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陽菜のアルバイト生活は、それはそれは充実したものになっていた。


そもそもこうして読書ばかりで社交性が足りていない自分にはアルバイトなんて無理なものだと思っていた。

飲食店や色々なお店で接客したりという仕事内容ばかりが頭の中に浮かんできて、そんなの体力的にも精神的にもついていける自信がなかった。


だけど、今こうして自分でもできる働き方が実現していて、しかも好きな本を読んだり、たくさんの本に囲まれて過ごせているのは幸運というほかない。

そして理解ある雇用主がいるというのも実にありがたいことだった。


その雇用主であるところの結衣とは距離が縮まっているような縮まっていないような微妙な関係を続けていた。

陽菜が店に来れば当然仕事についての会話を交わすし、陽菜が読んできた作品の感想を聞いて結衣がポップを作るという作業も特に問題なく続いていた。


ただ、それ以上はなかった。

陽菜も結衣のプライベートについて詮索する気はなかったし、向こうが何も言ってこないのであればそれで良かった。


その均衡が崩れたのは陽菜が働き始めてから1か月と少しが過ぎた金曜日の閉店後。

帰ろうと支度していたのを結衣に呼び止められた時だった。


「陽菜さん、少しいいかな」

「はい、なんでしょう?」


雇用主から突然声を掛けられる。

クビになったらどうしようかと一瞬怯えた陽菜だったが、ちゃんと働いているし流石にそれはないだろう。


「あの、もしよかったらこの後ご飯でもどうかな」

「…………え、っと、ぜひ行きます」

「本当? よかった。この近くに行きつけの店があるから今から行こうか」


突然のお誘い。急に何があったのかわからず困惑する陽菜だが、断る理由も特にない。

むしろ結衣の方から話をしてくれるのであれば、気になっていたことも知れるかもしれない。


そういうわけで店の戸締りをして外へ出た二人は、歩いて数分の距離にある洋食屋に吸い込まれていくことになった。


店と同じで落ち着いた内装をしているレストランは平日の夜だけど騒がしくなくて、穏やかに食事をするカップルや友人同士が多く見受けられた。

そこに手慣れた様子で入っていった結衣は陽菜を連れて店の端っこの方のテーブルを選んだ。


あまりこういう場所に来ることのない陽菜は落ち着かない様子で辺りをキョロキョロと見回してしまうが、それもお行儀が良くないと気付いて視線を正面に戻すと、向かい合った結衣と視線が合った。


「今日は私のおごりだから。かしこまらない軽めのコース料理にしておくね」

「はいっ、ありがとうございます」

「こちらこそ。うちでアルバイトしてもらってから1か月経ったでしょう。その記念も兼ねて、話をしてみたいなと思って」


改めて話をしてみると大人びた人だなと思う。

年齢はまだ聞いていないけど、自分と同い年か少し上くらいで大差ないはずなのに。


その口から何が飛び出るのかと内心ドキドキしながら待つ陽菜だが、その内容は身構えるほどの内容ではなく、最近の好きな作品や特によく読む作家などの本好きガールズトークだった。


陽菜が楽しそうに語れば、結衣も珍しく饒舌に子細を語ってみせる。

結衣が話題を振れば、陽菜がそれに食いついて話を広げていく。

そこに美味しい料理とノンアルコールのカクテルまで付いてくるのだから二人の会話は止まらない。


だから、ふと口を閉じて陽菜の方を目を細めて見つめる結衣の様子が気になって―


「あの、結衣さん。わたしの顔になにかついてますか」

「いや、違うの。私の見立て通りだったなって、この子は本が好きそうだなって」

「ええと……それは、わたしをアルバイトに勧誘した時のことですか?」

「そう、陽菜さんも気になってたでしょう。どうして自分が誘われたのか」


その通りだった。

どうして自分なんだろうと思う節はあった。ただの客として店にいただけなのに。

その理由がついに分かる日が来たらしい。


ただ、そこで結衣の表情がどこかシリアスさを帯びたようなものに変わる。

それが陽菜の心を少し震わせる。なにか大事な話なのかと。


「陽菜さんをアルバイトに勧誘したのは近い世代の人がよかったというのも本当だけど、それだけじゃないの。店に来て本を手に取っている時、陽菜さんがとても切実な表情をしていたから」

「切実……?」


そんな表情をしていたのだろうか。自分では覚えがない。


「もしかして、自覚してなかったのかな」

「ええと、はい。ごめんなさい、自分としてはそんなに……」

「じゃあ、この話からしたほうがいいかもしれない」


改まって膝に手を置いた結衣が尋ねてくる。


「陽菜さんは、どうして本を読んでいるの?」

「えっ…………それは、読むのが好きだから、です」


唐突な問いかけだった。

どうして読むのか、そんなの好きだからに決まっている。


「じゃあ、どうして読むのが好きなの?」

「どうして……って」


そんなに考えたことはなかった。

面白いから、楽しいから、ロマンがあるから。なんとなくそれっぽい言葉が思い浮かぶ。

ただ、どうして読むのかという質問の回答とは少し違う気がする。


「陽菜さんは一日の色んな時に本を読んでいる。だって私が渡した本を翌日には読み終えてしまうような人だから。登下校の電車の中や学校の休み時間だけじゃない、家にいる時も手が空いたら本を読んでる、そうだよね?」

「……はい、そうです」

「でも、そういうふうに本と関わる人なんてそうそういない。いつもそばに本があって、外にいても本を読める環境が出来ていて、家に帰っても当たり前に本を読む人はすごく少ない」


言われてみればそうだった。

自分が当たり前だと思っていた本との関わりは、一般的なそれを超える親密さを持っている。

そうだ。一日中いつでも本を読んでいる人なんて少数なのだ。


「だから改めて聞きたい。どうして本を読んでいるの?」


どうしてだろう。

小さい頃からずっと近くに本があったから考えたことすらなかった。

この問いにどんな意味が込められているかはわからない。けど、何か大事な意味があると直感的に思った。


本を読んでいるとどんな気持ちになる?

特に今働いているのは小説専門の書店だからフィクションの物語について考える。

楽しくなる、嬉しくなる、悲しくなる、切なくなる、恐れる、怖くなる、なにかに心揺さぶられる。


「……物語を読んで、色々な気持ちになるのが快い?」

「もうちょっと深く考えられると思うよ」


本を読んでいる間は集中する、物語の世界に没入する。

主人公に感情移入する、登場人物の声や姿や世界の情景を脳内で想像する。

それが楽しい?


楽しい、というのは一つの正解だと思う。

じゃあ楽しくなって自分は何を得ているんだろう。


本を読んでいる間は一人。一人だけどそれを感じない。一人だけど楽しい。

そうだ、自分はどうやっても一人でいる人間だった。

誰かと一緒に過ごすよりも一人でいることを求めるタイプだった。


それはどうして?

思い返してみる。小さい頃から人と関わってきた時の色々な気持ちを。


人から陰口を言われた時の辛さ、気を遣われた時の申し訳なさ、逆に気を遣わないといけない時の苦しさ。

誰かと関わることは自分の心に対して過剰な刺激を与える。

だから、人と関わるよりは一人でいることを好むのだ。


そうか。だから、わたしは。


「わたしは、本の世界に逃げ込んでいるんだと思います。フィクションの世界に没入することで人と関わる苦痛から逃れているんだと、そう思います」


今までずっと言語化できていなかった自分の心を言葉にするのは不思議な気持ちだった。

そうだったんだと納得する気持ちと、そうなのかと落胆する自分と。


そして、その様子を見た結衣が口を開く。


「最初に陽菜さんを見た時、この人はフィクションの世界に逃げ込まないと生きていけないタイプの人だと思ったの。本を目の前にして、あんなに切実で懸命な表情をしている人は、本が好きで、だけどそれと同時に本がないと生きていけない人」


自分はそんな表情をしていたのかと驚く。

そしてそれを読み取った結衣にも。


「本が娯楽であると同時に、人生に必要な酸素でもある人。私と同じような人」


本の存在が、物語の世界に逃げ込むことが生命線になっている人。

日常生活で心を摩耗させすぎて、それをフィクションの世界でしか癒せない人。


それが片瀬陽菜という少女であり、柳瀬結衣という少女でもあった。

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