第一項:禁科図書
「ホームルームを始める。連絡事項はなし、以上だ。日直、号令!」
担任の松嶋先生のホームルームはいつもこんな感じ。 最も、誰も文句を言う人なんて居ない。
むしろ生徒の間では好評だ。帰りのホームルームなんて、みんな早く帰りたくてウズウズしているんだから。
チャイムと同時に、生徒が廊下に吐き出される。
「絢佳~!」
「うん?」
教科書を鞄に詰め終わった所で声を掛けられた。
「今日も図書委員?」
「うん。そうだよ?」
放課後は図書室で返却本の整理をするのが私の日課。
「ごめんっ!!この雑誌、ついでで良いから図書室に戻しといてくれる?」
「うん、分かった」
「あや~。こっちもお願い!」
別のクラスメートからも雑誌を受けとる。
「ホント、いつもごめんね~」
顔の前で両手を合わせて拝む二人。
「いいよいいよ、ついでだし。それじゃあね」
バイバイ、と手を振ってから教室を出る。
「持出禁」と書かれたシールを指でなぞりながら廊下を歩く。
いつものクラスメートが、いつもの通りに私に雑誌を預ける。これも日常。
「失礼します」
図書室は冷房が効いていて心地よい。
「あ、絢佳ちゃん、ちょうど良かった。先生これから職員会議だから、後お任せしちゃって良いかしら?」
「分かりました」
鞄を下ろしてカウンターに急ぐ。
「あら、また雑誌を無断で持ち出したの?あの子達にも困ったものね…」
私の手にある雑誌を見た先生がため息をつく。
「まぁいいわ…それじゃよろしく」
駆け足で出ていく先生を見送る。
カウンターに入ると、見慣れない堅表紙の大判が置いてあった。
「何…?」
くすんだ赤色の分厚い本。手にとって――。
「――あ、絢佳ちゃんっ!!その本!!」
「はいぃぃ!?」
急に戻って来た先生の声に慌てて手を引っ込める。
「禁課図書だから、悪いけど書庫に戻しといてくれる?奥から二番目の棚だったはずよ。書庫の鍵はそこの一番下の引き出しね。それじゃあ今度こそよろしく!!」
先生の足音が遠ざかったのを確認して、もう一度本を手にとってみる。
ずっしりとした重み。表紙にも背表紙にもタイトルは書いてない。
「…」
表紙に手をかけて思案する。
先生からは"見てはいけない"とは言われていない。けどやっぱり禁課図書だし…気が引ける部分もある。
「むむむ…」
お前はいったい何者なんだ?
本に問いかけても答えが返って来るわけでもない。
「ま、いいか」
それよりも返却ボックスに入れられた本を片付けないといけない。
「う~…」
思わず唸り声が漏れた。
かごに突っ込まれた本の山。
かごの置かれた図書室の入り口から、カウンターまでの距離、10メートル。
「重いんだよなぁ…」
いつもより若干多い気がする。何回かに分けて持って行こう。
腕捲りして本に手を伸ばす。
「…悪いんだが…」
「はいぃぃ!?」
またしても不意に声を掛けられ、手を引っ込める。
「…あぁ、悪い。ビビらせるつもりはなかったんだが。返却された本の中に量子力学の本は無かったか?」
背の高い男の…先輩だった。
「あ…えと、りょうしりきがく…ですか?」
頭の中で、ライフルを持った猟師と熊がお相撲を繰り広げる。
「あぁ、物理の先公に聞いたら、『もう返却した』つってたから、多分あるはずなんだが」
「はぁ…」
曖昧に返事をして、返却本の山に目を戻す。
「このかごん中か?」
「はい、返却された本は全部その中です」
先輩は少し考えた後、
「しゃあねぇ…よっと」
かごを抱え上げる。
「あ…あの」
フラフラとした足取りでカウンターに向かう背中に声を掛ける。
「ん?どうせカウンターまで持ってくんだろ?」
「いえ、重く…ないですか?」
「お前にはもっと重いだろうが…それよりもその赤いのをどかしてくれ、邪魔でかごを下ろせねえっ…」
カウンターの中央を占拠している、禁課図書をあごでしゃくる。
「あぁ、はいっ!!すみません!!」
急いで本を脇にどかす。
「よ…っと」
かごから一冊ずつ取りだし、タイトルを確かめながらカウンターに積み上げていく。
「ん?」
何となく眺めていると、顔を上げた先輩と目が合った。
「あ、わ、私、この本直してきますね!!」
引き出しから鍵を引ったくり、逃げるように書庫へ向かう。
うわぁ、絶対変な奴だと思われただろうなぁ…。
うわぁ…。
うわぁ…。
負のスパイラルを振り払い、書庫の鍵を開ける。
「ぅぷ…」
臭い。
古本独特の臭いに、カビの異臭が混ざり、何とも表現しがたい空気になっていた。
「奥から二番目の棚。奥から二番目の棚…」
薄暗い書庫を出来るだけ息をしないで早足に進む。
「あ、あった。ここだ」
奥から二番目の棚、並べられた本の間にぽっかり隙間が出来ていた。
「んしょ……あれ?」
隙間が狭くて本が入らない。
「は…い…れ…っ!!」
力ずくで押し込む。
だって早くここから出たいんだもん。臭いし、暗いし。別に怖い訳じゃないけど?
ドンっ!
派手な音を立てて、本は収まった、は良いんだけど。
「うぇっ…ゴホッ…ゴホッ」
勢いでホコリが舞い上がり、降りかかる。
「う~…最悪」
髪に付着した綿ぼこりを払う。
「ん?」
ホコリとは違う別の"何か"が舞い降りてきた。
「羽?」
金色の大きな羽。
上を見上げてみても本棚と天井があるだけ。
「なんで?」
こんな所に、こんな物が?
背中を嫌な汗が伝う。
「…早く帰ろう」
長居は無用。早く新鮮な酸素を。
来た通路を引き返す。
「うん?」
振り返って二、三歩進むと、目の前の光景に立ち止まった。
「…階段?」
暗くて良く見えないが、通路を挟んだ向かい側、本棚と本棚の間に螺旋階段がある。
二階にまで続いているようだけど、鉄格子の扉には鎖がぐるぐる巻きにしてあった。
「…」
回れ右。入り口に向かってダッシュ。
「息切らせてどうした?」
「へ?…そんなこと…ない…ですよ?」
何とか誤魔化そうと試みる。
「そんな事より先輩は何してるんですか?」
私が戻った時には、先輩はカウンターに肘をついて、じっとこっちを見つめていた。おかげで、私が書庫から飛び出した瞬間にまたしても目があったわけで。
「…お前を待ってたんだが?」
走ってきたせいで早鐘を打っていた心臓が止まりそうになる。
「…大丈夫か?」
手に持っている本を、私の目の前で振る。
「探してた本が見つかったんで、早いとこ貸し出しの手続きしてほしいんだが」
…はいはいそうですよね。"私"を待っていたんじゃなくて"図書委員"を待ってたんですよね。
「個人カード出してください」
カウンターの中に回り込みながら先輩に言う。
「おぅ。…お前、何怒ってんだ?」
「別に怒ってませんっ!!」
差し出されたカードに貸出印を叩きつける。
「怒ってんじゃねぇか…」
先輩の呟きは無視して、無言でカードを突き返した。
「んじゃ、どうもごくろうさん」
背を向けて片手を振りながら出ていこうとする先輩を呼び止める。
「あ、あのっ!!」
「ん?」
「あ…いえ…なんでもない…です」
江頭絢佳、14歳。図書室は好きだけど、怪談と暗くて狭い部屋、そして誰もいない図書室は嫌いです。