第二百二十話:ヴォイドヴァンジェンス・ネルガル
圧倒的という言葉では到底追いつかない、枠外のステータス。
そんな闇の球体こと〈ヴォイドヴァンジェンス・ネルガル〉を前にして、藍とシルドラは唖然としてしまう。
驚愕は〈ビクトリー・ドラゴン〉も同じ。
だが今一番問題なのは、眼前のバケモノが出てきたのは――〈ビクトリー・ドラゴン〉の攻撃中の出来事である事。
「攻撃中の召喚なら、ブロックはできる。潰しなさいッ〈ヴォイドヴァンジェンス・ネルガル〉!」
凪の命令を受けると、闇の球体から開かれた無数の眼は無邪気な子供の笑みのように歪む。
迫り来る紅蓮の竜など脅威とは感じていない。
まるで差し出された新しい玩具で遊ぼうとするように、闇の球体は目視できない手で〈ビクトリー・ドラゴン〉を掴んだ。
「グっ!? このっ、離せェ!」
必死にもがいて抵抗を試みるが、パワーが違いすぎる。
その抵抗すら、闇の球体には楽しい玩具のギミックに思えたのだろう。
不気味に浮かぶ眼はさらに歪んで、〈ビクトリー・ドラゴン〉を握る力を強める。
「ピギャァァァァァァァァァァァァ!」
悲鳴が光る、苦悶の声が鳴る、デラックス玩具。
無知で無邪気、故に残忍。
悲鳴とも産声とも区別できない叫びを上げながら、闇の球体は紅蓮の竜を握り潰していく。
「グぅッ! ラァァァン!」
「〈ビクトリー・ドラゴン〉の【ライフガード】を発動! 戦闘破壊を無効にして、一度だけ回復状態で場に残す!」
一度は破壊されてしまうが、藍の判断が間に合ったおかげで〈ビクトリー・ドラゴン〉は場に残る。
なんとか藍の場に戻ってきた〈ビクトリー・ドラゴン〉だが、流石に顔には焦りと緊張が浮かんでいる。
それは藍も同じであった。
(一応、まだ〈ビクトリー・ドラゴン〉の回復効果は使ってないから、シルドラも合わせて攻撃はできる……)
だが全ての攻撃を通しても凪のライフは1残ってしまう。
何よりここで攻撃を通すような真似を凪がしてくるのか、藍には疑問であった。
念のため藍は仮想モニターを操作して、〈ヴォイドヴァンジェンス・ネルガル〉の効果を確認する。
一部読めないテキストはあったが……藍が判断を下すには十分な情報は得られた。
「……ターンエンド」
藍:ライフ2 手札3枚
場:〈【王子竜】シルドラ〉〈【勝利竜王】ビクトリー・ドラゴン〉
追撃はしない。
場には回復状態のモンスターを2体残した状態で、藍は渋々ターンを終える。
だがシルドラはその意図がすぐには理解できなかった。
「何故攻撃をしなかった」
「しちゃダメだった。あのカード……疲労状態でもブロックできる」
「なんだと。あのパワーで疲労ブロッカーなのか!?」
シルドラは声を荒らげて驚いてしまう。
普通であればカード効果を組み合わせたコンボでも達成が難しい66666というパワー。
モンスター同士の戦闘なら無敵と言っても差し支えないステータスと同時に、ほぼ無制限に攻撃をブロックできてしまう。
それを確認した藍は、今の場と手札では状況を解決できないと判断してターンを終えたのだ。
「下手に攻撃を続けなかったのは懸命な判断です。ですが貴女に次のターンは――」
全ての言葉を言い終えるより先に、凪の身体でウイルスが暴れ始める。
浮かび上がった血管は赤くグロテスクな色彩を放ち、黒い痣は見るからに危険な勢いで闇を放つ。
激痛は走り、凪の声が響く。
「私に、約束を破らせたのです……楽に死ねると思うな」
血液のような赤しか浮かんでいない右眼で、凪は藍を睨みつける。
そんな彼女を見て、藍はどこか虚しさを感じていた。
「そんなになっても、引き返さないんだ」
「理由がありません……貴女もすぐに送って差し上げますよ、九頭竜真波のところへ」
挑発、だが藍の心には響かない。
真波の名を出されたが、シルドラも大人しい。
一瞬の間を置いて、シルドラは自分の後ろに立つ藍に問いかける。
「独り善がり……我や真波も、どこかで間違えればアレと同じ目をしたのだろうか」
「それはもしもの話だと思う。真波ちゃんもシルドラも、同じ間違いはしないって、アタシは知ってるから」
「そうブイ」
体格差の関係で見下ろす形にはなるが、〈ビクトリー・ドラゴン〉はシルドラの方を向いて言葉を続ける。
「ちゃんとオイラ達の方を向ける。だったらオメェは良い王様だブイ。だろ? シルドラ」
「間違えてなお、まだ王と呼んでもらえるか……ならば胸を張って、我が矜持に従うとしよう」
「それでこそ王様野郎ブイ」
笑みを浮かべて軽口を叩く〈ビクトリー・ドラゴン〉。
だが決して状況は良いとは言えない。
自分達のパワーでは到底太刀打ち不可能な闇の球体を突破しない限り、勝利を掴む事は不可能。
突破方法を考えるにしても次は凪のターン。ヒット6の〈ヴォイドヴァンジェンス・ネルガル〉も動いてくる。
「私のターンッ!」
理性はあれど、ウイルスの影響か本能と狂気が入り混じっている。
そんな状態でカードをドローした凪は、メインフェイズはなにもせず飛ばしてきた。
「アタックフェイズッ! この瞬間〈ヴォイドヴァンジェンス・ネルガル〉の効果【禍風:∞】を発動ッ!」
「また除去効果を打つ気!?」
「お互いの墓地からカードを全てデッキに戻す事で、〈ヴォイドヴァンジェンス・ネルガル〉は相手モンスターを全て破壊する!」
2体までしか除去できなかった進化前とは異なり、問答無用の全体破壊。
闇の球体が耳障りな叫び声を上げると、ドス黒い闇を混ぜた風が巻き起こる。
風は墓地を一瞬で消し飛ばし、闇は霧の塊となり、2体の竜を食い殺そうと襲いかかってきた。
「クソっ! なんだこれ、モンスターみたいブイ!」
「ウイルスの素材になった化神の形を再現して使役している! アーサーもコイツらにやられたッ!」
「悪趣味すぎるブイッ」
「同感だ。武井藍ッ! なにか手はないか!?」
シルドラが叫ぶと同時に、藍は手札から1枚のカードを発動する。
「絶対に破壊させない! 魔法カード〈ドラゴニック・リワインドウォール〉を発動!」
「うぐぅ、やっぱりそれしかないブイ」
苦虫を噛み潰すような、悔し気な様子を浮かべる〈ビクトリー・ドラゴン〉。
すると魔法効果によって、紅蓮の竜の身体は光を放ち始めた。
「〈ドラゴニック・リワインドウォール〉の効果で、系統:《勝利》を持つモンスター〈ビクトリー・ドラゴン〉を退化!」
雄々しき身体を持つ紅蓮の竜は光に包まれて、元の小さな竜へと戻ってしまう。
退化処理によって進化モンスターとしてのカードだけが除外されて、素材となっていたカードが新たに疲労状態で召喚された。
「元に戻っちまったブイ。でもこれで!」
「続けて〈ドラゴニック・リワインドウォール〉の【SVギア】を発動! このターンの間、アタシの場のモンスターは効果で破壊されない。さらにライフが3以下だから追加効果で、このターン次にアタシが受けるダメージは0になる!」
退化の際に発生した光はシャワーのように藍の場へと降り注ぐ。
光はブイドラとシルドラを破壊から守り、藍の身体には一枚の薄膜として覆い被さる。
切り札を守る事はできたが、守っただけ。
凪の〈ヴォイドヴァンジェンス・ネルガル〉の攻撃はここから始まる。
「受動的で何も変えられてないッ! 世界も戦況も此方から攻めて始めて変わるのですッ! 潰しなさい〈ヴォイドヴァンジェンス・ネルガル〉!」
「ピッピッ! ピィィィィィィギャァァァァァァ!」
無邪気で楽し気で、闇の球体は自分の玩具を取り出していく。
それは闇の霧が形作ったもの。ウイルスの素材となった化神をコピーした死霊兵士。
自我など存在しない。既に〈ヴォイドヴァンジェンス・ネルガル〉が操る玩具に成り下がっている。
(ブロックしなくてもダメージは防げる……だけど)
藍は先程仮想モニターで確認したテキストを思い出す。
疲労状態でもブロックできる効果に加えて、【2回攻撃】というテキスト。
凪の手札は3枚、ここで不用意にダメージ軽減を適用させるくらいなら……もう1枚防御札を切るべきだろう。
「魔法カード〈カサ乱舞地蔵!〉を発動! 効果で〈地蔵トークン〉を召喚してブロック」
藍の愛用する防御魔法によって、一体の地蔵が呼び出される。
ステータスでは敵わなくとも、一回の攻撃を防ぐ事は可能。
ダメージ軽減も持ち越せるので、これが最善手……そう藍が思った矢先であった。
「その程度で己を守れると錯覚しているのですか? おめでたい」
「足掻かなきゃ、勝てないから」
「巻かれていれば良いものをッ! 魔法カード〈滅却の爆風〉を発動!」
凪の左目も僅かに血の赤が滲み始めている。
発動された魔法効果によって、闇が生み出した死霊兵士に赤い光が灯り始めた。
「このターン、系統:《嵐牙》と《感染》を併せ持つモンスターが、相手モンスターを戦闘破壊すれば! 相手に3点のダメージを与えますッ!」
「っ!? それじゃあ」
「この一撃は防げても、ダメージ軽減を無駄撃ちさせるなら十分です」
兵士は地蔵に飛びかかり、同時に自爆していく。
自分の玩具が無惨に爆散していく様を見て、〈ヴォイドヴァンジェンス・ネルガル〉楽しそうな鳴き声を響かせる。
死も破壊も娯楽。倫理も道徳も未熟な、幼児のような怪物であった。
そして爆発の余波は、藍を守っていた光を消してしまう。
「もうダメージを軽減できないっ」
「そして〈ヴォイドヴァンジェンス・ネルガル〉の2回攻撃」
「藍ッ! オイラでブロックを――」
「ならんブイドラ! 我らが破壊されては、効果ダメージで敗北するぞ!」
前に出ようとするブイドラを、シルドラは慌てて静止する。
シルドラの言う通り、迂闊にブロックすれば藍にダメージが入って、残り2点のライフは吹き飛んでしまう。
だが眼前にはヒット6の闇の球体が呼び出した、死霊兵士の集団が牙を向けている。
「じゃあどうするんだよッ!? 藍がコレを喰らったら――」
「大丈夫だよブイドラ。墓地から〈カサ乱舞地蔵!〉の【Vギア】を発動! 相手モンスターの攻撃を無効にする!」
「あっ、それがあったブイ」
うっかり頭から墓地効果の存在が抜け落ちていたブイドラは、手をポンと叩いて安心する。
シルドラはそれを呆れた様子で見つめるが、防御手段の存在には安心していた。
だが……
「下手な防御は苦痛を長引かせるだけです。墓地から魔法カード〈滅却の爆風〉を除外して効果を発動」
「奴め、まだ効果があったのか!?」
「墓地効果は貴女達の専売特許でもありません。〈滅却の爆風〉第二の効果。このターン私のモンスターが攻撃を無効化されるたびに、相手に1点のダメージを与えます」
死霊兵士の内一体が、藍に飛びかかってきた。
黒い霧の塊の中央には先程と同じく赤い光が灯っている。
「ラァァァン!」
ブイドラが絶叫するが時既に遅く。
死霊兵士は藍の眼前で自爆をした。
闇と破片を内包した爆発は、藍の身体に小さな切り傷を作っていく。
たかが1点されど1点。ウイルスの影響で痛みは増幅し、藍は身体の内側からも痛みを感じてしまう。
藍:ライフ2→1
「素直に攻撃を受けておけば、楽に死ねたものを……ターンエンドです」
凪:ライフ5 手札2枚
場:〈【シン化獣:末期型】ヴォイドヴァンジェンス・ネルガル〉
冷たい視線と声で、凪はターンを終える。
それと同時に、藍の体内にはウイルスが入り込んできた。
痛みを超え、意識すら奪われそうになり、藍は膝をついてしまう。
「意地汚く生き残ろうとするからです。欲張って全て手に収めようとするから失敗するのです。不要な存在を切り捨てる事すらできない貴女に、いったい何が得られるのですか?」
「捨てちゃ、ダメ」
意地で自分の意識を保ちながら、藍はフラフラとしながら立ち上がる。
状況はお世辞にも良いとは言えない。
手札に何か解決策があるわけでもない。
それでも藍の目は諦めていない。自分の成すべき事、やりたい事が明確だからこそ、諦めるという選択肢は存在しなかった。
「捨てたら、後戻りできなくなる……誰かを犠牲にしたら、後悔し続けちゃう」
「その甘さが世界を醜くしました。だから私達が正しく――」
「真波ちゃんは誰かを切り捨てようなんてしなかった」
自分の血が流れても、痛みが走っても、藍は凪を見据えてハッキリと言葉にする。
「自分が守るべき人達を見ていた。遠い何処かじゃなくて【竜帝】として、目の前のアタシ達を見ていた!」
「それが甘く、楽観主義だと言うのです」
「切り捨てる事しかできなかった、アナタ達よりずっと良い! 守る強さを手に入れたいから、みんな手を伸ばし続けたの!」
真波だけではない。
牙丸や勇吾、ツララも評議会の帝王として守るために動いてきた。
小太郎はヒトハを救うために最後の瞬間まで足掻き続けた。
ツルギも一連の事件をどうにかするために動いて、カードを託すまでしてくれた。
他の皆も同じである。
「アナタ達の創ろうとしている世界なんて、アタシは望まない。生命を選別する世界なんて選びたくない」
「それを決めるのは、貴女ではありません」
「だから今、アタシは戦ってる。ブイドラやシルドラ、化神のみんなに出会えた世界だから。真波ちゃんやツルギくん達と友達になれた世界だから!」
だからこそ選んだのだ。
闇があれど、光もあったから。
武井藍という少女は、ここを選んだのだ。
「ここがアタシの選んだ、アタシ達の世界なの!」
「なら言葉ではなく、力で示してはどうですか?」
嘲笑するように吐き捨てる凪。
事実、凪の場には絶大なパワーと耐性を持つ〈ヴォイドヴァンジェンス・ネルガル〉が存在する。
疲労状態でもブロックできる以上、これを突破しなければライフは削れない。
「オイラは藍達とまだまだ一緒にいたい。だから……藍は藍の世界を掴むために戦うブイ。オイラは最後まで一緒に戦うから!」
「ブイドラ」
「我も同じだ。お前もマナミも、我ら化神を生命だと言ってくれた。不完全な存在である我らを迎え入れて、共存してくれるのだと行動で示してくれた」
シルドラは藍の方へと振り向いて言葉を続ける。
「我が生命を預ける。だから勝て。勝ってマナミに報告するぞ」
「シルドラ……うん!」
藍は心が軽くなったような気がした。
一人じゃないという確信。仲間達が一緒だという心強さ。
必ず勝って、全てを終わらせるのだと改めて決意する。
(アタシにとっての強さの果て……きっとこの先にある)
風祭凪という強敵を倒した先を見据える藍。
泣いても笑っても、これが最後のターンだという確信はあった。
藍は一度だけ呼吸を整えると――自分のターンを開始した。
「アタシのターン!」




