31 女神の疾走
手渡された物はキュベリアで見たことがないものだった。
「これ、どこで売ってるんですか?」
唐突な私の質問に、聞かれたメイドは手を止めた。
「雑貨屋に行けば売ってるだろ?」
「私でも買えますか?」
「何言ってんだい、買えるに決まってるだろ?」
あきれたような顔をして、メイドは作業を再開する。
「これ、どこで作ってるか知ってますか?」
「どこって、この辺ならチュルス村が有名だね、って、無駄口ばかりたたいてないで、働きな!」
「チュルス村ですね、ありがとうございます!」
ぺこりとお辞儀をして洗濯場を去る。
「ちょっと、あんた、」
チュルス村、チュルス村。
キュベリアでは見たことがないけれど、ピッチェではメイドが雑貨屋で買えるほど一般的に流通している。
きっと、これなら外交カードになる。
だけど、キュベリアに輸出するためにピッチェ国内で価格が高騰しては話は別だ。
ピッチェにとっては迷惑にしかならない。
「すいません、チュルス村はどこにあるか知りませんか?」
いつの間にか、兵舎の並ぶ区域に来ていた。歩いていた兵士に尋ねる。
「チュルス?チュルスなら、こっから北へ歩いて3~4時間の場所だな。一本道だからすぐに分かるよ」
歩いて3時間、往復で6時間、交渉の時間も入れて……間に合うだろうか?
ううん、間に合わせる。
「あっ」
チュルスへ向けて足を進めようとしたときに、後ろで声が上がった。
「え?」
振り返ると、だらりと手を下げたトゥロンの姿があった。足元には模擬剣が落ちている。取り落としたらしい。
「め、女神…様……」
うわ!そうだ、今の私、化粧してない!
「まさか、もう一度お会いすることができるとは……」
トゥロンはふらふらと近づいて、私の手を取った。
「いえ、私は、女神ではありません……」
「何と言おうと、あなたは俺の、女神……」
うわー、厄介なのにつかまった!
「ごめんなさい。私、急いでチュルス村に行かなければならないので、失礼いたします!」
背を向けた私の手をトゥロンがつかむ。
「お待ちください女神!このわたくしめに、チュルス村へのお供を!今、馬をお持ちいたします」
お供って、付いてこられても困るけど、馬はありがたい。これで、移動時間が短縮できる。
トゥロンが馬を引いて戻ってくる。
「どうぞ」
膝を立てて、馬に乗るための踏み台を作ってくれる。ワンピースの裾を巻く仕上げ、馬にまたがった。
「え?!」
スカートの女性がまさか、またがると思っていなかったトゥロンは、あっけに取られている。
その隙を突いて、馬を走らせた。
「ああ、女神、お待ちを!」
トゥロンが慌てて馬の後を追おうとしたが、振り切って城を出た。北へ続く道を真っ直ぐと馬を走らせる。
アラフォーなめんなぁ!乗馬は習ったんだ!
習ったんだけど、でも、
こんなに速く走らせることなんて練習してないよー!
トゥロンから逃げようと、思い切り腹を蹴ったのが祟った!
落ちる、怖い、ぎゃーっ。
失踪する馬の手綱を必死に握り締め馬にしがみつく。どれくらいそうしていただろうか。
次第に握力が無くなって来た。だめ、落ちるわけには行かない。握っているだけじゃだめだ!手綱を手に巻きつけようとしたとき、手が離れた。
あ、やばい、落ちる!
落馬って死ぬこともあるんだよなぁ……柔道の受身って、こんな時も役に立つのかな?
「女神!」
ドンッと背中に衝撃を受ける。でもそれは落下によるものじゃなく、延ばされた腕に背中が支えられたものだ。落下を免れた。すぐ隣を、トゥロンが馬で併走している。私の背に、彼の長い腕が回っていた。
トゥロンは私が手綱を持つと、器用に自分の乗る馬を操りながら、私の乗る馬の手綱も引き締め、馬を止めた。
「大丈夫でしたか、女神」
あー、助かった。
「ありがとうトゥロン……」
「おお!女神よ!我が名をご存知とは!礼には及びません。馬の暴走を止められなかったトゥロンめが悪いのです」
大げさに顔を覆トゥロン。馬は暴走したんじゃなくて、私が故意に走らせたんだけどね。ごめん。
「あそこに見えるのが、チュルス村でしょうか?」
トゥロンが顔を向けた先に、集落が見える。
「行ってみましょう」
今度は、馬が暴走しないように、気をつけて走らせる。
村の入り口について、馬を下りる。馬は、トゥロンに任せた。
トゥロンはどこか馬をつなげる場所を探してその場を離れる。
見た感じ、村はミリアよりも小さな集落だ。商業的な建物はほとんどなく、農家や何かの工房のような建物が距離を置いて並んでいる。
「あの、これを作っているのはどこか知りませんか?」
洗濯場から持ってきたものを見せると、村人は親切に教えてくれた。
「あっちでも、そっちでも作っているよ。もし何か知りたいなら、村長のところで聞いたほうが早い」
村人が村長のいるところまで連れて行ってくれた。村を上げて作っているのか。だとすれば村長に話が通れば、一つずつ尋ねていく手間は省ける。
「村長、お客さんですよ」
「はいよ、ちょっと待っておくれよ」
腰の曲がった男性が、大きな鍋で何かを混ぜ終わるとやって来た。
深いしわの刻まれた顔は、にこやかな笑みを浮かべている。
「待たせたね、何の用だい、嬢ちゃん」
「あの、これが必要なんです」
手の平に、使いかけてお饅頭みたいな形の物をのせて見せる。
「ああ、村には幾つでもあるよ。どれだけ入用だい?」
私は、できるだけ真剣な眼で村長の顔を見た。本気が伝わるようにと。
「今、ピッチェに流通しているのと同じくらい、いえ、その倍の量です」
到底本気にされないような途方もない話だ。
しかし、村長は長年の経験で、私の言葉の本気を読み取った。
「そりゃぁ、無理だ」
「なぜ、無理なのですか?人手や資材が足りないというのなら、」
「原材料がないんだよ」
村長は首を横に振った。
「人手や資材は問題ないんだ。そもそも1年中作っているわけじゃないからね。作る時期を長くすれば、生産はできる。だが、そのための原材料がない」
「原材料が手に入れば、作れるんですか?」
私の言葉に、村長は小さく眉毛を上げた。
「仕入れるお金がないとかそういう問題ではないんだぞ。そもそも、原材料の生産量に限りがある。金に物を言わせて買いあさっては、他に支障が出てくるから、それはできない。」
「じゃぁ、原材料の生産量を増やせないか、頼んでみます」
「無理だと思うがね、どうしてもというのなら、東へ行けばオリーブの産地があるよ」
「あ、ありがとうございます!また来ます!」
原材料さえあれば、増産してもらえる!
「トゥロン、馬を出して!」
今度は東へと馬を走らせた。




