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第百九十八話:瓦礫の中に一つ葉のクローバー

 朽ちて大きな穴が空いている、倉庫の天井。

 向こう側に見えるのは小さな星が混じっている夜空。

 小太郎とヒトハに降り注いでいるのは、満月の光。


「ヒトハ!」


 小太郎の腕の中で、心配そうな彼の顔と月の光が目に映る。

 ヒトハは自分の身体から重荷が消えて、空洞になった事を感じていた。

 もう自分を縛る怪物はいない。もう自分のせいで誰かを傷つける事もない。

 それが分かった瞬間、ヒトハは心底安心して微笑んでいた。


「もう、いなくなったんだ」

「あぁそうだ。クイーンはもうキミの身体から消えた」

「よかった……これで、もう」


 腕の中で、ゆっくりと温度が消えていく。

 小太郎は自分の肌を通して、ヒトハの命の灯火が小さくなっていく瞬間を感じとっていた。


「ヒトハ、ダメだそれは」

「ワタシ楽しかったよ。学校にいけて、友達もできて、サモンができて」

「まだ、やりたいことが残っているだろ」

「全部はダメだよ。欲張ったらなんにも掴めないもん」


 分かっていた事とはいえ、自分の腕の中で命が燃え尽きようとするヒトハに、小太郎は何かできないか必死に考える。

 だが所詮は人。既に失われている命を掴み取る事など、人の域ではできない。

 それはヒトハにも理解できている。頭ではなく心で受け入れてしまっている。


「夜って、好きじゃなかった……病室だったら一人だし、音もなにもなくて、窓の外も変わらなくて」


 月の光が降り注いでくる夜空を見ながら、ヒトハは正直に本音を語っていく。


「小太郎くんに会って、初めて夜空が綺麗だって思えた。やりたいことも、いっぱいできた」

「ヒトハは、これで良かったのか?」

「うん。ワガママばっかりだったけど、生きられた……だから、もういいの」


 クイーンと切り離された影響で、残り僅かであった命が流れ出てしまう。

 そしてウイルスと深く同化していた影響で、ヒトハの身体も電子の光となって、ゆっくりと消滅し始めていた。

 もう時間は残っておらず、運命の回避もできない。

 小太郎は弱気な言葉を、心の震えを無理矢理抑え込んでヒトハを抱きとめる力を強める。


「あはは、小太郎くんすごい顔してる」

「そうか……臣下にそう見られてしまうとは、僕もまだ未熟だな」

「ワタシは良いと思うよ。ちゃんと泣いてくれる王様の方が安心できるもん」


 弱々しく、ヒトハは小太郎の頬に触れる。

 ほんの少しでも触れていたい。彼の温もり知っていたい。

 そんな思いが伝わるような、優しい触れ方であった。


「泣いていられるか。背中を見せなきゃ誰もついてこない」

「だったら、こっちを向いてる時だけでも、泣いていんだよ」

「……嫌だ」


 絞り出すように、言葉を出す小太郎。

 その時、彼がどのような顔をしていたのかはヒトハしか知らない。


「キミの前でくらい、意地を張っていたい」

「……本当に、小太郎くんって男の子だなぁ」


 満足そうに、ふわりとした笑みを浮かべるヒトハ。

 彼女の身体はもう、ほとんどが消滅しかかっている。


「本当に、よかった」

「ヒトハ!」


 もう時間はない。

 小太郎は必死に彼女の名前を呼ぶが……ヒトハはただ、笑顔を浮かべて――


「初めて好きになった人が、小太郎くんでよかった」


 ――そう口にして、電子の光となって消滅した。

 優しい光の粒子が舞い散って、天に昇っていく。

 差し込んでいる月の光はまるで、(きざはし)のように導いてくれているようだった。


「ヒトハちゃん……」


 月の光に手を伸ばして、友達の名前を呼ぶ(らん)

 たった一ヶ月の関係。

 それでも彼らにとってはクラスメイトで友達で、小太郎にとっては初恋の相手であった。

 人の重みも温もりも、全て腕の中から消え去ってしまった小太郎は、顔を伏せて何も言わない。


「ツルギくん、これで良かったのかな?」

「ここで止める事ができたんだ。被害も、伊賀崎(いがさき)さんの苦しみも」


 だから良かった……とは言えない。

 それ以上の事はなにも言葉にせず、藍とツルギは天井から差し込む光を見つめる。

 失われた命は戻ってこない。

 傷痕は大きく残されても、また朝日は昇ってくる。

 だけど今は……せめて今だけは伊賀崎ヒトハという女の子を想う時間にさせて欲しい。

 言葉にしなくても、その場にいた全員が同じ想いであった。





「以上が、今回の件に関する報告の全てだ」


 数日後、放課後の聖徳寺(しょうとくじ)学園。

 窓から夕焼け空が見える六帝(りくてい)評議会の会議室では、黒崎(くろさき)勇吾(ゆうご)が事の顛末を共有していた。

 同盟に参加している面々は、そのあまりの内容に言葉を出せずにいる。

 伊賀崎ヒトハは二度死んだ。

 (まつり)誠司(せいじ)に利用されて、大量の被害者と共に消滅した。


「父さん曰く、伊賀崎ヒトハは戸籍上既に死亡しているから何も変わらないそうだ。マンションの住民に関しては、表向きは行方不明という事になるだろう」


 化神やウイルスに関する証言をしたところで、誰も信じはしない。

 迷宮入りという結末に納得する遺族はいないだろうが、既に元凶も消滅しているとなれば、告げたところで拳を振り下ろす先を失うだけだ。

 理不尽な理屈であっても、今はそうするしかない。黒崎勇吾は苦々しそうにそれを伝えるのだった。


音無(おとなし)、政帝達の方はどうだ」

「帰国の飛行機は決まったそうよ。学園に報告があったから、それに乗ってくるはず」

「やはりランキング戦の最中といったところか」

「そうね。私達評議会メンバーは通常のランキング戦には参加できないから」


 そう言いながら、ツララは政誠司と風祭(かざまつり)(なぎ)が乗る予定の飛行機に関する情報を全員に共有する。

 空港は学園から最寄りの場所。到着時刻は一年生がランキング戦をしている最中であった。

 彼らが伊賀崎ヒトハの死を知っているかは分からない。

 だが一つ断言できる事は、彼らは最悪の一線を超えてきたいう事であった。


「財前小太郎をオレ達の同盟に参加させる。これは天川(てんかわ)の提案でもあり、財前の意思……そしてオレの意思だ」


 淡々と口にする黒崎だが、その節々からは政帝に対する怒りが滲み出ている。


「異論は?」


 黒崎の言葉に対して、反対意見を出す者は誰もいない。

 無言。それで全てを肯定する。

 たとえ会議室の中に言葉が飛びかわなくても、ただの静寂が流れ続けていても。

 この場にいる全員が、政誠司という男に激しい怒りを燃やしていた。


 速水(はやみ)学人(がくと)はメガネの位置を直しながら、確実に相手を葬る戦略を考え始める。

 宮田(みやた)愛梨(あいり)は表面上は冷静を装うが、いかにして相手のプライドへし折って倒すかを考える。

 赤翼(あかばね)ソラは自分のデッキに視線を落として、格上相手に勝つための方法を思案する。


 そして、伊賀崎ヒトハという友達を喪った藍はスカートの裾を強く握り締めていた。

 真波(まなみ)は静かに涙を流す彼女に寄り添う同時に……自分の親友を泣かせた二人に対して、今までにない憤怒を覚える。


 この場にいる誰一人として、元凶である二人を許そうする者はいなかった。

 だからなのだろう……牙丸(きばまる)がポツリと、こう呟いてしまったのは。


「獲物は、早い者勝ち……異論は?」


 周りくどい計画なんて不要。

 もはや一秒でも早く仕留めてやりたい。

 例え相手がライバルであったとしても、牙丸には慈悲の気持ちは消え失せていた。


 牙丸の提案に反対する者はいない。

 ただ全員、無言で小さく頷くのみであった。


「そういえば勇吾、天川と財前はどこに?」

「野暮用だ。今日も財前が休みだからな、オレが天川に押し付けてきた」


 牙丸の問いかけにそう答える黒崎。

 なんとなく察した牙丸は、それ以上追求する事はなかった。





 夕焼け空が倉庫の天井から差し込んでいる。

 同盟の面々が会議室に集まっていた頃、小太郎はヒトハを看取った倉庫で長椅子に座っていた。

 ここは始まった場所でもあり、終わった場所でもある。

 瓦礫のように価値を失った城であったが、小太郎は一人でその玉座に座っていた。


「瓦礫は瓦礫か」


 無力感を帯びるように呟く小太郎。

 何もできなかった。伊賀崎ヒトハという少女に、自分は何一つできなかった。

 自己嫌悪しながら、小太郎は意味もなく穴の空いた天井から空を見上げる。

 出入り口はアーサーが見張っているので、ここには小太郎しかいない。

 その筈であった。


「よっ。一人で考えてる時に悪いな」

「天川……アーサーが見張っていたはずだが」

「そのアーサーから伝言『オレ様のロックがここで通せと叫んでる』ってさ」

「アイツめ」


 中の見えない黒いビニール袋を片手に現れたツルギ。

 露骨に邪魔そうに睨んでくる小太郎を敢えてスルーして、彼に歩み寄っていく。


「安心しろ。俺は届け物にきただけだ。すぐに出ていく」

「届け物だと?」


 そう言うとツルギは手に持っていたビニール袋を小太郎に押し付けた。

 中身も分からない届け物に、小太郎は心底訝しそうな顔を浮かべる。


「黒崎先輩とシーカー……先輩のパートナー化神がな、こっそり持ってきてくれたんだ」


 本当はダメなんだろうけど、とツルギは続ける。

 小太郎はビニール袋を触りながら、それが薄くて軽いものだと理解した。


「俺も先輩も中身は見てない。だけどそれはきっと、お前が持っている方が良いと思うんだ」


 それだけを伝えると、ツルギは小太郎に背を向ける。

 ここから先は、自分が見る必要のない場面。

 一人にしてやった方がいいと、ツルギは考えていた。


「俺達は待ってる。必ず政帝を倒して……償わせる」


 振り向かずに言い残すと、ツルギは前言の通りに倉庫を後にした。

 足音が去って扉が閉まる音が聞こえると、小太郎はビニール袋の中身を取り出した。

 ビニールは二重になっており、中身は見えないようにされている。

 だが二枚目の袋からソレを取り出した瞬間、小太郎は黒崎やツルギの意図を理解した。


「これは、ヒトハの……」


 角が削れる程に年季の入った桜色の表紙。

 メロンパンのシールが可愛らしく貼られているソレは、ヒトハの「やりたいことノート」であった。

 しばらく表紙を見つめてると、小太郎は彼女が大切に持っていたノートをパラパラとめくり始めた。


 箇条書きされているのは、ヒトハが退院したらやりたかった事の数々。

 どれもこれもありふれた物事で、平凡に過ごしていれば難なく経験できるような内容ばかり。

 その中でいくつかの項目には、赤いペンで線が引かれている。


「……まだ、こんなに残っていたのか」


 ヒトハのやりたい事に付き合っていた小太郎はそう溢してしまう。

 赤い線が引かれているのは、やり遂げたもののみ。

 全てに線が引かれているページもあるが、そうでないページの方が圧倒的に多い。


「文化祭。体育祭。夏祭り……まだまだあるじゃないか」


 時間さえあれば、どこまでも付き合う気だった。

 だけどそれももう叶わない。

 残ってしまったのは、叶えてやれなかった自分への無力感のみ。


「買い食い。できるなら女子達と行きたかっただろ……本当に、どれも」


 ささやかな願いばかり。

 叶うのであれば、この先も隣で手伝ってやりたかった。

 そんな思いを抱きながら小太郎はページをめくっていく。

 段々と終わりが見えてきた……そして。


「…………」


 小太郎は最後のページに辿り着いてしまった。

 それはクイーンがマンションで事件を起こす前日に、ヒトハが書き記していた「やりたいこと」。

 伊賀崎ヒトハという少女が、最後に抱いた願い。


――小太郎くんに告白する!――


 ノートのページに、水滴が落ちていった。


「――――っ!」


 想いは一緒だった。だけど自分の気持ちを言葉にするには、もう遅かった。

 声が押し殺す、だが涙は止められない。

 財前小太郎という王は、臣下の遺志を魂に刻む。


――こっちを向いてる時だけでも、泣いていんだよ――


 最期の瞬間、彼女が残した言葉が小太郎の脳裏に反芻する。

 押し殺していた声も時折出てしまうが、それでよかった。

 これなら、愛した少女の願いを無碍にしなくて済むから。


 倉庫の外で見張りをしているアーサー、その隣にはツルギが立っていた。


「アーサー、後は頼む」

「あぁ。オメェはもう良いのか?」

「ここで励ませる程、俺は器用じゃないよ」

「そうか……アンタがそういう(ビート)を持っていて、良かったよ」


 そんなアーサーの言葉を背にして、ツルギは倉庫から立ち去る。

 傷が完全に癒える事はないかもしれない。

 だけど時間が少しでも痛みを和らげてくれるのであれば……自分達のやるべき事はただ一つであった。


「政誠司……ただで済むと思うなよ」


 因果を断ち切る。

 二度と悲劇を起こさないためにも。
















【第九章に続く】

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