282 帰り道
起きたら、ラトのいる宿の一室だった。
気を使って誰かが運んでくれたのだろう。
すぐに立ち上がり、目の周りの熱に気が付いた。
泣いて泣いて、腫れあがった目。
……ラトが起きたら、どうしたのって心配させちゃうかな……。
……起きて……心配してくれたら……いいのに。
まだ、生きているだろうか……。不安を感じながら、ラトの部屋の扉を開ける。
「ああ、リエスさん。起きましたか?あと2刻ほどで夕飯の時間ですが、昼も抜いているので早めに食べますか?」
ラトのベッドサイドにいたオーシェちゃんが明るい声を出した。
「ラトは……?」
「少し熱が高くなってきたので、呼吸が早いです」
ドキリ。
大丈夫、落ち着こう。熱はお医者様も出るかもと言っていたので、異常ではない。
「目を覚ましたので水を少し飲みました。すぐにまた眠ってしまいましたが」
オーシェちゃんの肩をつかむ。
「目を覚ましたの?」
「ええ。ぼんやりとしていましたが、自分でグラスを手にして飲みましたよ」
ぼんやり……は、熱のせいだろうか。グラスで水を飲むということができるなら大丈夫なのかな?
どっちなの?
また、不安で心臓が早くなる。ネットで調べたって、答えは出てこない。
この世界に生きているオーシェちゃんは明るい。ラトの様子を見て、切迫した状態だと思わないからだろうか?
日本で生きてきた私は、病院でしっかり検査してこうだと言ってもらえないこの状態が不安で仕方がない……。
ああ、そういえば、いつかランちゃんが言っていた。遠く離れたトゥロンは無事でいるのだろうかと心配するのはやめたと。
この世界では、必要なことなのかもしれない。ちょっとしたことで不安になって心配して、身動きできないでいれば……。
必要なことをしなくちゃ。
まずは……。
水差しをもって宿の台所を借りる。
点滴もない。口から水分を補給するしかない。でも、眠り続けているなら……ほんの少し目を覚ましたときにしか水分補給できないのなら……経口補水液のように体に吸収しやすいものの方がいいはずだ。宿にないものは町へ買いに出かける。体を動かした方が気がまぎれる。
「オーシェちゃん、今度目を覚ましたら、水の代わりに経口補水液を飲ませてあげて」
「けいこ?ほ?」
目の前で作って見せる。はちみつと塩とレモン汁と水。分量はグラスとスプーンで覚えられるように教えた。
部屋に戻り、カバンから携帯を取り出す。
吾妻さんからメールが届いている。
『概要は聞いた。気球とは、よく思いついたな。天灯との組み合わせも面白い。いつか詳細を教えてくれ。小説にしたい』
小説?グアルマキート戦記のことだよね?私が、小説に出るの?
『戦後処理の話をしたい。クリュラート陛下の回復を待ちたいところだが、ウォルフへは一日も早く対応した方がいいだろう。トゥロン陛下とカーベル殿に伝えてほしいことがあるんだが、君に電話してもいいか?』
戦後処理?
戦争は回避したのに?
『電話できます。今からでいいですか?』
メールをまずは送る。
『30分ほど待ってくれ。用事を済ませ場所を移動する』
返信がきた。
30分か……。とりあえず携帯を充電しておこう。充電器のあるところに移動しようと鞄から顔を出すと、洗面所から身支度を整えたユータさんが出てきた。
「ああ、梨絵さん、ちょうどよかった。少し、話できる?」
話?
「これのことなんだけど……」
ユータさんが、救命胴衣と高層ビル脱出用パラシュートを指した。
「今回のために用意したものじゃないよね?もっと前から部屋にあったよね?」
そう。ウォルフ対策で気球に乗るために準備したものではない。
今回は偶然に役に立てることができたけど……本当に使おうと思っていたのは……。
無言で何も言わない私をユータさんがじっと見ている。
顔だけ出している状態だから、宙に浮かんだ私の顔だけ見てる。
「知らなかった……」
ユータさんは、小さな声を喉の奥で鳴らす。
「知らなかったよ、ごめんね……」
「ごめん?」
一体何が?
ユータさんにはいろいろとしてもらって感謝することはあっても謝ってもらうようなことなど何もないよ。
「竜咆の森の洞窟のつながりから……こちらへ帰るつもりで準備したんだろう?」
そう……。
「他にも大きな段ボールがいくつかあるけれど、箱にゴムボートとか書いてあるのを見て……僕はやっと気が付いたんだ。梨絵さんがどれほど帰りたいと思っているのかと……」
帰りたい?
ユータさんの言葉に、私自身が驚いた。
今……まったく帰りたいなんて思っていなかった。
忘れていた。
ラトのことしか考えられなくて……。
ラトが回復したら、そうしたら……って……。回復したら、もう一度ラトがプロポーズしてくれたらって……そうしたら、私……。
帰りたいとか忘れていた。そんな自分に驚く。
ああ、失うかもしれないというここにきて、失いたくないって思って……。
思って……私……。
「海に放り出されて死ぬかもしれないから諦めろなんて……簡単に諦められるようなことじゃなかったね。本当にごめん」
ユータさんが申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「海に放り出されても死なない方法を考えてあげるべきだったね。これから、僕をすくってくれた船の関係者に話を聞いてくるよ。どのあたりの海域だったかとか……もう一度詳しく聞いてくる。それから、海難信号なんかについても調べて、必要な物が入手できそうならば入手してくるから」
顔を上げたユータさんがにっこりと笑っている。
「きっと、もうすぐ会えるよ。顔だけじゃなくて、全部の梨絵さんと。じゃぁ、行ってくるよ。何かあったら連絡して」
手を振って、ユータさんは部屋を出て行った。
日本へ……帰れる?
帰るための手段をユータさんが整えてくれる?
本当に?
私……、私……。
帰りたいの?




