10 親子喧嘩に巻き込まれる?
「おはよう、ルーカ!」
肉屋の前の雑貨屋にルーカの姿を見つけて声をかける。
こうして、挨拶できる人が増えていくのって、いいな。
「おはよう、リエス。そうだ、ちょっと待ってて」
ルーカは店の奥に消えてからすぐに戻ってきた。
「これ、もらって、私が作ったの」
と、手渡されたものを見ると、かわいい花の刺繍の入ったハンカチだった。とても上手な刺繍。まわりには細かいレースが付いてる。
「え、いいの?」
「うん。昨日は混乱してたけど、クッキー本当においしかった。あれ、高かったでしょ?そのお礼」
いやいや、原材料はたいしたことないし、そもそもこげて失敗したものだし。っていうと、失敗作を口に押し込んだのかと思われても困るので、素直に受け取っておくことにした。
「ありがとう でも あれ やすい はんかちのおれいに また おかしつくる」
「え?またくれるの?嬉しい、って、安いの?作れるの?ああ、リエス、まって!」
「みせ、おくれる、またこんど!」
ルーカに手を振ってマーサの店に向かう。
店に入ると、厨房の奥から言い争うような声が聞こえてきた。
内容までは聞き取れないが、マーサの言葉に、ダーサが強い口調で何か言っている。
「くそっ!」
ダーサが悔しそうな、泣きそうな顔をして出てきた。
一瞬私の方を見るが、そのまま何も言わずに店を飛び出す。
「ダーサ!」
マーサさんが、追うように奥から出てきたが、その声をダーサは無視した。
親子喧嘩?
まぁ、ダーサも17歳だし、盗んだバイクで走り出すようなお年頃だし。親と衝突することもあるよね?
心配そうな顔をしていると、マーサさんが
「だいじょうぶ、心配することはないからね。私は少し上に行っているから……」
と、もう仕込みの時間だというのに、店の上にある部屋に行ってしまった。
心配しないでとはいうけれど、マーサさんの表情は、今まで見たことのない辛そうな顔だった。
ぼんやり立ち尽くしていると、ダンケさんが、イモの入ったかごを持ってやってきた。
ダンケさんが、イモをむき始めたので、私も黙って手伝う。
しばらくして、ポツリポツリとダンケさんが話始めた。
「もうすぐ、ダーサの***の誕生日なんだ。」
「***?」
知らない単語が出てきて尋ねる。
「マーサの姉の息子シャルトが25歳になる」
姉の息子、ダーサから見たら、いとこか。
「今年は、例年以上に盛大な誕生日パーティーを開くから、マーサにも是非出席して欲しいと招待状が届いた」
25歳の男の盛大な誕生日パーティー?
「マーサは行かないと言っているんだ」
まぁ、甥っ子の誕生日会なんてすっぽかしたっていいんじゃない?と、私は思うんだけど。
「ダーサは、行かせたがっている。それで、ちょっともめてな。なぁに、だいじょうぶさ。明日になればいつも通りさ」
その日のお昼の営業時間にダーサは帰ってこなかった。
おやつタイムが終わる頃やっと顔を見せた。
「ダーサ、一つ言わせておくれ」
マーサが、ダーサに近づく。
えーっと、私は席をはずした方がいいのでは……とは思ったものの、タイミングを逃してしまった。
「私は誰にも、自分の人生を恥じたりしていない。ダンケと結婚して、ダーサという息子がいて、私はとても幸せだ。一度だって不幸だと思ったことはない」
「ごめん……」
ダーサは小さくつぶやくと、マーサをぎゅっと抱きしめた。マーサの手が、ダーサの背中をトントンと叩いている。そして、ダンケもそんな二人を包み込むように抱きしめた。
みんな、静かに泣いている。見ていた私も、思わず涙がこぼれた。
家族……。
その様子に秋田の家族を思い出す。
お父さん、お母さん、妹の真由、おばあちゃん……
私、絶対に帰るからね!絶対に!
バルサンの終わった小屋に戻ると、掃除の続きをした。
とても全部は無理だから、とりあえず今日寝る場所だけでも確保しようと思ったのだが、布団がないことに気が付いた。
ユータさんはどうやって寝てたんだろう?ゴザの上?いやいや、板張りにゴザじゃ痛いでしょう。
仕方がないので、暫くはハイジのベッドに寝ることにした。
寝る前に、妹にメールを送る。
『元気?私は相変わらずです。新しい仕事の都合で今年のお盆は秋田に帰れません。お父さんとお母さんとおばあちゃんにもよろしく。』
すぐに返信がある。姉妹そろってメール不精なので、あっさりしたメール。
『お盆の件伝えとく。みんな元気だよ。おねーちゃん仕事がんばってね』
まぁ、嘘は言っていない。小屋の管理人(住み込み無給)と飲食店のバイト(まかないつき)の仕事があるから。
ベッドに横になる。あれ?ラトの匂いがまだする。どんだけ残り香が強いんだ。明日、シーツを洗濯するか。それから、土間にあった水がめを洗って……と、明日の予定を考えているうちに寝てしまった。
朝起きてから一番に、シーツと、小屋のなんちゃって障子の布をカバンの中に突っ込む。洗濯機に放り込んで、洗濯乾燥スイッチon。
土間にあった水がめはバケツ1杯の水が入るくらいの大きだ。現状、水はカバンの向こうの水道をひねればすぐ手に入るから必要ないが、人が来たときに不信がられないように使えるようにしておく。
木桶もあったので、ユータさんは川から水を汲んで運んでいたのだろう。一応、木桶も洗う。洗ったものは、小屋の前に干しておく。天日殺菌ね。必要なものはあとで煮沸消毒もするつもり。調理器具とか。
洗濯が終わるり、シーツと障子を元に戻す。真っ白な布は、格子状の木にとめると障子にしか見えない。窓を開けても光を通す障子は、寒くなってから重宝するだろう。
生活に必要なものはカバンの中にあるが、人前で使うわけには行かないものがほとんどだ。
コップ一つとっても、庶民は木彫りのジョッキや素焼きのカップがほとんど。上薬のかかった陶磁器は使われていない。上流階級では使うこともあるようなので、最悪見つかっても問題はない。
しかしガラスのコップはダメだ。薄くて透明なガラスはまだ作れないみたいで、こちらに持ち込めばオーパーツになる。当然、プラスチック製品全般は完全にアウト。
生活に必要な品のいくつかをこちらでそろえる必要があった。街で色々見てまわろうと、今日も少し早めに出る。
どうやら、このタイミングだとダーサと街の入り口あたりで会うみたいだ。
「ダーサ、おはよう」
「ああ、」
元気のない返事。
とぼとぼと、いつもの3分の1くらいのスピードでリヤカーを引いて街から出る。その様子があまりにもダーサらしくなくて、心配で後を追う。
「どうしたの?」
ダーサの横を歩きながら尋ねた。
ダーサは、小さく首を横に振る。ジェスチャーまで元気がない。
「なぁ、母さんに、誕生日会に行かせるにはどうしたらいいと思う?」
ああ、昨日の喧嘩の原因でまだ悩んでいるんだ。
「どうして、ダーサは マーサーをいかせたい?」
「母さんは、お姉さんととても仲がいいんだ。だから、会わせてあげたい」
あ、甥っ子のお祝いは二の次ね。了解。
「母さんの姉は、遠くに嫁いだんだ。馬車を使っても何日もかかるところに。だけど、今回の誕生日会は、王都で開かれる。王都なら、馬車で半日の距離なんだ」
そうか、遠くて会うことができない姉妹が、会えるチャンスなんだ。
「たんじょうびかいに でないで、あいにいくだけ、だめ?」
「誕生日会への出席の返事を出せば、王都まで馬車で送り迎えしてもらえるけれど、出席しないのであれば歩いて行かなければならない。馬車で半日でも、歩けば何日もかかる」
なるほど。誕生日会に出席すれば、マーサさんは久しぶりに仲良しのお姉さんに会えるんだ。出席しないと、会うのは難しい。そして、次にいつ会うチャンスがやってくるかわからないというわけね。
いつ、会えるか分からない家族。今の自分を重ねる。秋田の家族……。
「会えるチャンスがあるなら、絶対に会うべきよ!」
日本語で言って、ダーサに聞き返される。
「わたしも マーサに いくように いってみる!」
「本当か?頼む!誕生日会は1ヵ月後だが、出欠の返事は五日前までには出さないとだめらしい。どうにかそれまでに、行く気になってもらえれば……」