班に加えてやれ』


 一言、そう呟いた。


『えっ?……あっ、は、はい!』


 言われた横井は、その可愛らしい二つ結びを揺らしながら、彼女をグループに加えた。




 これは、翔たち生徒に一種の波紋を呼んだ。


 鬼の小山田ですら贔屓する存在。


 実は、すごく金持ちの家柄だとか。


 姉は、生徒ではなく教師にいじめをうけていたのではとか。


 色々な憶測が飛び交ったが、結局真相を知る彼女と親しくできる存在がいなかったため、全て噂で終わってしまった。




 そんな彼女に興味がなかったといえば嘘になる。


 しかし、自分の姉が不登校。


 性格を暗くするには十分すぎる理由。


 兄弟のいない翔にとっては、こんなものだろうとも思っていた。


 深い干渉をしていいことなんてない。


 今まで通り、クラスメイトとしての距離が最も居心地がいい。


 そう思ってきたのに。




 彼女は、少し怯えながら彼を見た。


 前髪が目元を隠す、真っ黒な髪。


 クラスには、すでに何人か早熟な生徒が、自分の髪色を茶髪に染めているなか、彼女は髪の手入れなど興味ないんだろうな。


 そんな失礼な感想を抱きながら、翔は彼女を見つめていた。




「……から」




「……え?」


 変なところに思考が飛んでいた所為で、あまりにか細すぎるその詞を、翔は訊き逃してしまった。


 よくよく考えれば、彼女から自分への言葉を聞くのも、これが初めてかもしれない。


 小枝は、濡れたハンカチを強く握りしめながら、再度、口を開いた。




「……使えるから……。これで、いいの」


 彼女は、震える声で、そう答えた。


 そして、言い逃げのように走り去って行った。


「えっ!?ちょっと――」


 紗枝は、翔の予想と反し、走りが速かった。


 こうして、あっという間に、二人の逢瀬は終了してしまった。




(そういえば、神奈川はグラウンド三周、俺より先に終わってたってことだよな)


 今更ながらその事実に思い当たり、彼は苦笑した。


 たとえ、彼女とは二周のハンデがあったとしても、負けたことには変わりない。


 それは、翔の興味を引くには十分で。


 新しいオモチャを見つけた時のような悪い笑みが知らず浮かんでいた。



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