215 バグ
その後、ショーがどうなるのかまだ未定な部分が多かったので、ランちゃんと聖女を入れ替わる予定も立てられず再会の約束だけして帰った。ランちゃんも、今後はカーベルさんの屋敷を拠点とするそうだ。
ウォルフのことを伝えれば、革命が次の日にでも起こるかもしれない。その前にショーの計画が立てられればいいんだけど、2日で何で出来るだろうか?計画さえ立ててしまえば、革命をその後にしてほしいと頼むこともできるかもしれない。
白山亭に戻って、ユータさんに電話をする。
「ユータさん、メィロンくんのことで、相談というか、報告というか……」
我ながら、ハッキリしない口調だと思う。何ていうか、言いにくい。私の言い方1つで、もしかしたらメィロンくんの人生を決めかねないんだから。それも、あまりよろしくない未来……。
「相談?報告?」
「えーっと、報告した上で、メィロンくんのその後を相談しようかと……」
「ああ、なるほど。もしかして、身の上が分かったのですか?早速調べてくれてありがとう」
あー、お礼を言われるようなことじゃないんだよね。別件で偶然知っただけだからなぁ。
ふぅ、気が重いけど、仕方がない。はっきり伝えよう。
「メィロンくんの、本当の名前はミュィロンといいます。お母さんはすでに亡くなっていて、お父さんは……近々殺されるかもしれません」
「殺される?」
「はい。心を入れ替えれば、殺されないで済むかもしれませんが……」
電話の向こうでユータさんが私の次の言葉を待っている。
「ミュィロンくんは、トルニープの王子なのです。いま、お父さんである王は悪政を強いています。それを良しとしない者が、革命を起こそうと準備中です」
「王子?……まさか……。高貴な身だとは思っていたが、それほどとは……」
ユータさんの息を飲む音が電話越しに聞こえた。
「悪政って言ったね?それは、どれくらいのものなんだい?」
「国民が飢えて亡くなるほどです」
私としては、窮状を訴える言葉として十分事足りると思っていたが、ユータさんにとってはそうではなかった。
「飢きんではなく?」
「はい」
「トルニープには奴隷制度はなかったよね?」
「はい」
そうか。ユータさんがこちらにいた時は、人が飢えて亡くなったり、奴隷制度で辛い目に会う人たちがたくさんいたんだ。
「もし、本当に酷い状態なら、アウナルスが動くはずだけどな……」
え?
アウナルスが動く?
「どういうことですか?アウナルスが動くって?」
「いや。僕が居たころの話だから、今は違うかもしれないけど。なんだか、アウナルスっていう国は、奴隷解放し、人々を悪政から救うために戦っているような国だったんだ。なんていうか、世界の警察みたいな?」
奴隷解放をするため、人々を救うために戦う国か。『グアルマキート戦記』のような国だね。
「だから、見るに見かねるような悪政を本当にしているのであれば、アウナルスがトルニープの国民のために立ち上がるんじゃないかと思ったんだけど……」
「悪政が始まったのは3年前、ミュイロンくんがいなくなってからなんです」
「メィロン、いや、ミュイロンがこっちに来てから?」
「何をどうしてそうなったのか分からないんですけど、ミュイロンくんはアウナルスに攫われたか殺されたと思い込んで、戦争を起こそうとしているんです。そのために、増税に次ぐ増税で、ここのところ飢えて亡くなる人も出始めたというところです」
「なるほど。まだアウナルスも動くような惨状ではなかったということか。しかし、結局自らアウナルスに向かっていこうとは……。戦争など、していいことなど1つもないだろうに」
ユータさんの言葉には深い実感が込められている。もしかして、こっちの世界にいたときに、戦争に出くわしたのかな?
ラトから聞いたユータさんの話は、どれも楽しい思い出ばかりだった。でも、辛いこともあったのかな?
「分かった。ミュイロンの親のことは。それで、相談というのは?」
「母親は亡くなっていて、父親は殺されるかもしれない、そんな状態でも、ミュイロンくんを、こちらの世界に戻そうと思いますか?」
電話口で、ユータさんははっきりと言った。
「ああ。前にも言ったように、あと数年以内に帰り道が見つかれば返すよ」
何の迷いも無くそんな言葉が出るなんて意外だった。
「で、でも、戻ってきても、革命軍に捕まって、その……」
「うん。殺されるかもしれないんだね。それは、悲しいし辛い。できれば、ミュイロンには幸せになってほしい」
だったら、何故ミュイロンを帰そうと思うの?そのまま地球に居れば、殺されることもないし、親にはもう合えないけど、帰ってきたって合えないかもしれないんだよ?
「かもしれないという想像で、僕が運命を変えることはしてはならないと思っている。元々、ミュイロンはそちらの世界の人間だよ。こちらの世界では、彼の存在はバグのようなものだ」
「バグ?」
「うん。だから、元の世界に戻れるならば、戻るべきだと思っている。だけど、佐藤さんも分かっていると思うけど、こちらの文明を知った後に異世界に戻すわけにはいかない。そちらの世界を大きく変えてしまう危険があるからだ。」
ユータさんは言葉を一度切って、ゆっくりと一言一言かみ締めるように次の台詞を口にした。
「僕も、そちらの世界では危険な存在だった。君もそうだ。もし、地球に帰る道が見つかったら、帰って来なければならない」
ドキンッ。
心臓の奥がびっくりしたように大きく跳ねた。
帰らなければならない……。
私、一度もそんなこと、考えたこともなかった。
帰りたいとか、帰れないとか、人を傷つけたら帰ってはいけないとか……。そう考えることはあっても「帰らなければならない」とは一度も考えたことがなかった。
私は、この世界では異物。あってはならない存在……。帰りたくなくても、帰り道が見つかれば、帰らなくてはならない……。
「……というのは、僕の考えだ。だが、少し心に留めておいてほしい」
ユータさんは、今ミュイロンくんが戻れるなら、戻すつもりだ。あと三年もして、ミュイロンくんが地球の文明に触れた後は戻す気はない。オーパーツやそれを作り出せる知識を得た者が王様にでもなったら、この世界は混乱するだろう。いや、混乱なんて簡単な言葉で済めばいい。もし、ミュイロンくんが愚王となれば……。
……。いや、それは私も同じだ。もし、何かのきっかけで世界征服の野望を持ってしまったら?絶対にそんなことは無いって言える?
例えば、親しい人、愛しい人を奪われて憎悪に心が支配されたら?オーパーツや知識を使って世の中を壊そうとしてしまわないだろうか?
現代ではなんてことのない「紙」1つが、世の中にとてつもない影響を及ぼすとガンツ王やサマルーも言っていた。
ふと漏らした、私にとってはなんてこともない知識……それが、どれほどこちらの世界を変えてしまうのか……。
きっと、ユータさんの言うことは正しい。私は、帰らなくてはならないんだ。
そして、ミュイロンくんは元々こちらの世界の人間だ。正しい位置に戻るだけ。もとの運命の歯車に戻る、それだけだ。
例え、殺される運命だったとしても……。それが、ユータさんの判断。
ぎゅっと、硬く目を閉じる。
私の判断は……。