2、異世界人との初めての接触
小屋の裏を流れる小川で、茶碗と片手鍋を洗いながらため息をついた。
「はぁーーーーっ」
アラフォーと呼ばれる年齢になってしまった。
若い頃は、まさか自分が独身無職アラフォーになっているなんて考えてもみなかった。
しかも、今は何の冗談か異世界。
運良く、山の中腹に無人の山小屋を発見したのが、こちらに来て2日目。
いくら無人とはいえ、勝手に入って使うのはためらわれた。人に見つかったときに問答無用で殺される可能性も考えられる。何事も慎重に行動するに限る。
でも、風雨をしのぐ場所、何より獣におびえずに寝る場所は欲しかった。そこで、勝手に使うのは本当に心が痛んだが、馬小屋の隅をちょっと借りることにした。
馬小屋には、干草が積んであったので、「ハイジのベッド」を作った。干草を、煙でいぶして虫を追い払い、適当な厚みと大きさに広げ、上にシーツをかぶせてベッドが完成。馬小屋を使わせてもらう御礼にと、馬小屋の傷んでいるところを直したり、掃除したりして、すぐにでも使えるように整えてみた。完全なる自己満足だけどね。
食料も、今のところ確保できている。
だから、異世界に来たというのに、今の心を占めている最大事と言えば、
「はぁーーーーっ」
アラフォーかぁ。
他の独身無職女性はどんな気持ちでアラフォー誕生日を迎えているんだろう?
洗い終わった茶碗と鍋を手にのろのろと立ち上がる。
「え?!この音って!」
馬のひづめの音が聞こえてきた。
馬小屋に住み始めて10日、始めてのことだ。
慌てて、馬小屋の後ろに身を隠す。
この小屋の持ち主が帰ってきたのだろうか?それとも、ただの通りすがりの人だろうか?
小屋の前には、馬がなんとか駆けられる小道がある。荷馬車が通れるような幅はなく、山越えに商隊が通るような幹線道路というわけではない。
どこに続いているのかと頂上方面に伸びた道を辿ったが、途中で馬は通れないような獣道になり、迷子になるのを恐れて引き返した。アラフォー運動不足女子の体力の限界だったとも言う。
この先の道は馬が通れないんだから、ただの通りすがりというのは考えにくい。
ひづめの音は、小屋の前でぴたりと止まった。
「**ユータ**!***ユータ!」
男の人の声が聞こえる。
ドンドン!と、ドアをたたく音。そして繰り返される言葉。
「***ユータ*!*******!」
何を言っているのか、分からない!
よく本で見かけるような「異世界言っても言葉が通じます」じゃないんだ!
当たり前といえば、当たり前、地球上ですら、隣の国に行くだけで言葉が通じないんだから。
分からないとはいえ、男の声に耳を傾ける。
「****ユータ******!」
焦ったような物言いで、ドアを叩きながら叫んでいる。ところどころに「ユータ」という単語が入っているが、人の名前だろうか?
暫く聞いて、男の言葉に慣れてくると、あれ?
すごく、訛りの強い英語のように聞こえてくるから不思議だ。
空耳アワーだよね?
「***煙**見え**いない***」
ところどころ、単語っぽく聞こえ、その言葉にドキッとする。
まさか、煙が見えてユータという人がいると思ったから来たってこと?
煙って、私が馬小屋の干草をいぶした時の?
まさかね?
ちょっと声の主が気になって、そろりそろりと山小屋の入り口が見える位置まで移動して覗いて見る。
「ひっ!」
悲鳴を上げそうになり、慌てて口を押さえる。
心臓が、早鐘のように打つ。
目に映ったものは、大量の血!男の服は左半分血に染まっている。馬でかけてきた道にも血の後が転々と続いている。
20代半ばと思しき青年の顔色は血の気が引いて白い。
「*******」
力ない言葉をつぶやくと、青年は片ひざを付いた。
ど、どうしよう!
もし、本当に煙を見たことで、この小屋に助けを求めて来たのだったら、私のせいで無駄足を踏ませてしまったことになる。
いや、自分のせいとか、そんなこと関係ない。
目の前に大量に血を流している怪我人がいる。
何もせずに、見て無ぬ振りをするのは、見殺しにするってことだ。
いや、何も死ぬって決まったわけじゃないけど。もし、死んだら……。
えーいっ!
アラフォーなめんなぁ!
私は、斜めがけにしたカバンに手を突っ込み、片手鍋に水を入れると青年の下へ駆け出した。
「傷口を洗います。止血もします。傷を見せてください!」
私は、医者でも看護士でもない。だけど、怪我の応急処置くらい知っている。
30過ぎて独りだとね、女は色々焦って自分磨き必死になるんだよ!資格とか講習とか大好きなんだよ!
区が主催する無料の応急処置講習に行ったから、AEDの操作だって大丈夫さ!
私の鼻息とは対照的に、青年はぽかーんとしてこちらを見た。
「ああ!言葉が通じなかったんだ!」
どうする?って、考えてる間にも、青年の左脇辺りから血が出てる。出血多量で死んじゃうってば!
「injury(怪我)stop the bleeding(出血を止める)」
やけくそで、ジェスチャーを交えながら英語で話しかけてみる。
だって、青年は、金髪青い目だもの。
英語はもちろん駅前留学。30過ぎて独りだとね、女は(以下略)
通じたのか通じないのかわかんないけども、もういい!
青年が両膝を付いたので、シャツを引っぺがして出血してるらしいところに水ぶっ掛けて洗い、カバンの中から滅菌ガーゼを取り出す。
なんでそんなものがあるのかって?そりゃぁ、災害への備品の一つで買ったから。
そして、直接圧迫、こんなんでいいのか?と思いつつ暫くぎゅーっと圧迫していると、出血が弱くなった?止まった?カバンから包帯取り出し、ガーゼを抑え、強めに体に巻きつける。
「馬に揺られるとまた出血するかもしれないけど、私にはあなたを連れていけないから、お医者さんのいるところにがんばって行って・・・」
青年はまた首をかしげた。
「go home(お帰り!)」
と、馬と道を指差す。
「****、******」
お礼かな?何か言っているが、気持ちは伝わったようで、青年は立ち上がると頭を下げたあと馬へ乗って去っていった。
どうか、彼が助かりますように。
両手を合わせてすりすり。
でも、go homeって言い方はなかったかな?仕方がない。駅前留学の実力なんてしょせんその程度さ。2年も通ったんだけどなぁ。
視線を落とすと、真っ赤な手が目に入った。
「うわー、手が血だらけ、冷や汗ぐっしょり……シャワー、浴びよう」
小屋裏に木や布で作った簡易シャワールームに向かった。
カバンからボディーソープとスポンジを取り出し、ぬれないように木の枝に引っ掛ける。
それから、シャワーヘッドを引っ張り出すと、ちょうどいい高さに固定してカバンの中の蛇口をひねる。
「うはーっ。生き返るぅ。風呂に入りたいけど、シャワーだけでも浴びれるなんて幸せだよねぇ」
暖かいお湯で汗を流しながら、今あったことを思い出す。
この世界の住民との第一接触が、けが人というのは驚いたけれど、おかげで分かったことがある。
まずは、悪い事から。
言葉が通じない。
次に、良い事。
私の容姿(黒髪や黒目など)が特に迫害対象というわけではないということ。
青年は怪我をしていたといえど、しっかり意識もあったし、悪魔の使いとかそういう対象であれば何かしらのアクションがあったと思う。
これで、安心して街に降りていける。言葉が通じないのは不安だけど、この状況がいつまで続くのかわ分からないのだから、ずっと独りで山に隠れ住むわけにはいかない。
無事に日本に帰れるまでは、生活していかなければならない。生活の基盤を、この世界で作らなければ……。
たとえ、このカバンを失っても、生きていけるだけの生活の基盤を。