4、おやつタイムに言葉の勉強
ランチタイムが終わったあと、おかみさんがしきりに何かを言っている。
繰り返し聞くうちに「ヘラッタ、サークット」と聞こえ、それぞれの意味が「助かった、ありがとう」だと理解できた。
そこで、私も食べるジェスチャーをしてから「サークット(ありがとう)」と頭を下げた。
「****サークット***」
厨房から、50代の恰幅のいいおじさんが現れた。口元と鼻が青年に似ていることから、どうやら青年の父親で、おかみさんの旦那さんのようだ。
旦那さんは、皿一つとコップ3つをテーブルに置いた。
皿にはパンを薄く切ってカリカリに焼いて塩を振ったおやつが乗っていて、おじさんは食べるジェスチャーをしながら
「イーツッタ、イーツッタ」と言う。食べろ、食べろと言うのかな?
こうして、私は、幾つかの言葉を覚えながら、おかみさんと旦那さんとおやつタイムを楽しんでいた。
以下、ジェスチャーによる想像会話
「私は、マーサっていうんだ、旦那はダンケ」
「名前?マーサさんと、ダンケさん?」
「そう、名前、名前」
「私は梨……」
名前を言おうとしたときに、ガラガラと店の前にリヤカーが着いた音がした。
「*****(ただいまー)」
青年が顔を出す。
「こいつの名前はダーサ、**********」
ダーサさんは、ダンケさんに何か言われると、
「サークット(ありがとう)」と言って私の背中をばんっと叩き、頭をくしゃくしゃっとした。
待て、待て、待てよ!
それが年上の女性に対する扱いなのか?
まさか、年下と思われてる?
いや、いや、流石にそれはないな。ダーサは25歳前後でしょ?いくら日本人が若く見えるっていったって、20代前半には見えないでしょ。20代後半に見られたら御の字だよ。アラフォーですぜ、私。
それとも、女だと思われてない?男だと思われてるんなら、身長160しかないし、年下に見える可能性も?
この街の住民を見る限り、男性は短髪でシャツとズボン姿だ。一方女性は、髪を伸ばし、スカートをはいている。
ショートカットでズボンはいている私は、この世界基準だと男だね。うん。男だ。
訂正は……、やめておこう。
わざわざ「私はアラフォー女子だぁ!!」と言う必要もないし、そもそも言葉も知らない。
それに、女の身よりも男の身の方が便利なこともあるはずだ。主に貞操面で。
「名前、リエス」
名前は、本名の梨絵を少し変えて自己紹介した。
その後、おやつを食べながら、身振り手振りを交え、お金がないこと、言葉を覚えたいことを伝えた。
さらに、言葉を覚えるまで店で雇ってもらえないかと頼んでみた。お金は要らないので、ご飯を食べさせて欲しいと。
就職活動常連の私には、求職行為に躊躇はない。
かなりずうずうしいお願いをしたにもかかわらず、昼間の働きが功をそうしたのか、それとも単に人がいいのか、OKをもらった。
本当にご飯だけでいいのか?他に困っていることはないのか?1人で大丈夫か?と各々に心配そうな顔もされたので、人がいい一家なんだと思う。
おやつタイムが終り、明日からよろしくお願いしますと頭を下げて店を出た。
店の前には、酒樽を積んだリヤカーが置いてある。
ダーサは酒を仕入れに行っていたんだ。店の前とはいえ、放置しても平気なんて平和な街だね。運がいいなぁ、私。
街から5分ほど歩き、リヤカーにひかれた場所に来た。下り坂になっているおかげで、直接街からは見えない。
きょろきょろと、人がいないのを確かめると、山に入った。
馬小屋に間借りしているのはあまり知られたくない。勝手に住んでることも知られたくないが、一番知られたくないのはこのカバンだ。
獣道を30分ほど登ると、小屋へ続く山道にぶつかる。それを頂上方向に20分ほど行くと小屋が見える。
「あーっ、しんどい!」
馬小屋にたどり着くと、ハイジベッドにダイブ!
うつぶせのまま、休憩。
休憩。
休憩。
やばっ、このま寝ちゃいそうだ!まぁ、いっか?寝ちゃっても?と意識を手放そうとしたときに、携帯が鳴った。
「電話?誰から?」
慌てて上体を起こし、カバンに両手を突っ込む。名前を確認すると、派遣会社の名前。通話ボタンを押し、カバンに半分顔を入れて電話を耳に当てる。
「はい、もしもし」
仕事の案内、半年契約で、時給はいくらで、勤務地はどこどこで……というものだった。事情があって当分仕事ができない旨を伝えると、電話が切れた。
カバンから頭と携帯を出す。
携帯電話は圏外表示に切り替わっている。
はぁーーーっ
惜しい仕事を失った。
紹介予定派遣だったんだよ?正社員になれたかもしれないんだよ?
30過ぎると、派遣の仕事の紹介量も減るんだよ?紹介予定派遣なんて、ここ5年紹介されたことないんだよ?
地味に凹んだ。
「シャワーでも浴びてこよう……」
馬小屋の裏の簡易シャワールームでシャワーを浴びると、少し気持ちが落ち着いた。
日本に帰る手段を見つけるまで、暫くこちらの世界にいなくちゃいけないんだからやることやらなくちゃ。
まずは言葉。言葉が分からなければ、帰り道の情報集めにも窮する。もちろん、日々の生活の安定もままならない。
カバンに両手を突っ込み、水道水をペットボトルに入れる。
まずいけれど、飲んでも大丈夫な水道ってありがたい。ビバ日本!
ペットボトルに入れた水道水をごくごく飲むと、今度はカバンからノートとペンを取り出す。
今日覚えた言葉を忘れないようにメモしておこう。
ヘラッタ 助かる
サークット ありがとう
イーツッタ 食べる
シット シチュー
プンッチ 肉はさみパン
プン パン
「あれ?」
ヘラッタ help
サークット thank
シット stew
肉はさみパンsandwich
パンbread
英単語と少し似ている単語がある。文法的にも、主語、動詞、その他という語順だったし。
どうりで、すごぉく訛った英語に聞こえたわけだ。
なんていうか、英語が日本語の現代文だとすると、こちらの言葉が古文みたいな、似てるけど違う感じだ。
もしかすると、アラビア語を習うよりは早く覚えられるかもしれない。
それに、私の仮説が、いよいよ真実味を帯びてきた。
この世界と地球は、ところどころ繋がっている。
そのつながりを、植物の種子や動物、そして人間が遥か昔から行き来している。
だから、木々や草花、昆虫や動物などの生態系がとても似ている。
どの時代の人間がどれだけ行き来したかは分からないが、文明も進歩の差はあれど同じような発展の仕方をしているのもそのためだろう。
そして、訛った英語のような言葉もしかり。行き来した人間が伝えたもので、元が同じだとすると。
地球のガラパゴス諸島の例もあるように、行き来がなければ、独自の進化をするわけだから、次元のつながりというのは案外たくさんあるんじゃないだろうか?
頻繁に行き来があるからこそ、ここまで似ているんじゃないだろうか?
私は、異世界に来てしまった。
しかし、この仮説が正しければ、私は次元のつながりを通って日本に帰れるはずだ。
日本に帰るためには、その次元のつながりを見つければいい。
この、カバンのような