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1.文官令嬢の小さな約束

あれはミリアが七歳の時だった。

うまれてはじめて、王宮で同い年の貴族の子女たちを集めて、まるで顔見せのような茶会がに参加した日。

ふたつ上の王女がほかの令嬢を連れて去って行ってしまい、七歳のミリアは一人、バラ園の中で迷子になっていた。

子供の頃から伯爵令嬢として家では可愛がられ放題に可愛がられてきたため、突然の王女のふるまいに何をどうしていいかわからず、うろうろする間に知らない場所まで来てしまった。

寂しくて、悲しくて、どこに帰ればいいのかわからなくて。目に涙を溜めていたミリアの前に現れたのは、黒い髪と不思議な銀色がかった青の眼を持つ少年だった。

年上の彼は、ひとりぼっちのミリアを見て手を差し伸べてくれる。白くて、でも兄のように剣の練習を始めている少し硬くなった手だ。彼はまるで壊れそうなものを握るようにミリアの手を握り、ミリアの歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれる。

丈の高いバラの生け垣に挟まれた小道を行く。生け垣を下から見上げると、まるで薔薇に押しつぶされてしまいそうだ。まるで迷路のように感じて怖くなり、少年をじっと見上げてしまう。

「どうしたの?」

見ている視線を感じたのか、彼は繋いでいた手をそのままに振り返る。銀色の眼を見つめ返すと、彼は何か思い立ったように生け垣の小さな薔薇を一輪摘んでくれた。

「ここのなら摘んでいいって言われたから。はい」

薄紅色の薔薇を髪にさしてくれた。ミリアは一生に一度の恋に落ちる。

「一緒にいたい」

え、と少年はミリアの突然の言葉に驚いたように目を見張る。

「あなたと、一緒にいたい。今は家に帰らなきゃいけないけど、おとなになっても一緒にいたい。どうすればいいの?」

彼は思慮深気な顔で首を傾げる。二人は同じ角度で首を傾げてじっと見つめ合った。まるで時間が止まったかのようだ。

「将来、城で働けば、きっと一緒にいられると思う」

やがて彼は落ち着いた声で答えを出す。

「僕は将来、城で働くことになるから。そうなったら、きっと一緒に働けると思う」

この十二歳であったハートフォード侯爵家子息アレクサンダーの言葉が、ミリアの人生を決めた。


「ミリア、どうか皆さんに迷惑をかけないようにね。ちゃんとハンカチは持った? ペンはある?」

「お母様、そんなに心配しなくても大丈夫です。私、もう子供じゃないんですから」

馬車に乗り込む前から大騒ぎの母にミリアは元気よくだきつく。

「もう十八歳の、立派な文官なんですよ?」

「そうね。あなたが文官になったこと、本当にどう捉えればいいのかしら……」

母は疲れた声で、同じく馬車の中で待っている夫に声をかける。

「あなた、この子をちゃんと見ていてくださいね」

「今日は陛下と相談があるから、ミリアと顔を合わせることは多分ないだろう。ミリア、何か怖いことがあったら、大声で兄を呼びなさい」

「俺は騎士団との調整に入っているから、どんなに叫んだって聞こえないがな」

父であるヴァンデルフォード伯爵や、主計局に出向している兄の返事がまったく意に沿わなかったのだろう。ますます落ち込む母の背をミリアはぽんぽんと叩く。

「お母様、十一年ごしの夢がかなったんですもの。頑張ってきます!」


十八歳のミリアは王宮の文官として試験に受かり、本日が初出仕だ。ガタガタと動く馬車の中で十一年の時間をミリアは思う。

あの夢のような出来事の後、自宅に帰ってからすぐに家族に宣言したのだ。

「私、将来お城で働く! どうすればいい?」

家族は当然、王女様の侍女になるか、お話し相手としてお城に上がるのだと思ったらしい。だが、自分を置いていったあの王女の友達など絶対に嫌でミリアは速攻で却下した。

「かといって、伯爵令嬢が城の官僚になるわけにもいきませんし……」

「それだわ!」

情報収集を兼ねて家庭教師に質問をして回り、文法の教師の言葉におもいきりくいついた。それからは家族にも他の家庭教師にも、将来官僚になるにはどうすればいいのかと真剣に聴き込んだ。まさか伯爵令嬢が働きたがるなどとは思いもしなかった家庭教師たちだが、何はともあれ勉強を頑張ってくれるなら、と文官の試験について焚きつけたのある。

ミリアは本当に勉強した。同年代の令嬢たちとは比べ物にならないほど知識を詰めこみ、その上の家庭教師を、さらにその上の家庭教師をと貪欲に求めた。

その頃には両親も何が起きているのかとミリアに理由を尋ね、そこではじめて彼女の初恋の相手が誰なのかも発覚したのだった。

「しかし、アレクサンダー様は例の婚約破棄で女性はこりごりだと言ってるのに。お前も無駄なことをするよな」

その言葉にミリアは現実に戻るときっと兄を睨み付ける。

……アレクサンダーの元婚約者は、因縁のミリアよりふたつ上の王女エリザベスだった。彼女は本来結婚する予定だった二年前、なんと婚約者や家族を裏切り側仕えの男と出奔してしまったのだ。

この一大スキャンダルを前に国王は侯爵家に平謝りするしかなく、アレクサンダーはその痛手のせいで、二年たったいまだに婚約者を決められずにいる。女性が近づいてもあまりに冷たい態度ばかりとるため、社交界でも遠巻きにされているくらいだだ。

ミリアも夜会でデビューした時に一度や二度、果敢に話しかけようとしたが、冷徹な雰囲気に跳ね飛ばされるかのように近づけなかった。

その時、「やっぱり自分は文官になって、彼の部下として側にいるしかない」と心に誓ったのだった。


「お兄様、私は婚約者になりたいわけではありません! 私はあの方と仕事をする。それが私の夢なのです!」

宣言を兄はすっかり慣れきった顔で「はいはい、わかった、わかった」と適当にあしらう。父に至っては腕組みをして目を瞑り、半分寝ているようだ。これからお仕事だというのに、なんというやる気のなさだろう。ミリアは心の中でため息をつくと、自分はめちゃくちゃに頑張って働いて、いずれはアレクサンダー様の片腕となるのだと、改めて闘志を燃やしたのだった。


外務局は、諸外国との関係を取り持つ重要な部署だ。同盟国との親睦を深め、互いの国益を守るための交渉や新たな条約の締結に向けた準備など、その業務は多岐にわたる。各国の思惑が複雑に絡み合う中、綿密な情報収集と分析を行うだけでも多くの人員を必要としていた。新人の文官が経験を積む場として外務局に配属されることは多い。ミリアもまた、その一人だ。

当然というか偶然というか、新人の文官に同い年の女性はいなかった。ミリアはたった一人、奇異の目に晒される。随分ぶしつけだこと、と本人は首を傾げた。珍しいから見られているに違いないのだが本人はそこに気を回すほど余裕がない。

部屋の扉が開き、上級の女性文官がミリアを見つけやってきた。

「あなたが、伯爵家のご令嬢ね」

「はい、ヴァンデルフォード家の者です」

挨拶に、周囲からひそひそと声が上がる。

「伯爵令嬢がいるだと?」

「なんでそんなお貴族様がここで働く必要があるんだよ?」

「間違っているとでも?」

まさか振り返って直接問われるとは思わなかったのか、陰口を叩いただろう二人の青年がぎょっと固まる。ミリアは臆さず胸を張る。

「私は正式に試験を受けて、それに受かり、ここに入りました。それの何がいけないのですか?」

「いけないとかそういうわけじゃ……」

「もちろん、去年は落ちました。けど、今年は受かったんです」

瞬間、部屋の空気が変わった。

「伯爵令嬢でも、試験に落ちるんだ」

「え、コネじゃないんだ……」

別のざわめきにミリアは睥睨と言っていいほどの眼差しで今日からの同僚を見据える。

「もちろんですとも。私は七歳の時から十一年間、必死に勉強してここに入ったのです。試験は平等! 伯爵令嬢だから、何だというのですか! 国が不正をしたといいたいのならば名乗り出なさい!」

突然の喧嘩腰に新人たちはすっかり怯えた。そして見守るはずの先輩文官たちもまた怯えた。

立身出世のために文官を志す平民は多い。もしくは将来受け継ぐ領地のない下級貴族の次男三男なども多いだろう。平民と貴族には社会的に大きな隔てがあると言っていい。ここにいる新人は誰もが、眼の前の同僚が自分より上の貴族なのか下の貴族なのか、あるいは平民なのかを探り合っている最中といえる。

そこで、ミリアのように堂々と振る舞うのはあまりに自由すぎた。それもある意味、彼女が伯爵令嬢という揺るぎない肩書きを持っているが故の自由さなのだが、本人はそのことにまったく気づいていない。

どうしようとざわつく彼らを黙らせたのは、部屋の扉がカチャリと開く音だ。

「何があった」

室長の登場に全員が口を閉ざし目を床に落とす。

「宰相補佐官から、今年の新入りへの訓示だ。姿勢を正し、心して聞くように」

その声で、全員の姿勢が正された。宰相補佐官……官僚たちにも厳しく冷たいことで有名だ。最初から目をつけられては叶わない。目立たないように、ほとんどの新人が息を殺す。

ミリアひとりが礼をしながらも全身で彼に集中する。

「顔を上げなさい」

背が高く、文官といえどもそれなりに鍛えられた体。漆黒の髪に、銀色がかった青い瞳。

アレクサンダー様。ミリアの目の前に、ついに彼が現れた。夜会でも遠巻きにしか見られなかった彼が、三人ぐらい挟んだ距離にいる。間に挟まっている三人が邪魔だが、嬉しい。

そんなことをミリアが考えている間に、アレクサンダーは訓示を述べる。

「外務とは、我が国の利益のために、そして他国との和平のために働いてもらうことだ。もちろん、ここで頭角を現すかそれとも他の部署が似合っているかは見極めさせてもらう」

「……」

「ここに来た以上は職務に忠実で、国を裏切らぬように」

「はいっ!」

他の面々が気圧されている中、ミリアだけがやたらと元気に返事をしてしまった。やだ、恥ずかしい。どうしてみんな返事をしないの。思わず赤くなったミリアをアレクサンダーが見る。隣の従僕だろう男が、耳元にヒソヒソと何かを囁いた。

「ああ……君がヴァンデルフォード伯爵令嬢か」

「は、はい……!」

自分のことを知っていてくれている! ミリアの胸が激しく震えた。

「名簿で見た――」

「アレクサンダー様も覚えていてくださったんですね!」

ミリアにはアレクサンダーが怪訝な表情をしていることには気づけない。あくまで無表情を崩さない彼の、ほんのわずかな目の色の変化を見抜ける者がいたとしても、ミリアの興奮のほうに気を取られることだろう。

「あの日の約束を叶えるために、私、頑張りました!」

「……約束?」

「はい! あのお城の薔薇の生け垣の!」

「薔薇の……」

「『将来、この城で働けば、きっと一緒にいられると思う』」

キラキラと瞳を輝かせながらミリアは感極まって両手を胸の前で組み合わせた。

「私、約束を守りました!」

「……何の話だ?」

「えっ?」

「そんな約束を誰かとした記憶はない」

「そんな! だってあの日!」

「記憶違いだろう」

嘘でしょう、と続くはずだった言葉は声にならなかった。ミリア、十八歳。初出仕の日にして夢は砕かれ、絶望の淵に突き落とされたのであった。

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