179 妄執
部屋に入った時には壁だったベッドの奥の壁に穴が開いていた。
穴じゃなくて、隠し扉が開いたといった方がいいのか。
「少し狭いですが、こちらへ」
腰をかがめて通れるほどの壁の穴をくぐると、大樽の中のようだった。きっと外から見たら樽にしか見えないように、巧妙に通路が隠されているようだ。樽を抜けると、目の前には木々の緑があった。
熊屋亭の壁を元に戻してから来たトゥロンを見れば、今通ってきた場所、塀に空いた穴をふさいでいるところだった。
熊屋亭の奥にある塀?あれ?
「もしかして、カーベルさんの敷地?」
「流石は女神、何でもご存知なのですね」
おっと、トゥロンにはルイスとしてカーベルさんと会ったことは知らなかったんだ。
「どうぞ」
塀の近くは、大小多くの木々が植えられて緑豊かだ。数メートル続く緑を抜けると、色とりどりの花々が受けられた庭園。その向こうに王城と引けを取らないほど大きな屋敷がそびえ立っていた。
塀の外からも多少は見ることが出来たけれど、直接間近で見ると、やはりでかい。どっかの生徒数の多い私立高校の校舎よりも大きくて立派だ。……ベルサイユ宮殿なんかと比較できない、ヨーロッパへの旅行経験のない万年派遣社員ですが何か?凹。
屋敷の周りには、学校の生徒か!というほど多くの兵が取り囲んでいる。やけに厳重な警備だよね?白薔薇宮の何倍もいるよ?
そういえば、兵の外では正面の門番以外は警備してなかったよね。その分、塀の中に兵が集中しているのかな?
トゥロンに、お屋敷の正面ではなく、西側にある下働きの通用口のような目立たない扉に案内された。
通用口の両サイドにも、10人ほどの兵が立っている。
トゥロンの姿を見ると、兵は丁寧なお辞儀をする。しかし、その目は私を不審者として厳しい目で捉えている。
ああ、そうだよね。不信だよね。秘密の通路みたいなところから通されてるんだから、色々秘密があるんだよね。そこに、トゥロンは娼婦のような風体の女を連れてきたんだから。
ん?あれ?
顔を上げた兵の中に、見覚えのある顔……。
城門で、ウルさんから袖の下を受け取ってルイスにアドバイスをしてくれた兵だ。城門に立っていたんだから、城の兵だよね?
カーベルさんの元に転職でもしたのかな?
つい、色々なことが気になってきょろきょろしてしまう。
通用口からしばらく廊下を歩く。あちこちに兵の姿を見かける。随分多いなぁ。
そういえば、城門の兵は随分カーベルさんを慕っている感じだった。慕ってくる兵たちに「遊びにおいで~」と面倒見のいい人なんだろうか?
2階の一つのドアの前に立つと、トゥロンはノックをして返事を待ってドアを開けた。
「ああ、トゥロン様」
「部屋を使わせてもらいたいが、構わないか?」
トゥロンの言葉に、部屋の中にいた3名の兵が立ち上がり、部屋を出る。その時、皆私の姿を見て眉を潜めた。
最後に出てきた兵は、一瞬眉を潜めたものの、すぐに表情を引き締め「お茶をお持ちいたしましょうか?」とトゥロンに尋ねた。
「頼む」
トゥロンは兵に簡単に返事を返し、私を部屋に通した。先ほどまで兵が座っていたソファに向かい合わせて腰を下ろす。
しばらくして、先ほどの兵がお茶を持ってきた。とても優雅とは言えない所作で、ソファの前に置かれたテーブルにカップを二つ置いた。
えーっと、普通は侍女の仕事だよね?兵がお茶を運ぶなんて……。
っていうか、よく考えると、まだ侍女の姿を見ていない。こんな大きなお屋敷なのに、侍女がいないなんてことないよね?
すれ違う兵は、皆奇妙な顔付きをして私を見ていた。眉を寄せる者、驚きが隠せない者、奥歯をかみ締める者……。
まさか、ここって女人禁制とかじゃないよね?
出されたお茶を一口飲む。
トゥロンに色々聞きたいことはあった。話したいこともあった。
だけど、一番初めに言わなくちゃいけないことは決めてる。目を逸らしたいけれど、目を逸らしてはいけない現実。
「トゥロン、私のせいで……」
さっき、お茶を口に含んだばかりだというのに、口が渇く。
口にしたくない言葉、信じたくない話……。上手く動かない口で、必死に言葉を紡ぐ。
「私がランちゃんとメイヤさんを城から連れ出したせいで、戦争が起きると聞きました……」
トゥロンは、目を細めて、柔らかい表情を見せた。
「女神、それは違いますよ」
私を安心させようとする顔だ。
「でも……、ランちゃんたちがいなくなったのを、アウナルスのせいにして」
トゥロンが私の言葉を否定するように、ゆっくりと首を横に振った。
「陛下は、兄は3年前のあの日から、妄執に囚われているのです……アウナルスが、トルニープを滅ぼそうとしていると……」
「3年前のあの日?」
トゥロンは、静かに目を閉じ、膝の上にひじをつき、組んだ手の上に顎を乗せた。
「兄は、あの日までは、良くも悪くも凡庸な王だったんです。妻子との時間を大切にし、国政に関して関心が薄かった。カーベルを初めとする有能な家臣達に国政はまかせっきりで、それで上手く行っていたのです」
「妻子?」
あれ?エロキモ陛下に、妻子なんていたの?妻を大切にしてるくせに、あのセクハラエロ発言の数々?どういうこと?
「3年前、兄の愛する妻が流行り病で亡くなりました。まだ幼く、母親の死を理解できなかった王子は、母親を探しに行くと言って城を出て帰ってきませんでした」
「帰って来なかった?」
「そうです。護衛に守られていたにも関わらず、帰らなかった。家臣の一人が、アウナルスが王子を誘拐したのだと言い出し、兄はそれを信じました。当時、アウナルスが次に責め滅ぼすのはトルニープではないかとの噂があったからです」
3年前……。
もしかして、吾妻さんが言っていた「まだトルニープはそんなことを考えているのか」っていうのは、そのときのこと?
「陛下は、それでどうしたの?アウナルスと戦争を?」
「ええ。アウナルスに戦争を挑もうと準備を始めました。それが、トルニープの悲劇の始まりです……増税に次ぐ増税、国民は疲弊し、それを諌める家臣を次々と挿げ替え、今のような悪政に……」
妻と子供を失った悲しみは相当なものだろう。だけど、それで戦争を起こすことが許されるわけは無い。
「時間が経てば、兄も落ち着くだろうと思っていたのですが……アウナルスへの憎しみは日増しに増えるばかり。だから、母や妹が姿を消したことは、戦争の単なる口実です。直接の原因ではありません。だから、女神が気に病むことはないのですよ……」
直接の原因じゃなくても、口実を与えてしまったのは事実なら……。
やっぱりそれは私のせいだよ。どうしよう……。
私のせいで戦争に……。
足元が震える。
戦争、私の記憶の中にある戦争は、学校で学んだ世界大戦の話や戦国時代の合戦の話。それから、ニュースで見る、どこかの国の紛争くらいだ。どれも現実味がなく、所詮は対岸の火事。
次回より、しばらく0と5の付く日の更新になりますm(_ _)m




