7、文字と給金
山小屋の前に人影が見えて、私は慌てて道をそれて隠れ、様子をうかがう。
男は、暫く扉の前で何かしていたが、それを終えると馬に乗ってこちらへ進んできた。
見つからないように、身を縮めて目の前を通り過ぎるのを待つ。
「あ……良かった、無事だったんだ。」
ちらりと見えた横顔は、あの時怪我をしていた青年のものだった。
完全に姿が見えなくなってから、山小屋へ移動する。さっきは何をしていたんだろうと見れば、扉に薄い木の板が立てかけられていた。
何か文字が書いてあるけれど、まったく読めない。
見なかったことにして、シャワーを浴びてハイジベッドにダイブした。
カバンから携帯を取り出して見る。メールの着信が5件あった。
こちらの世界に来てから約3週間。まだ、カバンの中が日本と繋がっている証拠に、ほっとする。
カバンの中は、住んでいたサンコーポ201号室と繋がっている。
顔を入れて覗き込めば、住んでいた部屋がそこにある。
このカバンがもう少し大きければ、カバンの中に入ってそのまま帰れるのに。
メールを確認すると、クーポンが2件、迷惑メールが2件、派遣会社からの新着仕事情報が1件だった。
携帯を充電器に戻し、メープルシロップのビンを取り出す。
甘味がそんなに貴重品だったとは。
サトウカエデが生えていることを考えると、このあたりの気候はカナダっぽいってことだよね。サトウキビを生育させるにはちょっと難しいのは分かる。蜂蜜は、養蜂技術がまだないのかな?
この世界にオーパーツ(時代錯誤遺物)を持ち込む気はない。だから、こちらにあるものと技術で作れるメープルシロップなら大丈夫かと思ったんだけどなぁ。言葉もままならない人間が、高級品を売り歩くのって相当危険だよね。
今度から、もっとこの世界のことを知って慎重に行動しなければ。
……知るといえば、怪我した青年が残したあの木の板には何が書いてあるんだろか?
ユータという人へのメッセージ?それとも私に宛てたもの?
私に宛てたものだとすると、お礼の言葉?それとも小屋周辺で何をしていたのかという警告?
「助けてもらったから見逃すけれど、小屋周辺で今度見かけたら、容赦はしない、即刻退去しろ」とかいう内容だったりしたら……
だめだ!やっぱり何が書いてあるのか確かめたほうがいい。明日、持って言って読んでもらおう。
次の日いつもより少し早めに街に着くと、街の入り口でリヤカーを引いたダーサに会った。
「ダーサ、どこ、いく?」
「今日はあっちにある農家で、ジャガイモと人参を10日分と、そっちの農家で小麦粉を買ってくる」
「リヤカー、きをつけて」
「はははっ。そうだな、勢いつけて下り降りないようにするよ!またリエスみたいなやつにぶつかるといけないからな!」
「わらいごと、ちがう」
「そうだな!はははっ」
ダーサは、私の頭をくしゃくしゃっとして、とびっきりの笑顔を見せて街の外へ出て行った。
「あんた、女でしょ」
マーサさんの店へ向かう途中、肉屋の前で声がかけられた。
「え?」
振り返ると、23,4の女性が仁王立ちになっている。
23,4に見えるけど、本当はもっと若いんだろうなぁ。赤毛にそばかすだけど、とてもかわいい顔立ちをしている。スラリとして、姿勢もいい。
「何、じろじろ見てるのよ!」
「ごめん、なさい」
「あんた、どこから来たの?女なのに、なんでそんな格好してるの?どういうつもりでダーサんとこいるの?」
矢継ぎ早に質問され、答えるための言葉がとっさに出てこない。
「何よ、だんまり?もういいわ!」
女性は言うだけ言うと、ぷいっと背を向けて去っていった。
怒ってたみたいだけど、なんだったんだろう?
「ダンケさん、おはようございます」
「リエス、おはよう。今日は早いね?」
「おねがい、ある」
「なんだい?」
私は、カバンの中から小屋の前に置かれた木の板を取り出し、ダンケさんに見せた。
「なんてかいてある?もじ、わからない」
「ああ、これになんて書いてあるか知りたいのか?すまんなぁ、俺も文字は読めないんだ。」
しまった!日本の感覚で識字率のこと気にしてなかった。文字は誰でも読めるものじゃないんだ。
「マーサに聞いてみな。」
「マーサ、もじ、よめる?」
ダンケさんはウィンク一つして、
「マーサは貴族のお嬢様だから、文字が読めるのさ!」と言った。
ダンケさんの冗談を受け流し、店に入ってマーサさんに声をかける。
「マーサ、おはようございます」
「おはよう。まだ、仕事の時間じゃないだろう?どうしたんだい?」
「これ、もじわからない。よんで ほしい」
さっきダンケさんに見せた木の板を見せる。
「えーっと、何々?『怪我の手当て感謝する。もう少し出血していたら危なかった。おかげで命が助かった。是非お礼がしたい。これを読んだら連絡をしてくれ。』」
よかったぁ~。退去命令じゃなかった。
「昨日言ってた、助けた人からだね?」
ああ、そうだ。メープルシロップこの人からもらったことにしたんだ。ナイスタイミング。嘘がより真実味を増しました。
「生きるか死ぬかの怪我だったんだねぇ。そんな怪我人を助けたなんてすごいねぇ」
マーサさんがしきりに褒めてくれるけど、嘘をついているから、心が痛む。
「どうする?返事、書いてあげようか?」
「へんじ?」
「連絡してほしいってあっただろう?返事書いて同じ場所に置いておけば連絡取れると思うけど?」
駅の伝言板みたいな連絡方法だなぁ。どうしようかな。
今までの情報を整理すると、馬に乗っていて文字を知っている=身分の高い人。
いいや、スルーしよう。この板は見なかったことにしよう。
「へんじ、いらない。ありがとう」
「そうかい?」
マーサさんはちょっと不思議そうな顔をしたけど、すぐにいつもの表情に戻った。
「仕事の時間までどうする?街を見てまわるかい?なら、今日までの給金を渡すよ?」
驚いて、口を半開きにした。給金?
「いらない、ごはんたべさせてもらってる、」
ご飯とおやつを食べさせてもらって、言葉まで教えてもらっているのに、お金までもらえないよ!マーサさん、本当になんていい人なんだろう。
「たくさんは出せないけど。リエスはよく働いてくれてるから」
「いい、いらない」
「それじゃぁ、こっちの気がすまないよ」
そう言って、マーサさんは、私の手にコインを幾つか握らせた。
「……」
じわっと涙が浮いてくる。
30歳すぎてから、だんだん涙腺がゆるくなってきた。
「あり、がとう」
「ほら、買い物でもしておいで!」
マーサさんに背中を押され、店を出る。
そうだ、またおやつを作ろう!昨日は材料がなくてなんちゃってホットケーキになってしまったから、食材を買ってクッキーを作ってプレゼントしよう!食べる物だったら、受け取ってくれるよね!
そうと決まれば、足取り軽やかに街に出た。
「あれ?もう戻ってきたのかい?」
「マーサさん、厨房少し貸してください!」
アラフォーなめんなぁ!
「お菓子が作れる女子ってモテルよね」とか思っていた時期に鍛えたお菓子レシピが私の脳には蓄積されてるのさ!
お菓子教室には1年通いました。ちなみに、そのあとに「料理上手な女はモテルよね、男は胃袋でゲットだぜ」時期がやってくるのだが……お料理教室は2年通いました。
そして、独身の今に至ります。何が間違っていたのだろう?