268 ラトの腕
ラトが弓を置いて、私の手を取った。
「傷だらけだ……」
私の手を持つラトの手……。手の甲は白くてきれいだけど、手の平は私のふにゃふにゃな皮膚と違って、硬い。
小さなころから剣や弓を握っていっぱい鍛えた手……なんだろうな。
こんな風に皮膚が硬くなるには、どれくらい練習をすればいいんだろう。どれくらい練習すれば、矢が的まで届くようになるのだろう……。
「私……」
アラフォーなめんなじゃない。
ちゃんと鍛えてきたアラフォーなら、短時間で矢を飛ばすことはできるかもしれない。だけど……全然鍛えてないアラフォーなんて……。基礎体力が必要なものにはまったく役に立たないんだから……。
どうしよう……。
戦争なんていやだ。
人が死ぬなんて嫌だ。
矢が飛ばさられれば、少しはウォルフに脅威を退かせるための脅しになると思うのに……。
自分の無力さに、指先が震える。
「リエ……」
ラトが、私の名を口にする。
「余が……私の手を使えばいい。弓の射手が必要ならば、私がリエの代わりに弓を引こう」
私の手の平にラトが唇を当てた。
「ラト……」
ああ、ラト。
そうだね。
誰かに力を貸してほしい。
目の前に差し出されるラトの手を取れたら……。
でも、でも……。
ぐっと、唇を引き締めて、首を横に振る。
だめだ。それはできない。
だって……、ラトには見せられないものを使うから……。それは、私の命を守るためのものだから、使わないわけにはいかない……。
ラトは、私の目をそらすことなくじっと見る。
ふと、ラトの両腕が伸びて私の体を抱きしめた。
え?
な、な、何?なんで、いきなりハグ?
「未来の知識を使うの?」
耳元で小声でささやかれる。
「え?」
ラトに抱きしめられたまま、体が固まる。
「ラ、ラト……?」
「ユータが言っていた。自分はキュベリアにはない未来の知識を持っていると……」
ユータさんが?
「KAYAKU……ユータが、未来の武器は何百人、何千人もの人を一度に殺傷することができると言っていた……」
何?どういうこと?
ユータさんは、自分がこの世界の人間じゃないってラトに話をしたの?
オーパーツの存在を漏らしたの?
「火薬……が、あるの?」
「ユータは、未来の知識の断片を教えてくれただけだ。作り方はユータも知らないと言っていたし、そんなものを私も知りたいとは思わないと言った。他の者にも言うようなことはしていない」
ふと、こらえていた涙が頬を伝った。
「リエ……、やっぱり君も火薬を……未来の知識を持っているんだね?」
未来の知識……。
「故郷は、この世界のどこにもないんだろう?帰りたいというのは、もう二度と会えない未来へ帰ると……」
ラトの腕に力がはいる。
「ラト……私……、私……」
ラトは知っていて、それでも今まで何も言わなかったんだ。
オーパーツの存在も、私から聞き出そうとはしなかった。
私が帰る世界の話も、何も尋ねなかった。
王という立場にありながら、ユータさんから得た知識を誰にも漏らすようなことをしなかったんだね……。
もし、私が……日本に帰れなくて、1人が寂しくて、誰かにそばにいてほしいと思った時に……。
ちょっとだけ弱音を吐きたくて、日本のことをぽつりと話をしたくなった時に……。
ねぇ、ラト……。
ちょっとだけ、一緒にいてもらってもいいの?
うっかり、日本のことを口にしても……受け止めてくれるの?
ラトの背に、腕を回した。
ぎゅって、ラトの腕に力が入る。私も腕に力を入れた。
「ラト、腕を貸して……」
この力強い腕を、少しだけ貸して。
私に足りないものを、補って……。
ねぇ、ラト……。
私は、とんだわがままだね。甘えていいわけないのに。
一国の王に、危険を冒せって言ってるんだから……。
でも、ごめんね、ラト。
私、ラトに甘えたい。1人じゃ、これ以上無理なんだもの……。
私の手では、弓が引けない。……。
「もちろん。リエ、腕と言わず、すべてをリエのために……」
落ち着いてから、二人で矢を拾いながら話をする。
ラトは、自分でなければ回らないことのみキュベリアで速攻片づけてきたそうだ。後のことは、弟のカムラートに任せてきたらしい。
「え?キュベリアも戦火に巻き込まれるかもしれない側面で、大丈夫なの?」
「それに、カムラートよりも頼りになる母も現場復帰してくれたし」
「え?母って、皇太后様?」
何、その頼りになるって……?
「私が子供のころは、まだ戦争が何度も起きていたから。父である王を支え、戦時中に城で采配を取り守ってきたのは母だからね」
ああそうか……。
そういえば、ユータさんが来た頃にはまだ戦争が当たり前にあったんだよね?そうか。経験者がいれば心強いね。……きっと、家臣も経験者がたくさんいるんだろうな……。