サイレン
最初に書いておくのを忘れましたが、展開がアホみたいに速いです
奇妙なことに、ベテランの船乗り達もその大嵐を予想することができなかった。航行前の天気は全くの正常だったはずである。急激な風雨に船員は動揺してしまい、ムーザッパとルタミナの乗りこんだ帰りの定期連絡船はかじを失って岩礁に衝突してしまった。今やその衝撃であいた穴から大量の海水を飲みこんでいく船は沈没への一途をたどるしかない。彼らは客達に状況を告げ、緊急用のボートへ乗り移るよう指示する。
しかし、ルタミナは船員の指示する方向とは逆に、貨物置き場へと向かった。
「ルタミナ、どこへ行く! こっちだ!」
「だって、お兄ちゃんが!」
「ルタオンのことはあきらめろっ。ボートに乗れなくなるぞ!」
「ヤダ! お兄ちゃんを置いて行くくらいなら、死んだ方がましよ!」
「馬鹿っ! 後を追うつもりか!」
「でも、イヤッ!」
ルタミナは貨物置場に向かってよろよろと走り出した。暴風雨に揺られる船底は足場が悪く、うまく走れない。着なれないスカートに履きなれないお嬢さん靴がさらにルタミナを妨害していた。
「ルタミナっ!」
ムーザッパは、彼女を引き止めるべく走り出した。
「お兄ちゃん……」
ようやくたどり着いたルタミナは普通の荷物のように装われた兄の棺を見てほっとひと息ついた。その1秒後にムーザッパが追いつく。
「ルタミナ……!」
彼女は振り返ると、これ以上ないくらい必死な、そして泣きそうな顔をしてムーザッパに請願した。
「ムーザッパ、お願い……一生のお願い……。手伝って」
胸がカーッと熱くなる。
「分かった。二人で運び出そう」
二人はルタオンを抱え、大急ぎで雷雨降りしきる甲板に戻る。しかし、既にすべての緊急用ボートは出て行ってしまった。
「あ……ここまで、か」
「……ごめん、ムーザッパ」
いつになく落ち込んだセリフを吐くルタミナにムーザッパの勇気が励起された。
「あきらめるのはまだ早いか。ここには水に浮くものがたくさんある。これをうまく利用すれば何とかなるかも知れない」
「何とかって…」
「とにかく窮鼠猫を噛む、だ。最後の最後まで諦めず、筏代わりになるものを作ろう」
雨で手が滑る中、それでも何とか二人は、三人の人間をのせられるだけのものを作り上げた。
「よし、自信はないが、これに乗って行こう」
カッと雷光が輝いた。それは船のマストに直撃し、船を大きく傾かせる。
「ああっ!」
ムーザッパも、ルタミナも、ルタオンの棺も、筏も、重力に引かれ海へ滑り落ちていった。
苦労のすえ作り上げた筏は海に投げ出され、あっさりとバラバラに崩れてしまった。これでは乗らない方がよかったかもしれない。そう言う意味では幸運だった。だが、事態は全くよくなったわけではない。船もどんどん沈んでゆく。
今度こそ、おしまいか。
ムーザッパは心の中でつぶやいた。船の破片や小さい樽は気休め程度に自分を浮かせるだけだ。泳ぎには自信があるが、この嵐の中を陸地まで泳ぎ着くのは不可能であろう。傭兵稼業を繰り返してきた彼も幾度かは生命の危機に陥ったこともある。しかしそれでもギリギリのところで生き残ってきたのだ。その運で、何とかなるだろうか。今度ばかりはどうにもならないかもしれない。
エレン様…。
死を覚悟したムーザッパは、世界で一番好意を寄せている女性のことを頭に浮かべた。
ふわっと体の力が抜けた。頭が真っ白になった。
ムーザッパは立ち泳ぎを止めた。
「ねえ、ムーザッパ」
エレンは彼にすりよると、甘えた声でムーザッパに話し掛けた。
「何?」
ムーザッパは優しい目つきをしてエレンに向き直り、彼女の髪を撫でた。
二人きりの砂浜。ムーザッパとエレンはべったりとくっつきながら、しばらくの間無言で一緒に海を見ていた。
「ねえ、今、何を考えていたの?」
「んー、エレンと同じこと」
「やだ……もう」
そう言いながらもエレンはムーザッパの後頭部に手をまわして彼にキスをする。無論ムーザッパはそれに応え、自分からも彼女の唇を吸った。
いつになく濃厚なキスに酔いしれたエレンは、あふ…、と色気のあるため息を洩らした。その表情に欲情したムーザッパは不意打ちのように彼女をきつく抱きしめた。
「あん…苦しいよ、ムーザッパ…」
エレンは抗議するが、ムーザッパは抱擁の手の力を抜かない。エレンはお返しにとばかり自分も彼を強く抱きしめた。そして……。
「ムーザッパ、ムーザッパ!」
ムーザッパは目を開ける。
「あ……あれ? 何でルタミナがここにいるんだ?」
横になっているムーザッパの姿をルタミナが覗き込んでいる。自分はベッドの上にいるらしい。
「大丈夫? 苦しくない?」
「ルタミナ? はっ、そうか、俺……」
たちまち嵐の出来事が頭の中に蘇る。
「俺、俺たち、助かったのか?ここは……どこだ?船室?」
確かにここは船室のようだった。簡素ではあるが、高価な材質を使った調度品がいくつか置かれている。海図と磁石が置かれているのがここが船室であることを示していた。部屋の中は掃除が行き届いているようにきれいだ。
「これは……?」
「びっくりしたでしょ。私もはじめ、夢か幻かと思ったわ。でも、そうじゃなかった」
「ルタミナ、俺どうして助かったんだ?」
「覚えてないの?折角の私の苦労を…」
ルタミナはがっかりしながらいきさつを説明した。
嵐で海に投げ出されたルタミナは夢中でルタオンの棺にすがろうとしたが、みるみるうちにその距離が引き離され、ルタミナの体力も尽きかけた。悔し涙を海水に流されながら小さくなっていく兄の棺を見守っていると、いつのまにか自分の耳に美しい音楽が聞こえてきた。幻聴かとも思いながらそちらを見た彼女は目を見開いた。一隻の小型船がこちらに近づいてきていたのである。連絡船のボートかとも思ったが、それとも違うようだった。しかしその際、どちらでもよかった。助かる道を見つけたルタミナは、最後の力を振り絞って船まで泳ぎついた。そして、溺れかけているムーザッパを見つけて、火事場の馬鹿力で彼を引き上げたのである。
「あの時はもう、夢中だったわ。ほんと、あんたの体の重さをすっかり忘れてた。あんた、だいぶ水飲んでたから必死で人工呼吸したんだから」
「そうだったのか……。すまない、ありがとう。ルタミナ」
「……」
言葉以外のリアクションが欲しかったルタミナは拗ねた目で彼を見つめた。しかしムーザッパは気づかなかった。
「ところでムーザッパ、体の方はもう大丈夫? 動けるなら、外に出てみる?」
「ああ、そうだな。この船の人にもお礼言わなきゃいけないし」
「いないわよ」
「えっ?」
「いないの。この船にはだあれも」
「そんな馬鹿な。この船が漂流船? こんなにきれいなのに」
言いながらムーザッパは体を起こし、船室のドアを開ける。どっと強い風とまぶしい太陽の光が飛び込んできた。嵐は嘘のように収まっていた。
ムーザッパは船室を出てすぐにルタミナの言葉が真実であることがわかった。船は小さく、船室は自分がさっきまで寝ていた場所しかなかったのだ。
不思議なことにこの船には帆もなく、もちろん漕ぎ手もいないのにそこそこのスピードで動いていた。
甲板を歩くうちにムーザッパは既視感に襲われた。
あれ……? 俺、この船、見たことあるぞ。何でだ?
「ムーザッパ! ね、言った通りでしょ」
「うん……。なあ、ルタミナ。この船どっかで見たことないか?」
「え?」
「いや、俺、絶対知ってるよ。この船。見たことあるって」
ムーザッパは目をつぶって記憶をたどる。そして突然大声を上げた。
「判った!これ、勇者の船だ!」
「えっ!?」
「ほら、姫様が魔王を倒して城に凱旋されるときに乗ってきた船だよ。たしか『フェリア』という名前の!」
「ええっ!? でも、その船は町の運河に奉られているんじゃ……」
「いや、間違い無い。俺はエレン様に関連する事柄では記憶違いをしたことがない」
「その通りです」
突然第三者の声が聞こえ、二人はビクリと身体をすくめてそちらを見た。
船首の方向にもやもやと煙のようなものが浮かび上がると、やがてそれは半裸の女性の姿をとった。それが普通の人間ではないことは彼女の体が半分透けていることから瞭然であった。
「これはまさしく勇者様の船。私はこの船の魂、フェリアです。海神様の怒りは私がなだめました。もう、お守りを血でぬらしたりしないで下さいね」」
「船の、魂?」
「ええ」
フェリアとはもともと海神の側に仕える海の魔物、サイレンであった。その姿かたちは人間の女性に酷似している。ときどき人間に近づいてその美声で惑わせ海に引きずり込むのを楽しみにしている種族だった。
海神とは、神の名がついてはいるが真の神ではなく、時化を起こす力を持った魔物である。魔大戦の際には魔王の下についていた。
フェリアの住む海域では、サイレンは彼女と彼女の姉のフィーネだけであった。二人はどれだけいい男を引きずり込むかを競っていた。
その力を魔王に見込まれた二人は海神を介して、人間達の船を襲うよう命じられた。無差別に大量にその能力を発揮させられた二人は次第に疲労し、魔王に反感を持つようになっていたが、魔族の力を恐れ仕方なく役目を続けた。
そんな時、彼女達の能力がぱったりときかなくなってしまった。不審に思ったフェリア達が調べると、航海する船には一人の吟遊詩人が乗りこんでいた。その名はルタオン。彼はサイレンの歌声よりも美しい音色の音楽を奏で、船上の人々を幻惑から防御していたのである。
彼女達はルタオンを殺すよう命じられた。フェリアとフィーネは人間に変身して港町の宿屋の彼の泊まっている部屋へ潜入し、寝込みを襲う計画を立てた。しかしフェリアは、フィーネが短剣を振り下ろした瞬間、とっさに彼をかばってしまった。それは彼女の中で、ルタオンの音楽センスに嫉妬する気持ち以上に、彼の音楽と彼自身を愛する気持ちが大きくなってしまったからだった。彼女の命は失われたが、その魂はルタオンの竪琴に乗り移った。その状態で彼女はルタオンに愛を告白した。
その後、ルタオンは成り行きで魔王対策プロジェクトに参加することになる。その一環として勇者達が魔王城に向かうために、特別な船が設計されることになった。技師ミューラスの発明した風や人の力を借りない船であったが、それだけでは荒れ狂う海に立ち向かうことができない。そこでフェリアはルタオンに申し出た。自分がこの船に魂を乗り移らせれば、海神の力をある程度おさえられる、と。
ルタオンはフェリアに感謝の意を表し、その船に彼女の名前をつけたのだった。
役目の終わった今、フェリアは城下町でルタオンの帰りを待っていたのだという。
「それで、どうしてわざわざ私達を助けに来てくれたの?」
「ルタオン様に呼ばれたんです……」
そう言うとフェリアは海の魔物とは思えぬような愛らしい表情をした。
「お兄ちゃんに?」
「私、聞こえたんです。ルタオン様の声が。嵐にあって危険にさらされている。助けに来て欲しいって。そこであなた方を見つけたのです」
「お兄ちゃんが…」
「あなたはルタオン様の血縁の方ですね? よく似ておられます」
「ええ、私はルタミナと申します。ルタオンの妹です。でも、兄は……」
「判っています。こちらの世界の人ではなくなったのですね」
「……」
「構いませんよ。あなた達はこのままウェアリン国城下町まで連れて戻ります」
「ありがとう」
ルタミナは優しく笑った。
ムーザッパは何か考え事をしているようだったが不意に、はっ、と声をあげた。
「どうしたの、ムーザッパ」
「い、いや、何でも無い。それより、俺、まだ少し気分が悪いからベッドに戻るよ」
「そう? 私はもうしばらく風にあたってるわ」
ムーザッパはフェリアに礼を言うと船室に向かった。
ルタミナは風に当たると同時にもう少しフェリアとルタオンの話題をしたくて、その場に留まっていた。せっかくおしゃれでつけてきた飾りヘアピンはどこかへいってしまい、髪の毛も塩水を浴びてそれが乾いただけなので無残な姿へとなっていた。
「それにしても、お兄ちゃんが、そんな凄いことに参加していたなんて驚き。お兄ちゃんがエレン様達と一緒に魔王を倒す計画に……。それじゃあ、声、掛け合ったりしたこともあったのかな。ムーザッパ、うらやましがるだろうな。ねえ、フェリアさん。どうしてお兄ちゃんはそんなことに参加することになったの?」
「ええ、きっかけは、キース様が魔法の薬草を買い出しに行った帰り、ごろつきにからまれていたのを助けに入ったことでした。あ、キース様というのは、魔女サクラ様のお弟子さんで……」
「えっ?」
「ああ、サクラ様というのは計画のリーダーにあたる方で……」
「サクラ? ちょっと、詳しく聞かせて、フェリアさん、その人のこと」
ルタミナはフェリアに詰め寄ってその名前の人物について聞けるだけのことを聞き出した。そして興奮のまま船室に駆け込む。サクラの手がかりを早くも見つけたのだ。ムーザッパにも教えなければ。だが、室内のムーザッパの様子を見て、ルタミナは声を失った。
彼は船室内の勇者用のベッドの上に顔をうずめ、もだえていた。
「ああ~、エレン様~」
こ、こいつはぁ!
ルタミナはあまりにあまりな彼の行動に身体が震え、少し暴力的な気分になった。




