エピローグ:ヘヨン
安市近郊・丘の頂上西暦646年
春風が、桜の枝を揺らす。
舞い散る花びらが、空に溶けていく。
私は、その景色を眺めながら、彼の腕の中にいた。
——あの戦いの日々から、幾月が過ぎた。
私たちは、生き延びた。
安市は生き延びた。
——唐の李世民が、誇り高き戦の神が、敗北を認めたのだ。
この小さな砦が、彼の野望を打ち砕いた。
——そして、秋の終わりに彼は退いた。
己の傷を癒すために、遠く長安へと帰っていったのだ。
——ボクドクについては、昨日、倭からの密書を受け取った。
それには、彼の結婚の知らせが書かれていた。
舞い散る桜の花びらを眺めながら、私は弟の、あの諦めにも似た、幽鬼のような眼差しを思い浮かべた。
過去の記憶が、彼を決して解放することはないと分かっている。
それでも、彼にも、今は寄り添ってくれる存在がいることが、私の心を少しだけ慰めてくれる。
——王子・ボクドクは、もう存在しない。
——それと同じように、武寧姫もまた。
「……何を考えている?」
——マンチュンが、首筋に顔を埋めながら尋ねる。
「あなたと、こうして一緒に桜を見るのが好きだなって。」
彼の腕が、私を強く抱きしめた。
優しく頬に口づけを落とす。
私は彼の腕の中に身を預け、目を閉じる。
——数ヶ月後、彼が父親になると知ったら、どんな顔をするのだろう?
そんなことを想像すると、少しだけ、笑みがこぼれた。
『敵の腕に抱かれて 〜初唐・高句麗第一回戦争の前夜における三角関係と復讐〜』をお読みいただき、ありがとうございました。
翻訳の難しさもある中で、本作を楽しんでいただけたなら幸いです。
近日中に、別の物語をお届けする予定です。
おそらく、BL作品になるかと思います。どうぞお楽しみに!
著者のあとがき
高句麗の時代を描くというのは、決して容易いものではなかった。
その最大の理由は、この時代に関する確実な資料がほとんど存在しないことにある。
翻訳された文献は極めて少なく、まして特定の出来事に焦点を当てたものとなると、さらに希少だ。
そもそも、高句麗の歴史自体が、断片的な情報しか残されていない。
我々が知る「事実」の多くは、後世の記録に基づいた二次資料に過ぎず、正確性に欠けるものも多い。
例えば——
ヤン・マンチュンの存在自体が、長らく謎に包まれていた。
その名が正式に記録されたのは、ずっと後の朝鮮王朝時代のことだ。
彼が安市城の指揮官であり、唐軍の侵攻を退けたことは確かだが、それ以外の個人的な情報は歴史の闇に埋もれてしまっている。
同様に、高句麗王家の最後の世代についても、記録は極めて乏しい。
例えば——
王・ヨンニュの生涯は当然ながら詳細に残されているが、
その王太子であったファンウォンに関しては、唐の国子監に留学した記録が640年に残されているのみだ。
彼が実際に長安にいたのか、そして642年のヨン・ゲソムンのクーデターで命を落としたのかどうかも、全て「推測」の域を出ない。
彼の兄弟や姉妹たちに関しては、名前こそ歴史に刻まれているが、詳細な記述は皆無だ。
唯一、王子・ボクドクが倭で生涯を終えた可能性があるという記録が、かすかに残っているのみである。
——この「歴史の空白」があるからこそ、物語は生まれる。
歴史に残された事実の隙間に、仮説を立て、物語を紡ぐ余地が生まれるのだ。
高句麗の時代は、創作において非常に自由度が高い。
そして、この時代特有の社会制度が、物語の人物たちに独特の心理的ダイナミクスを生み出していることも、私にとって大きな魅力だった。
さらに——
「『敵の腕に抱かれて』の舞台は、高句麗滅亡へと至る数十年間の激動の時代。」
これは、歴史的に最も不安定な時期の一つであり、英雄が生まれると同時に、臆病者や暴君もまた表舞台に姿を現す時代だ。
政権の崩壊が迫ると、かつての敵同士が手を取り合い、共通の脅威に対抗せざるを得なくなる——この混沌とした関係性が、何よりも私を魅了した。
例えば——
当時の社会制度として、
・婚姻における妻の家柄の優位性・正式な婚礼儀式のほぼ皆無な柔軟な婚姻形態・一族の存続を目的とした「レビラート婚」の習慣
こうした特殊な慣習が、当時の人々の価値観や行動に影響を与えているのも興味深い。
この物語が、高句麗の歴史をより身近に感じてもらうきっかけとなれば幸いだ。
そして、歴史の隙間に生まれる物語の可能性を、少しでも楽しんでいただけたなら——それ以上の喜びはない。