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第百八十八話:ワタシのひみつ①

 初めての恋。

 それは伊賀崎(いがさき)ヒトハという少女に幸せな変化をもたらすと同時に、途方もない罪悪感と後ろめたさを芽生えさせていた。

 学校に行き、友達や小太郎と交流をして、マンションに帰ってくる。

 扉を開けても誰も返事はくれない一室に入ると、ヒトハは今日も用意されていた食料と目が合ってしまう。


『あらあら。今日のメニューはヒトハと同い年くらいかしら? 面白い趣向ね。アタシそういうの大好きよ』


 身体の奥底からクイーンの悪趣味な喜びが聞こえてくる。

 ヒトハはリビングで拘束されている、今日の食料に視線を落としていた。

 制服を着ているあたり、下校中にでも捕まったのだろうか。

 ヒトハと同年代らしき黒髪の少女は、涙を流して恐怖に震えている。


『好いわ好いわ! 邪気も嘘も欲望もない。正真正銘の無垢な人間じゃない!』


 歓喜の声を奥底から上げてくるクイーン。

 同時に共生関係であるヒトハにも、目の前の少女がどういう存在なのか理解できてしまった。

 今まで食料として寄越された人間とは違う。目の前で震えている少女は、何かに巻き込まれただけの一般人であると。

 罪に対する罰などという大義名分もない。ただ理不尽に捕まった被害者であると。


『どこから食べましょうか。足? 指? それとも神経だけを殺して、子宮でも抉り出そうかしら』


 食事を楽しむなど建前でしかない。

 クイーンはただ目の前の少女をどうやって苦しめて遊ぼうか、それだけを考えて喜んでいた。

 まずは脳に入って記憶でも読んでみようか。この小娘が最も重要視している部位から喰らってやろうか。

 そんなクイーンの悪辣な思想は、ヒトハの脳内にも直接伝達してくる。


『あぁオナカが空いた……決めたわ、口の中から脳みそグチャグチャにしてアゲル』


 ヒトハ自身、強い空腹感があった。

 思考が鈍り、食欲という根源的な欲求に身体を支配されそうになっている。

 一歩一歩、ゆっくりと少女に近づいていく。

 だがヒトハは涙を流す少女を前にして、必死に自分の身体を止める。


『あらぁ? なにをしてるのヒトハ?』

「ダ、メ……もう、やめよう」


 空腹感を堪えて、ヒトハは自分の中から出てこようとするクイーンを抑え込む。

 そんな彼女の脳裏に浮かんでいる事柄は、共生関係であるクイーンには全て筒抜けであった。


『ふーん、あの男の子に嫌われたくない。だから殺したくないと……自分で嫌いになってもいいなんて言ってた癖に』

「それでも、やっぱりワタシは、もう――」

『人間を殺さないと死んじゃうバケモノなのに、今更なに言ってるのよ』


 クイーンに突きつけられた「バケモノ」という言葉が、ヒトハの心に深々と突き刺さる。

 理解はしていた、死んで蘇って、人間を喰う自分はもう普通の人間ではないと。

 それでもヒトハは、せめて人間らしい心がある今だけはと動かざるを得なかった。


『あっ、ちょっと!』


 身体の奥底から抗議の声を上げるクイーンを無視して、ヒトハは少女を拘束している縄やテープを解いていく。

 ヒトハ自身の苦痛はあったが、それ以上に目の前にいる少女の苦痛を忌避した。

 拘束が解けて自由になると、少女は困惑した様子でヒトハを見つめる。


「……逃げて」


 空腹と、身体の中で暴れるクイーンを抑え込むため、その場に蹲ってしまう。

 そしてヒトハは震える手で玄関の方を指差した。


「早く……逃げて!」


 絞り出すような叫び声で、とにかく少女に去るよう伝える。

 事情の全てを飲み込めているわけではないが、少女は自分を助けてくれたのだと理解して、ヒトハに「ありがとう」と短く伝えて走り去るのだった。

 玄関の扉が開いて足音が遠くなっていくのを耳で確認すると、ヒトハは安心したようにため息を吐く。


『ふーん、逃すんだ……ふーん』


 身体の奥底で、クイーンが意味深な様子で呟いてくる。

 するとクイーンはヒトハの身体の奥に引っ込んでいった。

 身体の自由が戻ると同時に、ヒトハは不気味なものを感じる。


「クイーン?」

『ツケは必ず払ってもらう……覚えておきなさい』


 それだけ言い残すと、クイーンは完全にヒトハの中へ戻ってしまった。

 共生関係とはいえ、クイーンが制御してしまえば言葉の真意はヒトハに伝わらない。

 それでもヒトハは、これで良かったのだと思うことにした。


「……お腹、すいたな」


 気を紛らわせるために、ヒトハはテーブルでノートを開く。

 やりたいことを纏めたノートだが、まだまだ余白はある。


「……よし!」


 一つの決意をして、ヒトハはノートに新たな文章を大きく書き記す。

 凄まじい空腹感はあったが、ヒトハはそれを我慢して一日を終える事にした。

 だが伊賀崎ヒトハという存在は燃費が悪い。

 たった一食を抜いただけでも、その消耗は激しかった。





 空腹は脳を停滞させてしまう。

 翌日。体育の授業中だったはずのヒトハは、保健室のベッドで目覚めていた。


「あれ? ワタシ」

「気がついたか」


 窓の外からは夕焼けの光が差し込んでいる。

 間違いなくもう放課後の時間だろう。

 そんなヒトハが横になっているベッドの側には、小太郎が座っていた。


「小太郎くん、ワタシなんで」

「体育の授業中に倒れたんだ。僕が運んできた手前、僕が看ていてもおかしくはないだろう」

「そっか……ありがとう」


 シーツを掴んで、少し安心したような様子のヒトハ。

 だが小太郎は鋭い目つきで、淡々と問いかけてきた。


「ヒトハ、今日は何を食べた?」

「えっ」

「昨日は? その前は?」


 なんて事のない質問。

 別に適当な答えをしても疑われる事はないだろう。

 だがヒトハは何も答えられなかった。それが彼女の答えになってしまうから。


「倒れた直後に、宮田達から聞いた。キミはいつも碌に物を食べていないとね」

「……うん」

「ダイエットなんかじゃあないな。退院してそれ程経っていない筈のキミがする必要も、考える必然性もないからね。その上で聞こうか、()()だと」


 心配をかけてしまったから。だから怒られている。

 それを理解できていても、ヒトハには全てを語れる勇気はない。

 ただ申し訳なさそうに俯くばかり。

 ヒトハの心に痛みが広がっていくが……小太郎が次に取った行動は、彼女の頭を優しく撫でる事であった。


「言い難い事なら無理に言わなくてもいい。ただ変な心配はかけるな。その前に僕達を頼ってくれ」


 財前小太郎という人間は決して相手が傷つく詮索はしない。

 ただ居場所になる事を選ぶのみ。

 王として、見捨てられない者達が辿り着く果ての地で在るのだ。


「立てそうか?」

「うん……大丈夫」


 優しさは理解できている。

 だからこそヒトハは自分の身体に潜む荒唐無稽な秘密は語れない。

 自分の犯した過ちも、自分も恋心も。


「もう下校時間だよね」

「そうだな。今日は僕が家まで送る」

「小太郎くんはいつもじゃん」

「今日は成り行きじゃない。自分の意思だ」


 保健室を後にして、教室にカバンなどの荷物を取りに寄ってから、ヒトハは小太郎と廊下を歩く。

 すると見慣れた赤髪の女子生徒がこちらに近づいてきた。


「あっ、ヒトハちゃん! もう大丈夫なの?」

(らん)ちゃん。うん、ごめんね心配かけちゃって」


 ヒトハの両頬を手でペタペタと触りながら、藍は心配そうな様子で語りかける。

 だがもう大丈夫だと知ると、藍はすぐに安心し切るのだった。


「よかった〜、急に倒れちゃったからドキドキしちゃったよ〜」

「見ておくんだヒトハ。これが心配をかけるという事だ」

「ごめんなさい」


 シュン、と申し訳なさそうにするヒトハ。


「今日は財前(ざいぜん)くんに送ってもらうの?」

「うん。小太郎くんが――」

「うまくいくとイイね!」


 藍の言葉を聞いた瞬間、ヒトハの顔が真っ赤になり湯気が爆発した。

 ちなみに発言した当人である藍は、ほとんど雰囲気で言ったので深い意味合いなどは大して理解していない。


「それじゃあ財前くん。ヒトハちゃんをよろしく」

「言われなくてもそうするさ。武井(ぶい)は居残りか?」

「あぁ〜、ちょっとそんな感じかな〜って」


 ヒトハは化神が見えている。そして小太郎も化神が見え始めているとツルギから聞いている。

 とはいえ今から向かうのは対政帝の同盟に関する集まり。

 そんな危険な戦いに二人を巻き込むわけにはいかないと、藍ははぐらかしてしまった。


「キミはもう少し座学の方を頑張りたまえ」

「なにをー! この前の小テストは良かったよー!」

「20点満点の11点には当社比という言葉がつく。覚えておくんだな」


 両頬膨らませながら抗議する藍。

 その背後からは赤い竜が顔を覗かせている。

 呆れたようにため息を吐いている竜を目にして、小太郎は「あぁ、アレが話に聞いた化神のブイドラか」と考えていた。


「らーんー、そろそろ行くブイ」

「あっそうか。それじゃあ二人とも、また明日!」

「うん、バイバイ藍ちゃん。後ろの子もバイバイ」


 藍とブイドラに手を振るヒトハ。

 そんな彼女を見て小太郎は「なんだ、化神が見える人間はあまり珍しくもないのか?」と考える。

 だが今は変に時間を消費してヒトハの体力を削るわけにはいかない。

 小太郎はヒトハの手を繋いで、さっさと下校するのだった。


「……ブイ?」

「どうしたのブイドラ」

「いや、今一瞬なんか変な気配があったような……」


 藍の側でブイドラが首を傾げる。

 気配を感じたのは一瞬。あまりにも短い瞬間だった事もあり、その時ブイドラは深く考えなかった。


「……後でツルギくんに言っておこう」


 そう呟いてから、藍は集合場所へと早足で向かうのだった。

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