第百七十七話:ヒトハと小太郎
ツルギ達が話し合いをし終えてしばらく経った頃。
既に空は綺麗な夕焼けになっている。
聖徳寺学園のある赤土町から三駅ほど離れた場所で、財前小太郎は帰路についていた。
財前小太郎の帰りはいつも遅い。
部活には入っていないが、放課後になると彼は学園にある資料室に籠ってしまう。
聖徳寺学園の資料室には様々な戦術指南書や、過去に在学していた生徒達のファイト映像などが保管されている。
小太郎は資料室が開放されている曜日は必ず通うようにしているのだ。
「対策事項は多い……まだまだデッキを調整しなくては」
今日の実技授業でツルギに敗北した理由を自分なりに分析しながら、小太郎はいつも通りの帰路についている。
夕焼け空になる頃に学校を出て、地元のカードショップに立ち寄ってから帰る。それが小太郎のいつものコースであった。
だからこそ今日も、いつも通り真っ直ぐにカードショップに行こうとしたのだが……
「ん?」
駅を出てすぐの広場。
そこにある大きな噴水を囲っている手すりに座っている、ピンク髪の女の子が視界に映った。
彼女は聖徳寺学園の制服を着て、垂れた目で手に持ったノートと睨めっこをしている。
小太郎は日没も近い時間帯に一人でいるその女の子が気になって、つい声をかけてしまった。
「キミはこんな場所で何をしているんだ?」
「ひゃわっ!? えっあっ、偏在くん」
「財前だッ! どこにでも居るような存在じゃあない!」
「ごめんなさーい! 中々覚えられなくて」
どこかコミカルな表情で小太郎に謝るのは、今日転校してきたばかりの女子生徒、伊賀崎ヒトハであった。
ヒトハに本日二回も名前を間違えられた小太郎は「本当に、なぜ僕の名前は間違われるんだ?」と心の中で愚痴をこぼすのだった。
それはそうとして、小太郎はヒトハに話しかける。
「キミはこの辺り在住だったのか」
「えっ……あぁうん。最近引っ越してきたばかりなの」
「なるほど、通りで不用心なわけだ」
そう言うと小太郎は、ヒトハの足元にあった彼女の鞄を拾い上げて、持ち主に押し付けた。
ヒトハは不思議そうにキョトンとした顔になっている。
「日没も近い。この辺りはお世辞にも治安が良い地域じゃないんだ。こんな駅前で女子が無警戒にノートを開いているんじゃない」
「……治安、悪いの?」
「それともキミはカードギャングと争いたい願望でもあるのかな?」
少し挑発するような表情でそう告げる小太郎。
ヒトハは顔を青くさせて凄まじい勢いで顔を横に振るのだった。
小太郎はポケットから取り出した自分のスマホで時間を確認すると、一つだけ溜め息を吐いた。
「伊賀崎。道案内は任せるぞ」
「ふぇ?」
「女子一人じゃ危ないという単純な話だ。僕が家まで送る」
そう言うと小太郎は心底面倒くさそうに「男一人いるだけでも、少しはマシだろう」と呟いて背を向ける。
ヒトハはそんな小太郎の背を一瞬ポカンとした表情で見つめるが、すぐに楽しそうな笑顔を浮かべて彼の後について行くのだった。
「いや〜、転校初日に隣の席がアイゼンくんで良かったよ〜」
「財前だ。靴底には装着されないぞ」
「うぐぅ、名前が覚えにくい」
財前の隣を歩きながら、ヒトハは申し訳なさそうな表情を浮かべている。
一方で小太郎は、もうテンション高く突っ込むような気力を持っていなかった。
ヒトハは何故か両手で自分の頬を押さえ込みながら、ウンウンと頭を悩ませている。
「聖徳寺学園の初日はどうだった。クラスの人数は減ったが、まだまだ賑やかな奴らが残っていると思う」
「うん、それはすっごく思った。実は少し前まで人生初の女子会やってたんだ〜」
ヒトハ曰く、藍と愛梨が主導して歓迎会をしてくれていたとの事。
愛梨が超スピードで場所を押さえてカラオケ大会をしていたのだとか。
「思いっきり歌うって幸せだった〜、しかも愛梨ちゃんとデュエットできるなんて夢みたいだよ〜」
先程までの感動を噛み締めるように、ヒトハは幸せな時間だった事を語る。
小太郎はヒトハの人生初という言葉に関しては「女子校出身でそれはないだろう」と思っていたが、彼女の幸せに水を差すような事をする気も無かった。
「そうやって無邪気に楽しめるところは、素直に羨ましいよ」
「だって、やりたい事ができるって楽しいもん」
まるで羽が生えて自由を得たかのように、ヒトハは小太郎の隣で軽やかにステップを踏む。
夕焼けの輝きなんて比にもならない。
心の底から人生を楽しんでいるかのようなヒトハの姿が、小太郎にはとても眩しく見えた。
「天川といい武井といい、ウチのクラスは気楽な人間が多い」
「藍ちゃん強いよね〜、ワタシ今日あっという間に負けちゃったもん」
「あれでもA組じゃあ上位の強さだ。一筋縄で勝てる相手じゃない」
「ファイトはできるし、行事もあるし、学校で最高〜」
現代を生きる学生としては中々稀有な事を言い出すヒトハ。
気楽よりも真面目よりも感性が違うだけかもしれない、と小太郎は隣を歩きながら考えていた。
その時であった。ふと小太郎の視界にカードショップの看板が映り込んできた。
しかし今はヒトハを送り届ける方が最優先である。小太郎は目を逸らそうとすると……
「ねぇねぇ、ワタシ寄り道に興味があるんだけど」
「……キミは僕の話を聞いていたのか?」
「だってカードショップだよ!? 下校中の買い食いと同じくらい寄り道先の定番じゃん!」
「それはそうだが、そういう漫画や小説でも読み込んだのか?」
目を輝かせてカードショップを指差すヒトハを前にして、小太郎は額を指で押さえていた。
とはいえカードショップに立ち寄るという口実ができたと、ポジティブに受け取る事もできる。
小太郎は表面上は渋々といった様子を演じながら、ヒトハの提案を受け入れた。
「やったー! ありが……えっと」
「はぁ〜、もう好きに呼べばいい」
「……ねぇねぇ、下の名前教えて?」
もう間違われる前提で、半ば諦め気味にそう言った小太郎であった。
しかしヒトハは突然、下の名前を聞いてきたので小太郎はとりあえず答えてみる。
「小太郎だ。財前小太郎」
「なーんだ、そっちの方が覚えやすいじゃん……小太郎くん」
それがいつ振りだったのかは分からない。
だが女子に下の名前で呼ばれるという経験は、小太郎に妙なむず痒さを感じさせるには十分であった。
「名前を間違わないなら、それでいい」
「りょーかい小太郎くん。そうだ、ワタシの事もヒトハでいいよ」
「伊賀崎、キミはもう少し周りの目だとかを」
「だってワタシだけ下の名前で呼ぶのってズルい気がするもーん。ほたほら呼んじゃえ〜」
小太郎は超スピードで思考を巡らせた末に、全身全霊を込めた溜め息を一つ吐き捨てた。
「まだ外も暑いんだ……さっさと入るぞ、ヒトハ」
「はーい」
尻尾を振る子犬のように、財前の後に続いて行くヒトハ。
カードショップの中は少し寒いくらいに冷房が効いている。
しかし暑い外にいた二人には丁度いい感じであった。
「わぁ〜、寄り道って背徳〜」
「なんだその感想は……」
シングルカードが並ぶショーケースを眺めながら、ヒトハは目を輝かせてそう口にする。流石に小太郎も反応に困った様子であった。
とりあえずヒトハは放置して、小太郎は適当にシングルカードを眺めてみる。
安いストレージコーナーもあるが、今日は長居する予定もないので特に触れはしない。
「パワー上昇なら機械デッキで苦労はしない……問題は天川に勝てる程のパワーを出そうとすれば……」
小太郎は主に魔法カードのコーナーを眺めながら考える。
多彩な手段で勝利を掴み取ってくる相手に、どうすれば勝てるのか。
ひたすら考え続ける内に、小太郎自身も強くなっていた……が、それは決して目標を達成する事にはならない。
「まだまだ、道は長いか」
「最短距離って中々見つからないもんね〜」
急に隣から声をかけられたので、小太郎は驚いてしまう。
そこにはウェーブのかかったピンク色の髪を揺らしている、ヒトハの姿があった。
「小太郎くん小太郎くん。そういう時はパックで運試しだよ」
「運、か……」
ヒトハの指差す先にはパックコーナーがある。
確かにシングルカードで見つからないのであれば、いっその事パックで運命の出会いに期待するのも悪くはない。
何より小太郎には、運命だとかそういったロマンが魅力的でしかなかった。
「どのパックでする? 同じパックで運試ししようよ!」
「……ヒトハ、もしかしなくても自分がやりたいだけではないか?」
「バレた?」
悪戯っ子のように答えるヒトハ。
だがそれはそれでとして、小太郎はパックで運試しをしたくなっていた。
二人はパックコーナーでどのパックにするか選び始める。
「同じのにしようよ、同じパック!」
「自分のデッキに合いそうなパックを選ぶべきだ。基本中の基本だぞ」
そう言って小太郎はさっさとパックを一つ選んで会計に向かう。
ヒトハは少し頬を膨らませながら、小太郎と同じパックを一つ手に取って会計に向かった。
「それじゃあお待ちかねの運試しターイム」
会計を終えた二人はパックを開封し始める……が、小太郎はヒトハの発言に関してはスルーし切っていた。
一つのパックにはカードが8枚。
小太郎は順番に確認していくが、これといって目ぼしいカードはなかった。
「今日の運は凶だったようだね」
「みてみて小太郎くん。可愛いウサギが出た!」
少しテンションを高くしながら、ヒトハは小太郎に一枚のカードを見せてくる。
それに描かれていたのはサムライのようなアーマー装備した、メカウサギであった。
名前と系統を見ずとも、小太郎はそのカードを知っている。
「〈ライト・サムライラビット〉か、確かに僕のデッキと同じカテゴリーのカードだけど――」
「これ小太郎くんが使ってたのと同じ系統だよね? じゃあ今日の小太郎くんがやってたみたいに合体ロボットになるのかな」
「残念だけど、僕がそのカードを使うことはないよ」
そう言って小太郎はパックから出てきたカードを、ケースに入れてから鞄にしまう。
ヒトハが見せてきたカードのレアリティはUC。当然ながら小太郎もすでに複数枚持っているようなカードであった。
「ステータス低い。その割に効果を使うために要求される条件が割に合っていない。わざわざそのカードである必要性がある場面なんてないんだ」
「……わかっていても、なんか寂しいな」
手に持ったカードに視線落としながら、ヒトハがそう言う。
「強くないカードでも、きっとどこかに生まれてきた意味があると思う。なのに誰にも気付かれず、その他大勢の山の中に埋められて終わるって……なんか寂しいなって」
ヒトハの言葉を聞いて、小太郎は二つの事が脳裏に浮かんだ。
一つは初めてツルギとファイトをした時の事。
一つ一つは弱く、それまでの小太郎なら見向きもしなかったようなカードを駆使して、ツルギは勝利してきた。
そしてもう一つは、今でも自分を慕ってくる臣下達の事。
まさに様々な事情で、瓦礫に埋もれてしまった人生を歩もうとしてきた彼らの姿を、小太郎は思い出していた。
「僕は、埋もれさせるというのが嫌いなんだ」
そう呟くと小太郎は、自分の召喚器に入っているデッキに〈ライト・サムライラビット〉のカードを加えた。
「これも運命。運試しというなら瓦礫の王が試してやろう」
「がれきのおう?」
「僕の勝手なやり方だ。気にしないでくれ」
そう言うと小太郎はカードショップの出口へと向かう。
ヒトハは彼の背中を追いながら「男の子なんだなぁ」と考えていた。
カードショップを後にすると、小太郎はヒトハを住んでいるマンションの近くまで送り届けるのだった。




