文官令嬢の小さな野望
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「エリザベス様……御自分をさして何になるというのですか」
ミリアは冷静な口調で話しかける。見せかけでしかないが自分まで逆上したら話にならない。
外に助けを求めてアレクサンダーに来てもらうのが一番だが、その前にエリザベスが自分を刺すだろう。彼女の安全を確保するのが宰相補佐としての彼の役目であるならば、それに傷をつけたくはない。実際のところ、ミリアはエリザベスが嫌いではあるものの怪我をしてほしいなど微塵も思っていなかったのだ。
「お前を行かせない。扉から離れなさい。でも私に近づかないで」
「どうすれば」
「本棚の前に行きなさい!」
ここでこじらせるのも面倒な気がする。本棚は部屋に入って左側にある。ミリアはエリザベスを見つめたまま、ゆっくりとあとずさって扉から離れた。
その瞬間。
「突撃!」
外からの声とともに凄まじい音で扉が砕かれた。さすがにへたりこむミリアをかばうように背の高い男が立ちはだかる。
「放して! 放しなさいよ!」
その長い脚の陰から、三人もの騎士がエリザベスを取り押さえるのが見えた。破片を奪われたエリザベスは叫び声を上げ、こちらを睨む。
「アレクサンダー! なんとかしなさいよ!」
ミリアとエリザベスの間から動こうとせず、彼は静かに言い渡す。
「あなたを拘束します」
「どうして! 私は、この女に脅されたのよ! 今だって……」
「脅したのはあなたでしょう。しかも国を売ろうとしていた」
「は……?」
エリザベスとミリアはほぼ同時に声をあげていた。なにがなんだかわからない。だがアレクサンダーは真顔で続ける。
「あなた達の会話はすべて聞いていました」
「は? どういうこと?」
彼の視線が逸らされる。その先には壁に取り付けられた鏡があった。
「あの鏡は、壁の向こう側からは見えるような仕組みです。あなたがたが話している間は、ずっと待機していました」
「そんなのひどい! 覗いていたなんて……!」
「この部屋は貴賓のための牢です。監視する仕組みがあるのは当然でしょう。ここ以外に関しては我が家のメイドが監視していたはずです」
牢、監視。つまり、最初からエリザベスは犯罪者の疑いをかけられていたということなのだろうか。彼女は唖然とした顔をしたが、やがてすがりつくように元婚約者の方に向かおうとした。当然、騎士に取り押さえられる。それでももがきながら声を張り上げた。
「アレクサンダー、お願い。許して。まだ私、何も知らないし、誰にも何も言ってないわ!」
「ですが、言うつもりで戻ってきたのでしょう?」
「さっきまではそうだったわ! でも、心を入れ替えてちゃんとあなたの妻になるわ!」
すごい。ミリアはさすがにまじまじと必死の面持ちを見つめてしまう。他人事ながらジョエルさんはどうなるのかと案じられる。
「あなただって、私を愛しているから、こうして――」
「愛してる? 私たちにそんな感情はなかっただろう」
遠慮もないバッサリとした返事に、無関係の騎士すら思わず目を剥いた。
「でも、でも、あなた今も独身なんでしょ? それは私を忘れられないから、次の婚約者を決めなかったって噂が……」
「あなたがいなくなってから、次はうちの娘をという売り込みがあまりにうるさくて。それを避けるために噂を否定しなかっただけだ」
「利用……」
「それぐらいは慰謝料として構わないだろうと思ったんだが。信じていたとは」
「私も同じように思ってました!」
ミリアが叫ぶと、アレクサンダーはチラっと振り返る。
「単純だな」
「申し訳ございません!」
そんなやりとりのそばで、足掻くのも止めてあっけにとられるエリザベスへとアレクサンダーは歩み寄った。
「とりあえず、あなたは城に移送され取り調べが開始される。陛下にも正式な報告を上げる。あなたの恋人……ジョエルにもじき逮捕状が行くだろう」
「うそでしょ? ねえ、うそでしょ?」
「細かいことは取り調べで。元王女とはいえあなたに誰も手心を加えないよう、王太子殿下が直々に調査するとのことだ」
王太子殿下がどのような方かは直接仕事をしたことはないので、私にはわからないが、エリザベス様にはどういうことなのかわかるのだろう。
「いや! いやよ! ちょっと! 嫌よ! 放して!」
騎士のガチャガチャとした鎧の音に紛れながら懇願する声が扉に向かう。足元に目を落としたアレクサンダーは、つと思い出したように片手を上げた。
「エリザベス様、ひとつ申し上げることがあります」
騎士が止まり、エリザベスは困惑と期待の目でかつての婚約者を見返す。
「あなたに婚約の申し込みをしたときのことですが……あれは親に言われた作法です」
「は?」
「私が自主的に行ったと勘違いしているようなので」
「それ、今言うことなの!?」
さすがにヒステリックに怒鳴るが、返事をする必要はないと判断したのだろう。あげた手が降ろされ、怒鳴り声は遠ざかっていった。
「大丈夫か?」
「ひゃ!」
近づいてきたアレクサンダーに顔を覗かれ、ことの重大さよりも余りの顔の近さの方にうろたえる。
「君は重要参考人になる。明日は朝十時に宰相閣下の執務室に来るように」
「はい」
「よくやった。お手柄だ」
「はい……」
気の抜けたような返事しかできない。
「どうした、疲れてしまったのか?」
「ア、アレクサンダー様、エリザベス様のことはもう好きじゃないんですか?」
突飛ではあるが、どうしても彼の口から聞きたかった。仕事と関係ないことを聞くなという自覚はある。けれど確認を取っておきたい。
アレクサンダーは困った顔を一瞬だけ浮かべた。
「好きだったことは一度もない」
完全な答えを述べてから、アレクサンダーはミリアが立ち上がるのを見届けてさっさと出ていってしまったのだった。
翌日、ことの真相が説明された。
「つまり……最初から私と会話してボロを出させることが目的だったのですね」
「あの性格だ。あまり親しくない人間とやりとりをしていくうちにイライラしてくるのを見越していた」
「とは言え、君に不快な思いをさせてすまなかったね」
宰相閣下に言われ、ミリアは頭を下げる。
「お役に立てたのなら幸いです。ただ、先に明かしていただければと思いますが」
「君は、隠しながらうまく立ち回るなんてことは出来ないだろう?」
「まあ、それはそうですね」
アレクサンダーの言葉に不承不承頷く。
「ですが、私とエリザベス様の会話、全部を聞きになってたってことですよね」
「肝心な時に乗り込めないので困るからな」
「知ってたら、恥ずかしいことを言わないように気をつけたのに」
「たいして目新しいことは言ってなかったが」
「聞かれてると分かってるのと、分かっていないのでは全然違います!」
さすがに恥ずかしかったことは理解してほしいミリアと頓珍漢なアレクサンダーのやりとりが終わらないと察したのだろう。宰相が咳払いをして二人を止める。
「今回のことは陛下直々の箝口令がしかれた」
「承知いたしました」
さすがに自分の娘の愚かさを外に出すのが忍びなかったのだろうか。甘い措置だと思うが、代わりに彼女をそそのかした者たちは一網打尽だそうだ。そもそも、あまりに粗だらけの計画を立てるような人間はそう長く秘密も保てないだろう。その後ろまで捜査の手が入ればいいと思う。
「ということで、口止めと褒章を兼ねて、なんでもいい。希望のものを1つ叶えてやろうと陛下からのことだ」
なんということだろう。先日の夜会といい、この国は随分気前がいい。
「では夜会の、アレクサンダー様のパートナーを」
「それはすでに約束してある。別のことにしたまえ」
ぴしりと遮られてミリアは俯く。
「別のこと、ですか」
「君の希望は王命とすると陛下は約束してくださった」
「たいていのことは叶う。ここにいる誰かに何かを命じることもできるぞ」
「たとえば、婚姻などもできますかね」
宰相閣下と補佐たちがそんな話をしている。
「あの、では、大それたことですけれど……」
ミリアはアレクサンダーに向き直る。
「今度の休み、湖に出かけてくださいませんか?」
「……それで?」
「一緒にお食事をしましょう。嫌、じゃなければですけれど」
周囲がなぜか、アレクサンダーまでがため息をつき、残念なものを見る目でこちらを見た。まずい。やっぱりとんでもなく大胆すぎる願いだったんだろうか。彼は静かに宰相に向かった。
「閣下。国王陛下の約束という形で文章に残し、彼女の願いが見つかったときに考えるという形で残していただくことは可能でしょうか」
「ご配慮くださるだろう」
「で、でも……」
「それぐらい私が叶えてやる。君はゆっくり自分の願いを考えなさい」
「あ、ありがとうございます! じっくりお出かけ先を吟味いたしますね!!」
ミリアの礼にアレクサンダーの眉間のシワが深くなる。あら、と周囲を見渡すと、宰相閣下含む周囲の人々は生温かい微笑みを浮かべて自分たちを見つめているのだった。
完結いたしました。
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