第百八十四話:月の光は瓦礫の隙間から
柄の悪い男……改めて財前小太郎の臣下三人組。
その後ろについていくように、ヒトハは小太郎と並んで歩いていた。
ワイワイと楽しそうに大きなコンビニ袋を手にして進む臣下達に対して、小太郎とヒトハの間に言葉は交わされない。
こうして小太郎達についていく事になったのも、ヒトハが小太郎に「一緒に来たまえ」と言われたからであった。
「……なにも、聞いたりしないんだね」
最初に静寂を破ったのはヒトハだった。
以前の事もあり、彼女は小太郎に叱られると思っている。
しかし返ってきた言葉は、叱責の類ではなかった。
「繰り返している。事情があると察するには十分な回数だ。僕らは元々訳ありの集まりも同然。今更一人増えたところでどうってことない」
仕方ないといった様子で口にする小太郎であったが、そこには決して拒絶や下心の類は存在しなかった。
今までにもあった事、ただそれをもう一度やっているだけ。
そんな小太郎の姿に、ヒトハは強い安心感を覚えていた。
「それとも、キミには事情を聞いた方が良かったかな?」
「……大丈夫。ありがとう」
今は聞く必要がないと理解した小太郎は「そうか」と短く返す。
そして小太郎達について歩みを進めていくと、ヒトハは一軒の建物に辿り着いた。
見た目は小さな町工場といった感じだが、看板や作業車のようなものも無く、まるでずっと放置されているようである。
「あぁそうだ。ここの事は内緒にしておいてくれないか? 表に出ると色々不味いんだ」
「えっ、うん」
小太郎が突然言ってくるのでヒトハは了解しつつも、内心「ここ不味い場所なの?」と少し不安になっていた。
そして臣下の男達が資材を入れていたであろう倉庫の扉を開く。
錆のせいか少し音が響くが、小太郎達は慣れた様子であった。
「そうだな。せっかくだからヒトハにはこう言っておこう」
倉庫の中に入ると、数人の男女が自由に座ったり談笑をしている。
古い白熱電球の明かりで倉庫の中は照らされているので、外からのイメージ以上に活動はしやすそうな場所であった。
そんな秘密基地のような倉庫に、小太郎はヒトハを迎え入れた。
「ようこそ、僕たちの城へ」
廃材を釘などで接続して作ったようなテーブルや椅子がある。
そんな小太郎達の城を軽く見回して、ヒトハは今まで感じた事のないワクワクを抱いていた。
「ふわぁぁぁ! なにこれなにこれ! ロマンに溢れた空間だよぉぉぉ!」
ヒトハは目を輝かせて、見慣れぬ色々に好奇心を膨らませていく。
そして臣下の男達三人は、大きな金網にビールケースを脚として置いただけのテーブルにコンビニ袋を置いていく。
「おーい、金は後でちゃんと払えよー!」
「わかってるって。それより頼んだやつ買ってきたんだろうな?」
「みっくちゅじゅーちゅなら案の定なかったぞ。欲しけりゃ自分で関西まで飛べ」
「やだよ、関西ってマックスコーヒーねーんだもん」
気の合う仲間達との軽口を叩き合う臣下達。
だが決して男だけではない。よく見れば女性も数人いる。
「はいマックスコーヒーもーらい!」
「あぁ! テメェ俺の愛する糖分を!」
「アンタねぇ、これ以上甘いもん飲んだら脳みそまで甘くなっちまうよ?」
「そういうテメェは体重でも気にしやが――」
ゴスンという音と共に、女の踵落としが男の頭に命中していた。
女は痛みでしゃがみ込む男に対して「次はもっとビターな一撃だからね」と吐き捨てるのだった。
そんな彼らの姿をポカンとした表情で見るヒトハ。
「あら? 珍しいわね、今日はお客様つきなの?」
先程の女がヒトハの存在に気がついて歩み寄ってくる。
ゴスパンクな服装とメイクの女が近づいてきたので、ヒトハは小太郎の手を握って少し震えている。
「あぁ、僕のクラスメイトだ。放っておけなくてね」
「ふーん、訳ありって事……いつもの小太郎じゃん。何回目よ」
「数える気はない。面倒だ」
女はとりあえずヒトハに、自分は同い年だから怖がらなくても大丈夫だと告げる。
「とって食ったりしないから、怖がらなくて大丈夫よ」
「は……はい」
「それで小太郎? もしかしてこの子が昨日言ってたやつ?」
女がニヤけた表情でそう言うと、先程公園でヒトハを取り囲んだ三人の臣下が駆けつけてきた。
「全国の姉さぁぁぁん!」
「財前さんがリア充になった事を!」
「オイラ達がお知らせするっスよぉぉぉ!」
「へぇ、アンタ彼女できたんだ。意外ね」
「貴様ら全員そこに座れぇぇぇ! 勝手な誤解を述べるなぁぁぁ!」
三人の臣下を怒鳴りつけて正座させる小太郎。
ちなみにゴスパンクの女はちゃっかり離脱して、倉庫の隅でお菓子を食べ始めていた。
「いやいや財前さん。彼女さんじゃないんですか?」
「俺達てっきり財前さんがようやく春を掴んだのかと」
「オイラ達テンションが祝福の頂になっていたのに」
「ヒトハは転校してきて間もないんだぞ! そんな短期間で交際関係に至るようなケースがあるかっ!?」
臣下に一通り説教を終えると、小太郎はヒトハの方へ振り返る。
「すまない。臣下が無礼を働いた」
「いやいや、別に気にしなくて大丈夫だから。ワタシは気にしてないから」
「必要ならこの場で僕が処すが」
「過激派はんたーい! 平和がいちばーん!」
ヒトハが必死に小太郎を止めたことで、臣下三人は無事に無罪放免となった……が、三人揃ってヒトハに土下座をする事にはなるのだった。
小太郎はヒトハの手を引いて、倉庫の奥の方へと案内する。
そこには木材で作られたであろう、年季の入った長椅子が置かれていた。
「あれ?」
その長椅子を見た瞬間、ヒトハは少し不思議に思った。
この辺りは倉庫の中でも白熱電球の光が届いていない。
しかし長椅子の周りだけは、薄っすらと優しい光で照らされているのだ。
「まぁ座りたまえ」
「うん。お邪魔します」
白熱電球とも違う光が、長椅子に座ったヒトハと小太郎に降り注ぐ。
ヒトハが顔を上げてみると、そこにあったのは倉庫の天井。
ただし年季のせいかボロく朽ちてしまったのか、天井には大きな穴が空いていた。
「……満月」
光は天井の穴から降り注いでいた月の光。
自然の生み出した優しい灯りが、ヒトハの目にはこれ以上なく美しく映っていた。
「随分昔に祖父が停止させた工場なんだ。さっさと引き払えばいいものを、いつか使うかもしれないと言ってダラダラと持ち続けている、瓦礫同然の廃墟」
「瓦礫?」
「でも、僕にはこの方が都合が良い。この穴あきの天井が無くなるのは惜しいからな」
そう言って天井の穴から満月を見上げる小太郎。
「小さい頃から、ここが好きだったんだ。ここから見上げる月と静寂が……と言っても、今は随分騒がしくなってしまったがな」
小太郎が視線を下すと、そこには倉庫の中で楽しげに騒いでいる臣下達の姿がある。
騒がしいという表現に違わぬ光景だが、小太郎にはそれが心地良くも感じられた。
「アイツらはな、全員色々とあった人間なんだ」
「そうなの?」
「家庭の環境から経済的な問題。果ては身内の不始末まで色々さ。中学の始めなんて目が憎悪で濁ったやつなんて珍しくなかった」
だからこそ……小太郎は改めて自分自身に言い聞かせるように言葉を続ける。
「僕の見える範囲で堕ちる人間が気に入らなかった。気づけば動き回って、彼らの王に上り詰めて……今でもたまに彼らのガス抜きに付き合う事になっているよ」
元々治安の良くない環境で生きてきた小太郎の臣下達。
どうにか自分達の道には進んでも、すぐに切り替える事はできない。
だからこそ小太郎は定期的にこうして、彼らがガス抜きできる場機会を作るようにしているのだ。
それらの話を聞いたヒトハは、なぜ小太郎が世話焼きな性格なのかを理解できた。
「そっか、だから小太郎くん朝から眠そうだったんだ」
「そうだな。だから、なんだ、必要なら僕を遠慮なく頼ってくれて構わない。キミのような人間を見捨てると後味が悪くなる」
「そっかぁ……小太郎くんって本当に王様みたいだね」
「これでも瓦礫の王は自称しているからな。他人から見れば僕らはガラクタ、善良とは言い難い人間だ」
実際、中学の時点で無免許のバイク運転の常習犯である。
自分達がどう見られているのか理解できていない程、小太郎達も馬鹿ではない。
「それでも僕らにはガラクタなりの意地がある。彼らが平穏で普通の道を歩めるのなら、僕は喜んで瓦礫の王になってやるさ」
「……本当に、小太郎くんって男の子だなぁ」
ヒトハの言葉を聞いて、小太郎は振り向いてみる。
そこにはふんわりと優しげな笑みを浮かべた、ヒトハがいた。
女の子らしい彼女の表情に、小太郎は少し胸がドキっとしてしまう。
「もしかしてなんだけど、毎日天川くんにファイトを挑んでるのもライバル的なあれ?」
「あれはそういうのではなく! 天川ツルギに勝てない自分が許せなくてだな……だが、あの男が僕の憧れに近いという事実は認める他ない」
心底悔しそうに、小太郎は自分から見た天川ツルギという男について語り始める。
「簡単に言えば、アイツは僕の持っていない強さを持っていた……何でも従えられる強さを持っているが、アイツは決して自分の力を濫用しない」
「小太郎くんは、どうだったの?」
「恥ずかしながら、最初の僕は真逆だった。だからこそ天川ツルギのやり方が羨ましかった。あれだけの余裕を持って歩める王道が、羨ましいんだよ」
本人の前では口が裂けても言えない本音。
だがそれを聞いただけでも、ヒトハは小太郎がどれだけ真剣にファイトを挑んでいるのか理解できた。
クラスメイト達は呆れた様子でツルギと小太郎のファイトを見ている。
しかし泥に塗れても、周囲に理解されなくとも、ただ我武者羅にライバルに挑み続ける小太郎を、ヒトハは素直にカッコいいと思っていた。
「男の子だ」
「さっきから何だその表現は」
「小太郎くんってさ、男の子らしいな〜って思って」
「それは褒めているのか?」
「もちろん」
数時間前までの絶望など頭の中から消え去って、ヒトハは心から笑顔を浮かべて小太郎に返す。
嘘など介入する余地のない笑顔。
同年代の女子からそういう反応をされた事のない小太郎は、少し恥ずかしそうにヒトハから目を逸らすのだった。
「まぁなんだ。やりたいこと、まだまだあるのだろう?」
「……うん」
「週末に連休があるだろう。僕でよければ付き合おう」
そして。
「家に帰りにくいなら、いつでも連絡してきて良い。見ての通り夜更かしは得意なんだ。話し相手くらいにはなれるだろう」
「いいの?」
「僕が勝手に言っているだけだ。不要なら僕から他の誰かを探し――」
全てを言い切る前に、ヒトハは小太郎の手を掴んだ。
少し緊張しているのか汗と力が入っている。
「えっと、その……週末も、よろしく、お願いします」
不安はあった。
しかしそれ以上にヒトハは、自分のワガママに付き合ってくれる小太郎から離れたくなかった。
だからだろうか、ヒトハは赤く熱を帯びた自分の顔を下に向けるのであった。
「「…………」」
沈黙は二人の間に流れている。
天井の穴から降り注ぐ月の光はヒトハの顔を照らしてしまったのだろうか。
その答えを知るのは小太郎ただ一人。
逆にヒトハも顔を下に向けていたせいで、小太郎がどんな表情で自分を見ていたのか知る事はできなかった。
「お二人さーん! 何か食いましょうよー!」
臣下の声で我に返った小太郎は、ヒトハと共に臣下達の元へと行くのであった。
「あっ、ワタシは飲み物だけで」
顔の熱さが治りますように。
ヒトハはそう考えながら、冷たいジュースだけを口にするのだった。
 




