278 あの時と同じ
この世界に迷い込んでから、何度この言葉を繰り返しただろう。
泣くな。怖がるな。負けるな。
伊達に年を重ねてきたわけじゃない。色々な経験は私の糧になっている……。
ああ、そういえば、ラトと初めて会った時にも私、同じこと言っていたね。
アラフォーなめんなぁって。
血だらけのラトの止血をして……。
そうだよ!区が主催する無料の応急処置講習に行ったのは1回だけじゃないんだよ!
最近でこそAEDの使用方法をまず説明されるけれど……その前は、人工呼吸と心臓マッサージが一般的だったんだよ!
ラトに触れる。
大丈夫、まだ温かい。
心臓マッサージ。
両手をラトの胸の真ん中に当てて……。
「いち、に、さん、し、ご、ろく……、……、にじゅう、にじゅういち……」
強く押す。
遠慮しちゃだめだ。
肋骨なんて折れたってかまわない。
そう、習った。
習った通りに、私……できてる?
30回、それから、人工呼吸を2回転…、それから……もう一度、心臓マッサージ。
ラト、ラト、お願い、お願い!
「リエスさん、いったい何を……」
間違ってない?私、ちゃんとできてる?
息は、1秒かけて吹き込み、間は5秒……。
心臓マッサージは、1分間に100回のペースで……。
ああ、この場所で合っているのかな。
押す力は足りてる?
平らなところでって習ったけど、船底は完全に平というわけにはいかない……。揺れるし……。
やだ、どうしよう、ラト!
「じゅう、じゅういち、じゅうに……」
数字をつぶやきながら繰り返す。
4セット目……。
ああ、力が……。
力が入らなくなってきた……。
そうだ、たしか、5セットごとに別の人間に交代したほうがいいって……。
「見ていて、同じようにお願い、次で交代を……」
5セットごとに交代なんだから、まだ、まだ可能性はあるってことだよね……。
ラトの心臓、動いて!
「ウルさん、交代してください。胸の圧迫は強めに親指が沈むくらいの深さで……」
人工呼吸の息を吹き込む合間の5秒にウルさんにお願いをする。
「わかりました」
ウルさんが、ラトの胸元に私がしていたように手を組んで置く。
ゲホッゴホッ。
その瞬間……。
ラトの口から水があふれ、咳が……。
「ラトっ!」
呼吸、脈が……戻った!戻った!
戻った!
「まさか……確かに、息がなかったはずだ……」
セボンさんが驚きの声を上げる。
「動いていますね」
胸に手を当てているウルさんがつぶやいた」
よかった。
あとは、意識と怪我と……。
「ラト、聞こえる?大丈夫?」
何度目かの呼びかけに、ラトの目がゆっくりと開いた。
「ラト!」
ラトの視線がさまよう。
ああ、どうしよう。
意識障害?
「リエ、無事で……よかった」
しばらくさまよっていた視線が私の顔に定まると、ラトはそれだけつぶやいてまた意識を手放した。
……ひとまずは、大丈夫なの?
分からない。
「とにかく早く戻りましょう」
ウルさんに言われ、セボンさんがオールを持つ。
ウルさんは海に飛び込み、もう一つの舟に移った。
陸地にたどり着くと、状況が分からず右往左往している人たちが騒いでいた。
その中、ウルさんとセボンさんは落ち着いて、人を手配してくれた。
ラトは港町の宿屋の一室へと運ばれ、医者が呼ばれる。
着替えと診察の間に、私は水浴び場で鞄からシャワーを出して浴びた。
何かをしていないと不安で心が押しつぶされそうだ。
ラトは……心臓は動いてる。
呼吸もしてる。
一瞬目が合い、名前を呼んでもらえた。だけど……。
カバンは海に沈んだ時に、水が流れ込んだようで部屋の一部が水浸しになったようだ。幸い?水圧で鞄の入り口もぺしゃんこに潰れたため、次々と海水が流れ込み部屋が海になる事態は避けられたようだ。
水浸しになった部屋の掃除はユータさんがしてくれている。
「ごめんなさい、迷惑をかけて……」
「何言ってんの?僕の第二の故郷をすくってくれてありがとう。その場にいられなくてごめんね……ラトのことお願い」
鞄から顔を出したら、ユータさんが頭を撫でてくれた。




