244 天使
見間違いだよね?
ラトがいるわけない……。ここはトルニープだし……。キュベリアじゃないんだから……。
それに、もし、ラトだとしても……。
「会えるわけない……」
ううん、違う。
会ってどうするっていうの?どうにもできないよ……。
はっ。
足に振動が伝わる。
服の下に隠してあるカバンに入れた携帯だ。
急いで舞台の裏側の、聖女の奇跡用の道具が入れられた天幕の中に入る。ここなら人目がない。
服の下のカバンの中から携帯を取り出して着信履歴を見るとユータさんだった。
ユータさんから電話?
いったいなんだろう?
今日の聖女の奇跡の準備で重要なことをお願いしてある。まさか、不測の事態でも起きたのかな?
もし、奇跡を見せることができなくなるようなことが起きてたら……。
急いでカバンに頭を突っ込んで、電話を……。って、電話をかけなくても、部屋にユータさんいるんだった……。
玄関に、立つユータさんの姿があった。
驚いた顔してる。そりゃそうだよね、急に頭が宙に飛び出してきたら。
「あ、えっと、電話が鳴ったから……」
驚かせてごめんね、てへっ。
「あ、うん、忙しいのに電話してごめん。えっと、宅配を勝手に受け取っちゃったけど、大丈夫だったかな?」
「宅配?受け取ってもらってありがとうございます」
何か通販でもしたっけ?それとも実家から何か送られてきたかな?
「もしかして、今日使うものだったらと思って連絡したんだけど……」
ユータさんの後ろには、かなり大きなダンボール箱が壁に立てかけられていた。
まるで、棺おけでも入っているんじゃないかって大きさのダンボール。
「イリュージョンに使うもの?」
ユータさんがそう思うのも納得のサイズだ。だけど、すでにイリュージョンに必要なものはすべて揃っている。
こんな大きな荷物、一体なんなんだろう?
「株式会社スペースインナショナ……」
ユータさんが、送り主の名前を読み上げる途中で思い出した。
「ああ、そうだ、救命胴衣とか救命ボートとか、高層ビル脱出用パラシュートとか買ったんだ」
取り寄せ品とかもあり、配達まで日数がかかるものだったから今日届いたんだ。注文したのすっかり忘れてたよ。
と、納得していると、鋭い視線を感じた。
顔を上げると、ユータさんが何時もと違う怖い顔をしている。
「まさか、竜咆の森の洞窟に飛び込むつもりじゃないよね?」
怒ってる?
「あ、えっと……」
何時も穏やかな表情のユータさんが怒ってるよ。怖い。
「日本へ帰りたいっていう気持ちは痛いほど分かる。でも、駄目だ。命の危険がある方法を取るのは許せない」
こんなに怒ってるのは、私の身を心配してくれるからなんだ……。
「わ、私も、危険を冒すつもりはないです。死にたくないし……。ただ、いざとなれば、本当に精神がおかしくなるくらい帰りたいって思ったら、帰る方法があるんだよって……こ、心の……ささえにと……思って……」
声が次第に小さくなっていく。
「ごめん……」
頬に、ユータさんの手が触れる。
「ごめんね。今、日本に帰っている僕が言える立場じゃないよね。危険がある方法を取るななんて……。きっと、僕も危険があったって帰れる道があれば、飛び込んだかもしれない。」
「ユータさん……」
「だけど、本当に危険なんだ。例え無事に着水できたとしても、何日も一人で漂流しなくちゃいけない。孤独に耐え、いつ来るともしれない救助を待つことは精神的にもとても辛いことだ……」
数日だけど、漂流していたユータさんの言葉だ。とても重い。
私は、食料とか命をつなぐ準備さえ整えることばかり考えていた。確かに、一人っきりで何もない海の上を何日も何日も漂流する精神的苦痛のことなんてまるっきり考えていなかった。
「運良く助かるかどうかもわからない……。死んでほしくないんだ」
私の頬にあてられたユータさんの指が、すっと動いた。まるで、落ちた涙をぬぐうように。
あれ?私、涙とか流してた?
そうだ。さっき、トゥロンとの別れとか色々考えてセンチになってたし。ちょっと泣き虫になってるのかもしれない。
「勝手なことばかり言ってるね。帰らなくちゃいけないって言ったり……。でも、佐藤……梨絵さんは、初めて手紙をもらったときから特別なんだ」
「ユータさん?」
「僕がいた世界のことを、唯一話せる人」
あ、うん、もう一人いるけど。吾妻さんが……。
「せっかく、帰ってきたのにね、僕は日本が自分の居場所っていうのに違和感があるんだ。自分が異端者みたいな気分になるときがあるんだよ……異世界から日本に来たみたいな気持ちになるときがある。戻ってきたというのに……」
「ユータさん……」
「それに、時が立つにつれて、あれは現実だったのか、本当は寝たきり状態で夢でも見ていたんじゃないかと分からなくなるときがあって……。異世界に行っていたなんて、妄想で、僕の頭がおかしくなっちゃったんじゃないかって……思うときもあった」
確かユータさん、高校生の時にこっちに来て、35歳くらいで帰れたんだよね?およそ20年……?その間に日本もかなり変化があっただろうし、戸惑うことも多かったんだろう。
異世界に行っていたなんて誰にも言えないし、一人で悩みを抱えるしかなかったんだね。
「ミュイロンのことにしても、僕が都合よく僕の妄想に合わせて解釈しているだけなのかもって思うこともあった。異世界に戻してあげなくちゃって、そう思うことで、自分を平静に保っていた。そのために、ミュイロンを利用しているんじゃないかって罪悪感もあって……」
「ユータさん……」
気がつくと、ユータさんの目からも涙が一筋流れ落ちていた。
ああ、私、ユータさんに頼ってばかりだったけど……。そうだよ。ユータさんだって、色々抱えてたんだ。
「梨絵さんからの手紙が僕を救ってくれた。夢じゃなかったんだって。妄想でもないって。確かにキュベリアはあって、僕はそこにいた。僕は来るって何かいなかったって……救われたんだ」
ユータさんの手が、私の頭をそっとなでる。
「ありがとう、僕の、天使」




