第百八十九話:ワタシのひみつ②
最寄り駅で降りると、いつもの帰路につく。
見慣れた景色や音が聞こえてくる夕暮れ時。
小太郎とヒトハの間に、会話はなかった。
(仕方ないよね……ワタシが悪いんだもん)
それでも、小太郎の優しさはヒトハの心を温める。
この気持ちを伝えられなくても、今この瞬間を共にできるならそれで良いと、ヒトハは思っていた。
だがそれは一つの前提条件があるとした上のもの。
「しかし武井の化神は随分と眠そうにしていたな。天川のところもそうだったが、アレらはそういう生命体なのか?」
小太郎が化神を知らない一般人であるという前提である。
初めて愛梨のウィズと出会った後、主に真波から化神についての説明は聞いていた。
同時にヒトハは知ってしまった。
自分の中に埋め込まれたクイーンが、どれだけ歪めて作られた存在なのかを。
「赤くてちっちゃいドラゴンだったよね。藍ちゃんの後ろにいた」
だからコレは、一つの賭けでもあった。
根拠もなにも無い。ただ小太郎が化神を認知できる存在だというなら、賭けてみたかっただけなのだ。
もしも彼が、自分の秘密を知った上で――と、願望を抱いて。
「ヒトハ、やっぱり見えていたのか?」
「……うん。前に愛梨ちゃんのパートナーにも会った」
「そうか。案外どこにでもいるものだな」
小太郎はどこか拍子抜けといった様子で「世界が狭いだけなのか?」と呟きながら歩く。
周りに人の気配はない道に入った。
その瞬間ヒトハは立ち止まり、小太郎の背を見つめる。
「どうしたヒトハ?」
「……もしも、もしもね」
声が震えてしまう。
それでもヒトハは、賭けに出ようと思っていた。
「ワタシが取り返しのつかないような、悪いことをしてたら……小太郎くんは、嫌いになってくれる?」
「その質問は二度目だ。前にも言ったが考える気も――」
「答えて」
真剣な表情。唇を震わせながらヒトハは問いかける。
いつもと様子の違うヒトハに思うところがあったのか、小太郎は少し考えてから自分の答えを口にした。
「嫌いになる」
「っ!」
「そんな事になる前に手を伸ばしてやる。天川ならきっとそうする」
堂々と、確かに自分意思を乗せて、小太郎は言葉を続ける。
「僕を誰だと思っている。瓦礫の王を自称している男だぞ。嫌われ者を受け入れて、道を示すのは僕の義務だ」
今までもこれからも変わらない。
例えその相手がヒトハであろうとも、小太郎の進む道もやり方も変わらない。
一度臣下となった者を見捨てるなど、財前小太郎という男には存在しない選択肢であった。
「そう、だよね……小太郎くんは、そう言うよね」
だからこそ、先を知りたかった。
この身体を知って、どう言うのかと。
「でもね小太郎くん。ワタシが毎日……人を殺していたら、嫌いになるよね」
意を決して、震える声で打ち明けたヒトハ。
小太郎は最初、彼女が何を言っているのか理解できなかった。
「殺す……キミが?」
「うん。そういう身体にされちゃったの。全部ワタシが生きたいなんて思ったのが悪いの」
「待てヒトハ、何の話をしている!?」
叫び声混じりで小太郎が問いただすと、突然ヒトハは上着の裾をインナーウェアごと捲った。
止める間もなく、小太郎はソレを目にしてしまう。
服の下にあったのはヒトハの白い肌……だけではなかった。
黒い何かが脈を打ち、彼女の心臓から胃にかけて蠢いている。
「人造化神っていうんだって。政誠司って人が言ってた」
「政帝が……キミは何をされたんだ!?」
「ワタシね生まれつき心臓が弱かったの。だから長生きできそうになくて、学校にも行けなくて」
目に涙を浮かべながらヒトハは語り続ける。
ドナーが見つからなかった事。母子家庭なので高額な治療費を払う事も困難であった事。
そんな時に政誠司が現れて、治療が可能な病院の紹介と金銭援助をすると言ってきた事を。
そして――
「ワタシね、もう死んでるの。死んだあとにね、コレを植え付けられたの」
「死んだ……植え付けって」
「生き返ったんだって。人造化神を心臓代わりにして……でもね、この化神を維持するのに、人間を食べ続けなきゃ、いけないの」
徐々に涙が流れて、声にも嗚咽が混じっていく。
小太郎はあまりの衝撃に言葉を失っていた。
「お父さんに会えるって話を信じちゃったから、生きたいなんて願ったから、バチが当たっちゃった……ワタシはね、もうただのバケモノなの」
生まれてから一度も会った事がない父親に会えると、政誠司は言っていた。
父親が執刀してくれると聞いていた。
だが実際には誰が執刀したのかも教えてもらえず、ヒトハが蘇生した時には全てが手遅れであった。
「だからね……小太郎くんは、ワタシのこと、嫌いになってくれる?」
無理に浮かべている笑みから、ヒトハの心が見えるようであった。
きっと手を伸ばすべき場面なのだろう……しかし小太郎は今の彼女に何と言って良いのか分からなかった。
そして生まれてしまった無言は、意図せず答えとして受け取られてしまう。
ヒトハは上着の裾を下ろして、顔を俯かせてしまった。
「ごめんね小太郎くん。こんな当たり前の事、聞いても困るよね」
「いや、ヒトハ、それは」
「ちゃんと嫌いになってね、じゃないと、ワタシ……」
全てを言い切るより先に、ヒトハの心が限界を迎えてしまった。
小太郎に顔を見られないように俯きながら、ヒトハは駆け出してしまう。
「待ってくれ、ヒトハ!」
後ろから小太郎の声が聞こえるが、もうヒトハに振り返る勇気は残っていない。
今のヒトハに残っているものは賭けに負けたという事実。
そして、自分の恋が終わったという事実のみ。
「――――!」
涙は止まらない。
声だけは押し殺しながら、ヒトハは小太郎から離れるように走り去るのだった。
◆
その日の夜。
傷心していても、ヒトハは用意された食料を逃した。
ただでさえ空腹による苦しみがある中、心の傷も相まってヒトハはベッドの中で中々寝付けずにいた。
……否、ただ寝付けないだけではなかった。
「うぅ……なに、これ」
身体の奥底から何かが激しく蠢いている。
今までにない激しい感情を伴った蠢きであった。
「クイーン、なの?」
自分の身体の中で動く存在はそれしかいない。
ヒトハはクイーンの名前を呼ぶが、返事はない。
代わりに奥底で何かを練り上げるように、クイーンが蠢き続ける。
『オナカが空いたわ』
「ダメ! もうこれ以上食べないで!」
『オナカが空いたのよ』
「お願いだから、もうやめて」
『ゴハン……なんかもういいわ。退屈なのよ。悲鳴を聞けない日々なんて!』
怒りが滲むような声で、クイーンが叫んでくる。
瞬間、ヒトハの全身から黒いコールタールのようなドロドロが湧き出始めた。
クイーンの本体である。
「クイーン!?」
『言った筈よヒトハ……ツケは払ってもらうって』
そう言うとクイーンは、ドロドロの粘液のような身体を凄まじい勢いで部屋の外にまで伸ばし始めた。
その身体が伸びる先は部屋だけではない。
玄関の外、窓の外……薄く広く、だが確実に外へと身体を伸ばしていく。
「ダメ、クイーン……それだけはダメェェェ!」
クイーンが何を企んでいるのか、共生関係であるヒトハには伝わってしまった。
食欲やエネルギー補給なんて二の次。
ただクイーンが遊びたい、楽しみたいという一心で成そうとしている、その残虐極まる考えが伝わってしまった。
『ツケって言ったでしょう? 人間で遊ぶのが毎日の楽しみなのに、ヒトハがそれを取り上げたんだから……少しくらい好き勝手させなさい』
身体は完全に、クイーンが主導権を握っていた。
ヒトハは抵抗もできず、ただクイーンの所業が伝わってくるのを知る事しかできない。
たとえそれが……裏社会でもなんでもない一般人を喰い殺す事であっても。
『それじゃあ……いただきまぁす』
見える者はその場にいない。
見えぬ者には何も理解できない。
ヒトハが助けも呼べぬなら、その惨劇を止める術はもう存在しなかった。
『あぁコレよコレ! コレが一番好いのよ!』
深夜のマンションで起きた惨劇は、誰にも気づかれず遂行されてしまう。
その結末に気づく者が現れたのは、朝日が昇った後であった。
 




