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初恋

 ムーザッパは夢を見ていた。

 いつものようにエレンが登場している。だが、そのシチュエーションはいつもと随分違っていた。

 闇の中。そこでエレンだけが闇に溶けず、ムーザッパの目の前で静かに微笑んでいた。ムーザッパは手を伸ばすが、なぜかどうしても彼女に触れることができない。エレンはそんなムーザッパに対し、変わらぬ微笑を浮かべていた。ムーザッパにはそんなエレンがまるで自分を哀れんでいるか軽蔑しているかのように見えた。


「エレンさまぁ」


 悲しげにムーザッパは声を上げる。

 エレンは微笑を全く崩さず、くるりと彼に背を向けるとすたすたと歩き出した。


「エレンさまぁ!」


 彼はその後を追って駆け出した。しかし何故か走っているのに、歩いているエレンに全然追いつくことができない。二人の距離はぐんぐん離れていく。

 やがてムーザッパの視界でエレンの姿は豆粒のように小さくなり、そして消えた。ムーザッパはがっくりと膝をつき、うなだれた。

「駄目だった。俺じゃ駄目だったんだ。エレン様につりあいのとれる男になるなんて、所詮夢に過ぎなかったんだ」

「それでいいのかい?」


 頭上で声が聞こえた。つられてムーザッパが頭を上げると、目の前に道化師姿の仮面の男が立っていた。夢の中なので驚きはなかった。


「君は?」


 道化師はその質問に答えず、ムーザッパに向かってもう一度言葉を投げかけた。


「それでいいのかい? 君は本当にエレン姫を諦めてしまうのかい?」

「俺は……俺は今日、生まれて初めて『ケタ違い』という言葉を実感したよ。俺は姫様の為に何もしてやれなかった。何も、何も、何も! 俺なんか一生かかってもたどり着けない世界にいるんだよ、姫様は」

「ムーザッパ……」

「?」


 道化師は虚空に向かって手でぐるりと円を描いた。するとその円の中にとある風景が現われた。

 そこは森の中。幼き少年と少女が向かい合って何か言葉を交わしている。

 ムーザッパにとって懐かしい光景だ。懐かしいどころではない。決して忘れまいと心に誓った光景だ。

 それは彼が初めてエレンと出会った日……。

 その日ムーザッパは城を取り囲む森の中で一人で遊んでいた。お昼頃に何やら騒がしい音が聞こえたので行ってみると、綺麗なドレスを無残にも泥だらけにして遊んでいる女の子を見つけた。彼女は彼に気が付くとニイと笑った。彼女こそ城を抜け出して遊びまわっているエレンであった。二人はほんの少しの間一緒に遊んだだけだったが、それは彼にとって忘れられない記憶となった。その日の晩は胸がドキドキして寝付かれず、次の日からも彼女に会いたくて毎日森へ足を運んだ。ムーザッパは素性も知らぬまま彼女を『プリンセス』と呼ぶことにした。それがムーザッパの初恋だった。森で彼女と出会うことは二度となかったが、それからしばらくたった収穫祭の日、彼は彼女の正体を知ることになり、驚いた。彼女は本当にプリンセスだったのだから。


「君が初めてエレン姫と出会った日のこと、覚えているかい?」

「覚えてる……忘れるもんか。あの時、俺は彼女がお姫様だなんてことも知らずに一緒に遊んだんだよな……。でも、身分とかそんなこと関係無かった。あの日からエレン様への俺の気持ちはずっと続いていたんだ」


 ムーザッパは胸に手を当て、再びエレンのことを想った。

 苦しくない。温かくなっているだけだ。


「そう、俺の気持ちはあの日から全然変わっていない」


 ムーザッパの様子を見て、道化師は仮面の下で低く笑った。


 ムーザッパは見慣れた自分の部屋で目を覚ました。ルタミナが連れてきてくれたのだろうか。不思議なことに体のどこも痛くない。彼は起き上がって自分の身体を点検したが、どこにも傷がない。骨が折れたと思ったのに……。ムーザッパは部屋を出て1階へ下りていった。

 テーブルを挟んで3人の人物が小さな声で会話をしていた。ルタミナ、ガルガニス、そしてもう一人は浅黒い肌に黒髪の少年……キースだった。

 3人はムーザッパに気づき、彼の方を見た。


「あっ、ムーザッパ。起きた?おなかすいたでしょ?御飯食べる?」


 ルタミナは驚くほど優しく声を掛ける。


「なあ、ルタミナ…、俺、骨折してなかったか?」

「ああ、それはね、キースが治してくれたのよ」

「おじゃましてます。ムーザッパさん。実はあなたがたが出発してしばらくたった頃、ウェアリンのあたりでとてつもなく巨大なパワーをサクラ様が感知されたので、僕が遣わされたのです。結局間に合わず、僕は何も出来ませんでしたが」


 キースは申し訳なさそうな顔をして頭を下げる。


「そんなことないわ。キース。あなたの治癒魔法のおかげで怪我をした人達が随分助かったもの」

「そうか、キースのおかげか……ありがと」


 ガルガニスが口を開き、ムーザッパを見る。


「ムーザッパ、話は大体聴いた。大変なことに巻き込まれてしまったな。だが、ここまでで手を引かないか? これは今のお前達では手におえる事態ではない」

「親父、俺は…」

「そうよ、ムーザッパ、もうやめよ? 今度のことで身にしみて判ったでしょ。私達とは次元が違う世界の話なの。私達の役目はもう終わったわ。あとはキースや勇者様達に任せましょ」

「僕はこれからアルゴ様を追いかけてサポートします。アルゴ様はエレン様救出のためにエリアム洞窟へ向かわれたそうですが、間違い無く敵はワナをはってアルゴ様も手中にいれようとするでしょう。だから……」


 キースの言葉をムーザッパが中断させた。


「キース、俺も、俺も連れて行ってくれ」

「ムーザッパ!」


 ルタミナは叫ぶと泣きそうな顔をしてムーザッパに抱きついた。


「ねえ、お願いだからもうやめて。死にに行くようなものじゃないの。私、この間溺れそうになった時思ったの。死にたくないって。人はそんなに簡単に死んじゃだめだって。あなたの気持ちも判る。でも、気持ちだけではどうにもならないことだってあるのよ」


 けれどもルタミナはムーザッパがどう答えるかは判っていた。こんな風にいわれると逆にムーザッパは意地を通してエレンを追いかけるであろうことは判っていた。

 ムーザッパはゆっくりとルタミナを引き剥がすと彼女の目を見て言った。


「ルタミナ、でも俺は後悔したくないんだ。たとえ結果がどうあろうと、引いちゃいけない時ってあるんだ。俺にとっては今がその時だ。俺はエレン様を本気で愛している。その気持ちに正直になった俺の結論がこれだ」


 ルタミナはこれまでムーザッパの一途な気持ちにあきれることは何度もあった。でも今は少し違う感想を持った。


「ムーザッパ、あんたって……判った。だったら私もついていく。人数が多い方が死ぬ確率は少なくなるでしょ?」

「ありがとう、ルタミナ。でも、俺、死なない。さっき、あのヨロイ野郎に殴り飛ばされた時、何かつかんだ気がするんだ。キースに治してもらった今の俺はすこぶる気分がいい。ものすごく体が軽いんだ。もちろん勇者レベルではないけれど、さっきまでの俺から一皮むけた感じがする」


 ルタミナはムーザッパが頭を打ってハイになっているだけかとも思ったが、そうではないようだ。彼はとても落ち着いており、いつもと雰囲気が違っている。強がりではない、確かな自信にあふれていた。

 少しだけカッコよく見えた。

 そしてムーザッパ、ルタミナ、キースの3人は再び勇者の船に乗ってエリアム洞窟へと向かったのだった。


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