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文官令嬢の小さな気づき

働きます

「おはようございます! 昨日いただきました文書の内容確認、完了しましたので持って参りました!」

法務局の一角に、ミリアの元気な声が響き渡る。その声に何人かが手を止め、苦笑とも微笑ましいともつかない表情を浮かべた。

「ミリア様、今日もお元気ですね」

「ありがとうございます! 新人は元気に振る舞えと言われましたので!」

「誰に言われたんです?」

「私の家のメイドです。『新人は元気よく挨拶し、ハキハキと話し、言われた仕事は一生懸命頑張ることしかできませんから』と」

「確かに、そのアドバイスは間違ってはいないわね」

ミリアはとにかく元気よく朗らかに振る舞った。実際彼女は、くよくよせずに前向きな性格であるからそう動いているため、周囲の評判は悪くない。

もちろん、働かなくても暮らしていける伯爵令嬢が他の貴族や平民男子の席を奪ったと難癖をつける人間がいないわけではない。一度、おそらくは平民出身の男性文官たちに廊下の片隅で囲まれ、

「お前がこの仕事に就いたせいで、俺たちの仲間の一人が落ちたんだぞ」

とネチネチと絡まれたことがあった。そんなことを言われても、ミリアとて去年は落ちているのだ。勉強不足だったのでは? 来年頑張りましょう! くらいしか返事が思いつけない。そこから働きながら勉強をする困難さの話になり、最終的に、領地の一つにある館の古い図書室の管理の仕事をミリアが紹介し空いた時間は勉強に使っては? となってその場は収まった。三人はそれ以来、ミリアのことを同僚以上の友達だと認めてくれているようだ。

この一件やミリアの明るい性格のおかげで、彼女の味方は徐々に増えていった。

「いい子だよな」

「挨拶ができて締切を守るだけでも新人は立派よ」

「それくらい当然です!」

周囲の褒め言葉にミリアは胸を張る。

「この仕事ひとつひとつがアレクサンダー様に関わるものだと思えば、私は全力を尽くします!」

「えっ、なんでそこで宰相補佐が?」

「知らないのか? お前」

「もうミリア様が来て、一ヶ月が経つのに」

疑問を呈した文官は周囲に驚かれ逆に驚く。

「なんで知ってて当たり前なんだよ。知らんよそんなの」

「じゃあ、ぜひ聞かせてもらえよ」

わいわいと言い出す人々に、疑問を呈した文官は不思議そうにミリアを見る。そんな、皆さんにお聞かせするような話では……と言えば、いいから、教えてやって! と皆が促す。

「それではお話しますが、あれは私が七歳の頃――」

ミリアは軽く咳払いをすると、十二歳のアレクサンダー様と薔薇の下での出会いを、とうとうと語り始めた。この話を話すのは何も初めてではない。訓示の後に何が起きたのかと聞かれたミリアは特に恥ずかしげもなく二人の出会いを語った。それがなんのツボに嵌ったのか、会う人会う人に聞かれるようになりその都度ミリアは礼儀正しく説明をしてきたのだ。

そして今日、知らぬ間に、部署内には小さな人だかりができていた。

「――というわけで、その時アレクサンダー様は、『お城に来て働いたら、ずっと一緒にいられるよ』と、ウインクしながら私にピンクの薔薇を差し出してくださったのです! ロマンチックでしょう?」

「誰がそんなことしたというんだ」

ま後ろからの声に、ミリアは勢いよく振り返る。面白そうにはやしていた周囲の人々も、まさかの宰相補佐登場にまるで蜘蛛の子を散らすように去っていってしまった。残っているのは古参の――つまり、アレクサンダーに軽口を叩くこともできるような肝の太い人々である。

「こんなところでくだらない話をして、油を売っているとはな」

「油を売ってなんかいません! 私は法務に書類を届けに参って!」

「提出された書類を私がチェックして、あなたに渡すというところ」

法務局長に渡された書類をアレクサンダーは受取り、パラパラと目を通してから哀れなものを見る目でミリアを見る。

「こういうところは抜かりないんだがな……」

「ありがとうございます。アレクサンダー様のために頑張りました」

「そこは国のために頑張ってくれ」

「しかし、誰かのためにならそこまで頑張る文官なんて、他にいないだろう。どう? いっそ専属に迎えては」

「何を言ってるのですか、局長」

さすがにそれは、と顔をしかめる彼に、他のベテランの文官たちも次々と乗ってきた。

「いいねえ、専属にしなよ。専属で連れ帰っちゃいなよ」

「ずっと一緒でも、ミリアちゃんならできるだろ」

「ミリアさんしか、出来ないでしょう」

「皆様のご推薦、ありがとうございます!」

感極まったミリアがカテーシーで礼をすると、アレクサンダーは無表情をやや崩し一瞥する。

「勝手に外堀を埋めるな」

「申し訳ありません!」

外堀ってなんだろうと思いつつもとりあえず謝るミリアはごきげんだ。専属に推薦されたということだけで、今日の夜はぐっすり眠れると思った。そんなウキウキ感に気づいてか、気付かないでか、アレクサンダーは表情を動かさず手に持っている書類の束を差し出す。

「君に仕事がある。これを」

「はい!」

ミリアは渡された束をまじまじ見つめた。数百枚はあるだろう紙には外国語が書かれている。

「ざっとみて五種類ほどの言語で書かれてますね」

「ああ。これは、今年度、我が国に輸入される書籍のリストだ」

「まあ、こんなに」

「これらがどんなタイトルのどんな内容で、我が国に照らし合わせた場合はどのような基準で売り出すべきなのか、そもそも我が国で取り扱えるのか……とにかく、ぱっと見て各部署の人間がスムーズに仕事ができるように翻訳をしてほしい」

「ええ、これは……可愛そう……」

という声が後ろでひそひそと聞こえてくる。

「まあ、誰かがやらなきゃいけないことだけどさあ、面倒くさいよねえ」

「なまじ語学ができると、下っ端のうちはこれやらされるよねえ」

「でも、この経験は役に立ったよ。しんどいけど」

「つまり、誰かがやらなくてはならんことだ。だから、君に――」

「お任せくださいませ!」

ミリアは書類を抱きしめて微笑んだ。

「私、徹夜で完成させてみせますわ!」

「徹夜など誰も頼んでいない。期限内であれば構わん」

「なんて優しいこと……! アレクサンダー様の優しさ、身にしみます」

「そういう言い方をされると、うちが過酷な働き方を強いているように聞こえるから止せ。真に受けた監査が入る」

「申し訳ございません!」

謝っているとは思えないほど嬉しそうに書類の束を撫でるミリアを見て、アレクサンダーは、わずかに、ほんのわずかに眉を寄せた。

「そんなに喜ぶような仕事ではない。誰かがやらなくてはならない仕事だから、新人の君に回ってきただけだ」

「私にとっては、生まれて初めてアレクサンダー様から依頼された仕事ということですもの! 七歳からの夢が叶った瞬間です!」

「確かに!」

周囲が思わず立ち上がる。おめでとう! おめでとう、良かったね! と讃えるのをありがたくミリアはカーテシーで答えた。

アレクサンダーだけが話についていけないというように無表情でぼんやりと突っ立っているのは、見事に対照的だった。



なるほど、この我が国は多くの書物を輸入しているのね。

アレクサンダー最優先といえど、さすがに一気に進めるには量が多いし無理をするなと言われているし、通常業務というものもある。

通常の業務をこなした後、許可を得て午後は図書室でこの翻訳作業に当たるというのが、最近のミリアの一日の流れだった。

ミリアがアレクサンダーからの仕事を請け負ったことは場内の各部署でもじわじわと広まっているらしく、「頑張ってね」と知らない人にまで声をかけられた。この国は優しい人しかいないのかもしれない。子供の頃に自分のことを置いていってアレクサンダー様を裏切った王女以外は。ミリアは根に持つタイプでもあった。

「あら、ここからは大衆小説。女性向けの恋愛小説ね」

我が国の平民の識字率はそこまで高くはないのだが、じわじわと上がってきている。特に台頭してきた商人たちの階級では、女性の娯楽としての恋愛小説は馬鹿にできないほどの売り上げがあるという。

ミリアも勉強の合間、息抜きとして読んでいたひとりであった。恋愛小説は文官試験の必修である外国語になれるのにちょうどよかったからだ。

ふむふむと面白そうなタイトルとあらすじだけで、自分も何か買ってみようかと好奇心が掻き立てられる。翻訳のペンを走らせているうちに、ふと手が止まった。

……これ、どういうこと?

マデラ国の作家のある本の手が止まる。タイトルと言うよりはあらすじに書いてあった。

『愛する人の無事を祈るために、大地に薔薇の種をまく少女の話』に引っかかったとも言える。

「大地に薔薇の種をまく? でもこの小説、イルミヤが舞台なのよね?」

イルミヤは北方の山がちの国だ。高い山に、一年を通して厳しい風が吹き荒れて夏は短く、冬は長い。作物が育ちにくい痩せた土地であった過去がある。

そのせいで、イルミヤが舞台の小説は基本的には古めかしい価値観のなかで障害を乗り越えるドラマチックな話が多いのだ。

そんなイルミヤみたいな寒い国で、薔薇を地面に蒔くなんてあり得る? 芽吹く可能性だって低いのに? とミリアは飲み込めない。

薔薇というのは繊細で、育てるのにかなり気を使う花だ。それを高山地方のそのへんの地面にまいたところで枯れるのがおちだ。温室の中で温度を管理して大事に大事に育てて、それでも上手く行かない可能性が高いのだ。

「もしかして……言葉の違いで、薔薇ではなく別の花とか?」

念のためにミリアは辞書を三つ調べ、かつ古語の辞書まであたってみた。しかし、おそらくここで示される花が薔薇であることは間違いない。

作者が勘違いしている可能性もあると言えばある。けれど、作者の名前に見覚えがあった。

「そもそも、イルミヤの庭師と令嬢の身分違いの恋愛シリーズを書いてる作者なのよね」

マデラ国出身の作者は、様々な国の恋愛シリーズを書いている作者で、そのリアリティーのある描写には定評がある人なのだ。その作者がそんな間違いを今更する?ひっかかりに自分で説明ができずにミリアはうなる。おかしい。誤植だけなのかもしれないけど、なんだかこの間違い、気持ち悪い。

「明日、アレクサンダー様に聞いてみようかしら」

メモを付けて一応、忙しそうではあるから外務局に来たときを見計らえば問題ないはず。べ、別にお話しするきっかけができて嬉しいなんて、思ってないしね! などと、自分に言い訳をしつつ、明日の予定にその旨を記し残りの作業に戻ったのだった。


「――というわけなんですが、考えすぎでしょうか?」

翌日、ミリアがこの点を指摘する。説明しながら、だんだんとやっぱり考えすぎかしら、という気持ちにもなってきた。なぜなら、宰相補佐は本当に表情を変えずに彼女の指摘した部分を冷淡な目で見ているからだ。

気がつけば彼の周囲には外務局のベテランまで集まって覗き込んでいる。

「君はイルミヤの習慣には詳しいのか?」

「いえ、詳しいというほどでは……ただ、この国が舞台の小説は結構読みました! 厳しい気候の国で健気な少女と冷酷ながら一族のためにわざと冷たくふるまう男主人公の関係が本当に素敵で……!」

「感想はそこまでだ。このページは私が預かる。残りは続けて君がやってくれ」

アレクサンダーは今日始めて書類から目を離しミリアを見つめた。

「なかなかいい」

「え、い、今のは褒め言葉ですかっ?」

「ただの評価だ」

「ありがとうございます! 私……頑張ります! この国始まって以来、最高の翻訳をしてみせます!」

意気込むミリアをよそに、アレクサンダーは書類をしげしげと見つめていたのだった。


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