267 弓
着々と準備は進んでいた。
モヅ村も、あの調子ならかなりの数がそろうだろう。直前まで、準備を続けてくれるから、ウォルフの到着が遅くなればなるほど数はそろう。
王都の人たちに頼んで作ってもらっているものも、順調だ。部分的に実験したけれど、強度なども大丈夫そう。
日本側では、ユータさんが必要なものをこつこつと揃えてくれている。
絶対に必要なものはすでにある。あるといいな、もっと量があればいいなというものはウォルフの到着がいつになるかで揃う量が変わってくるだろう。
国としての動きは、すでにトゥロンとカーベルさんが回している。私の出る幕ではない自覚はある。
他国との連絡、つなぎ役はウルさんに頼んである。カーベルさんにも、私を経由せずに直接ウルさんにと言ってある。
ただし、ウルさんには吾妻さんへの連絡だけは私に一旦教えてほしいと言ってある。
……狼煙よりも、携帯メールや電話の方が早くて正確だからね。協力できるならしたい。
私は、ウルさんに新しくもらった少し柔らかい弓を手に森の入り口に足を運んだ。
谷川をはさんですぐ。
トゥロンが落ちた吊り橋があった場所には、新しく丸太を何本か渡しただけの橋がかけられている。森から切り出した木材を運ぶためのものだ。
運ばれた木材は、すぐに投石機の材料として使われる。
運搬などの邪魔にならない場所へ移動して、弓を構える。
「んーーっ」
はぁ、はぁ。
「んんーーっ」
ぶはっ。
矢を持って弦を引くんだけど、本当にこれ、柔らかい弓に変わったの?
私の頭の中の弓を引くイメージは、左手の肘がまっすぐ伸びて、右手の矢をもつ位置が顔の横なんだけど……。
どんなに力いっぱい引いても、左手の肘は伸びない。
矢の先は上下に動いて、とても狙いを定められるような状態じゃない。
もう、これ以上無理っ!
なんとか30センチほど弦を引いて、手を放す。
矢はぴょーんとバッタが飛ぶような弧を描いて着地。10mくらいとんだ?
的として、50mほど先の木を狙っていたんだけど……。全然だめだ!
ううん、あきらめないよ。
まだ、これ、初挑戦だもん。練習。練習。
アラフォーなめんなぁ!
いろんな講座にチャレンジしてきたんだよ!やり始めて全然ダメなことなんて当たり前!理想とする、頭の中にあることが自分にできなくてがっかりして、そこでやめちゃったら上達なんてできないんだから!
絵手紙講座もそうだった。頭の中に浮かぶ絵をすらすらと描けるかと思って筆を取るんだけど、出来上がった絵は……。
あれだ。犬を描いたのに熊?って言われるレベルだった。才能ないわ!と愕然としたけれど、せっかくお金を払ったんだしと、3か月ちゃんと通った。
すると、あーら不思議。犬を描いたらちゃんと犬に見えるようになった。先生の絵に比べればまだまだだったけど、それでも見られる絵になった。
つまり、誰でもはじめは下手くそ。だけど練習すればそれなりにできるようになる……。
とはいえ、圧倒的に時間が足りない。
筋肉も足りない。
でも、何かしらコツがあって、それをつかめばもう少しましになるかもしれない。
もう一度!
もう一度!
もう一度!
何度も繰り返す。
矢が頬をかすめる。
「痛っ」
手で、痛みの走った場所に触れる。
ぬるりとした感触。
少し切れて血が出てる?
手のひらを見れば、指先も弦で傷がついている。幸いにして血が出ていなかったから気が付かなかった。
「あー、血が、血が出てるっ!ほら、これで押さえて」
斜め後方から手が伸びて柔らかい布が頬に当てられた。
この声……。
「なんで、弓なんて持ってるの?」
当然の疑問に私は答えることができなくて、黙る。
「あー、こんなに傷ついて。……矢は、あの木に当てればいいの?」
前方に、点々と矢が地面に突き刺さっている。その矢の先には一本の木がある。
一番とんだ矢ですら、木までの距離の半分にも満たない。
「貸して。僕も、矢はあんまり得意じゃないけど……」
私の手から、弓を。足元に置かれた筒から矢を1本取り、あっという間に構えた。
大きく弦を引き絞る。
私が、ずっと頭に思い浮かんでいた姿だ。
体を的に向かって横に向ける。
左手をまっすぐ伸ばし、矢を持って弦を引く右手は顔の横にある。
ああ、左手の親指を伸ばしてそこに矢の先を載せてる。
ひゅんっ。
矢が風を切る音がした。
ああ、私が何度試してもこんな音がしたことはなかった。
放たれた矢は、的である木にしっかりと突き刺さっていた。
得意じゃないなんて、嘘じゃないの。っていうか、これでも得意だと言えないくらい、みんな弓を使いこなしてるってことなのかな……。
ぼんやりとする私の横で、2本目、3本目と矢をつがえて、次々に放つ。
そのどれもが、1本目の矢と20センチと離れていない同じ位置に突き刺さった。
「ラト……、本当は得意なんでしょ?」
確か、弓道とかも的にすべての矢を当てるだけでもすごいことだったはずだ。
「そんなことないよ。頭の上に乗せたリンゴに命中させたり、揺れる小舟の上の扇子を射抜いたりなんてできないからね」
は?
「ユータに聞いた。弓が得意というのは、そういうことだって」
ユータさん……。