第二百話:九頭竜真波の決断
雨の翌日はまだ鉛色の空が広がっている。
九頭竜真波は自宅の窓から、ぼんやりと外を見つめていた。
「大丈夫か、マナミ」
「うん。少し考え事をしてただけ」
シルドラの問いかけに答えるが、真波はどこか心ここに在らずといった様子である。
見慣れたはずの淀んだ空だが、真波には何故か自身の心を映しているようにも見えていた。
頭の中に浮かび上がるのは、今年に入ってからの出会いの数々。
(藍は……今どうしてるんだろう?)
六帝評議会という立場から、人が近づきにくいという自覚はあった。
友達に憧れはあったが、真波は他人と深く関わる事に対する恐れがあったとも自覚している。
そんな中、初めて現れた例外という存在が武井藍であった。
藍は自分をライバルと呼んで、折れる事なく前に進み続けている。
藍は自分を友達だと言って、立場など関係なく接してくれた。
「……よし」
少し息を整えてから、真波は自身のスマートフォンを手にとる。
アプリを開いて藍のアドレスを開くと数秒思い悩んでから、真波は通話ボタンをタッチした。
呼び出し音が続く程に、心臓が激しく音を立ててしまう。
『もしもし真波ちゃん、どうしたの?』
「びゃあ!? 出たぁ」
『電話が来たら出るよ!?』
「通話料は喜んで払います」
『これ無料通話だよ!?』
スマートフォンを耳に当てながら土下座して感謝する真波。
シルドラはそんな彼女をこれ以上ない程に白けた目で見ていた。
「えっと、藍がどうしてるかなって思って……この前の事があったから」
『……うん』
「大丈夫そう?」
『大丈夫、なのかどうかアタシにも分かんないな〜』
声はいつも通り、だけど奥底から傷が聞こえてしまう。
表情が見えないからこそ、真波は手に持ったスマートフォンを強く握りしめてしまう。
『ギョウブもヒトハちゃんも……結局アタシはなにもできなかった』
「でもギョウブは、藍達がいたから解放できた。伊賀崎さんは……ボク達の誰であっても」
『だとしても、友達の手は掴んでいたかった。なんて言ったらワガママかな』
きっと普通に考えれば、あまりにも欲を張りすぎているとしか言えないだろう。
だが手を伸ばして、それを掴み続けられなかった者の後悔を藍は知っている。
そんな彼女の思いを真波は知っている。
綺麗事は綺麗事で終わった方が良い。そう思うからこそ、真波は藍の言葉を否定しなかった。
「本当ならボクが……ボク達評議会の誰かがやるべきだった。こんな重荷から守るために、ボク達はいる筈だったのに」
『そう思ってくれるだけでも嬉しいよ。アタシも……ツルギくんや財前くんも』
「気休め……にしちゃダメなんだけどね。特にボク達は」
人との関わりが増えたからか、九頭竜真波という人間の視野はこの数ヶ月で広がっていた。
見えていなかった景色が見えると、自然と自分自身に対する認識も変わる。
評議会に入ったのも、真波にとってはただ強者として人と距離を置いて生きるための手段に過ぎなかった。
だが今は違う。
守りたい人達ができた、自分の力を誰かのために使いたい場面に出会えた。
「藍は、ランキング戦どうするの?」
だから――
『途中リタイアする。真波ちゃんとファイトはできないけど……アタシは、戦わなきゃいけない相手ができた』
「そう……じゃあ――」
もう、背負わせない。
「本戦の一日目まで、だね」
たとえ親友に嘘をつく事になっても、帝王の責務を果たす。
だから真波は、一つだけ真実を隠した。
『うん。予定通り空港に乗り込んで、絶対に政帝達に勝つ!』
「そうだね……獲物は早い者勝ち、だね」
そして真波が通話を終了すると、後ろからシルドラが声をかけてきた。
「アレについて、言わなくてよかったのか?」
「うん。評議会の汚点は、評議会で拭わなきゃいけない」
「それもそうか。王の風上にも置けぬ愚か者には、王の審判が必要だな」
淡々と、しかし確かな怒りと共に述べるシルドラ。
一方で真波はスマートフォンを置くと、再び窓の外に目を向けた。
鉛色の空に変化はない。だが真波の心は少しだけ変化していた。
「ねぇシルドラ」
「なんだ?」
「この世界は、綺麗だと思う?」
シルドラの方は向かず、真波は唐突に質問を投げる。
「そうだな。生命も物語も、化神である我にとっては美しく、眩しい世界だ」
「人間は……聞く必要もないか」
「マナミ。人間に善悪があるように、化神にも善悪はある。だからこそ断言しよう。我らは人間の善を知っている」
「……ありがとう、シルドラ」
少し気恥ずかしそうに感謝を述べる真波。
以前の自分からは想像もできない変化。非公式な場でわざわざ格上に挑む事など、真波は想像もしていなかった。
「一人じゃない、だから戦える」
幼くして考古学者だった両親を事故で亡くし、孤独を感じ続けていた。
誰かに手を伸ばして欲しかったが、どうすれば良いのか分からず拗らせ続けていた。
ただ強くなるばかりで人との距離の取り方も分からずに悩んでいたが……初めて手を伸ばしてくれた人達がいた。
「藍はボクに手を伸ばしてくれた。天川君は切っ掛けを作ってくれた」
初めて友達ができた。
世界が広がって見えて、なるたい自分が少しだけ見えてきた。
自分という人間を前に進めてくれる、切っ掛けを作ってくれた。
だからこれは……その恩返し。
「必ず勝つ。必ずボクが守る」
真波は自身の召喚器から1枚のカードを取り出し、視線を落とす。
同学年とのファイトではほとんど使った事のない、真波にとって最後の切り札。
「やはり、それが必要になるか」
「うん。だからシルドラ、全力でいこう」
全ての力を出し切る覚悟を決めて、真波は決戦の日を待つ。
手にしたカードには〈【銀嶺王竜】シルバリオン・ドラゴン〉を書かれていた。




