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「でも、陽菜さんは私とは違う。ちゃんと現実と向き合っている」

「……突然、ですね」


陽菜が自分自身の心と向き合って、自分は何故本を読むことが好きなのかを言葉にした。

だけど、結衣の語りはそれだけでは終わらなかった。


「これは私のしょうもない自分語りだから、これを聞いて嫌になったらアルバイトは辞めてもらっても構わない」

「……とりあえず、聞きます」


ずいぶん自虐的になっているように陽菜には思えた。

だけど、彼女の店で働いている人間としてちゃんと聞くべきだと思った。


「この店とか私の存在とか色々気になっていたでしょう? 従業員には説明しておく義務があると思うの」

「ええ、まあ」


それはその通りだ。

どうやって一人で経営しているのか、など疑問ならいくつでも出てくる。


「この店は元々私の両親が持っていた建物でね。私がある日ふっと小説専門の本屋があったらいいのにって口にしたら、いつの間にか店が出来てた」

「……えっ?」

「うちの両親、資産家だから。娘を過保護かつ溺愛して言ってることを真に受けた結果がこれ」


はあ、なかなかすごい話ですね、としか言えなかった。


「どうしてこんなに過保護かつ溺愛するほどになったかというと、至極単純で子供の頃から後継ぎとしてのプレッシャーを掛けられすぎて心身を壊したから。だから、二度とそうはさせないと過保護になってる」

「……大変、だったんですね」

「ええ、自分で言うのもなんだけど。それで私がこの店をもらって好きに経営しているというわけ」


正直オーナー一人の小さな本屋でちゃんと経営が成り立っているのか不思議だったけど、そういうわけで利益が出ていなくても問題なかったのだ。


「あとは私の話ね。高校生だけど学校に通っているわけじゃない。通信制の学校に在籍していて、お客さんが少ない時間帯や朝一で勉強してる。だからここの店番とも兼業できてるの」

「えっと、ちなみに何年生でしょうか」

「陽菜さんと同じ高校1年生。なんとなく予想はできていたと思うけど」

「同い年か1個上くらいかと思ってました」


どおりで店の運営も破綻しなかったわけだ。

ただ、それでも人手が足りなくなる部分があるから、自分と似た人を求めていた。

そう、自分と同じマイノリティを。


「でも一人はやっぱり厳しくて、自分と同じで本がないと生きていけない人を探してた。そういう人なら、私でも付き合っていけると思ったから」

「……わたしがそうなれていたなら嬉しいです」

「本当にありがたいことだね。でも、陽菜さんは私と違ってちゃんと学校に通っている、社会に出ていってる、最低限人との関わりを維持している。それってすごいことだと思ってる。でも、そんな陽菜さんに対して私は人と関わることを諦めたリタイア勢なの。学校にも行かず、自分の世界の中だけで完結してる」


それが結衣の語る自分の欠点だった。

自分以外の人間との関わりを可能な限り絶ち、自分だけの世界に閉じこもって暮らしている。


「だから、私は陽菜さんに偉そうな口が利ける人間じゃない。こんな人間が雇用主で嫌になったなら辞めてもらっても構わない。次の人を探すのは大変だろうけど……」


そう言ってカクテルのグラスに手を付けて、残った分をぐびっと飲み干す。

アルコールは入っていないけれど、彼女なりの酔い方なのかもしれない。


そうして黙りこくった結衣の姿に、陽菜はただ考える。

本当に彼女は自分で自分を否定するほどの人間なのだろうか。そうじゃないと陽菜は思う。


だから、それを言葉にする。

さっき自分の心を自分で掘り起こしたように、結衣に対して伝えたいことを言葉に変える。


「わたしは、結衣さんはそんな人じゃないと思います。……詳しいおうちの事情はわかりませんけど、大変な思いをしたはずなのに、ちゃんと成長しようと勉強してます。学校が全日制だろうが通信制だろうが関係ありません」

「そう言ってもらえると嬉しい」


だけど、それだけじゃない。

まだ言いたいことがある。


「それにわたし思うんです。このお店を一人で切り盛りしている結衣さんは立派なんです。1か月しか働いていないわたしでも感じます、結衣さんが本もお客さんも大事にしてるって」


ただ本を並べて売るだけなら店長なんていらない。

最低限の管理をする店員とレジ番だけいればそれでいい。


でも、彼女はそうじゃない。

並べられる本たちはどれも丁寧に整えられていて、読み手が、買い手が現れるのを待っている。


そしてたくさんの作品に付けられたポップの文字と文章は作品を好きになってほしい気持ちや読んでほしいという気持ちが詰まっている。陽菜の力を借りてまで多くの作品に付けようとするのは本と物語への愛に他ならない。


そして、本を勧めてほしいとやって来る悩めるお客さんへの振舞い。

最初にそれを見た時から数えても軽く十回以上、陽菜はその様子を近くで見てきた。

中には何を喋っているか聞こえてしまうこともあった。


だから、お客さんの話を聞いて、深く理解しようと試みて、その人に本当に勧めたいと思う本を考えていること。


「結衣さんはちゃんとお客さんの心を見抜いて勧めてるんですよね」

「そう。人の心を見通すのって案外簡単だよ。特に私は小さい頃からそう鍛えられてきたから」

「でも、その人に見合う本を考えて選ぶのって簡単じゃないです」


この世では数多の本と物語が毎日のように刊行されて、世界中に溢れ返る。

そんな中から自分で見極めた作品を読んだり、誰かが書いた書評を自分の審美眼でその上から見極めて、一体どんな作品なのかを自分の中に落とし込んで血肉にする。


それができるのは本が好きだから、物語が好きだからに違いない。

そして、それを誰かに勧めてあげて、誰かの人生の糧にすることはとてもすごいこと。


「だから、結衣さんは立派なんです。自分で自分を否定することなんてありません」


これでちゃんと自分の気持ちは伝わっただろうか。

言いたかったことは言えただろうか。


気持ちを言葉にすることを怠ってきた自分のぶっつけ本番なんて大層なものにはならないだろうが、不格好でも何もしないよりはずっといいはず。


黙りこくっていた結衣が顔を上げて、少しだけ考え込む素振りを見せて、それから嬉しそうに口を開いた。


「陽菜さん、言語化するの上手だね。言いたいこと、ちゃんと伝わって来たよ」

「そう、ですか? あまり上手くなかったとは思いますけど……」

「それでもいいんだよ。だって、聞いた私は少し心が軽くなったから」


よかった。自分の気持ちはちゃんと届いていた。


「私、良い人を選んだなあ……」

「そうですよ。結衣さんの良いところをちゃんと言語化できる人間ですから」

「ふふっ、そういう冗談も言うんだ」

「結衣さんが相手だからです」


数十分にも満たない時間で、とても濃密な体験をしたように思う。

自分が今まで考えもしなかったことを考えて、それを人の話を聞いても同じように考えるなんて。


「そういうわけでわたしは明日からもアルバイトです。辞めたりしません」

「そっか、ありがとう」

「それにわたしも嬉しいんです。誰かと関わって楽しいって思えましたし」

「私も。陽菜さんが相手だと楽しいな」


本の世界に逃げ込んで、現実と向き合う苦痛からの解放を求める自分は多分一生消えないし、自分からそれを止めようとする気も起きない。


ただ、こうして自分の気持ちをクリアにしてくれる人と出会ったことはとても大きくて、こうして心を楽にして付き合える人がいるということも大事だ。

それだけで自分の人生は少し楽になるかもしれない、と予感めいたものを抱いたりする。


この店はたぶん、自分にとっての救いになると同時に、誰かにとっての救いにもなるのだろう。

フィクションの世界に現実からの逃避先を求める人。そういう人たちにとって休息所になるような場所。

そこに自分がいられることが嬉しいと思う。


「私、もっと陽菜さんのこと知りたいな」

「わたしもです。結衣さんの気持ちとか心とか、人生観とか聞いてみたいです」


そして、この人がいる場所なら自分の人生ももっと彩り豊かになると思う。

自分と似ていて、でも自分とは違うところも持っている人。


「ふふふ、そんなに内面をさらけ出したら恋人みたいな感じになっちゃうね」

「じゃあしばらく一緒に過ごして、その気になったらお付き合いしましょう」

「そうだね。陽菜さんがその気になってくれるか、楽しみにしてる」


もしかしたら恋人になる未来もあるかもしれない。

それから結婚なんてしちゃったら玉の輿だな、なんて冗談で思ったりもする。


彼女がいる場所で、自分がどんな風に過ごして、どんな気持ちを抱いていくのか。

それを試してみることにしよう。


本と物語を愛し、必要とする二人の少女のゆっくりだが確実に前進していく日々はゆっくりと続いていく。

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