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第24章:マンチュン

彼女はなおも抵抗しながら、私の手を振り払おうとする。

苛立ちを覚え、肩を押さえつけて強引に寝台へと押し戻した。

「じっとしていろ。また毒が回ったらどうする」

つい、ぞんざいな口調になった。

「医者を呼んである」

「どうしてそんなひどいことが言えるの?」

彼女が睨みつける。

「本当に手当てが必要なのは、あなたの弟でしょう!」

その言葉を聞いた瞬間——

無意識のうちに、私は肩を掴む指に力を込めていた。

「テウォンのことは、お前には関係ない」

低く、冷えた声が部屋に落ちる。

「そもそも、最初から関係なかった」

彼女が私の手首を掴み、振りほどこうとする。

その目には、憎悪が燃えていた——もはや隠そうともしないほどに。

「彼は私のせいで怪我をしたのよ。関係ないはずがない!」

「違うな」

私は低く笑う。

「奴が傷を負ったのは、お前と同じように、余計なことに首を突っ込んだからだ」

声にわずかな振動を感じた。

——怒り。

——苛立ち。

——そして、何よりも……危険なほどの確信。

彼女はなおも私を睨みつけながら、体を捻って私の腕から抜け出した。

そして——

次の瞬間、鋭い音とともに、私の頬に平手打ちが飛ぶ。

「化け物!」

彼女の声が震える。

「どうしてそんなにも冷たいの? それがあなたの実の弟に対する態度なの?」

私は彼女の手首を取り、再び押さえ込んだ。

言い返そうとした——が、その時、彼女の目に映るものを見て、言葉を失った。

怒りでも、憎しみでもない。

そこにあったのは——

憂いと、罪悪感。

——あいつの思惑通りだ。

心の中で、私は静かに吐き捨てた。

どこまで計算していた?

どこまで読んでいた?

……賭けてもいい。

テウォンは、これすらも想定していた。

彼女が何かを仕掛けると見抜き、それを利用する——それがテウォンの強さだ。それに比べて俺は、何も気づかなかった。

証拠に、先ほど見えた。彼の衣服の下に隠された、煮革の鎧を。

俺は断言できる。彼の傷は浅い。

矢は肩に軽く刺さっただけで、服の血痕もわずかだった。あの英雄気取りの振る舞いも、所詮は彼の得意とする茶番のひとつに過ぎない。

——あいつは昔から何も変わらない。

嗅覚だけは鋭く、どんな状況も巧みに利用する。一方で、俺は油断しすぎた。あまりにも——いや、愚かなくらいに。

「マナが軽傷を負わせる程度で済むと、あいつはわかっていたんだ」

俺は吐き捨てるように言った。

「だからこそ、わざと庇った。お前の信頼を得るために、英雄の振りをするために。だが、実際はただの臆病者だ。テウォンは勝てる勝負しかしない。欺くことが本能で、感情を操るのが得意だ。今夜だって、お前の心を揺さぶることで味方に引き込もうとしている。……あいつの策略に、騙されるな」

彼女の睫毛に涙が宿る。唇がわずかに震えている。

……頼む、泣くな。

泣くな、あいつのために。

「……怪物……」

そう繰り返した彼女の声は、しかし、先ほどのような確信を帯びてはいなかった。

その一言を聞いた瞬間、強烈な嫌悪感が込み上げる。

——ああ、結局、俺は彼女にとって怪物でしかない。

それが、俺が選んだ道の代償。

それが、俺の過ちの結末。

もし三年前、俺が任務を完遂できていたなら——

この状況は生まれず、彼女がこんな目に遭うこともなかったはずだ。

なのに今、テウォンはそれすらも利用しようとしている。

……許せない。

昔からあいつはこうだった。どんな状況でも己の利益を見つけ、都合よく振る舞う。そして、その巧妙さゆえに、俺以外の誰もがあいつの本性を見抜けない。

——ヘヨンに対してすら。

思い出す。

先ほど、あいつが彼女に向けていた視線。彼女が、あいつに向けていた視線。

その記憶が、胸の奥で鈍い熱を生む。

どうしてあいつが、こんなにも簡単に彼女の心を動かせる?どうして、たった数日の関わりで、彼女はあそこまで……?

……まるで、あいつが彼女に、決して切れない絆を結ばせたかのように。

「忘れるな」

冷たく告げる。

「お前が誰に属しているのかを」

そして、さらに低く続けた。

「それと、もう一つ。……誰にも怪我をさせたくないなら、他人を遠ざけておけ。余計な誤解が、取り返しのつかない悲劇を生まぬようにな。」

彼女の鋭い視線が突き刺さる。その奥に宿る怒りも、憎しみも、すべて無視する。

何を思おうと、何を信じようと、構わない。

ただ一つ、俺が許さないのは——

あの男が、これ以上彼女に近づくこと。

「……何があった?」

話題を変えるように問いかける。

「マナがあんな騒ぎを起こした理由を知っているか?」

彼女の目が、一瞬揺らぐ。

「ご自分でお聞きになれば?」

棘のある声で言い放つ。

「今、お前に聞いている」

そう返すと、彼女は小さく笑った。

皮肉に彩られた微笑。

「もしかしたら……私が自分の夫を追いかけ回してるのが、気に食わなかったんじゃない?」

それは、ただの挑発の言葉。

……だが。

その奥に、ほんのわずかな真実が滲んでいるように感じた。

こんな言葉が出るということは——

「なるほど」

静かに言う。

「これが、お前の父の戦略か? 内部に不和を生み出す手法とはな」

嘲笑を滲ませながら言うと、彼女もまた鼻で笑った。

「大莫離支は何も言ってないわ。ただの直感よ。でも……妙なものね」

彼女は目を細める。

「ヤン家というのは、随分と奇妙な一族らしいわね。——冷酷な指揮官に、彼の意向を無視して動く妹。そして、その二人の犠牲になり続ける弟。」

……テウォン。

その名が、脳裏にこびりつく。

抑えきれない震えが俺を襲い、それが奇妙な虚無感に取って代わる直前——

「……お前の目には、俺がそう見えているのか?」

彼女は一歩も引かずに、まっすぐ俺を見つめる。

「ええ。あなたそのものよ。」

その言葉に、俺は肩に置いた手をゆっくりと下ろした。敗北を認めたわけではない。だが、何かが胸の奥で沈んだ気がした。

視線を彷徨わせた瞬間、ある違和感に気づく。

——おかしい。

「……お前は」

俺は彼女の腕を掴み、袖をまくり上げる。

「なぜそんなに元気でいられる? さっきまであんな状態だったのに。」

指先を脈に当てようとした瞬間、彼女は鋭く身を引いた。

その反応だけで、全てがわかる。

俺は無言のまま、さらに顔を近づけた。彼女の空間を奪うように、距離を詰める。追い詰められた彼女は、ぎりぎりのところで後ずさりをこらえた。

「——毒に侵された者が、こんな短時間で回復するはずがない。」

冷静な声で告げる。

「数時間前まで、死にかけていたはずなのに。」

彼女は目を逸らし、俺はさらに距離を縮める。

「誰だ?」

囁くように問いかけた。

「俺の砦の中で、お前に解毒剤を渡したのは。」

「……地獄へ落ちろ。」

彼女の瞳が燃えるような憎悪に染まる。

しばし沈黙が流れたあと、俺は静かに結論を下した。

「……いいだろう。いずれにせよ、俺が突き止める。」

冷ややかに言い放つ。

「今この瞬間から、お前の外出は一切禁じる。お前の館への出入りも、すべて記録させる。……すぐに実行に移せ。」

これが、今できる最善の策だ。

彼女を守るためには、もうこれしかない。

距離を取るために一歩引いた瞬間——

彼女はそれを利用して俺を突き飛ばし、ベッドを飛び出した。

そのまま扉に向かって駆ける。

「待て!」

すぐに追いかけようとするが、一瞬の遅れが致命的だった。

守衛たちはまだ何も指示を受けておらず、彼女を止めることなく通してしまう。

——夜はすでに深い。

彼女はまっすぐに駆けていく。

違う——

俺は気づく。

彼女はまっすぐではなく、テウォンの館に向かっている!

……絶対に、行かせない!

脚に力を込め、一気に加速する。

すぐに彼女の背後へと迫り、腕を伸ばした瞬間——

——空気を裂く音。

俺の全身が警鐘を鳴らす。

「危ない——!」

反射的に、彼女を強く突き飛ばす。

刹那、矢が彼女の肩をかすめ、俺の胸へと突き刺さる。

視界が揺れ、地面が急速に迫ってくる。

鋭い痛みが胸を貫き、口の中に鉄の味が広がる。

——最悪だな。

——彼女が、足を止める。

振り返った彼女の顔が揺らぐ。

叫びたい。

「逃げろ!」

そう伝えなければいけないのに、声が出ない。

彼女の瞳が、大きく見開かれる。

俺の胸に深く突き立った矢を見つめ——

彼女は、信じられないほど動揺していた。

……それが、なぜか少しだけ心を安らがせた。

彼女が、俺のことを……

ほんのわずかでも、気にかけたように見えたから。

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