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第百八十三話:伊賀崎ヒトハは『普通』である

 平日になれば、いつもの学園生活が始まる。

 何事もなく振る舞う。普通の転校生として、ただ学園生活を謳歌する。

 伊賀崎(いがさき)ヒトハに与えられた役割はただそれだけ。


「おはよ〜」


 少し眠そうな声と共に、ヒトハは自分の教室へと足を踏み入れる。

 あくまで『普通』を演じ続ける。

 自分の身体に巣食う秘密は、決して打ち明けてはならない。

 だからヒトハは今日も『普通』で在り続ける。


「おはよー小太郎くん」

「あぁ、おはよう」


 隣の席に座る小太郎は、ヒトハよりも眠そうな様子で挨拶を返してくる。

 よく見れば目の下に隈もあり、ヒトハはそんな小太郎の顔を興味深そうに見つめていた。


「なんだ?」

「小太郎くんが夜更かしするほど……何か面白いのでもあったの?」

「そういう類じゃない。少しガスを抜きすぎただけだ」


 やや自己嫌悪をしているような様子で、寝不足の理由を述べる小太郎。

 ヒトハはよく理解できていなかったが、どこか小太郎に人間らしさを感じていた。


「小太郎くんって夜遊びするタイプなんだ」

「言い方が悪い。自分のためではなく身内のためだ」

「……やっぱり良い人じゃん」


 ヒトハに顔を向ける事はせず、小太郎はあくまで他者のために仕方かなくやった結果だと言い張る。

 その言葉に嘘はないだろう。ヒトハは耳を赤くしている小太郎を見て、そう確信できた。


「そっちは土日を有効活用できたか? 助力が必要なら、僕はいつでも動ける」

「……うん。大丈夫」


 抽象的な表現であっても、それはヒトハの「やりたいこと」に関する問いかけだと彼女はすぐに理解できた。

 だからこそ、本当の事は伝えられない。

 伝えてしまえば小太郎に負担をかけてしまうと思い、ヒトハは自分の心を飲み込むのだった。


「皆の衆、席につくでござる!」


 担任の鎧武者こと伊達(だて)先生が入ってきて、今日も一日が始まる。

 ただ『普通』の光景。ただヒトハが望んだだけの生活。

 だからこそ真実は、彼女の心に音もなくのしかかる。


(一限目は古典か……)


 ヒトハは教科書とノートと用意し始める。

 聖徳寺学園で行われる授業は、基本的には普通の高校と変わらない。

 国数理社といった基本科目もあれば、英語や第二外国語だってある。

 当然ながらサモン専門の授業もあるので、毎日七限目までみっちりと詰め込まれたカリキュラムだ。


「えーこのように、かの有名な一寸法師も実際にはド級のクズでありまして――」


 古典という退屈極まる授業を受けながら、ふとヒトハは隣の席に目を向ける。

 そこには真面目に授業を受けている……ような体勢だが、しっかりと目を閉じて寝ている小太郎の姿があった。

 器用にも首と背筋をそれっぽく伸ばした状態で居眠りをしている。


(小太郎くん、それどうやってるの!?)


 珍妙極まる小太郎の寝方に、ヒトハは心の中で大袈裟に驚くのだった。

 ちなみに小太郎の居眠りはすぐにバレていた。


 休み時間になれば、ヒトハはクラスメイトの女子達と何気ない会話に花を咲かせる。


「ほひゃぁぁぁ!? Fairys(フェアリーズ)の写真集ゥゥゥ! 買いそびれたお宝を愛梨(あいり)ちゃんご本人からいただけるなんてぇぇぇ」

「気にせず貰ってくれると、私としても嬉しいわ」

「あ“り”がどう“あ”い“り”ぢぁ“ぁ”ぁ“ぁ”ん“!」


 号泣して愛梨に感謝を述べるヒトハ。

 ちなみに愛梨曰く「献本ってね、意外と場所とるのよ」との事で、本人的には引き取ってくれただけでも感謝といった様子であった。


「写真集があるって、アイちゃんってやっぱりスゴいですね」

「ユニット単位のやつよ。結局それ一冊しか出していないし」

「十分スゴいですよ……色々と」


 表紙の写真、少し露出度の高い衣装の愛梨を見て、ソラは無意識に自分の胸をペタペタと触れるのだった。


「はいヒトハちゃん。ポケットティッシュ」

「あ”り“がと”う“(らん)”ち“ゃ”ん“」


 クラスメイトの女子達は伊賀崎ヒトハと何も問題なく交友を深めている。

 特に藍はヒトハと積極的に仲良くなろうとしていた。

 ツルギ達から伝えられた話を知ってなお、藍はヒトハと友達になりかたかった。


「ねぇヒトハちゃん! 今日は一緒にご飯食べよーよ!」

「えっ、あっ、それは……」

「いこーよー、一緒にごーはーんー」


 口を3の形で突き出しながら、藍はヒトハを昼食に誘う。

 しかしヒトハは困ったような顔を浮かべるばかり。

 その様子を見ながら、愛梨とソラは一つの違和感に気づいていた。


 伊賀崎ヒトハは、昼食の誘いだけは断るようにしている。

 それ以外の誘いは乗ってくるが、食事の様子だけは決して他人に見せない。

 初めて会った日のカラオケでも、屋上での昼食でも、ヒトハは水やゼリー飲料以外のものを決して口にはしていなかった。


「ねぇーヒトハちゃーん」

「う、うん……それじゃあ、購買でなにか買って――」

「やったー! ヒトハちゃんとお昼ご飯!」


 藍は無邪気に喜ぶが、ヒトハは変わらずどこか困ったような表情を浮かべている。

 やはり何かあるのだろうか。愛梨とソラは薄々そう思い始めていた。

 だが頭では理解できても心が追いつくわけではない。

 昼休みが始まると同時に、ヒトハがこっそりと自分のスマホを操作していた事に、女子は誰も気づけなかった。


「購買のパン美味しいんだよね〜。ヒトハちゃん何にする?」

「えっ、それじゃあメロンパン」

「オーケー! アタシに任せて、絶対にゲットしてみせるから!」


 購買の前には多くに生徒が集まっている。

 藍はヒトハに待つように言うと、気合いを入れて人混みに突撃していった。


「ら、藍ちゃん!?」

「むぎゅん!? 負けるかぁぁぁ!」


 途中何度か藍の呻き声が聞こえたので、ヒトハは心配になってしまう。

 そして数分後、なんとか獲物を確保できた藍は無事に友の元へと戻ってきた。


「ふい〜、今日のご飯ゲット!」

「大丈夫だったの?」

「大丈夫だよ〜、はいヒトハちゃん」


 笑顔を浮かべて大丈夫だと言う藍は、そのまま手にしたメロンパンをヒトハに手渡した。

 ヒトハは手に持ったメロンパンの感触に、幸せが抑えきれない表情を浮かべてしまう。


「メロンパン好きなの?」

「うん! 大好き!」


 幼子のような無邪気さで答えるヒトハ。

 それを聞いて藍は「そっか〜頑張ってよかった」と笑顔で言うのだった。

 だがヒトハはすぐに自分の意識を現実に引き戻してしまう。

 会計を終えて藍と一緒に屋上にでも移動しようかとなった瞬間、ヒトハは心の中で「ごめんね」と謝罪をし、スカートのポケットに入れてあったスマホを操作した。


「あっ電話……お母さんからだ」

「アタシ先に行っておいた方がいい?」

「ごめんね藍ちゃん。お母さん話が長いから、ワタシ人の少ない場所で食べるね」


 そう言い残してヒトハは駆け足で藍から離れてしまう。

 振り向く事はできない。ただヒトハの頭の中は、数えきれない程の「ごめんなさい」という言葉で溢れかえっていた。

 人気の少なそうな場所を見つけると、ヒトハは迷う事なく近くの女子トイレに駆け込む。


「はぁ……はぁ……」


 トイレの個室に鍵をかけて、メロンパンを胸に抱くように持ちながら便座に腰掛ける。

 友達と普通にご飯を食べる。なんて事のない願いだが、それはヒトハにはもう叶わない夢であった。


「あっ」


 ふとヒトハは手に持ったメロンパンに視線を落とす。

 ここは誰もいないトイレの個室。

 ヒトハはビニールの包装からパンを出して、恐る恐る一口食べてみた。


「っ!?」


 外はサクッとしていて、中は柔らかくて良い香りがして、口の中には大好きだった甘い味が広がった。

 だからヒトハは……吐いてしまった。


「オエッ……ゲェ……ゲェ……」


 味覚はそのままであっても、身体が受け付けない。

 大好きだった食べ物であっても、もう身体がそれを必要としない。

 こうして吐くのも、決して初めてではなかった。

 何度も自分を信じてみたくて、『普通』の食事を摂ろうとしたが、ヒトハは悉く吐いてしまった。


『バカな娘ね〜、もうそんなガラクタ食べる必要もないのに』


 ヒトハの奥底から、人造化神クイーンが嘲るように語りかけてくる。


『アタシと共生している以上、アナタが食べるべきものは……分かってるでしょう?』

「でもワタシ、ただ友達と普通にご飯を――」

『それは欲張りってものよ。死に損ないのアナタには尚更、ね?』


 それだけ言い残すと、クイーンは再び宿主の奥底へと戻っていった。

 残されたのは現実を叩きつけられるだけで終わった少女が一人。

 ヒトハは泣くことすらできず、一口だけ齧ったメロンパンをゴミ箱へ捨てると、力無くトイレを去るのだった。





 何気ない一日はあっという間に過ぎ去る。

 学校が終わり放課後になると、ヒトハは真っ直ぐ帰路につく。

 本当はあのマンションに帰りたくない気持ちが強いが、適当に時間を潰していると小太郎に心配をかけてしまうかもしれない。

 その方が嫌だと思ったヒトハは、意を決してマンションへと帰るのだった。

 だが……帰宅するという事は、今日の食事が用意されているという事でもある。


『あぁオナカが空いたわ! 早く食べさせて!』


 どのような言い訳をしようとも、生物である以上空腹には抗えない。

 今日の食事として差し出されたのは妙齢の女性であった。

 裕福な暮らしでもしていたような見てくれだが、それも乱れた髪と恐怖で歪んだ顔の前では意味を為さなくなっている。


『あらあら怯えちゃって。とってもアタシ好みのメニュー』


 ヒトハの奥底からクイーンが期待を膨らませながら、外に出てこようとする。

 空腹感が急速に増していくヒトハには、もはや女性に歩み寄る足を止める事ができなかった。


「『いただきまぁす』」


 それからの光景は明記するに値せず。

 女の恐怖を肥大化させるように弄びながら、クイーンは自分の食事を楽しんでいた。

 コールタールのように黒くドロドロのクイーンは、女を目一杯苦しめた上で喰らい尽くす。

 ヒトハが我に返って時には、全てが終わった後であった。


「あ……」


 何も残っていない。

 血痕も、女の髪の毛一本も何もない。

 ただ満腹感だけが、ヒトハに何が起きたのかを伝えてくる。

 クイーンはもうヒトハの奥底に戻って眠りについていた。


「ごめん、なさい」


 もう涙も出ない。ただ誰かに許して欲しかった。

 だけど誰もヒトハに語りかける事はない。

 父親は生まれた時からいなかった。母親ももういなかった。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 誰の返事もないと理解してなお、ヒトハは虚空に向かって謝罪し続ける事しかできなかった。





 心を痛めても時間は容赦なく経過する。

 ヒトハはベッドの中で疼くまっていたが、今夜は全く寝付けそうになかった。

 頭の中で色々な考えが跋扈して、眠気を消し飛ばしてしまう。

 ふとヒトハが窓の外を見ると、月の光が部屋の中に入ってきている。

 今日は満月であった。


「外、どんなだろ」


 どうせ眠れないならと思い、ヒトハは服を着替えると外へ散歩に出かけた。


 深夜二時の街道。

 繁華街のような場所でもないので人気はなく、聞こえてくるのも自然の音だけである。


「静か」


 街灯の光だけを頼りにして、ヒトハは当てもなく歩き続ける。

 人の声など聞こえない。

 だがそれはヒトハにとって、いつか自分が齎しかねない結末のように思えてしまった。

 声のない世界など考えた事もなかったが、ヒトハにはそれが怖いものに思えて仕方がない。


「そうだ」


 ふと思い立ったヒトハは、行き先を決めて移動する。

 辿り着いた先は少し広めの公園。

 日中であれば子ども達が無邪気に遊具で遊んでいるような場所だが、ヒトハは迷わずブランコへと向かった。


「うわわわ!? これこんなに振れ幅あったっけ!?」


 高校生の力で思いっきりブランコを漕いだので、予想以上に上がってしまう。

 だがヒトハはそれでも楽しかった。

 長い入院生活で、公園で遊ぶ機会などほとんど無かったのだ。


「シーソー、は一人じゃ遊べないか。それなら!」


 次に目をつけたのは子ども向けの滑り台。

 ヒトハは目を輝かせて滑ろうとするが……悲しい事にお尻のサイズが合わなかった。


「……リベンジ。絶対にリベンジするから!」


 少し涙目で滑り台を指差し、ヒトハはそう宣言する。

 続けてヒトハはどの遊具で遊ぼうか悩んでいると……


「あれあれ〜? こんな夜中に女の子が一人なんて、不用心すぎない?」

「そこのキミぃ、訳アリならオレらが話を聞いてやろうかぁ?」

「なんならオイラ達の遊び場にご招待してもいいっスよぉ」


 いかにもガラの悪そうな男が三人、ヒトハに近づいてきた。

 髪型もリーゼントにスキンヘッド、真っ赤なモヒカンと威圧感が凄まじい。

 ヒトハは生まれて初めて男に絡まれた事もあり、目に涙を浮かべて震えてしまう。


(ど、どうしよう……)


 どうやって逃げようか。どうやって隙を作ろうか。

 ヒトハは自分の未熟な知識を総動員して必死に考える。

 その時であった、三人組の男達に誰かが声をかけてきた。


「おいお前たち。なにをしている」

「あっ財前(ざいぜん)さん。いや、こんな時間に女の子が一人でいるもんですから気になって声かけちゃいまして」

「誓ってやましい事はしていません」

「全国の財前シャァァァン! 臣下一同、誓って変な事ししてないとお知らせするっスよォォォ!」


 三人は後から現れた男に対して、必死に自分達は何もしていないとアピールしている。

 それはそれとして最後のモヒカン男だけは、思いっきり拳骨を食らっていた。


「まったく。お前たちは一般人には怖がられやすいんだ。もう少しその自覚を……」


 そして三人組の後ろからヒトハの前に現れたのは、小太郎であった。

 小太郎はヒトハの姿を見るや、何も言わずに口をあんぐりと開けている。


「ヒトハ?」

「えっと、こんばんは小太郎くん」


 不思議と気まずい雰囲気が、二人の間に流れていた。

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